2012年1月9日
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電車メシ問題あるいは北岡監督の悩みについて

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昨年末、撮影に行ったらCM監督の北岡さんが悩ましげな表情でやって来て、「今朝すごいものを見ちゃったんですよ」と言う。「唐揚げを食いながら電車に乗ってくる女がいたんですよ」と。コンビニで買ったらしき唐揚げをぐちゃぐちゃと食いながら入ってきて目の前に立ったらしい。その光景があまりにショックだったらしく、「こんなかんじで、こんなかんじで唐揚げをくわえて、」とその状況を模写して一所懸命伝えようとしてた。しかも唐揚げの臭いがくさくてたまらんかったと。
でもよく考えてみるとさあ、と僕は言った。「新幹線だと駅弁食べるじゃない。なんで東横線だとダメなんだろうか」。僕は以前、山手線で弁当を食べている夫婦を見たことがある。見事な農民ファッションに包まれた、初めて東京に野菜を売りに来ましたという風な二人だった。それはかなり奇異な光景だったんだけど、山手線で弁当食うのはおかしいという常識はいつからできたんだろうか?
それで撮影の合間に少しだけ議論になった。電車の中で食事をしていい線引きはどこなんだろうかと。席の問題だろうか。席が向かい合わせだと食っていい、という共通認識があるんだろうか。通勤電車はダメなのか?小田急なんかはどうなるんだろうか。たしか箱根まで行ってるから通勤電車と行楽列車が混ざってる。
正月、そんな話を妻にした。そしたら「食べていい電車はテーブルついてるじゃない」と。
問題解決しました。

2012年1月4日
by kossii
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広告で世の中を変える

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広告とは何か。広告の、真の力とは何だろう。
僕は、広告の真の力とは世の中を変える力だと思っている。
一般的には、広告とは商品を広く紹介する技術であると考えられていて、それはその通りだ。しかし、紹介の仕方にもいろいろある。この商品はこういうものですよと笑顔で解説する、そういうやり方もあるけども、この商品はこう使うとあなたの生活がこう変わりますよ、とか、みんなが気づいていないこんな価値があるんですよ、とか、思いがけない提案を商品にくっつける紹介の仕方もある。 その提案が人々に受け入れられると生活文化となって定着し、世の中を少し変えることができるわけだ。
広告発の生活文化はいくつもある。僕が好きな例をひとつ挙げると、1970年代末に仲畑さんがやった丸井の「好きだから、あげる。」。この頃からギフトというものの考え方が変わって来たと思う。それまでの日本のギフト文化は形式に過ぎなかった。「せっけん」「サラダ油」「のり」だった。近頃はあまり目にしないが、一時は中元歳暮の季節になると、せっけんやサラダ油のCMばかりだった。相手がほしいものをイメージして、何を贈ればいいかちゃんと考えよう、という姿勢は今では当たり前だがそれまでは一般的な発想じゃなかった。丸井の戦略としては、中元歳暮といえば三越の包装紙、という常識、人の流れを変えたかったのだと思う。それを、ただの差別化コミュニケーションではなく、世の中全体への提案とした。丸井の広告が常識を変えたのか、変わっていく兆しをいち早くキャッチして流れに便乗したのかはわからないけど、ムーブメントを後押しするのに一役買ったのは間違いないだろう。そして、丸井自身の売り上げも爆発的に上がったと聞いている。
僕は広告クリエイターとしてそういうのにあこがれてしまう。
確かオグルヴィの言葉だったっけ、「広告は人を幸せにするためにある」というのを使う人がよくいるけども、ほとんどの人は、面白CMで視聴者を楽しくさせろ、という程度の意味でしか認識していない。それはもちろん大事なこと。広告は街の美観や騒音と同じ生活環境だから楽しくないと存在できない。しかし、広告が人々を幸せにする真骨頂は、人々の生活を変える提案をどのように商品にくっつけるかにある、と僕は信じている。
過去の自分の仕事で言うと、佐藤浩市さんを起用した「一番搾り」のシリーズで日本各地の隠れたうまいもの発見にテーマを置いた。CMで加賀太キュウリが出てくるとイトーヨーカドーの食品売り場に加賀太キュウリと一番搾りが並ぶ。キリンの担当者ががんばって、各地の名物をCMで紹介するだけでなく、じっさいにも買ってもらえるような仕組みを構築した。これが、ご当地グルメやB級グルメの起点になったんじゃないかと僕は思っている。それまではそういうコンセプトは全く存在しなかったから。
プレイステーションは、TVゲームを個人が楽しむものから「家族をつなげるもの」に変えた。ちなみに僕はPS3を「ホーム・シミュレーター」にしたかった。たとえば自動車会社が新車を発表すると、同時にその車のデータがダウンロードでき、PS3でバーチャル試乗ができる。これはGTのエンジンを利用すれば容易に実現できるはず。クロスシミュレーターを利用すればユニクロの新作を3Dでアバターが着て、歩いたりするのをあらゆる方向から見ることができる。教育にも導入できる。物理計算エンジンを使えば理科の実験がバーチャルにできるし、天気の変化や地球の進化も手を加えながら確かめられるかもしれない。PS3発売前からこういう提案をしていて、うまくいけば日本の産業とみんなの生活は少し変化したはずだ。しかしPS3はゲーム機で終わってしまった。無念だ。
昨年はキリンFIREで「ひとつ進歩です。」キャンペーンをやった。これには二つの意味を込めた。一つは、FIREが常に進歩し続ける缶コーヒーである、ということ。そういう気概で製品を開発しよう、というインナーへの発破でもある。もう一つは、くだらないことでも毎日なんか進歩していようよ、という、世の中への提案。たとえば、さんまのワタのうまさがわかった!それはひとつ進歩だね、とか。彼女のこと考えてるつもりが自分のことしか考えてなかった。おまえも進歩したねえー、みたいな。そういった意味での進歩が流行ると世の中が少し楽しくなると思ったわけ。でも正直、思ったように表現できなかった。クライアントの言うことを聞き過ぎたのかもしれないし、もともとの企画に無理があったのかもしれない。
NTT西日本の「フレッツ光」キャンペーンは「ネットで家族を一つにする」という、いわば新しい生活文化へのチャレンジが込められている。ネットの普及は人々をバラバラにする側面がある。それはパソコンなどのネット端末が個人ユースを想定していたことも大きいと思う。しかし、インターネットTVなどをリビングで活用するようになれば「家族みんなでネットをやる」という新しい文化が生まれるかもしれない。それは日本にとって絶対いいことだろう。
Reebokでは「反則?」キャンペーンを始めた。このコミュニケーションの究極の目標は「勝ち負けのないスポーツ文化」を醸成することだ。根性論で、汗と涙で勝利をめざすスポーツも美しいが、テクノロジーの力でラクに楽しむスポーツがあったっていい。Reebokは全ての製品が優れた独自テクノロジーでできている。これに生活文化をくっつけていきたいのだ。
どんな商品にも、人々の生活を変えるだけの秘めたパワーがあると僕は思う。まだ誰も気づいていないそのパワーを引き出すのが広告クリエイターの役割ではないか。もちろんそれはハードルの高いやり方だ。最近のヒットCMは、構造がほぼ似ている。面白いストーリーがまずあって、その中にうまく商品を混ぜるやり方だ。あえて「商品に注目させない」ことでCMのウケを狙おうとしているわけだ。この商品を買うとあなたの生活はこう変わるよ、という提案をドンと見せるようなCMはここんところ、あまり見当たらないし、ほとんど話題に上らない。それはおそらく企業と生活者の地位が逆転して、企業がビビってるからだと思う。企業はどんどん卑屈になって、生活者はどんどん傲慢になって来てるから。そんな時代の中で広告とはもはや、生活者のご機嫌伺いしかできないのだろうか?いやそんなことはない。
昔と違って企業も余裕がなくなり、広告も目の前の商品を売るだけの目的に硬直しがちだ。それを否定したり壊すのは無理があるだろう。僕らはあくまでクライアント商売なのだから、クライアントの事情はじゅうぶんに汲み取らないといけない。しかし震災を経て、みんなで日本をアゲアゲにしていこうぜ、という大合唱の中で広告クリエイターにできることは何だろうかと考えるとき、商品に新しい生活文化をくっつけて、経済の活性化、社会の幸福化に寄与するという発想を忘れるべきじゃないと思う。
てなかんじで、僕は今年もやっていこうかなと。
皆さんは皆さんで、世の中をいい方向に変えてください。

2011年12月31日
by kossii
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TVとWEBのロミジュリ現象

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「家政婦のミタ」の視聴率が40%越えをしたことで、「これはビューティフルライフ以来じゃないか?」と言う人がいた。調べてみると、確かに「ビューティフルライフ」の最高視聴率は最終回の41.3%で民放テレビドラマ視聴率の歴代2位。1位は「積木くずし」の最終回で45.3%だ。それで、「TVもまだまだ終わってないぞ」という話になるのだが、ちょっと待ってくれ。「終わってない」だって?それどころか、僕にはTVは昔と比べてますます勢いがあるように感じられる。「家政婦のミタ」の実質的な視聴率は40%どころか、50%、いや60%かも知れない。
若い人で、部屋の中にTVを置くスペースがない、TVを買う金がない、という人がいる。そういう人に「TVは観ないのか」と聞くと、「観てる」と答えたりする。パソコンで観るのだと。TVと言うとほとんどの人は今だに「TV受像器」と一体化してイメージしていると思う。逆にTV受像器以外の何かで観るTV視聴は正当な方法じゃない、海賊版でゲームしたりCD-Rにコピーした音楽を聴くような、マイナーで邪道なものとして。そんなこたあない!むしろ、TV受像器以外の機器で視聴する傾向はTV局にとっても僕らのような関係者にとってもグッドニュースなのだ。TV番組は、別にTV受像器で観てくれなくったっていい。どんな視聴の仕方をしようと、CMさえ観てくれりゃあビジネスになるのだ。そこが他のコンテンツとは全く違うところだ。今は、ケータイでもパソコンでもタブレットでも、あらゆるもので、いつでもどんな場所でもTV番組を観ることができる。TV受像器じゃないと観られなかった昔と比べて、TV番組は遙かに生活時間の全般に浸透していると言えるだろう。そして、それらは視聴率にはカウントされていないのだ!
録画視聴も広がっている。僕自身に関して言うと昔と比べて格段にTVを観るようになった。そのきっかけはSONYの「クリップオン」だ。「クリップオン」は世界初のハードディスクTVレコーダーで、録画したものを外に持ち出す術がないのと高価だったために普及しなかったが、ビデオテープと違いワンクリック感覚で気軽に録画できたので、僕は気になる番組をばんばん録画することで、TVを圧倒的に観るようになった。「クリップオン」以来、TVは「メール」化し始めた。「電話」は、発信者と受信者が同じ時間を共有しないと成り立たない。そういう意味で、TVとは「電話」的なものだった。番組の放送時間には、視聴者は必ずTVの前にいなければいけなかった。「メール」は、受信者が発信者の時間に縛られないという意味でコミュニケーションの革新だったが、ハードディスクレコーダーがTVを「メール」化したわけだ。僕らのように就労時間が不規則な人種にとってメールは非常に便利なツールだが、TVについても同じことが言える。僕はTVをほぼ録画でしか観ない。そして、録画視聴も視聴率にはカウントされない。ちなみにこれからはもはや録画もなく、ネットがTV番組のアーカイブ的役割を果たすようになると思う。見逃した番組をYouTubeで観る人はたくさんいる。著作権についての法整備が整っていないのでこのあたりは現状グレーゾーンとなっているが、クリアになってくればオンデマンドのメニューもより拡充するだろう。
TV番組は今や、身近なあらゆるデバイスで観られたり、しかも、時間に縛られないメール的スタイルで観られたり、という時代になっているが、TV受像器で観られないものは相変わらず視聴率としてカウントされない。視聴率の数字だけを見てTVはもう終わったと結論づける人がいるけど、そういう人はTV視聴スタイルの進化や広がりを考慮していない。ここのところTV局のスポットはずっと満杯状態で、枠が余って困っているなどという話は聞かない。実感値ではCM監督たちは以前より忙しく、スケジュールを合わせるのが大変だ。TVを観る人が激減していたらそんなことにはならないと思う。
ネットが普及進化することでTVが衰退する、という思考も間違っていると僕は思う。「家政婦のミタ」の高視聴率に大きく貢献したのはむしろネットだろう。TVに限らず、音楽でも映画でも何でも、ネット社会が成熟するにつれコンテンツの勝ち負けの差がはっきり目立つようになって来た。ネットの評判で動く人がどんどん増えてきているってことだ。ネット上に飛び交う言葉に刺激を受けてTVのスイッチを入れる人はものすごくたくさんいるはずで、そういう人たちがTVの視聴率を押し上げている気がする。
また、ネットがTVを楽しくもしている。TVが「メール」化しているように、ネットも「電話」化し始めている。もともとネットにはサーバーの問題があって、多人数の同時アクセスに弱かった。「メール」的な使い方しかできなかった。しかしサーバーのコストが下がり能力は上がり、USTREAMのようなネット放送まで始まった。ツイッターのように多人数同時アクセスを前提としたメディアも現れた。こうしたメディアは「電話」的TV番組と相性がいい。つまりワールドカップやオリンピックなど、みんなが同じ時間を共有するのが楽しいコンテンツだ。なでしこが世界一を決めた時、ツイッターのタイムラインには爆発的な量の言葉があふれた。SONYは番組を観ながらツイッターできるTVを発売したが、目の付け所はいいと思う。中継を観ながらツイートしていると、大応援団の中にいるような一体感を味わえる。これからはタブレットで友達と会話しながら大画面TVで中継を観る、という視聴スタイルが一般化するかも知れない。こう見ていくと、ネットが普及進化するとTV番組が観られなくなる、ではなく、より観られるようになる、という仮説が正しい気がする。
逆に、TVに刺激されてネットを見るというケースだってたくさんある。GoogleやYahoo!の急上昇ワードは、その日か前日にTVで採り上げられたものばかりだ。TV番組で知ったものをネットで調べたり買ったりというスタイルがすでに定着しているから、ネットショッピングの販促はTVのパブリシティが一番効果的だ。
ネットはTVの敵として登場したように語る人が多かったけども、気がつくとこの二人は勝手にハグしてしまっているようじゃないか。心理学用語でロミオとジュリエット現象というものがある。周囲がやいやい反対するほど逆にくっついてしまう心理を指す言葉だが、僕にはTVとネットはロミオとジュリエットの関係にも見える。

2011年12月30日
by kossii
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WHY「凹若会」

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先日、「凹んでる若いクリエイター誰でも俺が奢ってやる会」の第2回目をやった。全部で32人の凹んでる連中にメシとカラオケを奢った。当初の予定では、居酒屋で飲み食いした後VIPなカラオケルームに行って終電までには解散、だったのだけど、結局朝まで飲んでしまって家で吐いた。
僕は広告学校も無料でやってるし、なんでそんなに若い連中のためにタダで時間取ったり奢ったりするのか?と不思議がられることがあるけど、つまりは「罪悪感」が動機なのだと思う。
日本は多数決の国だ。だから、人口の多い世代ほど有利なようにできている。
フジが韓流ドラマばかりやっている理由は、若い世代はピンと来ないだろうけど、最も人口の多い60代の趣向に合わせているだけだ。 マーケティングだ。僕らは人口的にはやや少ない世代だけども、それでもまだ若い頃は、TVでも音楽でも何でも自分たちをターゲットにしているシグナルをビンビンに感じていた。自分たちがカルチャーの中心にいる実感があった。今の若い世代はそうではないだろう。「TVが面白くなくなった」と言われるが、それは、そう言っている人向けの番組をやらなくなったということだ。若い世代向けの商品、カルチャーは、AKBやアニメ、ソーシャルゲームなど、たくさんのお金を消費してくれる個人、つまりはオタクを一本釣りしようということで、全体に向けてのものではない。お金を使わない若者は無視なのだ。
経済的にも、若い世代は割を食っている。
政府の借金は膨らむ一方だが、その恩恵を受けてきた人たちは借金を残したまま死んでいる。いわば逃げ切りだ。もし父親が借金を作るだけ作ってあの世へ行ったらあなたはこう言うだろう。「親父、借金返してから死ねよ!」って。 家族なら相続放棄すれば子供が借金を返す義務はない。しかし今の若い世代は見知らぬ他人が作った借金をこれから返していくことになる。僕は「返済税」を設けるといいと思う。世代によって借金で受けた恩恵はまったく違うのだから、それを計算して世代別に決められた額を税として課すのだ。それが公平というものだろう。大勢の爺婆がハコモノやバラマキで無駄に作った借金を、小勢の若者たちに背負わせるのがまともなやり方かどうか、少し考えればわかるはず。
でもそうはならないのだ。なぜなら、繰り返しになるけども、日本では人口の多い世代ほど有利だからだ。そして、そういう世代ほど恥を知らないのだ。
実感値では、若い世代ほど恥を知っているし、礼儀正しい。こないだ、コピーライター職の募集をした。HPとツイッターで告知しただけだが、あっという間に30名ほど応募が来たのですぐに打ち切った。その中から1人を選ぶ。1人を選ぶ、というのは29人を落とすってことだ。課題に対する回答案を精査して、実力が達していないと判断した人たちを次々と落とす。その理由を書いたメールを出す。これははなかなか精神的にこたえる作業だ。いわば不幸を作っているわけだから。気持ちがやさぐれてしまう。しかし、落とされた人たちのほとんどは返信してきてこう言うのだ。「自分の表現に講評してもらえてうれしかった」と。礼を言ってくるのだ。それでどれほど心が救われたか。
礼儀正しすぎる、とも思う。「なんで俺の価値がわからないんだー!」って突っかかってくるぐらいのヤツがいてもいいと思う。「凹若会」に参加した若者たちも、楽しそうにはしていたが、おとなしい。勝手にイッキやってゲロ吐くようなヤツはいなかった。そのおとなしいヤツらが、道端で平然と痰を吐くような連中の借金を返すんだと思うと、またメシでも奢ってやろうかなという気になるのだ。

2011年12月24日
by kossii
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俺の「もったいない」

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マネージャーが僕のブログを「つまらない」と言う。「酔っ払った勢いで書くと言っときながらまじめな話ばかりじゃないか」と。確かにその通りと神妙に反省した。それで、今回は思い切りどうでもいい話を書こうと思う。「もったいない」について。
僕の行動の動機は、その大半を「もったいない」が占めている気がする。これだけ「もったいない」に支配されてる男も珍しいんじゃないだろうか。
先日、m-floのVERBALさん主宰のイベントで「ageHa」に行って来た。そこのVIPルームでクライアントと打合せがてら飲むのが目的だったんだけど、クラブに来て踊らないのは「もったいない」。ということで、VERBALさん、クライアントと乾杯を終えてすぐ踊りに行った。もしかしたら20年ぶりぐらいかもしれない。よし今夜はもったいなくなかったぞと満足したものの、後で考えると、女の子に声かけなかったなあ。もしかするとすごく「もったいない」ことだったかもしれない…と悩む。
1ヶ月前、陰嚢水腫の手術中、麻酔医の先生が声をかけてきた。「大丈夫ですか、緊張してませんか?」と。「いや、別に…どうして?」と聞き返すと、「緊張で手術に耐えられないという方もいらっしゃるんで、そういう場合はお薬を打つこともできますから」と言う。「それって睡眠薬ですか」「いや、意識が少しポワンとするんです」「必要ないと思います」「そうですか」。麻酔医は去って行った。僕はその時、なんだかすごく「もったいない」ことをした気になって、「先生、先生」と呼び戻した。「どうしました」「その薬、打ってほしいんですけど」「えっなんでですか」「そのポワンとするのが面白そうだなと思って」「そういう理由ではダメですよ」と今度は憤然と去って行ってしまった。今でもあのポワンがもったいなかったと悔やんでいる。
数年前から宇宙旅行に申し込んでいるのも、宇宙に行くチャンスがあるのにこの眼で見ないなんて「もったいない」!と思ったから。人生の全てについて、何でもやってみないと「もったいない」と思っている。そもそも結婚して子供をつくったのも、子供のいる結婚生活を経験しないなんて「もったいない」という気持ちがあったからかもしれない。
トイレに行くのも極力我慢する。もよおしてすぐにするなんて「もったいない」。大便する時のあのほーっとする気持ちよさは、直前どれだけこらえたかに比例する。白状すると、少し失敗することがある。パンツを洗う妻がそれに気づいているかどうかはわからない。そういえば今日はクリスマスイブだ。罪滅ぼしに何か買おうか。

2011年12月20日
by kossii
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「凹んでる若手クリエイター誰でも俺が奢ってやる会」第2回目のお知らせ

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2年前のある日、べろんべろんに酔っ払って帰宅した僕は、ソファに横になりなぜだか「宣伝会議」をパラパラとめくったようです。すると、どこかの広告代理店の若手クリエイターが、いい仕事は著名クリエイターばかりに行って自分には全然回ってこない云々と言ったグチをグチグチと書き込んでいたのが眼に入ったようで、それで僕はなぜかデスクに行ってPCからツイッターに、「凹んでる若手クリエイター誰でも俺がメシ奢ってやる!」といったことを書き込んだようなのです。なぜ「ようなのです」かと言うと、記憶が定かでないからなのです。
次の日、目が覚めてツイッターを見ると、「小霜さん男だ!」とか「ぜひ参加します!」といったRTがいっぱい来てるではないですか。記憶が定かでない書き込みとは言え後に引けなくなり、結局僕は30名の凹んでる人たちに鴨鍋とカラオケをおごったのでした。
で、来週、2年ぶりにその「凹若会」をやろうかと思います。
コンセプトは単純です。食い物屋を予約するので、そこに勝手に来て、そこにいる人たちと勝手にしゃべって、飲み食いして帰ってください。そんだけです。調子に乗ってその後カラオケに行くかもしれないので、着いてきてくれてもいいです。飲食代は全てゴチします。
「若手」と言ってますけど「自分的に若手」と言い張るならば実年齢はさほど問いません。「クリエイター」と言ってますけど「自分的にクリエイティブ」と思っていれば営業職でもかまいません。「凹んでる」が重要です。いい仕事に恵まれなかったり貧乏だったり彼氏彼女がいなかったりうっかりツイッターで炎上したりした人たちが傷をなめ合うトホホな飲み会です。かく言う僕もいろいろ凹むこと多いのでなぐさめてください。美女希望。
なぜここに来てまたやろうと思い立ったかというと、ひとつには、前回参加した人たちから「またやってくださいよ」と言われることが時々あるからです。主宰した僕自身は「はたしてこんな会が楽しいんだろうか」とクールに眺めていたのですけど、若い人たちには横のつながりができたりしてメリットがあったようです。予想外です。もうひとつには、今年も会社の決算がずいぶん良かったので、交際費でいっちょパーッと奢ってやるか気分に浸っているからです。 社員に賞与を出し、被災地にも寄付し、さらに若い人たちにパーッと奢って、ご満悦気分で新年を迎えてやろうかと。ついでに言うと、お金とは下から上に吸い上げるものではなく、上から下に流れるのが自然と思っているので、僕は若い人に奢ることに抵抗がないのです。
日時:12/28(水)19時~  場所:六本木周辺のどこか(今からさがします!)
参加希望の方は、 kossii_2010@yahoo.co.jp までメールください。お店が確定し次第お知らせします。お店の大きさにもよりますが、とりあえず先着30人とさせてください。

*定員に達しました。 12/23

2011年12月13日
by kossii
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「絆」でいいじゃないか

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今年の漢字が「絆」に決まったことで、ネットでいろんな人が不平を言っている。みんな東北のことなど忘れてるくせに絆など偽善だ、とか、「喪」がふさわしいとか「白紙」がふさわしいとか何とか。
そうだそうだという声が多い理由はわからないでもない。しかし、僕は個人的に、大いに不愉快だ。
震災後、いろんな業務がなくなったり延期になったりして、僕は暇になった。で、被災地のために何かをしなければいけないと思った僕が最初にしたことは、渋谷、五反田、新宿の薬局を一件ずつ回って、ひとつずつ紙おむつを買い集めることだった。被災地では生理用品、特に紙おむつが不足して衛生面で困っていると聞いたので、とにかくそれを集めて送ろうと思ったのだ。しかし、どこに行っても品切れ状態であまり集まらなかった。その次の日に妻を誘って出直すことにした。主婦の直感で、あそこならあるかもしれない、というのが役に立ち、二日目はかなり集まった。また、主婦の知恵で、買うならこういうタイプが役に立つはず、というのも参考になって、SUVのリアシートから荷台までパンパンにして、都庁にどっさり持ち込んだ。
疲れ切って、やれやれと休んでいると、妻が、明日もう一回行きたいという。長女の音楽の先生が茨城県潮来の出身なのだが、そこに支援物資を積んで車で送り届けてほしいと。潮来は地震の被害が酷く、液状化で数百軒の家が沈み、混乱状態であると。まだガソリンはどこにも売っていなかったが、距離を計算したらギリギリ往復できそうだ。正直、もう勘弁してくれと悲鳴を上げそうだったが、また都内を回って支援物資を積み込み、先生を送っていった。潮来はまだ道がガタガタしていたが、選べば何とか走行できた。あちこちで道路が陥没したり家や電信柱が不自然に傾いていた。それが被災地を見た最初だった。物資は市役所に届けようと思ったが、みんな出払っていて受け取る人がいない。先生の実家に預けることにしたが、とても喜んでもらえた。せめてもと言うことで、お返しに米をもらった。僕はその時「絆」を感じた。
東京に戻ってから僕が思ったのは、潮来であれなら福島や東北はどうなっているのだろう、と言うことだった。NPOが東北へ輸送する物資を募集していたので、僕はネットをつぶさに調べ、九州の倉庫にカロリーメイトが大量に在庫されているのを見つけ、すぐに押さえて送ってもらったりした。
そして、いわきに「ケータリング」に行こうと思った。僕らはCMなどのロケをする時、軽トラックの調理車で食事を作ってもらったりする。ケータリングと言う。それなりに凝っていて、なかなかうまい。被災地では自衛隊がカレーや豚汁の炊き出しをしているのは知っていたが、避難所の人たちはうまいものは食っていないだろうと思った。当時、いわきは原発を恐れてトラックが入ってこないと言われていたので、そこに行こうと思った。マネージャーを通じてケータリングの業者といわきの市会議員に連絡を取って、行けないか交渉させた。
ケータリング業者の1社がそのアイデアに乗り、最初は自分たちの費用で行きたいと言い出したので、まずはそれに着いていって、手伝いながら現状視察をしようと思った。現地の惨状を見、現地の人たちや避難所の子供たちの話を聞くと、何が必要なのかがわかって来た。彼らが食べたいものは、凝った洋食ではなく「和食」であること、物資は足りているが本や漫画などの娯楽に飢えていること、などなど。そういったことを把握して、万全の体制でもう一度ケータリングに行こうと計画した。
その話をツイッターでしていたら、小学館の編集者から自分たちの絵本や漫画の需要はないだろうかと問い合わせがあった。もしあるのなら届けてくれないかと。届けると言うよりも、いっしょに行きましょうと誘うと、段ボール10箱以上を持ってやって来た。全ての箱に一冊ずつドラえもんとポケモンが入っていた。僕は予想外の大荷物に自分の車を出すことにして、ケータリングを社員たちにまかせ、現地のボランティアの兄ちゃんの案内で、編集者たちといっしょにいわきの避難所を10カ所ほど回って本を届けた。「ドラえもんあるよ-」と言うと子供たちがワーッと集まってくる。編集者たちも思いがけない経験に喜んでいた。 彼女たちはその後も、活動を東北まで広げている。
これを「絆」と呼ぶのはヘンテコなことなのだろうか。
僕は毎年、児童養護施設に援助をしている。今年は資格を取るために短大に行きたい、という孤児の学資を出している。その子は孤児のケアをする仕事に就きたいらしい。そのためには短大で心理学を学ぶ必要があるのだ。名前は知らないし、向こうにも僕の名前は教えていない。この震災で両親を失った子供は240人いるらしい。僕はあと20年は働くつもりでいる。その子たちも含め、引退するまでにあと10人の孤児の学資を面倒見るつもりだ。それ以外の子たちは誰かにおまかせしたい。
何かになりたい、何かをやりたい、そういう気概がありながら、不幸な環境で実現できない子供たちがいる。それを放置しておくのは、世の中のためにならない。そういう子たちに活躍の機会を与えれば、その子が、あるいはその子の影響を受けた誰かが、世の中のためになることをしてくれるかもしれない。それが「援助」だと僕は思っている。それを「絆」と言っては僭越だろうか。情けないが自分の子供たちは世の中をなめていて、受験をやると言いながらゲームばかりしている。我が子とは言え、やる気のない人間を援助するぐらいなら僕はその金を孤児の学資に当てる。
以上は、被災地のために少し援助した、ほんの一人の僕の話だ。今年は僕以上に、被災地に貢献した人がたくさんいた。なけなしのお金を寄付した人もいただろうし、とにかく現地で働いた人もいたし、震災後すぐに物資をトラックで運び込んだ人もいた。死ぬ思いで働いた自衛隊、警察、消防、役所の人たちもいる。僕のすぐ周囲でも、自分の仕事も顧みず、大勢の人を引き連れて、滅私の精神で働いた人たちもいる。今年は確かに原発問題を中心に、日本の膿が出てきた年だった。悪人らしき人たちもいた。でもみんながんばったじゃないか、よくやったじゃん、と僕は言いたい。彼らに、日本に絆なんてないよねと、どういう根性で言えるのか。
今年の日本は「喪」だよね「白紙」だよねと言うヤツらは、もしかして自分たちが「喪」であり「白紙」なんじゃないのか。

2011年12月12日
by kossii
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僕が博報堂辞めた理由

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最近、若い人が電通辞めたとか博報堂辞めたとか、そんな話がネットで大きく取り上げられ、称賛を受けている。僕は13年前に博報堂を辞めて独立した。僕の周囲の多くの人が誤解しているが、僕はそもそも独立をめざしていたわけじゃない。会社に骨を埋めるつもりだった。そのあたりの話を書いてみる。そういうヤツもいるということで、転職であれこれ考えている人たちが何かの参考にしてくれればいいと思う。
僕はプレイステーションの立ち上げからずっとその広告を担当してきて、当時、かなりのゲーム通になっていた。その頃、東北新社はPS用ゲームの制作もしていたのだが、その部門の長が古くから親しい方で、僕にアドバイザーとして面倒を見てくれないかと依頼してきた。僕は快く引き受け、そのチームとも深いつき合いになっていった。ところが東北新社はゲームから撤退することに方針を変更し、チームはバラバラになることに。彼らはいまさらゲーム以外の仕事はできないということで、独立して仕掛かりプロジェクトの制作を続行することに決め、その会社をいっしょに立ち上げてほしいと僕に懇願してきた。僕は悩んだが結局それを見捨てることができず、博報堂にその旨を報告した。後からいろんな人に言われたのだが、黙っていればよかったのに馬鹿正直に報告したことで、それがかなりこじれることとなる。
博報堂は社則として、社員が別法人を運営することを許可していない。それで、もしそれをやるなら退職するしかない、という役員もいれば、実際はそんなもの有名無実だろうという役員もいて、上の方で喧々諤々が一ヶ月も続いた(裏を返せば、それだけ大事にされていると言うことであった)。最終的には、ある条件さえ守ればやっていいよという結論だったのだが、なんとなく残りづらいムードとなってしまった。僕は窮地に陥ってしまった。
僕が博報堂に入社してすぐにバブルがやって来た。会社やプロダクションのお金でずいぶん遊ばせてもらったし、仕事でもわがままばかりさせてもらった。自己中心的なやり方で、広告賞を獲ることしか考えてなかった。イヤなヤツだったと思う。30代になって、クライアントと直接対峙し大きな仕事を動かせるようになってきて、会社に対してその「借り」を返せるなと思っていたところだったから、辞めようなんて気持ちは微塵もなかった。それに仲間意識も強かった。当時の博報堂、特にクリエイティブは電通に対して心一つにして戦うぜという強い気持ちで結束していたから、そこから外れて一人になることに大きな寂しさがあった。
そんなことを察してか、僕の元上司が「独立していいんじゃないか」と諭して来た。おまえの力なら独立してもやっていけるよと。それに、外でネットワークを作ってくれればそれが博報堂のネットワークにもなると。当時、博報堂の主なクリエイターで独立していたのは大貫さんと谷山さんぐらいで、独立には大きな不安がつきまとう時代だった。3年はおれが仕事の保証をするから、3年は博報堂の競合に回らないようにしてくれと言われた。有り難いと思った。博報堂はそんな、辞めた仲間も支えてくれる会社だった。
僕は独立し、約束を守った。博報堂のすぐ近くに事務所を借り、3年は電通など競合代理店の仕事は受けないようにした。大島さんに呼ばれて電通でセミナーをやらせてもらったことがあり、電通と仕事しないかと誘われたが固辞した。ホントはやりたくてたまらなかったんだけど。独立して4年目にADKで「AirH”」の仕事をやらせてもらったのが、博報堂以外の国内代理店での初仕事だった。今では電通、ADK、東急、大広などに親しい人もたくさん増え、幅広く仕事をやらせていただいている。それはまた別の有り難い話だ。
独立後、博報堂とはPSをめぐってケンカした。1,2年ほど外れた後、SCEから呼び戻されて復帰するなど、いろいろあった。今ではいちばん関係のいい代理店、というわけじゃない。でも、自分にクリエイティブを教えてくれたのは博報堂だし、その恩は忘れていない。あの時果たして辞めるべきだったか、今でも悩む時がある。確かに独立してガーンと金が入ってきた。渋谷に家も建った。でも、博報堂に居続ければ、今以上にいろんなことが学べたはずだし、今以上の人脈が得られたかもしれない。今以上に世の中を大きく動かす仕事ができて、今以上に社会に貢献できたかもしれない。今以上に、会社の仲間たちとひとつの仕事をやり遂げる、という達成感が得られたかもしれない。いったいどっちが良かったのだろうか。答は永久に出ないと思う。

2011年12月11日
by kossii
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犬と子供の脳みそ

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12/10は以前飼っていた犬の命日だったので、ペット霊園に行って線香を上げてきた。
長女がどうしても欲しいと言い続けるので、兄弟で必ず散歩などの世話をすることという約束で初めて買ってきた犬だったが、生後1年で死んでしまった。
明治通り沿いの公園で長女が遊んでいたら、突然外に駆けだしそのままバイクにひかれて即死。一晩だけ家に置いて、次の日にペット霊園に運び込んで供養してもらった。
ペット霊園には供養の方法で松竹梅がある。高いのは壺にお骨を入れて地下室に安置するもので、安いのは他のペットたちの骨といっしょに混ぜて土に埋める。僕は犬のために高い方を選ぼうとしたのだけど、子供たちは安いのがいいと言った。生前、他のペットたちとじゃれるのが好きだったから、その方が喜ぶと。なるほどなあ、と感心した。自分にはそういう発想はなかったなと。
犬が死んだことで、いくつかのうれしい発見もあった。長男は一見ドライで、自己中なところがある。姉の不注意を責めるかと思ったが、あれは犬の自殺だよと言う。その時、ちょうど世界のどこかで人が生まれようとしている電波をキャッチして、いま死んだら人間に生まれ変われる!チャンス!と思って道路に飛び出したんだと。いちばんかわいがっていた姉への思いやりも胸を打ったが、その発想がおもしろいなあと思った。自分はクリエイティブを生業としているから、常人にできない発想をしなきゃいけないわけだが、子供の発想には負けることが多い。
先日映画監督の行定氏とメシを食っていた時、何年か前に僕が送った年賀状の話題になった。それは子供の描いた画をそのまま使ったものだったのだが、非常に印象深くて5、6年経った今でも記憶に残っていると。何を描かせたかは覚えていないが、干支にちなんだものだからきっとその年の動物だろう。
子供にとって動物は最も身近な自然で、神秘だ。それを表現する時、自然に対峙する人間の原始的な畏れや興味や幻想がそのまま出てくる。大人はそこに、自分が忘れたプリミティブさを見出すのだと思う。
犬が死んでから2年経つが、家族からある種の高揚感が失われた気がする。子供たちの興味は、今では受験に向いている。同じ犬種の犬を飼うことにしたが、散歩はもはや楽しみではなくルーティンワークとなっている。最近、子供たちの作文を読んだ。つまらない。子供らしい発見も幻想もなくなっている。学校の教師が書いたような文章だと思った。人として凡庸なほど点数が取れる仕組みなのだから、仕方のないことなのだろう。言っていることもゲームやアニメで聞いたような話ばかりだ。現代社会で大人になるとはそういうことなのか。学校もテレビもない山の中で野生児のように育てるのが、人間にとっていちばんの教育なんじゃないのかと思った。

2011年12月4日
by kossii
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「見せないでくれ」社会

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田中沖縄防衛局長のオフレコ発言が問題になっている。マスコミもネットも彼への非難の嵐だ。
なぜそこまで彼が非難されるのか、自分にはわからない。
「犯す前に犯しますよと言うヤツがいるか」。普天間基地の辺野古への移設に関して政府は事業当事者として環境影響評価書を提出しなければならないが、移設を強行するために評価書の提出時期を見定めている。その、政府の本音を暴露したわけだ。
彼がどういう気持ちでそういう発言をしたかが重要だ。どうだ、お前らは俺たちに黙ってレイプされるしかねーんだよ!と沖縄人を小馬鹿にした気持ちで言ったのかもしれない。でも、常に本土の意向で基地政策を決定される沖縄に同情して言ったのかもしれない。自分がその機構の一部であることへの自嘲も含めて。だとすれば、琉球新報は、政府の嘘をオフレコレベルで伝えてくれる貴重な存在を自ら追放した愚か者ということになる。しかも今後、彼らに本音を話す関係者はいなくなるだろう。
人間の感情というのは複雑であって、言葉面がやさしいからといって相手のことを親身に考えているとは限らない。むしろキレイゴトばかりの人こそ疑うべきだ。乱暴で突き放した粗野な物言いをする人の方が、深く相手のことを考えていたりするものだ。自分の無力さを恥じるとき、そういう言い方になったりするからだ。
だから「言い方」を問題にするのは、本音を言ってはいけない、ということに通じて来る。この事件については、問題にされるべきは田中氏が明らかにした政府の強行姿勢なんじゃないのか。「犯す」という言い方が女性蔑視でどうのこうのとやっているのは、見当違いだろう。なぜそんなことになるのか。
最近は広告クライアントとのつき合いも変わってきた。以前は本音を言うことが歓迎された。「プロとしての率直な意見が聞きたい」と言われたものだ。それが逆になってきた。誰が見ても力のない、記憶に残らないCMばかりをやっている企業に、率直に「ここはもっとこうした方がいいですよ」と提案するとヒステリーを起こしたりする。言い方が悪いとか、自分を否定するのかなどと言って激昂する。広告のコンセプトではなく、自分への「言い方」を問題にする。そんな言い方をするってことは自分たちを馬鹿にしているからだ、などと言うのだ。そういう人にとっては、企業のことを真摯に考え、本当のことを言う者は悪なのだ。キレイゴトを言いながら、自分をおだててくれる者が正というわけだ。
本音を言っていてはもう食っていけないなあ、と思う。嘘つきになるしかないかなあ、と。「御社のやり方は素晴らしい」と、太鼓持ちのように媚びながらうまく金だけ抜いてやろうとほくそ笑む、そういう広告人が正義であり、栄えていくのだろう。
子供の頃読んだ誰かの自伝で、近所に住む馬鹿な子供のエピソードがあった。その子は畑でよく作物を盗むのだが、見つかって追いかけられると目をつぶってしゃがむ。そしてすぐ捕まる。なぜそんな不可解なことをするかというと、目をつぶると世界が真っ暗になって追っ手も自分を見失うと思っていたららしい。
マスコミや、各種圧力団体や、クレーマーたちがつくりあげたキレイゴト社会とはそんなものだと思う。「見せないでくれ」社会だ。言葉狩りをやったり、不適切発言をする政治家や官僚をバッシングしたりしても、それは問題の本質を見えなくするだけで何かを解決するわけじゃない。日本社会も、愚かな広告クライアントも、問題を解決したいわけじゃない。問題を見せないでくれと、幻想の中で生きていたいのだと、そう言っているのだろう。