政党ネーミング評

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政党の離合集散が激しい。新しい党名も発表したり消えたりしている。プロ・コピーライターの端くれとして、ちょっと各政党のネーミングを評してみたい。もしかするとネーミングの向こうに党首のセンスなど、何か垣間見えるものもあるかも知れない。
まず自由民主党。このネーミングはいい。みんな「自由」という言葉が大好きだから。本来「自由」とは厳しいものだと僕は思うのだけど、解放感や奔放さがくっついてくるから、この言葉を聞くと日本人は単純に気持ちがアガる。「民主」という言葉はそうでもないだろうけど。政治臭が強すぎ、生活者が自分の言葉にできないからだ。ハリウッド映画はフリーダムフリーダムうるさいが、デモクラシーデモクラシーとは叫ばない。「朝鮮民主主義人民共和国」みたいな国もあるし、少しだけ胡散臭さを伴う。でもいちおうおれたちのベースは民主主義だよ、と押さえておく意味では必要なワード。そういう意味ではバランスがいい。「自民党」と略されると「自由」が隠れてしまう。なるべく略さないでくれとメディアに言うべきだと思う。
次に民主党。これはいただけない。党名を決めた時点で失敗が見えていた、とまでは言い過ぎかもしれないが。政党のネーミングはやはり自由民主党がベンチマークになる。自由民主党と比べて民主党、というのは、何か欠けた印象を与える。本来のものから何か足りないぞ。えっ、自由がないの?と。また、オリジナルの言葉ではないから、オリジナルのアイデアが考えられない人たち、という印象も与えてしまう。過去の政党の亜流だろと。もしこの党が「未来の党」といった名前だったなら、無理なチャレンジも国民はもっと寛容に受け入れたかも知れない。
日本維新の会。これは悪くないと思う。維新は日本人にとって憧憬であり、敬意がわき上がるワードだ。音的にも「一新」に通じるから、改革を求める人たちの気持 ちを取り込みやすい。ただ坂本龍馬や明治の元勲達は偉大な存在過ぎて、そこに自分たちをなぞらえる態度を不遜と感じる人も多いだろう。
日本未来の党。いいと思う。「自由」と同様、「未来」は単純に響きのいい言葉で、気持ちをアゲてくれる。こわい未来もあるけども、日本人にとって未来とはアトムでありドラえもんであろう。また、「自由」「民主」という文脈から外れていることが、自民党の対抗馬としてのポジションを明確にし、新しいビジョンに期待を持たせる。
みんなの党。生活者が政党に期待するのは「プロとして何かやってくれそう」感だと思う。渡辺代表はそんな期待感に応えてくれそうな実力キャラなのに、ネーミングに反映されていないのがもったいない。これではむしろ大言壮語的な無理を感じ取ってしまう。それにひらがな使いはいい意味でも悪い意味でも幼稚に感じる。そこから来る素人集団的印象も実体との乖離がある。
公明党。「公明」とはどういう意味なんだろう。公明正大が由来なのかな。よくわからないが、学会員ならピンと来るのだろうか。仲間言葉は仲間のつながりを強めてくれる。そういう意味では悪くないネーミングと言える。
国民新党。これはいただけない。歴史をかじっている人なら蒋介石の国民党を連想してしまう。それに「国民」はそれほど気持ちをアゲてくれるワードではない。ただ「日本国に住んでいる人」という、仕組み上の存在としか感じられないからだ。「日本」というワードはいい。血のつながり、文化の継承を感じる時、人は結束しようという本能が働く。今週号のAERAによれば今は女性も右傾化傾向が強まっているらしく、このナショナリズムの高まりに乗らない手はないだろう。日本維新の会、日本未来の党は抜け目なく「日本」を頭に置いている。
新党大地。これはどうだろう。「大地」というワードは農業シズルが強すぎる。北海道の大地から生まれた政党、と言いたいのだろうが生活者に対して何を提案しようとしているのか見えない。しかし、北海道の票田さえ確保すればいいのだ、というところに目標を割り切るならしっかり寄与するネーミングと言えるだろう。
日本共産党。共産主義が人類に災禍をもたらすトンデモ主義だったということがバレバレになってしまってから、「共産党」という名前を掲げ続ける決断には勇気が必要だっただろう。しかしだからこそそのブレなさがあるリスペクトを獲得している。もし党名を変えていたら今頃は消滅していたかも知れない。政権を獲る見込みは果てしなくゼロだと思うが、野党としてはしぶとく生き残ると思う。
社会民主党。ゆるやかな社会主義を標榜するイメージとポジションが、過去には大きな価値を持った。しかし今や「社会」というワードは時代に取り残されている感をもたらしてしまう。福島代表のお花畑な発言もそれに加速をかけている。真面目な話、無邪気に言いたいことだけ言う党、というコンセプトで党名を変更するといいと思う。
以下、なくなった政党。
国民の生活が第一。最初にこの党名を聞いた時、新人コピーライターが浅知恵で書いたようなネーミングだと感じた。何か変わったことをやらかそうと思って、滑っている。これでは、きっと実務上も何か無理なことをやろうとして滑るんだろうな、という印象に結びついてしまう。
太陽の党。これは微妙なネーミング。「太陽」にネガはない。生きるための活力を感じるいいワードだ。しかし由来が「太陽の季節」ということで、石原代表の独裁印象を強めてしまう(逆にそれが有利に働くかもしれないが)。また、太陽の塔の洒落になっているのが、軽々な印象を与える。しかも岡村太郎という、政策と何も関係ないキャラを先に連想させてしまう。
たちあがれ日本。「立ち上がる日本」なら良かったと思う。「たちあげれ」はめんどくさい。えっ、おれがやるわけ?となる。生活者はやりたいのではなく、やってほしいのだから。「立ち上がる」ならネガはなかった。
減税日本。これはよくない。理由は三つ。一つは、人は嫌なものから目を背けるから。「税」のことなど考えたくもないのだ。「減」が付いてればいい、ということにはならない。「糞」は見たくないが「減糞」なら見たい、ということにはならない。もう一つは、減税以外何も考えていない政党なのかと、視野が狭すぎるイメージを与える。もう一つは、生活者にとってお得な言葉を掲げる姿勢が商売的、チラシ的な品の低さを印象づける。河村代表のキャラも相まって、維新はそのあたりの品のないイメージを嫌ったのではないか。
商品にとってネーミングが非常に重要であることは、常識だと思う。政党もネーミングが寄与したり足を引っ張ったりする。僕はそこに広告的プロフェッショナリズムを持ち込むことにはあまり賛成じゃない。自分たちの理想とすることを奇をてらわず、素直に言葉化すればいいと思う。ネーミングの素人が妙にウケを狙おうとすると滑ってしまうので注意していただきたい。