「鬼滅の刃」と自分ごと化

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広告用語に「自分ごと化」というものがあります。
ターゲットが、自分に取って商品の価値を感じられるようにする、という意味です。
たとえば自動運転車のCMがあったとして、観る人が「おっ、すごいな」と感じたとしても、「そのうちそういうクルマが普及するのかもなー」と思っているのではまだ「他人ごと化」されている状態。
自分とはただちに縁のないものとして、そのまま忘れられてしまいます。
そのクルマに自分が乗っている様子を想像して、「あんなふうに衝突を回避してくれたら、いつもの運転がラクだろうなー」と自分に関わることとして捉えてくれたら「自分ごと化」した、ということになります。
そこから「次の買い替えは自動運転車も検討してみよう」という意識が生まれるわけで、自分ごと化されなければ、その商品を具体的に試してみよう、買おう、という意識は生まれません。
ということで、自分ごと化は非常に重要なキーワードであり、ほとんどの広告が自分ごと化を目指します。

ところで、鬼滅の刃。
我が家は5人家族で女3人男2人の構成なのですが、去年あたりから女3人が鬼滅の刃のアニメを観てこれはいいーすごいーとやたらワーワー言い出しました。
しかし僕と息子は最初の数回を観て脱落。
理由としては、設定のほとんどに既視感があったんですよね…。
そもそも鬼ってのがよくあるヴァンパイアじゃないですか。
「十二鬼月」もるろうに剣心で似た設定があったような…。
鬼にも事情があるんだぜ、てのも、東京喰種だよな…とか。
「猪の被り物をしてる子がいて、脱ぐと顔が可愛いんだよ!」とか女3人組はコーフンして話すのだけど、火の鳥にそういう人物がいた気がするし、最近だと不滅のあなたへのグーグーと重なる。
いろんな過去作品の詰め合わせみたいなもの、と思っていたのでそこでもう興味を失ってしまったわけです。
ところが今年になっても妻はLINEの返信に鬼滅の刃スタンプをちょいちょい混ぜ込んでくるし、映画館から帰ってきた末娘が「煉獄さんがあ…」と言って泣いている様子などを見ていると、これはどうも尋常じゃないぞと。
まだ自分が見つけていない、これまでになかったナニカが潜んでいるはず。
ここまで彼女たちのハートを鷲づかみにしているそのナニカを探り当てねばなるまい、と思い立ち、取りあえずアニメ全話を観てみることにした次第です。

その結果、「これは今までになかったかも」というポイントを一つ見つけました。
主人公が泣き言を言うんですよね。
戦闘中に「痛い。これはすごく痛い」とか「もうダメだ。死ぬ。耐えられない」とか、女々しいことを口にする。
ストーリー作りには「ここを外してはならない」というセオリーがあります。
いいことと悪いことは交互に起こせ、とか、問題解決の時間制約を設けろ、とか。
主人公については、「普通の人から始めろ」です。
最初から王族の生まれ、とか、超能力を授かっている、ではダメなんですよね。
普通の人が、イヤイヤ巻き込まれて、気がついたら世界を救うことに…という流れが定番。
なぜそうでなければならないかと言うと、その方が観客が自己投影しやすいからです。
「自分の身にも起きかねないこと」として、観客との距離感を縮めておかないと、その世界に感情移入してもらえなくなるから。

ただ、これまでの主人公たちは、最初はうだうだ言っていても、いったん戦闘してしまえば一気に覚醒してそこから先はヒーロー然として振る舞うといったものが通常だったと思います。
無敵になることのカタルシスもあって。
でも鬼滅の刃の主人公はいつまで経っても無敵のヒーローになりそうもなく、ずっとグズグズ泣き言を言います。
戦う理由も世界を救う的なことではなく、妹を救うという非常にプライベートなもので。
たぶんポイントはここでは。
これまでのアニメは、バサーッと刀で斬られても、「うーやられたー」と倒れるぐらいでまたすぐ立ち上がったりして、痛みがよくわからなかった。
でも鬼滅の刃では、いちいち「これはすごく痛い。思ったより痛い」とわかりやすーく解説してくれて、「確かに自分があんなふうに斬られたらあんなふうに感じるかもなあ」という気にさせられるんですよね。
つまり、狙ったのかどうかはわからないけど、鬼滅の刃は「自分ごと化」において一段進歩してるんじゃないか、ということです。
観る人が、戦闘中もそこに自分を投影できる。
自分だったら音を上げるよな~文句言うよな~と、すごく近い距離で自分を置き換えているんじゃないか?と。
もし設定やストーリーに斬新なものがあればコミックですでに火が付いているはずで、アニメで火が付いたのは、声優のうまさもあって、今までになかった自分ごと化ができたのだってことでは。
逆の言い方をすると、ここまで観客との距離を詰めないともはやヒット作品は生まれないのだ、ということかもしれません。
ジャンプの次の看板タイトルである僕のヒーローアカデミアの主人公もコンプレックスの塊で、特殊能力を身に付けてからもずっとビクビクオドオドしています。

僕はTVとWEBの統合コミュニケーション設計というものをやっていますが、そのキモとなるのはWEBCMです。
WEBはTVよりもターゲットを精緻化できるので、その人たちに刺さりやすいクリエイティブを露出できます。
つまり、「自分ごと化」を一段進歩させられるわけです。
これらをうまく組み合わせられれば大きな成果に繋がります。
TVCMの15秒では伝えきれない商品機能をWEB動画で解説する…といった使い方ではもったいない。
時代の不透明さが増し、不安が覆っているからか、「ロマン」とか「憧れ」といったワードを聞くことは少なくなって、生活者も「自分」から視野を広げる余裕がなくなってきている気がします。
鬼滅の刃のヒットはそれを表していると捉えてもいいのでは。
「自分ごと化」のパワーを改めて認識し直す時ではないかと思っています。