「見せないでくれ」社会

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田中沖縄防衛局長のオフレコ発言が問題になっている。マスコミもネットも彼への非難の嵐だ。
なぜそこまで彼が非難されるのか、自分にはわからない。
「犯す前に犯しますよと言うヤツがいるか」。普天間基地の辺野古への移設に関して政府は事業当事者として環境影響評価書を提出しなければならないが、移設を強行するために評価書の提出時期を見定めている。その、政府の本音を暴露したわけだ。
彼がどういう気持ちでそういう発言をしたかが重要だ。どうだ、お前らは俺たちに黙ってレイプされるしかねーんだよ!と沖縄人を小馬鹿にした気持ちで言ったのかもしれない。でも、常に本土の意向で基地政策を決定される沖縄に同情して言ったのかもしれない。自分がその機構の一部であることへの自嘲も含めて。だとすれば、琉球新報は、政府の嘘をオフレコレベルで伝えてくれる貴重な存在を自ら追放した愚か者ということになる。しかも今後、彼らに本音を話す関係者はいなくなるだろう。
人間の感情というのは複雑であって、言葉面がやさしいからといって相手のことを親身に考えているとは限らない。むしろキレイゴトばかりの人こそ疑うべきだ。乱暴で突き放した粗野な物言いをする人の方が、深く相手のことを考えていたりするものだ。自分の無力さを恥じるとき、そういう言い方になったりするからだ。
だから「言い方」を問題にするのは、本音を言ってはいけない、ということに通じて来る。この事件については、問題にされるべきは田中氏が明らかにした政府の強行姿勢なんじゃないのか。「犯す」という言い方が女性蔑視でどうのこうのとやっているのは、見当違いだろう。なぜそんなことになるのか。
最近は広告クライアントとのつき合いも変わってきた。以前は本音を言うことが歓迎された。「プロとしての率直な意見が聞きたい」と言われたものだ。それが逆になってきた。誰が見ても力のない、記憶に残らないCMばかりをやっている企業に、率直に「ここはもっとこうした方がいいですよ」と提案するとヒステリーを起こしたりする。言い方が悪いとか、自分を否定するのかなどと言って激昂する。広告のコンセプトではなく、自分への「言い方」を問題にする。そんな言い方をするってことは自分たちを馬鹿にしているからだ、などと言うのだ。そういう人にとっては、企業のことを真摯に考え、本当のことを言う者は悪なのだ。キレイゴトを言いながら、自分をおだててくれる者が正というわけだ。
本音を言っていてはもう食っていけないなあ、と思う。嘘つきになるしかないかなあ、と。「御社のやり方は素晴らしい」と、太鼓持ちのように媚びながらうまく金だけ抜いてやろうとほくそ笑む、そういう広告人が正義であり、栄えていくのだろう。
子供の頃読んだ誰かの自伝で、近所に住む馬鹿な子供のエピソードがあった。その子は畑でよく作物を盗むのだが、見つかって追いかけられると目をつぶってしゃがむ。そしてすぐ捕まる。なぜそんな不可解なことをするかというと、目をつぶると世界が真っ暗になって追っ手も自分を見失うと思っていたららしい。
マスコミや、各種圧力団体や、クレーマーたちがつくりあげたキレイゴト社会とはそんなものだと思う。「見せないでくれ」社会だ。言葉狩りをやったり、不適切発言をする政治家や官僚をバッシングしたりしても、それは問題の本質を見えなくするだけで何かを解決するわけじゃない。日本社会も、愚かな広告クライアントも、問題を解決したいわけじゃない。問題を見せないでくれと、幻想の中で生きていたいのだと、そう言っているのだろう。