ネットが信じられるって?

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「TVや新聞は嘘ばかりつく。ネットで流れている情報の方が信用できる」と言う人がいる。これからはネット上の優良な情報を選別するキュレーターの時代だ、と言う人も。
確かにキュレーター、あるいはアマチュア(?)キュレーターの存在はありがたいものだ。「へー」と思うようなトピックスを紹介してくれて、ツイッターなどの楽しみを数倍にもしてくれる。
でも、それがマスコミ報道に取って代わるという意味での「キュレーターの時代」なら、そんなものは絶対に来ないと僕は思う。
僕は仕事の性格上、一般の人よりも新製品の情報を先に知ることがあるし、企業の動きについての実態や、スキャンダルの真相を知ることもある。そして、そういったものについてネットで話される時、そのほとんどが出鱈目だということを知っている。「こうじゃないだろうか」と憶測で語られるならまだいい。「あれはこうなんだ」と、いかにも当事者のように根も葉もない嘘を言い放つ人間の多さに呆れてしまう。「そうだったのか!」とだまされた情報が真実のように伝播されていっても、僕らとしてはそれを眺めるしかできない。守秘義務というもので縛られているからだ。匿名の詐話師のような連中が法螺を撒き散らしているのを真相を知る者たちが苦々しく見ている、ネットの情報とは残念だがそんなものだったりするのだ。
新聞の報道はまだ信じられる。「素っ破抜き」というものが時々ある。僕の過去の経験値では、完全に正確ということは少ないが、実感として9割合ってる。1割はリーク元が自分に都合のいいように歪曲させているような場合だ。
そもそもネットとマスコミでは責任の背負い方が違う。匿名文化のネットでは嘘を撒き散らしても責任を追及されることは少ない。「事実」より「面白さ」がもてはやされる。感情論に引きずられて真実が簡単に歪んでしまいがちだ。マスコミ、特に新聞はまだ「事実」を伝えるべしという最低限の鉄則を持っているだろう。
時々、専門誌からインタビューを受けることがある。だいたいの記者は僕の喋りをボイスレコーダーに記録して、それをまとめるというやり方をする。先日いらした読売新聞の人はそういうことをしなかった。ただちょこちょことメモを取るだけ。記事の元はレコーダーではなく、事前に調べ倒した僕のプロフィールやネットでの発言で、ご自分の中でだいたいの内容をすでにまとめていたかんじだった。つまり僕の文を編集する、のではなく自分の文責において書く、という姿勢なのだ。 報道記者ってそういうことなんだなと思った。
マスコミが偏向報道をすることはあると思う。朝日新聞は日本の戦争責任を追及してきたが、その拠って立つものが真実かは疑わしさが残る。読売新聞は巨人軍のスキャンダルを進んで扱おうとは思わないだろう。広告主を批判しにくいという部分もあると思う。自分たちの生きる糧だから。でも数年前、消費者金融問題を採り上げる際に朝日はサラ金業者の広告掲載をしない、という決断をして売り上げを下げた。さすがにそのぐらいの骨はあるんだと感心した記憶がある。ネットでは原発マネーでマスコミは東電の言いなりになっている、などと言われたりしてるけども、そこまで金の奴隷ではないと信じたい。
僕はこれから報道機関、特に新聞の価値が見直されるんじゃないかと予測してる。ネットの情報がいかに危ないかが判明して来ると思うからだ。TVや新聞の接触率が減少し、売り上げが下がってくると水に落ちた犬は打てとばかりに旧メディアは終わった終わったと快哉を叫ぶ人がいるけども、それが僕らにとって何のメリットがあるのかよくわからない。むしろどうやって支えるか考えた方がいいんじゃないのか。新聞の問題は「紙」というメディアの価値が下がってビジネスモデルが行き詰まっている、ということと思うけども、たとえばフリーミアムの考え方を導入して、ネット上のテキスト情報がフリー、紙の情報をプレミアム、という発想をするとか。新しいモデルをうまく導入できないのだろうか。なんとかかんとかがんばって、ぜひとも生き残っていってもらいたいものだ。