「そんなもん誰に見せんねん」ノーマル

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僕が子どもの頃、母が丹念に化粧していたり、ちょっと良さげな服を選ぼうとすると、父は必ずこう言いました。
「そんなもん誰に見せんねん」。
自分たちのような庶民が外見にがんばったって、それを披露する立派な場などないではないか、という、自嘲を込めた関西風冗句です。

20年以上前に買ったブルガリペアウォッチの革バンドは劣化が早く、1年ほどですり切れて来るんですが、先日また付け直しました。
革バンドとは言え、安いのでも2万円以上します。
まあ仕方がない…と思いつつ新しい革バンドになった腕時計を眺めていたら、ふと他界した父親の言葉が脳でリフレインしました。
「そんなもん誰に見せんねん」。

結婚記念で買ったものなので、別に見せびらかしたいわけではない。
でも、どこか心の奥底で、「奥さんを大事にしてるんだな」といった周囲の人たちの印象を期待しているのかもしれません。
誰も見ていない状況で身に付けるのは無意味すぎます。
オンライン会議で映るのは首から上ですし…。
ということで、ペアウオッチはデスクの上にずっと置かれたまま。

人間は関係性の生き物です。
どの生物も何らかの関係性の中で生きていますが、自らの意思で関係性を構築したり修正したりしようとするのは人間だけです。
その人の評価は他人との相対的な比較で決まっていきますし、他人からどう見えているかが全てと言って過言ではないでしょう。
そして、その評価に何らかの作用を与えようとして、「見栄え」を気にしているわけですよね。
ところが今は、いわば、人を肉眼で見に行くことが禁じられています。
そうなるとこれまでの見栄え戦略は大きな見直しを迫られます。
きちっとしたスーツを着ることで「あの人きちんとしているな」というイメージ作りはできにくくなります。
在宅でオンライン会議に参加する人はだいたい部屋着です。
「在宅感」のようなものを演出しよう、となるのか、大企業の社長さんでもオンライン会議ではボサボサの髪で無精髭だったりします。
また見栄えには、行動も含まれます。
朝早く出社して「あの新人、やる気あるな」という印象作りはできにくくなります。
飲み会で率先してサラダ取り分けて「あの子、家庭的なんだな」という好感度UPは得にくくなります。

ニューノーマルとは何か?についてずっと考えていたのですが、僕の中で一つ出来上がった結論は、
「ニュー関係性戦略」
です。
これが本質なんじゃないかな。
関係性に作用させるための商品やサービスの全てが、「そんなもん誰に見せんねん」というフィルターを通る時代。
ファッションや美容はもとより、クルマも見栄えで選ぶことが虚しくなっていく。
カラオケだって「そんなもん誰に聴かせんねん」と思うと練習する気は萎えてしまう。

性淘汰に勝ち抜くために、クジャクの雄は立派な羽を生やしていたり、鹿の雄は立派な角を生やしていたりしますが、クジャクに「これから見せていいのは頭だけなので」と言ったら悩むでしょう。
鬱になるかも。
いくら羽を雄々しく広げたところで「そんなもん誰に見せんねん」。
人間界はこのような状況に突入しつつあるということです。
見栄えはその人の「実」ではなく「虚」と言えましょう。
しかし、「実」はそのままでは伝わらないから、「虚」に投影する必要があるわけです。
それをもぎ取られてしまうと、いったい何をもって自分を見せればいいのか?
これはかなりの難問ではないかと思います。

リモートで使える「虚」は極めて限られます。
オンライン会議の背景に凝る人もいますが、それがその人の「実」を投影しているかというと、なんとも心細い。
あとは話し方ぐらいでしょうか。
となると、「虚」に頼らない、中身で勝負、提案性や発言内容をそのまま評価する、ということになりますが、それに耐えられるかどうか。
見栄えによる関係性戦略が本能から来ているものだとすると、それを失った生き方はかなりストレスフルなものとなるでしょう。

見栄えはその人の「実」を投影していると言いましたが、その人の「希望」を投影しているものでもあります。
一見ヤクザ風であったりロッカー風であったりしても、中身は軟弱者ということは往々にしてありますよね。
「こんなふうに見てほしい」ってことで、理想と現実のギャップを埋める役割も果たしているわけです。
「実」だけが評価される状況になると、ただの軟弱者としか見られなくなります。
これはこれで辛いことでしょう。

サイボウズの今年の新入社員はまだ出社していないとのこと。
これは社員思いの文脈で語られることですが、彼らの今の心情を訊いてみたいです。
本当に「ラク」なのか?

見栄えに代わる「虚」の作り方。
これがニューノーマルのテーマになるのではと思っています。
このカテゴリーで新しい商品やサービスができたら、かなりのブルーオーシャンではないでしょうか。