アルゴリズム男子

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ここ数年、若い世代と接することが増えてきた。事務所には30歳以下の従業員が5人いるし、無料広告学校では一回に15人の若い人たちを相手にする。彼らの動きとか仕事への姿勢とか見てて感じるのは、「自分とはずいぶん違うなー」ってこと。特に男子。僕はとにかく打合せでもセミナーでも何か発言せずにはいられない。授業参観でも「先生それちょっと違いますよ!」とか言ってしまって子供からにらまれる。彼らはとにかくしゃべらない。打合せでもひたすらメモを取るだけで自分の意志を顕わにしない。僕はあらゆるものを疑う。新入社員の頃も上司や先輩の案を見て「こういうコピーの方がよくないですか?」なんて生意気を言ってた。彼らは僕が提示した案をそのまま受け取って一切疑わない。僕はライバルを出し抜きたい。彼らは仲間とつるみたがる。横並びが大好きのようだ。それで世界一のクリエイター目指してます、なんて矛盾を言ったりする。僕は先取りをしたい。工夫をしたい。社員のToDo共有にNozbeを導入しよう、とか、WEBサイトの構成をこう改良しよう、とか言い出すのは常に僕で、若い従業員が何か自発的に提案してきたことはただの一度もない。やる気がないわけではないようで、与えられた仕事は黙々とやる。僕にとっては非常に不思議な彼らの動き。前々から何かに似ていると感じていた。そして、コシモはきづいた!こいつらの動きって、ドラクエの「勇者」と同じじゃんと。
ドラクエの勇者はしゃべらない。周囲のキャラクター達が勝手に気持ちを理解してくれるから、話す必要がない。やるべきことは、ふらふら歩き回ること。そのうち仲間が増える。誰かとぶつかったりして、「北の洞窟に行くといいよ」みたいな話を聞く。そしてその通りに行動していればいつのまにか成長して世界を救う。ふらふらとセミナーやイベントを歩き回って、自分を導いてくれる人やチャンスとの出会いを待っているコピーライター志望の若者と、動き方が非常に似ている気がする。いやそのことはいいと思うんだけど、そうしてれば何とかなる、と思ってる人が多いような気がするわけだ。
ドラクエ型コンピュータRPGの元祖は「Ultima」だろう。これは大人向けのPCゲームで、世界に散らばる「徳」を集めるという、やや宗教的で難解な内容のものだった。これを、魔王を倒すというふうに目的を単純化し、世界観を日本人向けにアレンジしたのがドラクエだと僕は認識してる。往年の大女優淡路恵子さんは、人生の悲しみやストレスを克服するためにドラクエに没入し、台詞のほとんどを覚えてらっしゃるほどのファンだった。自分の人生はドラクエで救われた、スタッフにお礼を伝えたい、どなたか紹介してくれないかと頼まれたので堀井雄二さんとの会食をセッティングしたことがある。こういう人にとってRPGは素晴らしい救いとなる。矛盾のない完璧な世界。歩いていれば何かが起こり、努力すれば成長し、必ず最後はハッピーになれる。現実の世界と「真逆」だからこそ、大人は不完全で理不尽な現実世界からの一時逃避として、バーで酒を飲んでママにくだ巻くのと似たような動機でRPGをする。そして次の朝には現実に戻る。しかしもともとは大人向けだったRPGを子供にやらせることを、僕は非常に危惧している。まだ現実世界を知る前の、幼少時の多感な時期にこの完璧世界にひたらせるのがいいことか。以前プレイステーションのコンサルティング契約をしてた頃、小学生にRPGをさせる危険性を調べるべきではないかとSCEに提案したこともある。
今の若い世代は自発性やパワーに欠ける「ゆとり世代」と揶揄されている。しかしその原因は教育にあったのだろうか。僕にはどうも彼らは「アルゴリズム世代」であるように思える。プログラマーが作った狭いアルゴリズム世界で育った世代…という印象だ。なんというか、発想や認識している世界の幅が非常に狭いような気がするのだ。草食男子は「アルゴリズム男子」。勇者は女をくどかない。向こうが気持ちを察して勝手に彼女になってくれるのだ。
原発問題にしても、僕は、この世界は理不尽なものという前提があるから、原発今すぐ停めるべきなどとは考えない。電気が止まり、工場が止まったら首をくくる人が何人もいるだろうと考える。工場は一瞬でも停電があるとその日の操業が全て無駄になったりするのだ。だから、まず電力の確保をした上で、原発を減らすにはどうするか考えるのが正しい順番だろう、などと思う。しかしそんな話をツイッターですると、若い人から「アホな広告屋」などと言われたりするのだ。アホとかバカとかを多用する人がいるが、自分の世界の枠を越えたものをそう呼ぶしかないのだろうと思う。
歴史上、「天才」と呼ばれた人たちのほとんどは子供時代を田舎で過ごしているそうだ。人間のアルゴリズムでは生み出すことのできない、身近な自然物の無限の営みが脳にいい影響を与えるのかもしれない。 自然は理不尽で思い通りにならない。天才的な解決法とは、都合良くいかない世界を直視する中から生まれてくるものということだろう。広告クリエイティブ業界も、今後天才と呼ばれる人が現れるとしたら、極端に言うと、離島で育ってRPGって何ですか?というような、そんなヤツなんじゃないだろうか。
今の若い人たちは学生の頃からほんとうによく勉強していてそこには頭が下がる。でも勉強の幅の狭さには不安を感じていないようだ。それはあたかもモンスターと戦ってレベル上げしてれば全てオッケーと信じているかのよう。 僕はぜひクリエイター志望の若い人たちには勇者と逆のことをしてほしい。自分の世界、自分の常識を疑う。自分の敵は自分で決める。仲間と横並びにならない。自分の言葉をしゃべる。自分の考えで動く。被災地に行くにしても、誰かにくっついていくんじゃなくなるべく自分一人で行くと感じ方も違ってくると思う。