知的障害者アート、いい。

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ずいぶん昔ですが、岡本太郎が子どもたちの美術作品を批評するという企画をTVでやってました。
彼は、小学生が創ったものはだいたい「いい」と言う。
中学生が創ったものは「よくない。ちゃっかりしてる」と。
美術教師が創ったものは、評価する価値もないとばかりに首を振る。
計算や理屈が入ってくると、美術はとたんに力を失ってしまう、と彼は言いたかったのでしょう。中学生ぐらいになるともはや「ちゃっかり」してしまうのです。
長女が幼稚園の頃、干支の動物の絵を描かせてそれをそのまま年賀状に使ったことがありますが、映画監督の行定さんがエラくそれを気に入ったらしく、「あの年賀状はナンバーワンですよ!」とずいぶん言われました。理屈のないものに、理屈で生きる大人は勝てないことがあるのです。

アートとは、いわば、左脳を封じ込めるための戦いなのかもしれません。
理性を押し込めて狂気を引き出すという、常人には難しい所為ができることを「アートの才能がある」と言うのでしょう。

そう考えると、最初からアートの才能を持ってそうな人たちがいます。
知的障害者です。

日韓共催のワールドカップの頃、知的障害者の団体が当時の人気選手、ベッカムやルーニー、ロナウドなどの似顔絵Tシャツを通販で販売してました。
おそらく厳密には肖像権問題などをクリアしていたとは思えませんが。
僕はそれにとてつもなく「感じる」ものがあって、数着購入。
見る人によってはただの落書きでしかなかったかもしれませんが、そこには自分の体内の枠というか、何かを破壊するパワーがあったのです。

先日、東ちづるさんが理事長を務めるGet in touchのイベントに顔を出しました。
https://www.facebook.com/getintouchjapan
知的障害者のアート展です。
やはり、どれも良かった。
気に入った作品が一つあって家に飾りたくなり、「売ってほしい」と粘ったのだけど描き手の意思が確認できないということで断念しました。

彼らが描いている様子を映像で見たのですが、理屈も邪心もなし。
ただ、己が描きたいままに楽しんで描いているだけ。
これはまさにアーチストが理想とする姿ではないでしょうか?
障害者の仕事といえば、「彼らにもできる」的捉えられ方をされるのが通常だと思いますが、アートでいえば、「彼らの方ができる」のですよ。
そもそもの資質は、彼らの方にあるから。

展示会を見ていてひとつ残念だったのは、障害者のアートを使った新聞広告。
元の絵には力があった。
ところがそれを理屈でレイアウトしてしまったために、結果、力のない綺麗事表現になってしまってました。
障害者の仕事として一段下に見て、それを拾い上げてやる、という健常者的傲慢さがなかったでしょうか。
僕なら、画面を2分割し、絵は絵として、いじったりコピーを乗せたりしないでそのまま置いたと思います。
ゴッホのひまわりやムンクの叫びを切り貼りはしません。

知的障害者アートには力がある。広告表現にも使えるかもしれません。
しかしそれは巨匠の絵画や写真を扱うように扱わなければいけないと思います。
僕らの方が下なのです。