「いいとも」が僕らにくれていたもの

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まだ僕が子どもの頃、大阪では毎週土曜午後にTVで吉本新喜劇の舞台中継をやっていました。学校から家に帰ると必ずそれを観ました。今から考えると不思議にも感じるのですが、そこでは脚本は毎週変わっても、芸人それぞれの芸は全く変わらない。たとえば池乃めだかは悪いヤツらに一方的にやっつけられた後、「今日はこのぐらいにしといたる!」と言って、みんなをずっこけさせる。芸人一人一人が必ずお約束の芸や台詞を持っていて、何年経とうがそれしかやらないのです。なぜそんなやり方がウケていたのか。

そこにあったのは、「変わることのない日常」だったような気がします。
当時、僕らが恐れていたものは核戦争であった。ノストラダムスの大予言は核戦争だろうと言われてました。それさえ起きなければ、お金がなくても基本的には幸せでした。たぶん関西の人たちは芸人たちの変わらない芸を観ながら、変わらない日常という安心感を見いだしていたんじゃないだろうか。その頃の関東の様子は知らないけど、東京は東京で同じようなカルチャーがあったのだろうと思います。浅草の落語みたいな。

冷戦が終わり、バブルも終わって、日本は世界に10年も後れを取っているということになって、変化が余儀なくされました。
芸人も一発芸人として、毎年出て来ては消え、が繰り返されるようになっていきました。
そこにあるのは「変わりゆく日常」。
つまり不安の世界。
人は本能的に変化を恐れます。正確に言うと自分でコントロールできない変化ですね。たとえば独身生活から結婚生活への不安が高まるとマリッジブルーになり、成田離婚したりするわけです。

「いいとも」のグランドフィナーレで中居君がいいことを言ってました。
「コンサートはエンディングありきで考えるけど、バラエティはエンドレスを目指さないといけないのが苦しい」と。
コンサートは非日常、バラエティは日常、その違いを言っていたのでしょう。
日常で人々が欲しているのは安心感。
「いいともを特に観ていたわけではないが、終わると寂しい」という感想を持つ人は非常に多いようですが、たとえ自分が観ていなくても、ずっと変わらず存在していることの安心感があの番組にはあったのですよね。
「いいとも」が終わって残った寂しさ。
その正体は変化する世界へ放り出される不安感でしょう。
あの番組が長寿となった鍵はオープニングのテーマ曲だと思います。あれは名曲です。
終了した理由を僕は知りませんが、視聴率の割にはタレント出演料含む制作費が嵩みすぎ、赤字番組化していたのかもしれません。世の中の変化に抗しきれなかったということでしょうか。

バラエティではないですが、変わらないと言えば「サザエさん」。
もし「サザエさん」まで終わってしまったら国民総鬱状態になってしまうかも。
あと100年でも続けてほしいものです。