マヂラブを見習ってほしい

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今年言いそびれたこと、その2は
「マヂラブを見習ってほしい」
です。

M-1を観てなかった方のためにちょっと説明しますね。
決勝戦でのマヂカルラブリーのネタは「つり革」。
「電車のつり革を掴むと負けた気がする」
「じゃあやってみよう」
ということで、激しく揺れる電車の中で踏ん張るという設定で、左右に飛んだり上下に飛んだり、トイレで自分のシッコ浴びたり、床に背中つけて回ったり、そういった芝居を延々やり続けたわけです。
相方とのやり取りは冒頭だけ。
後は、一人だけでパフォーマンスをやり切った。
僕はこれを観て、「いいね!!!」と思いました。
「こういう漫才があってもいいじゃないか」というメッセージ、あるいはプレゼンテーションとして受け取ったからです。
途中で二人のやり取りを入れて、より通常の漫才に寄せることはできたでしょうけど、たぶんそれだとキレは悪くなったはず。
あえて挑戦的なやり方を最後に持って来た姿勢について、「いいね!!!」だったんですよ。

このスタンスは広告クリエイターにも通じるものがあります。
広告クリエイターは1流、2流、3流に分かれます。
発注主のオリエンに答えるだけなら2流。
答えることすらできないのは3流。
オリエンを超えて初めて1流。
オリエンを超えるというのは、要は、「そう来たか!」ってことです。
提案内容が発注主の予想内にとどまるのであれば、それはクリエイティブというよりも、まだどこか「事務」の範疇に留まる気がするのです。
もちろん、お題をきっちりやることも大事ですよ。
でも予想を上回るソリューションでお題が解決されている方が、提案される側もする側も大きな喜びに包まれます。

そして、オリエンを超えるためには、オリエンのルールを少し破るというか、拡大解釈する必要があります。
オリエンを無視するわけではなく。
発注主が頭を悩ませて作ったオリエンですから、そこは尊重しつつ、しかし疑う。
ここをこう破ればもっといい結果に繋がるんじゃないか?という確信が得られれば、恐れず提案する。
「ぶつける」感覚です。
これ受け止められますか?とぶつけた時、発注主は困ります。
「そう来たか!」は困り言葉です。
でも、そのぶつかり合いの火花から、新しくより良いものが生まれるんです。
新しくより良いものに導けるから、オリエンを超える広告クリエイターは1流なんです。

このオリエン超えを歓迎するのはトップです。
僕の経験では、トップに近い意思決定権者ほど、「いいじゃないか、やれ」です。
ところが、「オリエン通りではない」とグズグズ言って、古いやり方に固執する人がいるんですよ。
それはだいたい現場の担当者です。
たとえば昔のVAIOのコンペで、僕はTVCMは一切やめて、デジタルにメディアシフトする方が成果に繋がる、という提案をしました。
現場レベルでは「これはないだろう」と話していたそうですが、新任の社長は「このチーム以外ありえない」と即決。
こういう例はよくあります。
なぜトップと現場の乖離が起きるかというと、現場は自分のポジションを守ることを最優先にするからです。
外部の新しいアイデアを採り入れると、自分ができない人間に見えたり、ポジションが危うくなったりするので、全体の効率や成果を上げる邪魔をしてしまうのです。

「老害」って言葉がありますけど、「若害」も多いと思いますよ。
会社組織では、上に行くほど革新を求めがちで、下ほど保守的です。
僕は数年前から広告「マス・デジ統合」のサポートをしていますが、これを阻むのは現場の保身主義者です。
最近は僕に見倣ってマスデジ統合やりますって人が増えているようですが、難しいと思いますよ。
もし充分なスキルがあったとしても、トップから入れるルートがないとダメなんです。
CM企画のクライアント直受け感覚で現場から入ろうとしてもほぼうまくいきません。

マヂカルラブリーの優勝に、異を唱える人たちがいます。
「漫才じゃないではないか」と。
マヂカルラブリーはインチキをしたわけではなく、わかった上で「こういう漫才があってもいいじゃないか」と最後につり革ネタを持って来ました。
こういう「そう来たか!」がいっぱい出て来る方が漫才全体が活性化されてトクなはずです。
拒絶していったい何のトクがあるのか?
松本人志が言うように、いまいちパンチのない標準的な漫才師を守ることにしか繋がらないわけで、それが生むのは停滞ですよね。
変化の激しい時代に停滞を求める気持ちもわからんではないです。
最近はどちらかと言うと若いクリエイターの方が保守的で、「こういうことですよね」とオリエン通りの企画で満足しがち。
「これじゃあ面白くない」と言ってもその真意が理解できないようです。
とにかく若い保守クリエイターには「マヂカルラブリーを見習え」と言っておくこととします。