広告とは何か。広告の、真の力とは何だろう。
僕は、広告の真の力とは世の中を変える力だと思っている。
一般的には、広告とは商品を広く紹介する技術であると考えられていて、それはその通りだ。しかし、紹介の仕方にもいろいろある。この商品はこういうものですよと笑顔で解説する、そういうやり方もあるけども、この商品はこう使うとあなたの生活がこう変わりますよ、とか、みんなが気づいていないこんな価値があるんですよ、とか、思いがけない提案を商品にくっつける紹介の仕方もある。 その提案が人々に受け入れられると生活文化となって定着し、世の中を少し変えることができるわけだ。
広告発の生活文化はいくつもある。僕が好きな例をひとつ挙げると、1970年代末に仲畑さんがやった丸井の「好きだから、あげる。」。この頃からギフトというものの考え方が変わって来たと思う。それまでの日本のギフト文化は形式に過ぎなかった。「せっけん」「サラダ油」「のり」だった。近頃はあまり目にしないが、一時は中元歳暮の季節になると、せっけんやサラダ油のCMばかりだった。相手がほしいものをイメージして、何を贈ればいいかちゃんと考えよう、という姿勢は今では当たり前だがそれまでは一般的な発想じゃなかった。丸井の戦略としては、中元歳暮といえば三越の包装紙、という常識、人の流れを変えたかったのだと思う。それを、ただの差別化コミュニケーションではなく、世の中全体への提案とした。丸井の広告が常識を変えたのか、変わっていく兆しをいち早くキャッチして流れに便乗したのかはわからないけど、ムーブメントを後押しするのに一役買ったのは間違いないだろう。そして、丸井自身の売り上げも爆発的に上がったと聞いている。
僕は広告クリエイターとしてそういうのにあこがれてしまう。
確かオグルヴィの言葉だったっけ、「広告は人を幸せにするためにある」というのを使う人がよくいるけども、ほとんどの人は、面白CMで視聴者を楽しくさせろ、という程度の意味でしか認識していない。それはもちろん大事なこと。広告は街の美観や騒音と同じ生活環境だから楽しくないと存在できない。しかし、広告が人々を幸せにする真骨頂は、人々の生活を変える提案をどのように商品にくっつけるかにある、と僕は信じている。
過去の自分の仕事で言うと、佐藤浩市さんを起用した「一番搾り」のシリーズで日本各地の隠れたうまいもの発見にテーマを置いた。CMで加賀太キュウリが出てくるとイトーヨーカドーの食品売り場に加賀太キュウリと一番搾りが並ぶ。キリンの担当者ががんばって、各地の名物をCMで紹介するだけでなく、じっさいにも買ってもらえるような仕組みを構築した。これが、ご当地グルメやB級グルメの起点になったんじゃないかと僕は思っている。それまではそういうコンセプトは全く存在しなかったから。
プレイステーションは、TVゲームを個人が楽しむものから「家族をつなげるもの」に変えた。ちなみに僕はPS3を「ホーム・シミュレーター」にしたかった。たとえば自動車会社が新車を発表すると、同時にその車のデータがダウンロードでき、PS3でバーチャル試乗ができる。これはGTのエンジンを利用すれば容易に実現できるはず。クロスシミュレーターを利用すればユニクロの新作を3Dでアバターが着て、歩いたりするのをあらゆる方向から見ることができる。教育にも導入できる。物理計算エンジンを使えば理科の実験がバーチャルにできるし、天気の変化や地球の進化も手を加えながら確かめられるかもしれない。PS3発売前からこういう提案をしていて、うまくいけば日本の産業とみんなの生活は少し変化したはずだ。しかしPS3はゲーム機で終わってしまった。無念だ。
昨年はキリンFIREで「ひとつ進歩です。」キャンペーンをやった。これには二つの意味を込めた。一つは、FIREが常に進歩し続ける缶コーヒーである、ということ。そういう気概で製品を開発しよう、というインナーへの発破でもある。もう一つは、くだらないことでも毎日なんか進歩していようよ、という、世の中への提案。たとえば、さんまのワタのうまさがわかった!それはひとつ進歩だね、とか。彼女のこと考えてるつもりが自分のことしか考えてなかった。おまえも進歩したねえー、みたいな。そういった意味での進歩が流行ると世の中が少し楽しくなると思ったわけ。でも正直、思ったように表現できなかった。クライアントの言うことを聞き過ぎたのかもしれないし、もともとの企画に無理があったのかもしれない。
NTT西日本の「フレッツ光」キャンペーンは「ネットで家族を一つにする」という、いわば新しい生活文化へのチャレンジが込められている。ネットの普及は人々をバラバラにする側面がある。それはパソコンなどのネット端末が個人ユースを想定していたことも大きいと思う。しかし、インターネットTVなどをリビングで活用するようになれば「家族みんなでネットをやる」という新しい文化が生まれるかもしれない。それは日本にとって絶対いいことだろう。
Reebokでは「反則?」キャンペーンを始めた。このコミュニケーションの究極の目標は「勝ち負けのないスポーツ文化」を醸成することだ。根性論で、汗と涙で勝利をめざすスポーツも美しいが、テクノロジーの力でラクに楽しむスポーツがあったっていい。Reebokは全ての製品が優れた独自テクノロジーでできている。これに生活文化をくっつけていきたいのだ。
どんな商品にも、人々の生活を変えるだけの秘めたパワーがあると僕は思う。まだ誰も気づいていないそのパワーを引き出すのが広告クリエイターの役割ではないか。もちろんそれはハードルの高いやり方だ。最近のヒットCMは、構造がほぼ似ている。面白いストーリーがまずあって、その中にうまく商品を混ぜるやり方だ。あえて「商品に注目させない」ことでCMのウケを狙おうとしているわけだ。この商品を買うとあなたの生活はこう変わるよ、という提案をドンと見せるようなCMはここんところ、あまり見当たらないし、ほとんど話題に上らない。それはおそらく企業と生活者の地位が逆転して、企業がビビってるからだと思う。企業はどんどん卑屈になって、生活者はどんどん傲慢になって来てるから。そんな時代の中で広告とはもはや、生活者のご機嫌伺いしかできないのだろうか?いやそんなことはない。
昔と違って企業も余裕がなくなり、広告も目の前の商品を売るだけの目的に硬直しがちだ。それを否定したり壊すのは無理があるだろう。僕らはあくまでクライアント商売なのだから、クライアントの事情はじゅうぶんに汲み取らないといけない。しかし震災を経て、みんなで日本をアゲアゲにしていこうぜ、という大合唱の中で広告クリエイターにできることは何だろうかと考えるとき、商品に新しい生活文化をくっつけて、経済の活性化、社会の幸福化に寄与するという発想を忘れるべきじゃないと思う。
てなかんじで、僕は今年もやっていこうかなと。
皆さんは皆さんで、世の中をいい方向に変えてください。
広告で世の中を変える
2012年1月4日