僕のクライアントでとても頼りにしていた方が、急に退職された。
おそらく鬱病。
彼の異変に周囲の誰も気づかなかったらしいですが、突然電話で「もうこれ以上働けない」とだけ言って来なくなったと。
ショックなことでもあり、悲しいことでもあり。
すごく仕事ができて、温厚なのにブレず、上下のつなぎ役として信頼されていた、そんな方が戦線離脱です。
以前から感じていたこと。
なぜ皆、壊れるまで働かないといけないのだろう?
その会社だけの話ではありません。
あちこちの企業で、過度のプレッシャーによって心を病む人が激増している実感があります。
昨今の世情不穏を、「まるで戦前に似た空気だ」と言う人は多いです。
でも僕からすると日本企業はどこも、何だかチャップリンの「モダン・タイムス」の頃に戻ってしまったみたいです。
ヘンリー・フォードが「流れ作業」を発明したことで、工場の生産効率が高まり、自動車が庶民に手が届くようになったのは有名な話。
フォードは従業員の賃金引き上げも積極的に行った、知恵も心もある経営者でした。
しかし、その機械的、非人間的な働き方に耐えられなくなる工員が続出。
それ以降しばらく、全米の工場は離職率の高さに悩まされることになります。
現在、日本の多くの企業は若者の離職の多さに悩んでいます。
そして会社を支えるミドル層は心を病んで離脱したりしています。
「非人間的な効率主義に耐えられない」のが、モダン・タイムスの頃と共通しているように感じられるのです。
さて、流れ作業工場の離職問題を解決したのはエルトン・メイヨーという学者です。
彼はまず課題を発見するために、工場の従業員たちから現状を聴き取ることにしました。
すると、解決策を講ずるまでもなく、聴き取るだけで離職する者がほとんどいなくなり、労働効率も上がったのです。
つまり「不満を聞いてくれる」、それが処方箋だったんですね。
彼は、賃金などの労働条件よりも、職場の人間関係や対話機会のあるなしが生産性を引き上げると結論づけました。
この思想は後のピーター・ドラッカーにも受け継がれます。
ドラッカーは企業をこのように定義しています。
・人々に新しい価値を与え、顧客を創造するもの
・「人間的」機関
・公益をなす社会的機関
企業の本質が顧客創造にある、というのはマーケティングにつながる話なので、僕もセミナーなどでよく引用します。
が、企業は従業員にとって「人間的」機関でなければいけないという彼の考えは一般に見落とされがちであるように感じます。
メイヨーが「人間関係論」を発表していた頃、アメリカでは金融恐慌が起こりました。
そこで登場したのがチェスター・バーナード。
彼の主張はこうです。
企業は外部環境によって左右される。
それを乗り切るためには、組織が上下一体となって志を一つにし、皆が一体感をもって同じ目標に進むことが必要だ。
そのまとめ役が経営者なのであって、そういう点で経営者の役割は重いものなのだ。
「バーナード革命」と呼ばたりしますが、これによって企業は外部環境を分析しながら経営戦略を立てるようになりました。
そしてここでも、そのために重要なのは従業員たちのモラルだと説かれています。
戦後、グローバルな経済成長の波に乗って企業の多角化経営戦略を唱えたのがイゴール・アンゾフ。
そして成長企業の戦略と組織を分析し、企業戦略論を完成させたのがアルフレッド・チャンドラー。
彼は「Strategy and Structure」という本を上梓しベストセラーとなりますが、ここで悲劇が起こります。
この本の主旨は、戦略と組織に優位はなく、互いを大事にしながら成長すべきだ、ということでした。
たとえば世界で初めて多角化経営を始めたのはデュポン社と言われてますが、彼らはもともと火薬を扱っていたので第一次世界大戦で大成長したところ、戦後余剰従業員が大量に出たんですね。
その対策として火薬以外もやろうということになり化学の総合企業として成長したわけで、組織の実状ありきで多角化という戦略が生まれたのだと。
ところが、なぜかこの本は「組織は戦略に従う」と言っているのだとビジネス界は誤解をしたんです。
著者の意図と真逆ですが、日本語の訳書でも邦題は「組織は戦略に従う」となっています。
この誤解から生まれたビジネスが「経営コンサルティング」です。
まず経営戦略を決めましょう、それに従う組織変革をお手伝いします、といって顧客を獲得したわけです。
今の日本企業も、まず「中期経営計画」をどうするとか、「年次目標」をどうするとか、目標ありき、数字ありき、ノルマありき。
組織も従業員もそれに従わねばならない、それが当たり前なのだ、と思い込んでいるかのようです。
でもそれは誤解からの流れなんです。
従業員の人間性を大事にしなければ生産性は上がらない。
日本企業の生産性が落ち込み続けている根っこの要因はそこにあるような気がします。
組織や従業員の実状から新しい経営戦略やイノベーションが生まれることもあるのです。
チャンドラー以降の経営学のスターはマイケル・ポーター。
彼の主張はとにかく「企業は儲けるためにある」。
そのために重要なのがポジショニング戦略、つまり競合他社との差別化。
「競争優位」という概念を経営層に植え付けます。
マーケティングを構成する基本となる差別性「Competitive」もここから来ています。
これはある意味、エルトン・メイヨーの「人間関係論」以前に戻ろうという動きでもありました。
オイルショックなどで大打撃を受けていた米企業は生き残りのためなら競合他社を出し抜くのだと、この理論を大歓迎したわけです。
このあたりから企業活動は殺伐とし始めます。
しかし、これをひっくり返したのが日本企業。
当時日本企業は米でシェアを伸ばし続けていましたが、その理由をポーターの理論で説明することは誰もできなかったのです。
リチャード・パスカルという人がホンダを取材した結果、「日本企業に戦略はなかった」という結論を書籍化しています。
そこにあったのは挑戦心と、従業員を大切にしようという心でした。
日本企業は米の工場で、工員を「Worker」ではなく「Associate」と呼んでいました。
経営学の原点とも言える「人間関係論」を直感でやって、勝っていたわけです。
米企業は、日本企業の持つ力を徹底的に調べ、そこから学び始めます。
そして、組織の力(ケイパビリティ)と競争優位(ポジショニング)のバランスを取ることの重要性を認識し、ついに復活したのです。
ところがその日本企業が、グローバルの意味を取り違え、過去に米企業が間違えたことをわざわざやろうとしているように僕には見えます。
経営者はここでもう一度経営学の原点に戻ってみてもいいんじゃないでしょうか。
経営学の巨人たちはいろんな理論を打ち立ててきましたが、「従業員の心を大事にしなければ何も始まらない」というところはそのほとんどが一致しています。
僕の仕事はマーケティング、クリエイティブで企業を勝たせることです。
その成果を出すことを信条としています。
それで笑い合えると楽しくなれるから。
が、その僕ですらちょっと気持ちがキツくなってきています。
勝たせてあげても満足されることはなく、僕も、お得意先の社員さんたちも、ゴールの見えない要求をされます。
肌感ではこの10年ぐらいで、どの企業もギスギスする一方。
数字のためには、不義理も裏切りもお構いなし、プレッシャーを限界まで与え続け、壊れるまで働かせる。
笑いの種類も、ほぼ苦笑。
でもそれがかえって数字を落とすことになってるんじゃないかと、疑ってみてもいい頃だと思うのです。