なぜ東京オリンピックはトラブル続出なのか

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こないだ、夜、プレゼン用Vコンの音楽録りでスタジオに入ったんです。
収録終えてプレゼン作業の続きをやるためにプロダクションに戻ろうとしたら、なんとそのタイミングでスタジオのエレベーターが故障。
復旧がいつになるかわからないので、仕方なく階段を下りることに。
ところがその階段、手すりがないんですよ。

自分、2年ほど前から下肢障害者4級で外出時は杖を使って歩いてるんですけど、階段を下りるときが一番こわいというか、リスク高いんです。
右脚の一部が人工骨頭なので、股関節が脱臼しやすいと言われてまして、ころげたらけっこう大変なことになるかもしれない。
まあそのスタジオはビルの5階だったんで何とか下りましたけども、10階とかだったらちょっとお手上げだったかも。
健常者は気付かないと思うんですけど、日本、手すりのない階段たくさんあります。
階段ならまだしも、路面店の入り口とかの「段」にはほとんど付いてないです。

なぜなのかはわかりませんが、日本ではほぼ必ず、どんな店でも入り口に「段」があります。
僕はまだいいんですけど、車椅子の人はこの段一つためにその中には入れません。
2020年、パラリンピックで世界中からたくさんの障害者が東京にいらっしゃるわけですが、来てもらっても、現状のままでは街のどこにも行けません。
「オ・モ・テ・ナ・シ」は、どうなるのでしょうか。

石原都政の時期、東京オリンピックは国民の半分以上が「反対」してました。
その主な理由は
「そんな金がどこにあるんだ」
でした。
都は多数のタレントを起用したキャンペーンも展開してましたよね。
テリー伊藤さんは「東京オリンピックが実現したら胸毛を移植する」とか約束してました(ぜひ実行していただきたいものです)。

ところが今回、掌を返すかのように国民はこぞってオリンピック大歓迎。
その主な理由は
「日本にお金がたくさん落ちる」
ですよね。
僕の周囲でもそうですが、オリンピック絡みの話はとにかく金、金、金。
メダルじゃない方の。
オリンピックについて、ネットで言われてること、マスコミが言っていることの大半は、
「2020年に向けて日本は成長する」
です。

オリンピックを開催することで日本は赤字になるのか黒字になるのか、どっちが本当なんだろう?

おそらく今の経済環境においては黒字になるんでしょう。
実際2020年をターゲットにいろんなプロジェクトやいろんな再開発が進行していて、なるほど、やっぱり特需なんだなという気がします。
僕は渋谷区東に住んでますが、渋谷駅の東から南にかけてこれから大規模な再開発が行われ、地価も上がっていくそうです。
オリンピックの直前頃には子どもたちの上の2人はもう大学生だし、そのタイミングで家を売って賃貸マンションにでも越すべきか?などと考えたりもします。

でも何か間違ってる気がしませんか。

オリンピックの新エンブレム、好きか、と聞かれれば正直僕はあまり好きではないです。
理由は、そこには「東京」と「日本」しかないから。
リオも、ロンドンも、北京も、シドニーも、エンブレムで表現していたのは「人のパワー」です。
オリンピックの本質はそこにこそあるからで、どれも、人のパワーをその都市なりのカルチャーで表現するとこうなる、というデザインなわけです。
多くの生活者に新エンブレムが不評なのは無意識に本質欠如を感じ取っているからではないか、という気がします(言っておきますが、それを提案したADを批判しているわけではないですよ)。

新国立競技場もそうですが、東京オリンピック周辺にトラブルが絶えないのは、オリンピックというものの本質を皆が見失っているからではないでしょうか。
東京や日本の成長は「結果論」だと思うんです。
「人のパワー」の感動を最大に演出するためにどうあるべきか、といった議論を自分はまだ耳にしていません。

本当に「オ・モ・テ・ナ・シ」を実践するなら、オリンピックに向けてはたとえば、旅館法を緩和する必要があるでしょう。
このままだと海外の客人、泊まるところどこにもないですよ。
ホームステイの概念を拡げ一般家屋の余った部屋を宿泊業者に貸し出せるようにして、異文化交流を促進するなど。
パラリンピックに向けては、階段にはちゃんと手すりを付けよう、とか、路面店の「段」には板を張って車椅子でも入れるようにしよう、とか、そういう運動を始めるなど。
今すぐやることたくさんあるはず。

ところがお金の動かないプロジェクトは誰も手を挙げない。
その本質を見失った歪さが、いろんなトラブルの温床になっているのでは。
そんなことを思ったりします。