52歳。奇跡とは何だろうか。

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去年の、51歳の誕生日は病院の食堂で家族と祝いました。
あれから1年。
プライベートに、仕事に、いろんなことがありました。
おそらく、人生で最も長い1年でした。

最近、同世代の方が急逝する報に触れることが増えて来ました。
自分がここにいることが不思議に感じられたりもします。
この1年は、僕の頭上で、死神と守護天使がずっと相撲を取ってました。
死神の怒濤のつっぱりに、もうダメだ、と観念したことも何度かありましたが、わが守護天使、土俵際の粘りがすごいんです。
何度も押し返して、今では五分の位置まで戻しちゃいましたから。

それにしても加護とか奇跡とかって何なんでしょう。
この1年で、僕は幾度も目の当たりにしましたが。

つい2ヶ月ほど前も、こんなことありました。
クルマのブレーキを踏むとふくらはぎに激痛が走るようになったんです。
歩くと、ほんの100メートルでもじわじわ痛み出す。
筋肉が衰えたんだろうか…ぐらいに思っていたのですが、たまたまレンタルで読んだコミック「ゴッドハンド輝」(笑)に、歩くと脚が痛み出すオヤジが出て来て、主人公の輝が「それは間欠性跛行です!」とか言うんです。
「動脈に血栓ができてますね」と。
あ、おれの症状に似てるじゃないかって。
それで主治医に相談したら、やはり右太ももの人工血管に血栓ができてることが判明。
ゴッドハンド輝は70巻ぐらい出ていて、いつもは心臓移植だの「未だ世界でこの手術ができた者はいない!」的症例がテーマなのに、たまたま読んだのが間欠性跛行というショボい話…。
でも脚の大動脈が詰まるのは本当はかなりヤバいことで、普通は足先から壊死するらしいです。
僕はなぜか大動脈以外の血管が発達して栄養を補ってくれてたので、痛むだけですんだそうな。
名医を紹介してもらい、オペしてもらって今は元に戻ってます。

ギリギリでしょ?

まあそれは命に関わることではなかったけど(足を失う可能性はあったけど)、それ以上の、命に関わることをギリギリ回避できた奇跡はこの1年、いくつかありました。
看護師さんたちが「小霜さんは何か持ってる気がする」と口々に言うので、僕もだんだんそんな気になってきて、考えました。
いったいおれは何を持ってるんだろうかと。
その中でわかってきたこととしては、人を救うのは結局「人」なんですよね。
どんな人と出会うか、どんなタイミングで出会うか。
加護とか奇跡とかというのは、つまりはそういうことなのだろうと。
自分が何を持っているかは知りませんが、何か持ってるとしたら、やはり「人」なんだろうなあ。

僕は先祖供養のために法華経の日蓮正宗に入ってるんですが、ここが難病を克服するためのパンフレットを出してます。
その中に書いてあることを要約すると、病気を治すのは仏のスーパーパワーではなく、適切な人との出会いによるものだと。
仏がやることは出会いのアレンジメントなのだと、そう言うんですね。
何となく納得できるところがあります。

この1年はそんなこんなで、たいして仕事もできませんでした。
本は一冊書きましたけど。(買ってくれ!)
で、11月から新しいビジネスを始めます。
水面下ではもう動いているのですが、おかげさまで思った以上に盛況です。
人の有り難いつながりを最大限活かして、再スタートを切ったところです。