タレントCMについて思うこと(前回の補足)。

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前回投稿したブログの内容について、Facebook上である人から執拗に罵られた。その人によると僕はあちこちで嫌われていて、馬鹿で、心のない人間のクズだとのこと。いまその場にいたら前歯を折ってやる、とも書いていて(これだけすぐに削除していたが)、犯罪の匂いも漂い出すほどだった。
自分としてはそこまで憎まれるような内容を語った気もしないのだけど、もしかすると、誤解を生じやすい書き方をしてしまったかもしれない。そのように反省した。タレントはいろんな意味で扱いがデリケートである。言葉には出さないまでも同じように憎んでいる人が他にいると困るので、補足の意味を込めて、タレントCMについて思っているところをもう少し書いてみようと考えた。

誤解が生じたのは文章の前半部だと思われる。「タレントはわがまま」「5千万だ、8千万だと契約料を取りながら」の周辺だろう。ここだけ読むと、僕がタレント批判をしていると感じられるかもしれない。
もちろんそうではない。クライアントにタレントを提案するのは僕らである(稀にクライアント側からタレントを指定してくることもある)。それだけの価値を認めているから提案するわけだ。海外と比べて日本の広告はタレントに頼りすぎ、という批判もあるが、15秒中心の環境下ではタレントで共感を獲得する方が効率がいい。それは日本の広告業界全体の共通認識であって、僕も例外ではない。
また、基本的にCMはタレントを育てようという姿勢で作られない。そこは他のコンテンツとやや異なるところだ。少し前なら新人発掘オーディションというものもあって、CMで次のスターを、という余裕もあったのだけど、今は「旬の人」を起用する。今ウケている人を利用させてもらおう、ということ。だから広告主がそれなりの金額を用意するのは理に適うと思っている。

タレント側が企画に口を出してくることについては、僕は仕方のないことと思う。出演交渉時に「企画次第」という返答をもらうことがあるが、これは当前の話だ。前述のように「いま利用させてもらおう」という気持ちで作られるわけだから、CMにはタレントのイメージを上げるものもあれば、残念ながら下げるものもある。 露出すればいいってわけではない。とはいえタレントサイドも危うい要素を拒否ばかりしていると、丸っこい、目立たないCMになってしまうことはわかっているから、タレントイメージを守りつつ積極的にどう押し出すか、企画の目利き力が問われて来る。そういう意味ではジャニーズなどは非常に巧みだと思う。SMAPも嵐も、馬鹿げたことはやるけども、決して滑らない。視聴者にウケるように持って行く。これはタレント側のセンスがなければできないことだ。ちょっと昔の話だけど、僕は実施前のグラフィック企画のことでキムタクに呼び出されたことがある。「本人が直接お話ししたいと言ってまして・・・」と。なんかいろいろ文句言われるのかな・・・と思ったが、本人はとても腰が低く、「僕みたいな素人がプロの方に意見するのも違うとは思うんですが・・・」と切り出してきて、自分のアイデアを話し出した。「たとえば僕が天使で背中に羽根が生えてるんですよ。それが裸で銭湯にいて、隣のおっちゃんの股間を気にしてじーっと見てるとか」「そういうのやっていいんですか」「いいよ、ねえ?(とマネージャーの方を見る)」「いや木村君、それはちょっと」といった会話が3時間続いた。帰ろうとすると「あ、ちょっと、また思いついたんですけど」と、途切れなくアイデアを出してくる。そして、どれもキレていて面白いのである。すごいな、と思った。まあこれは極端な例としても、今はタレント側もCM企画に積極的に関わる傾向にある。本音を言えば、面倒ではある。クライアントを通すだけでも大変なのに、さらにタレント側も、となると、労力が乗算的に増えていく感がある。でも、僕は僕のCMでタレントのイメージが下がるなんてことには絶対にしたくないし、面白いものにするために気持ちをひとつにできることもあるし、基本的には歓迎なのだ。

それから、僕がCDとして、いろんな人の気持ちを顧みず、ただ利用して銭儲けをしている、という印象を受けた人もいるかもしれない。そのようなことも言われたので。しかしそれは真逆である。
よく聞く話として、編集時にクライアントとCM監督がぶつかって喧嘩になり、結果的にその監督が出入り禁止になる、というのがあるけども、これはCDの責任だ。中に入ることもできなければCDの存在意義はない。コンテンツはいろんな人の思惑でできている。 CMならクライアントの思い、願い、期待があり、監督の意思があり、タレントの意思がある。それらが極力損なわれないように、そういったものをいったん引き取って、関わる全員が「これは自分の仕事だ」と言えるように持って行くのがCDの仕事だと思っている。
もちろんCDはクリエイティブ職であって営業ではない。しかし自分のやりたいことを主張するのが役割ではない。それでは壊れる。誰かが損をしたり、泣くことになる。むしろ皆のために自分を殺すのが役割ではないか。そんなふうに思っている。

キャスティング関係、タレント関係の方で、前回の投稿を読んで憤慨された方がもしいらっしゃったら、上に書いたことが自分の真意です。誤解なきようお詫びとお願いをします。