広告クリエイティブディレクターとは何か

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とにかく講演、セミナー、トークセッション、の依頼が多いです。
今年に入ってからは月に2回ぐらいのペース。
その中で、なんとなく感じ始めたことがあります。
冒頭で必ず「自己紹介をお願いします」と促されるのだけど、以前に比べて、自分をどう説明すればいいのかが難しくなってきたような。
「基本的には広告のクリエイティブディレクターです」。
と言いながら、クリエイティブディレクターという肩書に違和感を覚えたりしています。

自分が今、クリエイティブディレクターとしてやっていることを一言で説明すると、どういうことになるだろう?
うーん。

結論。
広告クリエイティブディレクターとは、
「最適解をはじき出す」
職種です。

発注主は、いろんな事情を抱えていて、社会はどんどん複雑で厄介になっていて、表現の制約は狭まる一方で、それでいてメディアやツールの幅は拡がり続けている。
その中から「最適解」をはじき出すのがCDの役割であって、それができるのはCDしかいないということです。
そしてその認識を、業界全体に浸透させたいと思います。

これまでCDとはクリエイティブチームの偉い人(あるいはなれの果て)というポジションでした。
現在のエージェンシーでは年功序列で、ある歳になるとクリエイターには誰でもCDという肩書が付きます。
でもこれからは、クリエイティブの経験を積んでいるだけではCDを名乗れなくなると思います。
企画制作に長けているのとはまた異なる能力が求められるはずだからです。

講演でよく言うことですが、デジタルシフトの課題はLogicからExecutionに移っています。
デジタルのLogic通りにやることで、必要な人のリソースが増えたり予算が増えたりして、かえって効率が悪くなる、アウトプットがいい加減になる、といったパラドックスが起きています。
制作現場が最適解をはじき出せない限り、結局デジタルシフトは画餅ということで、残念ながら今の実態としてはそのような状況がほとんどであるように思われます。
これはCDというものの役割認識に大きな問題があるのではということです。

非常によく聞く話として、僕に新規のご依頼を検討する際に、「こんな予算では失礼だ」というものがあります。
これは大いなる勘違いです。
予算もCDがクリアすべき事情のひとつに過ぎないわけで、その制約の中での最適解は何かを考えるのも自分の役割なのですから。
また、「小霜さんの仕事の領域はどこですか?」と聴かれることもあります。
「ストラテジーからコンテンツのアウトプットまで全部ですが?」と答えると、怪訝な顔をされます。
この人なに言ってんの?的な。
広告業界にはまだまだ縦割り的思考が根付いていて、誰もがあるジャンルのスペシャリストなのだ、と考える人が多いです。
僕はクリエイティブについてはスペシャリストですが、ストラテジーについても、メディアプラニングについても、全体のゼネラリストでなければいけないと思っています。
そうじゃないと最適解が出せないからです。

これまで広告クリエイターとして評価されてきた方々は、「作品」で評価されてきました。
そして、優れた「作品」を生み出すスペシャリストであるためにはある程度の我が儘が必要なのも事実だと思います。
僕もマス時代にはある程度我が儘に表現にこだわってきました。
なのでCDとは我が儘なクリエイターの親玉というイメージが付いてしまっているのですが、今後はそれを改めなければいけません。
CDとして優れた人=我が儘に効率を無視する人、という図式が浸透したままでは、デジタルシフトのパラドックスから抜け出す役割の人がいなくなってしまいます。
様々な要素を全ていったん腹に収めて、どれだけ優れた最適解をはじき出せるか、それがデジタル時代のCDの評価であるべきです。
そういう意味を込めて、僕は自分を説明するとき、「広告クリエイティブディレクター」と言おうと思います。