ベスト給付案を考えてみた

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ふと思いました。
マネージャーの給料を半額にしたら、給付金の30万円は出ないのか…?
と。

うちの売上はほぼクライアントとの契約金なので、有り難いことにコロナ禍によるダメージはゼロです。
むしろ上がってるぐらい。
何だか申し訳ない気分になります。
そんなこともあって、マネージャーはスケジュール表がシミひとつない驚きの白さでもホヘーとしてます。
「朝昼料理作るの飽きました」
とかメールが来る。
謝れ!風俗嬢とキャバ嬢に謝れ!
てかんじです。
でももしうちの売上が成果物ベースで、ことごとく仕事が立ち消えていたら?
身震いします。
まずはホヘーとしてるマネージャーに、
「もう君の給料は払えん!給付金で何とかせい!」
と言うかも。
まあ、そもそもがけっこうな高給取りだし世帯主でもないし、もらえないでしょうけど。

それでも考えてみるとこの「一世帯30万円」制度、抜け穴は大きそう。
もし僕が反社会勢力だったら一儲けするだろうな。
借金で首が回らない人を100人ぐらい集めて、書類揃えて提出させて、給付金をピンハネするぐらいはすぐできる気が。
この制度、他にもいろいろ問題ありますよね。
本当に生活費で困っている人だけに届けられるのか?
手続きに時間がかかりすぎないか?
金額はじゅうぶんなのか?
完璧には程遠いやり方ではあるなあ…と。

じゃあ、他にもっといいやり方はないか、ちょっと考えてみました。
業種を絞る?
経営者から渡す仕組みにする?
所得が変動する可能性のある人にだけ給付する?
どれもイマイチうまくいかない。
あっちを立てればこっちが立たず。
そうか、いろんなジレンマの中で、最適バランスが「一世帯30万円」なのだなと、いったん納得しました。

しかし、クリエイティブ職を長年やって来たことによる直感が、ここで諦めることを許しません。
どこかに、まだ誰も思いついていない、もっとうまいやり方があるような気がするんです。
それで、あっ、このやり方ならどうだ?…と。

もし僕が総理なら、給付はこのようにします。

給付は、しない。
貸付オンリー。
利息は多少取る。
返済期限も決める。1年後とか。
金額の上限は100万円。
「個人向け緊急小口資金等の特例」などは廃止してこっちに一本化。
民間金融機関の貸付は生活者ではなく事業主対象とする。

政府は「必要な人にしっかり届けたい」を繰り返しますが、いろいろ考えていくと、最も厄介なのは「必要な人(=コロナ禍によって食うや食わずの状態に置かれた人)」をどう選別するかです。
大勢の中から「この人」と見極めるのはかなりの困難が予想されます。
だから逆に、彼らから手を挙げてもらうようにする。
もし貸付オンリーにすれば、お金に余裕のある人は利用する理由がありません。
逆に、本当に明日の生活費に困っている人は1年後に返済するとしても利用するはず。
これで、まず「必要な人」選別はおおまかにできそう。

もちろん、これだけでは本当の救済にはなりません。
いずれ返済しないといけないのだから。
そこで、1年後、「徳政令」を出します。

つまり、現金給付ではなく、
「貸し付けといて後からチャラにする」
これがベストのやり方ではないかと。
もちろん前もって明かすことはできないわけですが。

これによって、
・「必要な人」を浮かび上がらせることができる
・面倒な手続きなく、すぐにお金を渡すことができる
・必要な金額を渡すことができる
・不正チェックを念入りにできる
全ての要件が満たされるわけです。
不正はゼロにはならないでしょう。
「踏み倒し」前提で借りる人、借りさせる反社も存在するはず。
でも、不正チェックはコロナ禍が終息した後、時間をかけてできる。
現金給付は給付するタイミングでチェックしなければいけないから、どうしても粗々になる。
この差は大きいはず。
もし不正が見つかったら当然返済義務は残し、詐欺罪などの刑事罰に問う。

必要なのは、総理の胆力。
それはもう非難の嵐でしょう。
「外国は給付なのになんで日本は貸付なんだ」
「ドケチ」
「無能」
「日本人でいることが恥ずかしい」
「今すぐやめろ」
etc.
いやでもね、何をやったって上のようなことは言われるわけです。
正しいことをやったとしても、ここが政権への意趣返しの絶好機とばかりに、反日マスコミは歪曲報道をし続けます。
自民党議員が言うには「鉄道減便要請」など検討にも上ってないそうですが、そういった根も葉もないことも平気で報道されます。
だから、非難の嵐は気にしない。

問題は官僚です。
僕は官僚との付き合いがいろいろあるのでわかるのですが、彼らはとても真面目で頭がいい。
惜しむらくは、前例主義に過ぎます。
もしこんなアイデアが出たとしても、「前例がない」で一蹴されるでしょう。
なにせ国民を騙すことになるのだから。
しかし思うに、コロナ禍は前例のない災厄。
これに前例主義で立ち向かうところに、いろんな歪み、無理が生じているのだと思います。
そのなんとなくのチグハグさが、国民の不信の元となっているのでは。
このコロナ禍で僕に見えてきたのは、前例主義の限界です。
前例のない柔軟なアイデアを生み出し、カタチにしていくことのできる体制作りが求められているように思う次第です。