僕はいくつかの法人を経営していて、その中に「Como creative」という有限会社がある。日本語表記は「コモクリエイティヴ」だ。これを創った十数年前、「Creative」は「クリエイティヴ」あるいは「クリエイティブ」と表記するのが普通だった。「Sony creative」も「ソニー・クリエイティブ」だ。
ところがここ数年、ネットや出版やあちこちで「クリエーティブ」が目立つようになってきた。自分の実感値では、もともと9割ぐらいのシェアを誇っていた「クリエイティブ」が「クリエーティブ」勢に逆転され、今や半分以下にシュリンクしている感がある。
自分がニラんだところ、おそらく黒幕は電通だ。彼らがどこかのタイミングで「クリエーティブ」を採用してからそうなって来た気がする。今でも「クリエーティブ」という言い方をするのは電通系の人が多い。しかしなぜ「クリエーティブ」?辞書を調べてみた。すると辞書では「クリエーティブ」となっている。そっちが外来語の読み方として正式ってことか?もしかすると電通が採用したために辞書がそっちを正式な読み方としたのかもしれない。それで、古ーい大辞林を書庫の奥から引っぱり出してきてページをめくってみた。するとそっちでも「クリエーティブ」となっていた。がーん。昔から「クリエーティブ」が正式な読み方だったのだ!だから電通はそっちを採用したわけで、僕も、ソニーも、他の多くの人たちも、辞書を調べようともせずに「Creativeはそりゃクリエイティブでしょ」と思い込んでたってことか。なるほど。
しかし、ここで僕はあえて「待った」と言いたい。そこまでわかったとしてもどうも僕は「クリエーティブ」に馴染めないのだ。言葉の持つ意味は、「音」の影響を受ける。「語感」「音感」が関係のない意味を引っ張ってきてしまうのだ。それを利用した言葉もある。たとえば「プータロー」。プ~と屁をひりながら寝転がっているダメダメな様子を語感が醸し出している。「プタロウ」でも「プー太郎」でもこのダメさとは微妙に違ってきてしまう。逆に最近は「フリーター」という言葉を聞かなくなってきたが、「フリーダムを信奉するプロフェッショナル」的な立派な印象が実体と離れすぎていると思われたからではなかろうか。
「クリエーティブ」はどうだろう。僕は語感的にどうもダメな感じがする。「エ~」とか。「金くりぇ~」とか。それどーなの?みたいな案しか持ってこないような弱々しいかんじ。
「クリエイティブ」だと、「エイ!」って勇ましい感じがする。「エイエイオー」的な、何かやりそうな。ビシッと課題解決する案を出してきそうなかんじ。
どうだろう。ここは言葉のプロフェッショナルとして広告クリエイティブ業界全体で、「クリエイティブ」に統一すべきではないだろうか。まず電通さんが「クリエイティブ」に改めてくれないかなあ。そうすればやがて辞書も「クリエイティブ」になり、「クリエーティブ」の名刺を出した時に、「エ~この人どーよ」的な印象をクライアントの潜在意識に与えることもなくなると思うのだけど。
「クリエイティブ」か「クリエーティブ」か?
2012年11月13日