足掻く。

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ベルセルクは13巻ぐらいまでがおもしろい。主人公たちが突然放り込まれた異次元空間。そこは大量の化け物たちの晩餐会場。主人公たちは生け贄として供出されたのだった。絶望しかない状況で、片眼片腕を失いながら、主人公はそれでも「足掻く」。
この「足掻く」という一言がずっと気に入っている。答えが見えなくても、どこに向かっているかわからなくても、足掻いていれば何かが見えてくるかもしれない。
僕はもともとクリエイティブの仕事など自分にできるわけがないと思っていた。もしあなたがこれまで野球のボールなど触ったこともないのに、入社した先の配属先が「野球部」などと告げられて喜ぶだろうか。僕にとってコピーライターという肩書きは絶望そのものだった。
僕は勉強はできた。というか、なぜか試験の点数を取る能力が優れていた。現役で東大文一に受かったし、どこか人生は自分の意のままになると感じていた。それが、突然異次元空間に放り込まれてしまった。もしかするとそこで補欠のような惨めなポジションになってしまうかもしれない。そんな人生はごめんだった。だから僕は足掻いた。
その当時はコピーライターのための本などは数冊あるかないか、ぐらいだったし、ネットもなく会社の上司や先輩以外から情報を集めるということもままならなかった。全て自分で試行錯誤するしかなかった。もちろんコピー年鑑は読んだ。それを書き出して、自分の書いたコピーと見比べたりした。自費でワープロを買った。写植に近い見え方で自分のコピーを見た方が、より実際の印象で判断できるんじゃないかと考えた。自分の興味のないコンテンツを知ろうと思った。恋愛映画とか昔の文学とかを観たり読んだりして気になる言葉をメモった。打合せでは先輩のコピーをどうやって出し抜こうかと考えた。自分のコピーが不採用になったら、採用されたもの以上にいいのを書いて、次の日にもう一回提出したりした。自分が関わった案件では、必ず自分のコピーがプレゼンされるようにした。そうやって、新入社員の頃から自分のコピーや企画がいくつも世に出て行った。
いま、プレゼンして、クライアントから「おもしろいですね」と褒められる。しかし自分は大いに不満だ。なぜならそれは僕の企画だからだ。ほとんど全ての案件で、若い社員のコピーや企画ではない。恣意的にそうしてるわけじゃない。まず若い人たちのアイデアを求めるのだけど、提案に値するものが出て来ない。そして彼らは不満そうに口を尖らせてすぐに白旗を掲げるってわけだ。
僕の会社、np.やHelpbuttonで請け負っているのはコピーだけじゃない。マス広告にも限っていない。WEBサイト構築、eコマース、ダイレクト広告、ブランド戦略、CI、エンタテインメントコンテンツ開発、そしてGamificationと、あらゆる依頼が来る。どれも前例のないものばかりで、「わかんねえよ」と匙を投げたくなる毎日。でも僕は足掻く。やっていることは新人の頃となんら変わらないなって最近気づいた。ついこないだまで「小霜君は若手のホープでして…」などと紹介されていたのが今週とうとう50歳になった。でも僕はまだ足掻き続けている。
新人が、自分のコピーが採用されないので「自信がなくなって来た」と言っていた。宣伝会議のコピー学校で褒められたぐらいで、すっかり自分はコピーライターとしてやっていけると思っていたらしい。だめですかーとか言いながら、そのうちどこかに消えていくのかもしれない。いまチャンスをものにできない人が、10年後、ものにできるはずはないからね。
僕の無料広告学校では、「君たちにクリエイティブなどできるわけがない」と教えている。奇跡を起こすしかないだろと。足掻いていれば天使が降りてくるかもしれない。その降りぐせをつけるのがベテランになるってことなのだと。残念ながら、理解してくれる者は今のところ一人もいないようだ。
僕はきっと60になっても見苦しく足掻いているのだろうなと思う。