マスコミを監視しよう

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戦前、「日本」という名の新聞紙がありました。
天皇を現人神とする国粋主義を唱える、極右に偏った新聞です。
発刊された頃はまだ大正デモクラシーの気運が溢れ、議会民主政治の絶頂期であり、国民の多くから無視されるマイナー紙でした。
ところが、ある事件をきっかけに「日本」はメジャー紙に躍り出ます。

当時は世界的な軍縮ムードで、濱口内閣はロンドン海軍軍縮条約に批准したのですが、これに「日本」が「憲法違反だ」と噛みついたのです。
明治憲法が定めるところによれば、軍部に対しては天皇が統帥権を持つと。
軍縮は政府による天皇の統帥権干犯である、というわけです。
現代の感覚からすればとんでもない話ですが、野党がこれを政府への攻撃材料として使うんですね。
あろうことか、主要紙までこれに乗っかって同調します。
濱口総理は国民の人気も非常に高い名総理だったそうなのですが、この政治的混乱の中、テロに遭って殺されてしまいます。
軍部の独走を政府が抑えられなくなっていくのは、このあたりが始まりです。

この後、日本は昭和不況に突入し社会は騒然としていくのですが、いきなりメジャー紙となった「日本」はテロ行為を煽ります。
濱口総理を殺した犯人を救国の英雄と持ち上げます。
テロは、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件と続き、政府の要人が次々と殺されていきますが、その背後には「日本」のテロ礼賛による影響が少なくなかったと思われます。
そして「日本」は攻撃の矛先を東大美濃部教授に向けます。
美濃部教授は憲法学の権威で、「天皇機関説」を唱えていました。
天皇も国政の一機関であるという考え方で、それによって日本は一党独裁体制に陥らないですむ、というのが美濃部教授の主張。
これに対して「日本」は「美濃部は凶賊である」などと毎日毎日口汚く罵り続けます。
結果、教授もテロに遭い、一命は取り留めるものの引退を余儀なくされました。
この時点で日本の国粋主義による軍部独裁制は完成され、シナ事変へと突き進むこととなります。

現代の日本国民の多くには「大本営発表」のイメージが強く根付いていると思います。
政府・軍部による強権的なマスコミの統制です。
しかし、真実はそれとはかなり異なります。
マスコミが国民を煽り踊らせ、自分たちの意のままに政体をも変容せしめ、戦争へと導いていった、これが真実です。

19世紀末の米国に、ウィリアム・ランドルフ・ハーストという「新聞王」がいました。
このハーストは、フェイクニュースの開祖です。
当時、スペインは植民地の独立運動に手を焼きキューバでも過酷な弾圧をしていたのですが、ハーストの新聞はこれに目を付け、「米国人がスペイン官憲から辱めに遭っている」という記事を捏造します。
裸の米国人女性が身体を調べられているイラストを付けて。
それに米国民が憤慨。
ハーストはさらに捏造記事を乱発して煽り続け、「スペイン討つべし」の機運を醸成し、米西戦争へと駆り立てます。
ちなみにこの当時ハーストの競合新聞社を率いていたのがピューリッツァーでした。
彼はハーストに対抗するために自らもフェイクニュース路線を取るのですが、後に大いに恥じ入り、死ぬ間際に報道の正常化を願ってピューリッツァー賞を設立します。

そして今、コロナ禍中の日本。
マスコミは騒然とした社会の中で人々を煽る性質を持ちますが、やはり歪曲記事や捏造記事が溢れています。
ほんのこの2,3日の報道を見るだけでもいくつもあります。
たとえば4月6日には産経新聞が、
『政府、首都圏で鉄道減便要請を検討 緊急事態宣言後、新幹線も 最大5割、終電繰り上げも』
という記事を掲載し「そんなことをして電車が混雑したらどうする」と国民の怒りに火を注いでいましたが、自民党によればこれは検討の俎上にも上がっていないということで、捏造記事であることが明らかに。
4月7日に緊急事態宣言が発出された日の夜、日刊スポーツが
『「東京脱出」が増加…バスタ新宿は利用客であふれる』
という記事を掲載。
ところがこれは全くの嘘であるとして、人っ子1人いないバスタ新宿の写真がSNSで拡散されました。
この記事が出る日の朝、7時には早くも朝日新聞デジタルが、
『「東京脱出」SNS拡散中 新たなクラスター生むおそれ』
という記事を掲載しています。
しかし有志が調べたところ、Yahoo!リアルタイム検索で「東京脱出」というワードは7時の時点では「0」。
7時半になってようやく「1」。
トレンド入りするのはこのずっと後でした。
じつはこの記事が出る2時間前の5時に、朝日新聞デジタルは、
『#東京脱出、専門家「やめて」 帰省で家族に感染、新たなクラスターも 新型コロナ』
という、ハッシュタグ付きの東京脱出記事を掲載しています。
つまり、新聞社が「東京脱出」を自ら拡散させていた疑いが限りなく濃いということです。

1世帯30万円の現金給付をマスコミは非難していますね。
「海外と比べて遅い、ケチだ、対象を絞りすぎだ」
と。
これは何重にも嘘です。
国民への直接現金給付を行う予定の国は、欧米諸国の中で日本以外には米国だけ。
これも共和党と民主党の折り合いがなかなか付かず、当初想定していた全国民給付ではなくなり、低所得層向けとなりました。
また、手続きも煩雑で9月までずれ込む人も出るなど、日本より遅いんです。
「ドイツではあっという間にお金が振り込まれた」
という報道はありますが、これは事業主向けの経営支援であって、生活補償の現金給付と並べていいものではありません。
またこの経営支援も、一部でしか行われていないのが実態であると現地の人が報告しています。
日本の経済支援策は完全なものではないでしょうが、少なくとも海外に比べて「遅い、ケチ、対象を絞りすぎ」ではないと言えます。
新型コロナによる死者数も欧米各国の数十分の一と、この先の予断は許さないものの、現状で日本の新型コロナ対策は最も成功しており、海外に比して劣後していることの根拠はありません。
それを知って報道するのなら印象操作の意図があることになりますし、知らないのなら報道機関として失格でしょう。

こういったもの以外にもコロナ禍中のマスコミによる歪曲報道・捏造報道はゴマンとありますが、これを加速させたきっかけは「トランプ発言」だったように感じます。
「日本はオリンピックを1年延長するべきだ」
というものです。
これ、トランプさんが発言した原文を読んでみると、「They may」と言ってるんです。
つまり、彼ら(=日本)はオリンピックを1年延期するかもしれないよ、と言ったのを、トランプさんが日本に意見したかのように歪曲させたんです。
おそらくこの時点で日本政府は水面下でIOCと協議し、1年延期の方向で根回ししていたんだと思います。
トランプさんはそれを知って、そうなるんじゃないの、と匂わせたんでしょう。
ところが、歪曲報道で見事に国民は「政府は何をやってるんだ」と憤慨したもので、マスコミは味を占めたんじゃないでしょうか。
これ以降、報道は歪曲・捏造合戦の呈を見せます。

もちろん、政府もいろんな失策を犯しています。
国と自治体で休業要請の折り合いが付かない、などは、宣言する前にきちんとやっといてくれよと思います。
こういった国民を混乱させることは批判されてしかるべきでしょうが、是は是、否は否、ではなく、是は否、否は否、という態度では国民は間違った方向に誘導されてしまいます。
先述したように、それは歴史が語っています。

では、最大の疑問。
そもそも、報道とは事実を偏りなく伝える技術を指すものと僕は認識しています。
どのような事実も素で伝えるとどこかバイアスがかかってしまうもので、むしろ、それを公正に伝えるための努力で是非の判断を読者に委ねるのが報道のあるべき姿では。
「報道の自由」が認められる国には、必ず「報道倫理」があります。
その要素には「正確性」「公平性」が含まれており、歪曲や捏造が許されないのはもちろん、事実に主観的な意見をくっつけるだけでも倫理違反なのです。
いったい何のために、彼らは報道倫理を自ら破り、社会を混乱させるような真似をしたがるのか?

まず考えられるのは、社会が混乱すればするほど報道が「見られる」「売れる」という、浅薄な計算でしょう。
コロナ終息のために批判するのではなく、コロナ拡大を利用しているわけですが、報道者として許される姿勢であるという大きな勘違いが入っていると思われます。
あるいは国民の政権への不信感が拡がる中で、「味方づら」をするために事実を歪曲してしまったり捏造してしまったり。
政権への意趣返しといういやらしい思惑もあるかもしれません。
でも彼らを動かす最大のものは、ハーストの時代から連綿と続く、国民を煽動し焚きつけることで己に恍惚となる「卑しい血」であるように自分には感じられます。
「トム・ソーヤーの冒険」の作者、マーク・トウェインはこんな言葉を残してます。
Advertisements contain the only truths to be relied on in a newspaper.(新聞の中で、信頼できる事実が書かれているのは広告だけ)

もし報道を見て「何だと!政府許せん!」と感じたら、脊髄反射でそれをシェアしたり政府を罵倒する前に、ちょっと時間を取るべきです。
その記事に理屈に合わない歪んだ部分はないだろうか?また、元ネタがあるのなら、それを正しく伝えているか?チェックすべきでしょう。
根も葉もないものは調べようがありませんが、政治家も官僚も馬鹿ではないわけで、「そんな馬鹿なことをするわけがない」と思ったら誤報、あるいは捏造の可能性を疑うべきです。

報道は権力の監視役である、と言われます。
そのイメージが強いゆえに、我々は報道が真実を伝えるものと信じ込んでいます。
少なくとも現在、報道は監視役ではなく讒言者に堕ちています。
もちろん報道機関の全てがそうであるわけではありません。
だからこそ、残念なことではありますが、ピューリッツァーがハーストに駆逐されたような、悪貨が良貨を駆逐する事態を招かないようにも、我々1人1人が自ら監視するしかないと思うのです。