責任は常に、「選ぶ側」にあるのです。

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東京オリンピックエンブレムの件で佐野君を非難している人が多いようだが、これは完全に的外れと言うものです。
なぜならば、クリエイティブの責任は「作る側」ではなく「選ぶ側」が負うものだからです。

今回、100以上のデザイン案が提出されたと聞いていますが、その中には見たこともないような斬新なものもあったでしょう。
おそらくそういったものと比すと、佐野君の案は「わりと普通」のデザインだったと思います。
では選考委員会がなぜ「わりと普通」のものを選んだかというと、斬新なデザインは「先鋭的」「独創的」な印象を与える半面「マイナー感」「小ささ」を与えがちですが、「わりと普通」なデザインは「メジャー感」「大きさ」を与えがちで、後者の方がこれから日本が目指す方向性、世界から期待される日本のイメージに合致していると考えたからでしょう。
そして、そのメジャー感を出しつつも、ある程度の独創性も欲しい、という中でのベストバランスがこのデザイン案、ということになったのだろうと推察できます。

ただ、そういった「わりと普通」のクリエイティブは、似たものがどこかに存在するわけで、誰かの権利を侵害するリスクは高いです。
そしてそのリスクに関して、作る側が負うことは現実的に不可能ですし、作る側が負うという発想がナンセンスです。

たとえば商品のネーミングをする際、僕は自分で商標チェックをしません。
そこの責任は負えないからです。
僕は広告クリエイターであって商標権の専門家ではなく、日本中、あるいは世界中の商標権抵触を回避するための知見を持ち合わせていません。
これは必ずクライアント、あるいはエージェンシーにしていただきます。
そしてチェックの結果、もし似たもの、あるいは同じものがあったらどうするか?
権利抵触しない別のものを選ぶ、という選択肢もあれば、「買う」という選択肢もあります。
それを決めるのはクライアントです。
たとえば「iPhone」という商標は、日本においては「アイホン」株式会社が保持しており、おそらくアップルはアイホンに使用料を払っているのだと思います。
もし僕が「iPhone」というネーミングをアップルに提案したとして、「日本に似たようなのがあるじゃないか!」と僕が非難されるのはナンセンスなわけです。
言ってること、おわかりになるでしょうか。

オリンピックエンブレムについても、チェックする責任はクリエイターでなくクライアントにあります。
今回、そのチェック漏れが見つかったわけですが、
いやこれは似てないだろう、いいがかりレベルだろう、と判断するのか?
確かに酷似してるから、お金で解決しよう、と判断するのか?
意匠を一部修正するのか?
解決法はいくつかありますが、これらは全て「選んだ側」の責任において決めることなんです。
「作った側」はむしろ「選ぶときにちゃんと調べてくれよ!」と怒るべき立場かもしれません。

もちろん確信犯的に誰かのデザインがいいからそのまま持って来た、というのはクリエイティブの職業倫理的に許されることではありません。
が、万に一つ、そうであったとしても、まず責を負うべきは「選んだ側」。
「作った側」が非難されるのは盗作行為をした事実が確定してから、という順が正しいと思います。

ちなみに僕は佐野君が盗作行為をしたとは思っていません。
なぜなら、彼ほどの経験値を積んだアートディレクターなら、盗作と言われないぐらいにデザインを「離す」技術を持っているからです。
もしベルギーのデザインを従前に知っていたら、クレームが来ないような修正を加えたでしょう。