おれの部下なりたい人?

Share Button

おれの部下なりたい人いるかね。肩書きはコピーライターになると思うが、「言葉いじり」は求めない。アイデアを出せる人。広い意味でアシストしてくれる人なら採用したい。

これまでnp.で何人か若いコピーライターを採用してきた。しかし残念ながら、ことごとくやめたり、やめさせたりしてきた。採用する時は大いに見込みがありそうで、期待をかける。ところが仕事になるととたんに使えない。成長しない。この現象はなんだろうかと悩んでいたのだが、一つの仮説に辿り着いた。 採用時、彼らは自分の表現力をアピールするために、宣伝会議のコピーライター養成講座で書いたコピーを持参することが多い。そういった表現物や、あるいはこちらから出した「〇〇のコピー」「〇〇のCM企画」を考えなさい、といった課題への回答を見て独創的なものがあれば評価するわけだが、そこに落とし穴があることに気づいた。それが独創的であっても「出題側の意図をどこまで汲み取って考えられたものか」がわからないのだ。僕は広告学校の最初の講義で、広告クリエイターにとって最も重要な資質は「思いやる力」であると話す。その商品のターゲットである生活者の気持ちになれる能力、そしてクライアントの思いや、エージェンシーの人たち、 CDやデザイナー、プランナーなど他のスタッフの意図や意思を汲み取れる能力だ。以前、コピーライター養成講座の受講生たちに「ターゲット視点は習ったよね」と言ったらそこにいた全員が聞いたこともないと答えて愕然となった。まあ、それはたまたま彼らが当たった講師がいい加減だったのかもしれないけども、若い人たちは広告についてかなり間違えた概念を抱いているようであり、思いやった上でコピーや企画を考えることのできない人が実に多いのだ。 広告クリエイティブほどチームワークが必要な仕事もない。広告は大人数がかかわるプロジェクトだ。各スタッフがそれぞれの役割と責務の下、ひとつの方向を目指し、ひとつの表現物を作り上げ、世の中に露出する。コピーライターならまずCDが何を求めているか理解しないといけない。デザイナーがどういうビジュアルを作ろうとしているのか予測し、それと相乗効果をもたらすようなコピーを考えないといけない。のだが、それどころか、たとえば時間すら守れない人がいる。何日何時までという期限があるのに、その1時間ぐらい前になって「まだできてません」とか言う。それが他のスタッフに迷惑をかけるという想像ができない。1案だけしか持って来ない人もいる。自分はこれがいいのだと、愚にもつかない案にぐだぐだとこだわってみんなの時間を奪う。そういう人たちは極端な例としても、ほとんどの若いコピーライターが手前勝手にしかコピーや企画を考えられない。ターゲットや他のスタッフを見ないで自分しか見ていない。クライアントの話、CDの話を聞いているようで何も聞いていない。聞くことの意味もわからない。「そうじゃなくて、こう考えなさい」と言うと「わかりました!」と返事は気持ちいいが、また同じ間違いをする。なぜ自分のやり方ではダメなのか?どうすればいいのか?という自問自答をしない。そして「自信がなくなりました」とやる気をなくしてしまい、何の成長もないまま存在理由もなくなってしまうのだ。

広告コピーとは何なのか、コピーライターとは何なのか、根本から誤解している人が多い気がする。そもそも、自信だって?実戦でろくにコピーを書いたこともないような人が、どこで自信を?僕もそうだし、米村も同じだと言っていたが、僕らはそもそもクリエイティブの仕事をうまくやれるなんて思ってもなかった。今でもそうだ。再プレ上等。もっと優れたアイデアを見ると、そういう発想があったかと、ひとつ得した気分になる。だから今でもどんどん自分が膨らんでいる実感がある(体重という意味でなく)。仕事もしないうちから自信があるなどという若者たちは、たぶんコピー学校でほめられたのを根拠にしているんだろう。でも、そういう人はよく考えてほしい。いわゆるコピー学校はコピーを書く側がお金を払い、コピーを評価する側がお金をもらう仕組みだ。君たちはお客さんとして褒められてるだけだ。君たちが進もうとしている仕事の世界は、お金をもらいながらほめられないといけないんだぞ。その圧倒的な違いがわかるかね。僕らはお遊びで広告を作っているわけではない。クリエイティブ・ビジネスをやっているのだ。手前勝手におもしろおかしなコピーを書いていればパトロンのような人物が現れて「ほう!このコピーはいいね。100万でどうかね?」なんてことは起こりえない(もし信じているとすれば冴えないオタクの前に突然美少女が現れる系ラノベの読み過ぎだ)。じゃあどういうコピーが金取れるんだよ!と心で唸った君のために 「クライアントにお金をもらいながらほめられるコピー」について数例を挙げてみる。 JAXAが宇宙ステーションで芸術活動をしている。そのブックレットの制作依頼があった。僕は宇宙飛行士が水の塊を浮かしたりしている様子を思い浮かべて、「お遊び」みたいなヤツか、と思った。しかしすぐに、そう思われていることこそが問題なのではないかと考え直した。そんなお遊びに立派な大学教授たちが関わるわけがないし、大きな予算がつくはずもない。よくよく考えるとこれは相当に重要な活動ではないかと。なぜなら、過去人類の芸術活動は全て重力の制約を受けていて無意識でそれが当たり前になっている。彫刻などの造形物は特にそうだ。無重力なら地上ではあり得ない造形物が可能となる。 ここから芸術の次のステージが始まる可能性がある。そこで、僕はブックレットのタイトルとコンセプトを「重力からの芸術の解放」とした。JAXAの人たちは、まさにそういうことが言いたかったんです、と喜んでくれた。 つまり、僕がやったのはコピーによってプロジェクトの価値を引き上げようってことだ。価値がないって思われたら予算取りも難しくなるだろう?Reebokの商品は、どれも独自の機能や性能を持っている。それを「反則?テクノロジー」と呼んでいるわけだが、特化した機能のないウェアが発売されることとなった。機能よりファッション性を重視したカラフルなデザインなのだが、Reebokのシリーズとしてどういうセールスコピーを付けていいか悩ましい。僕は「色彩効果」を調べてみた。すると、色が情動にいろんな影響を与えるらしいことがわかった。そのウェアの色はアドレナリン分泌をうながすと言えそうだったので、「アドレナリン・デザイン」というコピーを提案した。もちろんクライアントは大喜びした。 コピーがお金になるのは、そのコピーが商品の価値を高める時だ。いわゆる「キャッチコピー」というのはたいしたお金にならない。「つかむ」だけなら言葉でなくてもいいし、「つかむ」だけのコピーにクライアントは価値を見いださない。 巷のコピー学校ではあたかもコピーと言えばキャッチコピーであるかのように教えているようだが、それは大きな間違いだ。 もちろん、強いキャッチコピーが必要な局面もあるだろう。そういう時は、そういうコピーを書かなければいけない。繰り返すけども、大事なことは相手が求めるものを的確に読み取り提案する、意思と能力があるかどうかだ。 仕事の原則とは、誰かを喜ばせて対価を得る、ということ。広告クリエイターは例外、ということはありえないのだ。

もしnp.に入社したら、君の仕事はまず、雇い主でありCDである僕を喜ばせることである。具体的に言うと、僕が発想できない、あるいは見落としているアイデアを出すことだ。たいていの人は「これでいいでしょうか」と提出してくる。まさに自分しか見ていない。ここは学校じゃないんだよ!「それでいい」と僕がわかっているものなら、最初から自分で書く。この発想はなかったな、とベテランが思えるものを提出するのが若者の役割だ。そうやってCDを助けるんだよ。そういう意味で言えば、僕の部下としては女性の方が有利かもしれない。 そして、いろんなスタッフやエージェンシー、クライアントの人たちを喜ばせることで、自分のチャンスと可能性を拡げていくのだ。「かわいがられる」ってことだ。誰からもかわいがられないで成功したクリエイターなどいない。僕は新人の頃、安藤さんという人にかわいがられた。POOLの小西君は僕にかわいがられた。大貫さんや谷山さんは宮崎さんという人にかわいがられた。おかげさまで、僕が今でも何とか仕事を絶えずにいただけるのは、僕をかわいがってくれている人たちが存在するからで、その理由は彼らが求めるアイデアを出すからだ。正確にはいっしょに楽しめるアイデア、ってことかな。

なぜこれをnp.の公式HPではなく個人ブログに書いたかというと、何となく、オフィシャルに公募、という気分でもないから。正直言えば自分の求めている人が簡単に見つかるとは思っていない。そんなに期待していない。でも、もしかすると自分の知らないところにいい人材が隠れているのでは…?という一縷の望みも持っていたりするのだ。
話が長くなったが僕が求めているアシスタント像をまとめてみる。 まずは上でくどくどと述べたように、思いやる力のある人。誤解しないでほしいがこれはクライアントの言いなりになるということではない。相手の期待にサプライズを持って答える意思と能力のことである。僕は広告学校で「2案発想」を勧めている。相手の意図をしっかり汲んで考える案と、自分ならこういうのがいいという案。プレゼンでも社内打合せでも「2案発想」が基本だと思う。これができる人。
何でもやりたい人。「3Dプリンター買っていろいろ試してみたいんですが」と言ってくるような人がいい。コピーは昔のコピー年鑑にはなく、時代との関わり方の中で見つかるもの。おかしな話だが、コピーは書けるが広告は考えられない、という人も多い。言葉をいじるしかできないという人は逆にコピーライターは無理。「コピーライター」という名称がもはや時代にあってない感はある。いまやコピーライターの守備範囲は広い。 あらゆることをやらないといけない。僕は大きな商品の市場導入戦略もやれば、CM企画もやれば、WEBも、店頭も、販促物もやる。スマホアプリも開発しているし映画制作にも関わっている。そんな中で、僕はコピーしか書けないので、という人は仕事がない。
大きな目線で時代を見られる人。広告の醍醐味は、世の中を動かす実感にあると思っている。たとえばプレイステーションを「ゲーマーのためのゲーム機」では なく「家族が仲良くなるためのゲーム機」と定義づけたのは広告だ。そのことに価値を感じた人たちが買ったことで商品がヒットし、みんなの生活が少し楽しく なったかも知れない。僕は常に時代を意識している。この商品をコピーでどう定義づければ、どう市場導入すれば、日本が少しハッピーになるだろうかと。一番 搾りのキャンペーンからご当地グルメが生まれたように、後々「君が楽しんでるあれはおれのアイデアが元なんだぜ」と言えるものをいくつ増やせるか。そうい うダイナミズムにやりがいを感じる人がいい。
自発性のある人。 与えられたものだけをやる、というような人は結局成長しない。自分の意見を積極的に出し、疑問を発し、あらゆることを耳でなく肉体で覚えることが理解するということであって、それが成長につながる。会議で端っこに座って黙々とメモを取るだけ、という人が実に多いけども、そういう人は会社と学校の違いがわかっていない。
遊ぶ人。遊ぶという意味は、人との関わり合いを楽しむということ。学生時代にアルバイトばかりしていた、女を追いかけ回してばかりいた、そういう人がいい。人間は何をすれば喜ぶのか、怒るのか、人間は何が情けないのか、素晴らしいのか、そういったことを身体で知ってなければクリエイティブの仕事なんて無理。上っ面のことしか考えられない。逆説的だがそういうことをしないでコピーの勉強ばかりしてました、という人は事務的な仕事が向いていると思う。
くだらないことを考えられる人。僕はイメージと実態にかなりの乖離があるらしい。理性的で筋の通ったものを好むように思われがちだが実はネイティブの大阪人だ。「くだらねえ!」「馬鹿馬鹿しい!」ものを好む。
そして、自分はだめコピーライターだなあと思っているぐらいの人がよい。 でも、チャンスを逃がさない人。どんなことをしてでも自分のコピー、自分の企画で決めてやろうという根性のある人。その気さえあれば、僕の会社にチャンスはごろごろ転がっている。

もしチャレンジしてみたいという珍しい人がいたら、www.noproblem.co.jpから連絡を。