「公表」ではなく「お墨付き」を

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緊急事態宣言が1ヶ月延長されるとのこと。
さすがに、「まんま」延長するのは無理がありすぎるような。
外食とか観光などがもう持たないでしょう。
それに、たとえあと1ヶ月がんばって耐えて1ヶ月後に宣言解除となったとしても、元通りの売上が戻るのかと言えばそんなわけないでしょう。
海外の観光客はシャットアウトし続けないとあっという間にまた感染が蔓延します。
感染リスクがゼロではない中、外食や観光、ショッピングは以前より避けられるようになるでしょうし。
経済環境も生活者インサイトも、すぐには元に戻らないという想定に立たないといけません。

外食や観光は売上が昨対比で1割ほどに落ち込んでいると言われますが、これが解除後即座に10割戻るわけはない。
よくて5割程度ではないでしょうか。
もともと厳しい業界で、10割でもやっていけるかどうかだったではないですか。
1ヶ月宣言が続くとしたら1ヶ月耐えればいいということではなくて、10割に戻りきるまでの数ヶ月を耐えることになるのです。
だから、1ヶ月後どうするかではなくて、今このタイミングにもどうするか考えるべき。

そして今やるべきことは延長か解除かというオンオフではなく、いわばその中間だと思うのです。
つまり、徐々に解除していく。
営業するかしないかではなく、「どう営業するか」を探っていくってことです。

で、僕が思うのは、国、あるいは自治体が「コロナFREE」シールを作ったらどうかと。
たとえば飲食店なら、衛生管理は徹底しているかとか、座席の配置は向かい合わせになっていないかとか。
僕のマネージャーは必要以上に大声を出すし、ちょっと酔うと「ドエー」とか「ヅアー」とか無意味に奇声を発しますが、こういう客を出入り禁止にする措置を取っているかとか。
石原都政の時に風紀条例が改正され、深夜に隣席に座っての接客は禁止となりました。
それでいろんな店がカウンター式に模様替えしました。
飲食や風俗は社会要請変化への対応力はあるはずです。
そして、対応できていると認めた店にはお墨付きを与えてはということです。
飲食に限らず、観光なら観光、ショッピングならショッピング、それぞれに基準を定めます。
生活者視点で言うと、これには宣言解除後、元通りの生活行動に徐々に戻していくための助走、あるいはリハビリの意味もあります。

もちろん、完全に休業してしまった方が感染リスクは低くなるでしょう。
しかしその完全休業は永久には続けられません。
東京都で言えば、千数百万人の中で、感染者が1日に100人を上回ったとか下回ったとか言ってますが、自分には誤差の範囲にしか見えません。
数十人が1週間続いたからといって、もう大丈夫ってことはないですよね。
いつ宣言解除しようと、ビクビクしながらになります。
感染拡大させないための行動習慣は続けることになります。
だからこれはいずれやらなきゃいけないこと。
どうせやるなら、早めに始める方がメリットが大きいのではないかということです。

また、休業補償すればいいではないかという意見もあるでしょうけど、そんな簡単な話ではないと思いますよ。
外食が休業したら、その間、その店に食材を納品している業者はどうなるのか。
毎週花を納品している花屋はどうなるのか。
面的にも深さ的にもキリのない話になっていくので、補償だけで解決できるものではないです。
補償もある程度必要でしょうけど、業界にただボンヤリと休んでもらうではなくて、自助努力をしてもらう余地を作らないといけません。
その余地を作る、自助努力の目標が「コロナFREE」シールということになります。

「要請」は、ある意味、官が民へ丸投げしている状態です。
なので、守らない店が出て来るのも必然ですし、それに対して自粛警察が出て来るのも必然です。
「公表」は最悪の手段と僕は思っています。
守らない店は晒すから、後は民の間でやってくれ、ってことでリンチの後押しをしているわけなので。
作家の百田氏が「今は非常時だから仕方ない」と発言していましたが、彼が小説のモチーフにした特攻隊は「お国の非常時だから」で生まれたものではないですか。
歴史的な悪行は非常時を言い訳になされてきたわけで、非常時だからこそ正論を死守しなければならないはずです。
今、官は、悪い言葉で言えば、少なくとも営業自粛問題に関しては逃げている状態です。
介入しなければ官の存在意義はありません。
そして、官ができる最善の介入は公表ではなく「お墨付き」であると思うわけです。