理性派vs.感情派

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どうやら民主党はTPP交渉参加で意志を固めたようだ。それを受けてか今日(11月9日)の東証は高値で取引が始まっている。TPPは日本人を二分してしまった印象がある。ネットを見ていてもTPP参加か不参加かで国論真っ二つの様相で、互いに口汚く罵りあっている。僕はどっちでもない。強いて言えば「どっちもわかる」派。理性で言えばTPP参加、感情で言えば不参加。だから自分の中で同居できる。不誠実で頭に来るクライアントだが金のためにやるしかない…みたいなことってあるでしょ?TPPはそういうのと同じじゃないのって思う。参加派と不参加派は、僕には理性派と感情派に見える。この二者は表裏一体のはずなのに、どちらが正しいかという二者選択をしようとするからどこまでも話が噛み合わないんだと思うのだ。
TPPを議論する前にまず押さえておかなきゃいけないって僕が思うこと。日本と米国は国の成り立ちがちがうってこと。日本は大和民族98%のほぼ単一民族国家。だから血のつながりをベースとした同胞意識が強い。TPP不参加派の中には、既存権益を守ろうという理性の人たちもいるだろうが、ほとんどの人たちの動機は「仲間を見捨てるな」という同胞感情に基づいているのではないだろうか。貧しい農家や、高額医療費を払えない人々も、同じ日本人なのになぜ切り捨てられようかと。参加派は常に損得で語るが、不参加派は損得は問題じゃないと言っているわけで、そのポイントで話が一致するはずがない。米国は言わずと知れた移民の国だ。彼らを一つにしているのは「Freedom」などといったイデオロギーだ。だからルールをしっかり作り、契約をしっかりやる。自己責任が原則となる。日本ではルールはあやふやだし、契約も「カタチだけ」だったりする。助け合いが原則となっている。この二つの国が完全に同じフレームで政治や経済をやっていく、ということはあり得ないと僕は思う。グローバルの歪みも、そういうところに根本の原因があるはずだ。それを認識した上で議論を展開しないと理性と感情の堂々巡りとなってしまう。
原発派と反原発派も、理性と感情の戦いに見える。失礼ながら反原発の人たちに理屈はあまりないように感じられる。日本経済がどうなろうと知らんと。「イヤなものはイヤ」。つまりはそこに尽きる。でも、その感情を無視してはいけないと思う。子供のために西日本に脱出した母親たちを軽蔑するべきじゃない。そういう感情こそが人類を人類たらしめる根拠なのだから。安全に暮らしたい、子供を守りたいという原始的な感情と、経済を破綻させないよううまく回していこうという理性。これは同居できるものだ。別のものとして争うから、話がわからなくなってしまうのじゃないか。論者のツイッターが炎上しやすいのは「なぜこの理屈がわからない」「なぜこの気持ちがわからない」の応酬になってしまうからだろう。日本という一つの人格の中で、理性と感情を認めあうことをきちんとやれば、分裂するようなことにはなりにくいと思うのだ。
ああそうだ、この文の主旨からは外れるけども、きっと多くの人が誤解してること。実はすでに日本は貿易立国とは言いにくい。数年前から、海外投資の利益が貿易の利益を追い抜いている投資立国なのだ。海外の関税を撤廃しても円高に飲み込まれてしまい、輸出にはさほど貢献しないと言われており、TPPの主眼はむしろ投資活動の活性化にある。企業による投資収益は雇用を増やすことにもつながらず、生活者には還元されにくいが、今後日本企業はそこでやっていくしかないようだ。