罵倒オナニストについて

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木村花さんがSNSの誹謗中傷によって自殺に追い込まれたとされるニュースを観ました。
SNS上で誹謗中傷を繰り返す人たちに批判が集まっています。
「相手がどう感じるか、思いを馳せる想像力が必要だ」とか…。

僕は、SNS上の誹謗中傷が治まることはないと思っています。
それは強い自粛要請下でもパチンコ店の行列が絶えないのと同じです。
彼らが誹謗中傷を繰り返す理由は、罵倒という快楽に勝てない誹謗中傷依存症だからです。

罵倒は何らかの快楽を伴います。
「馬鹿」「クソ」と罵ると、どこか気持ちがスッとします。
子どもは際限なく彼らの語彙内で罵り合いますよね。
大人になるにつれ「節度」を持つようになるのですが、快楽に勝てない人も一定数存在します。

安倍政権を口汚く罵る人たちは「アベガー」と揶揄されますが、その発言内容ではなく、「馬鹿」とか「クソ」とかいった言葉を吐き出してしまう、その節度の無さに周囲が辟易としているわけです。
政権に限らず、彼らの多くは常に罵倒する対象を探しているかのようです。
動機が快楽から来ていると思われるので、その矛先はいつどこに向くかわからず、節度ある人は彼らとは距離を置こうともします。
自分が周囲から狂犬のように見られていることについてご本人たちも薄々気づいているのでしょうけど、やめられない。
これはアルコール中毒やギャンブル中毒と同じ、立派な依存症です。
このような人は著名人にも珍しくありません。
「羽鳥慎一モーニングショー」のコメンテーターである青木理氏は、話の最後に「無能」とか「ポンコツ」とかいった言葉を付けずにいられないようですが、これは精神的に幼児性を引きずっているということでしょう。
ホリエモンも必ずと言っていいほど文章を罵倒で締めくくりますが、狙いでやっている…というよりは、知能の高さと精神的な未熟さがアンバランスなのでは。
ただ、上記お二方は自分たちの行いを「罵倒」であると認識していると思います。
問題は「批判」と称しながら罵倒する人々です。

各種ハラスメント、
いじめ、
児童虐待、
差別、
芸能人の麻薬、
芸能人の不倫、etc.
これらは昨今のTVの情報番組でよく採り上げられるネタですが、共通点としては、どれも節度を失って快楽に負けた行為であり、そこに卑しい自己正当化が存在するところです。

児童虐待で言えば、なぜ虐待するのか。
それは、そこに暴力の快楽が伴うからですよね。
「しつけ」なのか「虐待」なのか。
その一線は、節度を伴うか、快楽が伴うか、とも言えると思います。
「しつけ」は苦いものです。
たとえ子どもをぶったとしても、しつけは自分が痛みを感じるものです。
これは節度が快楽を押さえ込んだと言えます。
だから社会は許容してきたのでしょう。
ところが、痛みを感じるどころか、暴力の快楽に支配されたとしか思えない親が数多く出現するようになって、「しつけ」という言い訳はもう一切許さない、となりました。
本人の節度に任せるわけにはいかないということです。

人間は共同生活で生存してきた動物なので、コミュニティを壊そうとする者、あるいは「ズル」をする者を厳しく監視する本能があります。
(ズルを糾弾する時に人の脳ではドーパミンが分泌されているようで、中野信子氏の「正義中毒」とはいわばこの「ズルを許さん」が肥大化している状態を指すと言えます)
今のムードとしては、快楽に負けたくせに自分を正当化する者に対して、そのズルは許さんぞ、となって来ています。
しつけと称しながら、快楽に負けて虐待をする。
コミュニケーションと称しながら、快楽に負けてハラスメントをする。
甲斐性と称しながら、快楽に負けて不倫をする。
これらはどれも許されない。
では、「批判」と称しながら、快楽に負けて罵倒を浴びせる行為はどうなのか?

批判には生産性があります。
そこから何かアイデアが生まれたり、改善策が生まれる余地があります。
罵倒は何も生みません。
「馬鹿」「クズ」という言葉から何かが生まれるでしょうか?
そもそも彼らはコミュニケーションを取ろうなどとは思ってもいません。
ただひたすら自分が快楽を得るための行為を繰り返しているに過ぎないのです。
罵倒オナニーなんです。

僕が参加しているFaceBookのグループに医療関係者の情報交換会があるのですが、最近は罵倒オナニストがちらほら現れるようになりました。
「PCRをむやみに拡大してはならないのはどういう理由か」というスレッドで、「安倍の馬鹿を許すな!」といった発言をするわけです。
テーブルを囲んで会議している者の中に1人だけシコシコしながら「あーイクーイクー」と白目むいてる人がいるようなことなのですが、頭がイッちゃってますから、なぜ自分がお呼びでないかがなかなか理解できません。
で、誰からもまともに相手にされなくともご満悦のようなのです。

なぜ彼らは一方的な虚しい発言で満足できるのか?
これはいわば疑似コミュニケーションとも言えましょう。
人間は主体性を失う時に恐怖感を抱きます。
クルマよりも飛行機の方が事故に遭うリスクが低くとも恐怖を感じるのは自分で運転できないからです。
何らか関わっている気になることで安心するわけです。
罵倒オナニーは罵倒の快楽と擬似的な主体性による安心感で構成されます。
その言葉が相手に届くわけがなくとも、届けるようなカタチになっていればよいわけです。

SNSで誹謗中傷する人は、「誹謗中傷されるべき相手」ではなく、「誹謗中傷を受け止める相手」を探していると言われます。
これは頷けるものがあります。
木村花さんの件で、「芸能人も人間だ」という言葉がよく見られましたが、すかさず「だからといって政治家は別」というものも見られました。
批判と罵倒の違いが理解できていないということですが、それよりも、政治家も誹謗中傷を受け止めきれない人間であると認めると罵倒オナニーができなくなってしまう、困る、ということでしょう。

つまり、罵倒オナニストは常にオナニーする場所を探し歩いているわけです。
例えば社会活動のスレッドは政権批判につながりやすいので、そこには容易に侵入します。
何かを罵倒しているスレッドにはワーッと群がります。
木村花さんのSNSは罵倒オナニスト仲間が大量に集まっていたので、紛れ込みやすかったわけです。

なので、最善の対処法は「場」を作らないことと思われます。
「割れ窓理論」という言葉がありますが、ニューヨーク市で割れた窓ガラスを全て直したら犯罪が減ったと。
窓ガラスが割れている場所では犯罪を犯していいかも?という気分になるらしいんですね。
同様に、「ここは罵倒オナニー禁止」という空気をその場ごとにどう作るかでしょう。
スレッド主の発言の中に誹謗抽象語があれば「ここは罵倒オナニーしてもいいんだ!」とワーッと群がってくることになります。
それでももし侵入してきたら相手にしないに尽きるんじゃないでしょうか。
それが批判、批評の類であれば無視せず議論すべきと思いますが、そこはこちらも区別する眼を持つべき。
おそらく医療グループも政権批判がウケるだろうと思われたのでしょうが、そこはそうではなかった。
相手にされないとだんだん去って行きました。
木村花さんは罵倒に対して反応してました。
いわばズリネタのグラビアモデルが「やだーやめてー」と反応したようなものなので、さらにコーフンさせて、シコシコを加速させてしまったわけです。

彼らはコミュニケーションを取るつもりがないので、罵倒の根拠について勉強する気も事実確認する気もありませんが、これは昨今の報道の姿勢と寸分違いません。
マクロで見た時の問題は報道であるように思います。
報道はもはや罵倒オナニストの総本山とも言えます。
例えば、どの情報番組を見ても今こそ休業補償のために国債を発行しろと、政府が無能だ何だと居丈高でしたが、国債発行は子ども世代にツケを回すことになるわけで、いわば倒産の危機に陥った店舗が営業を続けるために子ども名義の借用書を書くようなもの。
「子ども世代には申し訳ないが、ここは国債を発行させてもらうしかない」という態度の報道を僕は見たことがありません。
「営業を続けることも大事ですが、お子さん名義でこんなに借金して、後のこと考えてますか?」と慮る銀行員に対して、「今は非常時なんだからいくらでも金貸すべきだろ!もっと貸せよケチ野郎が」と罵り、「あの銀行は無能でポンコツ。皆さんそう思いませんか?」と悪評を垂れ流すようなことを公共の電波でやっているのです。
子どものためにどこまで我慢するのか、それでも国債を発行するのか、今を乗り越えた後で子どもたちへのツケをどう解消するのか、といった「快楽を伴わない」発想はもうできなくなっているのでしょう。
ハラスメントや虐待などの自己正当化については徹底的に断罪しながら、誹謗中傷で視聴率や読者を稼ぐ自らの卑しさについて彼らは何も感じないようです。
心理学用語で「確証バイアス」という言葉がありますけども、人はそもそも自分の考えを裏付けるデータばかりを集める傾向があります。
報道の姿勢はその確証バイアスを乗り越えて中立公平に情報発信をすることのはずですが、テレ朝「グッド!モーニング」の歪曲取材問題で顕かになったように、その意識は一般人よりも低いと言えましょう。

しかし、昨今は報道の姿勢について疑問を持つ人が増えて来ています。
反動のようなものでしょうか。
報道がどれだけ二枚舌で誹謗中傷文化を育てようとしても、実はSNS上で何かを常に誹謗中傷している人は日本全国で数十人程度しかいない、という研究があります。
彼らが大量アカウントを使って大量の人々が誹謗しているように見せかけているだけだと。
もしかすると、コロナのクラスターを早期に潰していったように、木村花さんに対して罵倒を浴びせた者を実名公表するなどして丹念に潰していけば、SNSの誹謗中傷問題もほぼ治まるかも知れません。
個人的にはそのぐらいやってほしいところです。