2015年8月9日
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いつの間にか本を書いていた夏

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今年の7月は人生で最高に大変な7月でした。
気を失った日も何日か。
夕方デスクの前に座りながら、気がついたら朝、みたいな。

競合プレゼンやら何やら、いろんな要因が重なってそうなるわけですが、最もヘビーだった要因はおそらくセミナー。

7月はセミナー・講演を、数えたら5つやってました。
そのテーマは全てバラバラ。
「お金をもらえるコピーライティングとは」
「そもそも広告とは何か」
「クラスター・マーケティング」(「おたく」とか「鉄女」とかある特定の趣味・性癖層にアプローチするマーケティング。小霜の造語)
「ネーミングのストラテジー」
「心理的本能を広告コミュニケーションにどう活かすか」
といった。
これらは誰でも参加できるパブリックなものですが、これ以外に企業研修などクローズドなものもやりました。

僕がセミナー・講演・企業研修を行うときに決めているルールがいくつかあります。
たとえば・・・
・本の内容を繰り替えさない。
千数百円で読んだことを数万円の参加費払って繰り返されたんじゃ、たまったものではないでしょう。
・受講者の求めるものに最大限答える。
特に企業研修などでは必ず取材して、その会社の課題に対して自分なりの提案を含めるようにします。
・常にコンセプトが新しいものであること。
じつは、これは僕がセミナーや講演を引き受ける一番の理由でもあります。
内容が斬新なものであるためにはいろんな本を読み直したり調べたり従前の準備が必要で、それが自分自身の勉強にもなるんですね。
でも、だから準備が大変なんですが・・・。

セミナーのスタイルは講師によっていろんなものがあると思いますが、僕はアドリブだと不安なので言いたいことのほとんどをスライドに書いてしまいます。
そうするとだいたい1分1枚ぐらいのペースになります。
ワークショップなどがなければ、1時間だと60枚、2時間だと120枚ぐらいがちょうどいい。
7月最後のセミナーは2時間で、140枚以上書いたらやはり時間が足りませんでした。

そして、そのセミナーが終わった後でマネージャーに言われたんですが、
「それって、もう本ですよね」
と。
確かにそうだ・・・。
140ページの本を書いたのと、ほとんど変わらんじゃないか!
長短はあるにせよ、1ヶ月で5冊の本を書いたようなもの。
そりゃ気を失うわな。

セミナーや企業研修には受講者のアンケートがありますが、おかげさまで、過去最高スコアと言われることも多く、好評のようです。
が、僕はアンケートで書かれたものは読まないことにしています。
常に新しいコンセプトでやるようにしているので、読んでも次の参考にならないからです。
それにアンケートは主催者が客寄せ戦略の資料とするためのものであって、自分はセミナーで食べているわけではありませんので。
ちなみにパブリックのセミナーは経済的には全く割に合いません。
知らない方は驚かれると思いますが、講義料は受講料一人分とほぼ変わりません。
Beatles”Taxman”の歌詞”There’s one for you, nineteen for me. Taxman!”を想い出させます。

今年の後半もセミナーや講演の予定がいくつか入っています。
いくつかお断りしたものもあります。
それは、「また同じテーマでやってほしい」というものです。
同じテーマだと自分の勉強にならず、自分にとって新しいコンセプトでないものは、受講側にとっても新しいものにならないだろうと思うからです。

2015年8月2日
by kossii
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なぜ「戦争特集」は8月なの?

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今年は戦後70周年。
ということもあり、この8月はTVでも戦争をテーマにした特番やドラマが目白押しです。

でも僕はどうも毎年、8月の戦争特集に違和感を覚えます。
「もう戦争はしてなるまいぞ」
という決意を固めるためにそういう特集期間を設けることじたいはとてもいいことと思うのですが、なぜそれが「終戦日」周辺の月なのかと。
なぜ「開戦日」周辺の月じゃないのか?と。

だいたい戦争特集で描かれるものは特攻隊、空襲、原爆、といった悲劇ですが、「酷い目に遭った」ことなんですよね。
「酷い目に遭わせた」ことではない。
それはやはり「終戦」に近いところを描くからそうなるのであって、結果的に皆の心に残るのは、酷い目に遭ったからよくない、負けた戦争だったから反省する、ということにしかなってないんじゃないかと感じるわけです。

僕は、南京の30万人虐殺とかは信じてませんが(証拠がないし、混血児がいないなど理屈に合わないことが多すぎるので)、程度はともかく旧日本軍がアジア各地で非道なことをやったのは否めないでしょう。
そこのところを国民皆で反省するなら8月はさほどふさわしくないのでは。
戦争は酷い目にも遭うけど、相手を酷い目にも合わせる、そこを思い出すにはむしろ「開戦日」周辺に特集をやるのが合理的な考えなのでは、ということです。

では12月8日なのか。
それも違う気がする。
1942年12月の時点で、日本はアジアをすでに蹂躙し始めていますので。

日本の戦争拡大はどこから始まったか、には諸説あると思いますが、日本という国がおかしくなった最大の契機は何と言っても満州事変でしょう。
軍部が勝手に仕掛けたことなのに、政府はそれを追認してしまった。
もしここで首謀者が裁かれていたら、盧溝橋も大東亜戦争もなかっただろうと僕は推察します。
ところが軍が現地判断で何を仕掛けても許されるという既成事実ができてしまったために、軍部、特に陸軍の独走を抑えられなくなり、マスコミや国民もバンザイバンザイで盧溝橋事変、上海事変、インドシナ進駐、そしてパールハーバーへと突き進んでいく。
要するに日本は調子に乗ったわけで、戦争を反省するということは、「調子に乗っちゃいかんぞ」という戒めでしょうが、それを皆で思い出すなら満州事変の起きた9月18日がふさわしいのではないか、などと思うわけです。

そうすれば中国も悪い気はしないでしょう。
韓国はわかりませんが・・・。
僕は日露戦争までは防衛戦争であった気がしますが、ここについても諸説あることは認めています。

いま、日本は安保法案問題で揺れていますけど、皆で考えるべきは「開戦」のありようについてですよね。
「終戦」にばかり思いを馳せていては、案外と将来の役には立たないのではないかと。
そんなことを思ったりします。

2015年8月1日
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責任は常に、「選ぶ側」にあるのです。

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東京オリンピックエンブレムの件で佐野君を非難している人が多いようだが、これは完全に的外れと言うものです。
なぜならば、クリエイティブの責任は「作る側」ではなく「選ぶ側」が負うものだからです。

今回、100以上のデザイン案が提出されたと聞いていますが、その中には見たこともないような斬新なものもあったでしょう。
おそらくそういったものと比すと、佐野君の案は「わりと普通」のデザインだったと思います。
では選考委員会がなぜ「わりと普通」のものを選んだかというと、斬新なデザインは「先鋭的」「独創的」な印象を与える半面「マイナー感」「小ささ」を与えがちですが、「わりと普通」なデザインは「メジャー感」「大きさ」を与えがちで、後者の方がこれから日本が目指す方向性、世界から期待される日本のイメージに合致していると考えたからでしょう。
そして、そのメジャー感を出しつつも、ある程度の独創性も欲しい、という中でのベストバランスがこのデザイン案、ということになったのだろうと推察できます。

ただ、そういった「わりと普通」のクリエイティブは、似たものがどこかに存在するわけで、誰かの権利を侵害するリスクは高いです。
そしてそのリスクに関して、作る側が負うことは現実的に不可能ですし、作る側が負うという発想がナンセンスです。

たとえば商品のネーミングをする際、僕は自分で商標チェックをしません。
そこの責任は負えないからです。
僕は広告クリエイターであって商標権の専門家ではなく、日本中、あるいは世界中の商標権抵触を回避するための知見を持ち合わせていません。
これは必ずクライアント、あるいはエージェンシーにしていただきます。
そしてチェックの結果、もし似たもの、あるいは同じものがあったらどうするか?
権利抵触しない別のものを選ぶ、という選択肢もあれば、「買う」という選択肢もあります。
それを決めるのはクライアントです。
たとえば「iPhone」という商標は、日本においては「アイホン」株式会社が保持しており、おそらくアップルはアイホンに使用料を払っているのだと思います。
もし僕が「iPhone」というネーミングをアップルに提案したとして、「日本に似たようなのがあるじゃないか!」と僕が非難されるのはナンセンスなわけです。
言ってること、おわかりになるでしょうか。

オリンピックエンブレムについても、チェックする責任はクリエイターでなくクライアントにあります。
今回、そのチェック漏れが見つかったわけですが、
いやこれは似てないだろう、いいがかりレベルだろう、と判断するのか?
確かに酷似してるから、お金で解決しよう、と判断するのか?
意匠を一部修正するのか?
解決法はいくつかありますが、これらは全て「選んだ側」の責任において決めることなんです。
「作った側」はむしろ「選ぶときにちゃんと調べてくれよ!」と怒るべき立場かもしれません。

もちろん確信犯的に誰かのデザインがいいからそのまま持って来た、というのはクリエイティブの職業倫理的に許されることではありません。
が、万に一つ、そうであったとしても、まず責を負うべきは「選んだ側」。
「作った側」が非難されるのは盗作行為をした事実が確定してから、という順が正しいと思います。

ちなみに僕は佐野君が盗作行為をしたとは思っていません。
なぜなら、彼ほどの経験値を積んだアートディレクターなら、盗作と言われないぐらいにデザインを「離す」技術を持っているからです。
もしベルギーのデザインを従前に知っていたら、クレームが来ないような修正を加えたでしょう。

2015年6月17日
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コピーライター養成講座を引き受けたワケ

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先日、小西利行くん、佐々木圭一くんと久しぶりに3人で飲みまして。
3人で揃って飲むのはもう10年以上ぶりかなあ…。
僕は広告代理店時代に彼らのトレーナーをやっていて、彼らからすると最初の師匠と言うことになります。
小西くんはPoolを立ち上げCDとして大成功を収めているし、佐々木くんは「伝え方が9割」で大ヒットを飛ばすなど、やはり自分の関わっていた人たちが活躍しているのは嬉しいもの。
それで、当然ながら昔話に花が咲き…。
その一つとしてこんなものがありました。

佐々木くんが初ボーナスをもらったとき、それで2人に奢ると。
いつも奢ってもらってばかりだからたまには自分が、と言い張るので、じゃあそうしてもらおうかと。
誰に聞いたのか
「ここはうまいらしいですよ!」
という寿司屋をどこだったか予約して、飲み食いしてお勘定になり、
「ここは僕に任せてください!」
とカウンターに向かったものの、頭を下げながらすごすごと戻って来て、
「お金が足りませんでした・・・」
と。
いったいいくら金持って来たのよ、と聞いたら3万円だと。
「それなりの寿司屋で1人1万で足りるかよ」
ということで、そこは僕が出すことに。
「じゃあ、2軒目は僕が出しますよ!」
てことでどこだったかおネエちゃんのいる店に行ったんだけど、
「足りません・・・」
そりゃそうだわな。
そこも僕が出すことに。
まあ、毎日がそんなかんじで、この2人には通算1千万円ぐらいは奢ってるんじゃないでしょうか?
こないだ「ワイドナショー」でダウンタウン松本が
「自分は後輩たちに1億は奢ってると思う」
と言ってたけど、先輩後輩というのはそういうものじゃないかと。
僕自身も若い頃、上司やいろんな方から散々奢られましたから。

水が上から下に流れるように、お金も上から下に流すものと僕は思っていて、それはたとえ顔を知らない間柄でも同じだろうと。
だから広告学校も無料でやっているし、セミナーで言えば、社会人が会社の経費で来るようなものは引き受けるけど学生がバイトしながら参加費を捻出するような養成講座のようなセミナーはお断りして来たわけです。

ただ、今年の養成講座はカリキュラムが一新されていて、これまでとは精神的な何かが異なる気がしました。
昨年度に発売された僕の著作は、コピーライターがちゃんと食っていくためのスキルとか姿勢とかを書いてほしいという宣伝会議のオファーから生まれたものですが、その気持ちが組み込まれているように見えたのです。
で、やはり「お金をもらえるコピーとは何か」といったテーマでやってくれないか、という依頼が。
それを拒否するわけにはいかないなと…。
大人の義理のようなものもちょっとありますし…。

それで、2コースで1コマずつ持つことにしたのですが、2部構成にしてもらいました。
第1部は講義。
第2部は質疑応答会ということで、飲食しながらいろいろ受講生の疑問や質問に答える。
ただそこの飲食代は全部僕の講義料から払う。
ということに。
養成講座の初日で講演をした服部タカユキくんは、若手コピーライターの指導ということについては僕ととても近い考え方を持っていて、養成講座やTCCでがんばってる人。
彼にも講師として協力してもらうことで、講義に厚みをつけようと思案しました。

もちろん講師にはセミナーというものへの考え方がそれぞれあって、ここで言いたいのは、僕のそれが正しいとかそうあるべきとかではないです。
単に、
「あれ、やらないんじゃなかったの?」
と不思議がる方がもしいらしたら、というご報告でした。

2015年6月14日
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えらいぞ!リッツカールトン

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先日、初めて東京ミッドタウン内にあるホテル、リッツカールトンに行きまして。
ある会社の社長さんからお仕事のご依頼があって、そのランチミーティングでロビーにある和食屋さんに入ったのですが。
そこでちょっと、というか、かなり感動したんですね。

仲居さんがですね、料理を運んで来る。
それをテーブルに並べた後、そのまま黙って立ってるんですよ。
で、社長が
「お願いします」
って促すと、初めて口を開き、
「ではお料理の説明をさせていただきます」
と言って、どれが何という魚でどういう食べ方をするのか、といった解説を始めるんですよ!
もしかすると高級店ではそれが普通で、これまで自分がそのレベルの店に行ってなかった・・・というだけかもしれませんが・・・。
じつに感じ入ったわけです。
「おれが求めていたものはこれだ!」
と。

僕がどなたかと会食するときはやはり商談と言いますか、仕事絡みになることが多いのですが、どんな店でもほぼこのような ↓ 感じです。
「じつは小霜さんね、ちょっとこういう話が出てましてね」
「どういう話でしょう」
「近々、社長が替わるんですよ」
「へえー、それは初耳です」
「それでうちの体制も大きく変わるんですけどね」
「なるほどそうでしょうね」
「でね、今日の本題なんですが・・・その新社長からの指示で新し」
「お料理のご説明をさせていただきますこちらはミズダコでして北海道で捕れたものでこちらのポン酢で召し上がっていただいてもいいですしこちらのわさび醤油でもかまいませんこちらの鰺は淡路島で捕れたものでしてこちらの生姜醤油でお召し上がりくださいこちらの鯛は明石で捕れたものでうんぬんかんぬん」
「これはポン酢で、これは生姜でね、あーハイハイ」
「これはこっちで食べるんでしたっけ」
「そうです」
「それで、新社長の指示のお話でしたよね」
「あーそうそう、それなんですけど、新し」
「お料理のご説明をさせていただきますこちらは黒豚でして黒豚と言えば鹿児島が有名ですがこれは宮崎の黒豚でして食べ方はうんぬんかんぬん」

うるさいよ!
ポン酢だろうと生姜だろうとどうでもいいよ!
タコの捕れた海が北海道だろうとモーリタニアだろうと気にしないよおれは!
と叫びたいところだが、そんなことを言葉にすると相手が
(小霜さん、心の狭い人だな…)
とか、
(小霜さん、食事へのこだわりがないのか…そんなんでクリエイティブできるのかな…)
とか思うかもしれないじゃないですか…。
だからひたすら耐えるしかない…。
なんたる理不尽な状況…。

僕は以前、ある仲居さんに聞いたことがあるんですよ。
なんで客の会話を遮って、いきなり料理の説明始めるのと。
客によっては迷惑かもしれないじゃないですかと。
そしたら彼女が言うことには、店の方から、
「たとえ客が嫌がっても料理の説明はきっちりするように」
と命じられてるんですって。

僕は全ての料理店に言いたい。
「リッツカールトンを見習いなさい」
と。
仲居さんの働く効率もあるだろうから、さすがに黙って立ってるのをそのまま見習ってくれとは言いませんよ。
でも、
「料理のご説明をしてもいいですか」
って聞いて、
「それはいいです」
と言われたら、そのまま戻るとか。
そのぐらいのホスピタリティは見せてほしいな。

今後、重要な商談はリッツカールトンの和食屋。
自分はそう心に決めました。

2015年5月24日
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真意翻訳家という新職種

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昨晩、医師であり畏友でもある元同級生と飲みました。
彼の活躍がないと僕は今頃この世にいなかったかもしれず、また、医療関係の案件が増えてきたこともあって、情報収集のためにも定期的に飲む。
そして、医学系の話題になることが多いです。
赤ワインを注ぎながら、昨晩はこんなことを切り出しました。
「来週さあ、神戸でプレゼンするって話したじゃん、あの、iPS関連の」
「ああ、はいはい」
「そういう仕事しながらだ、その一方でオタク系同人チェーンのコンサルとかやるかもしれんのよ」
「へえー」
「それで、おれ、自分自身のスローガン考えたんだけど・・・『再生医療から同人誌まで』ってんだけど。どーよこれ。笑わない人いないんだけど」
「・・・うーん・・・どうかなあ」
「・・・あれ、ダメかねえ。ピンと来ない?」
「・・・うーん・・・『再生医療』って言葉がねえ・・・。医学的に本来の意味からズレてるんですよねえ」

そこかよ!

さすが医者というか何というか・・・いやはや、広告業界人からは絶対に出て来ない視点で突っ込んでくるのが、面白い。
彼によれば、iPSがやっているのは「再生」ではないだろうと。
普通なら1回しかできない、たとえば永久歯みたいなものをもう1回作ろうということなのだから、「再生」という表現は違うんじゃないかと。
確かにその通りだわ!
「再生」という日本語が持っている意味は、「死んでしまったもの、ダメになってしまったものを復活させる」といったニュアンスが強い。
リサイクルとかに使われる言葉。
iPSは不全を起こした臓器をリサイクルする技術ではない。

元々の英語では”regenerative medicine”となっていて、「再生医療」はたぶんそれを直訳したのでしょうが、海外でもその言葉に違和感ある医者が増えたのかどうか、すでに”tissue engineering”という言葉が主に使われるようになっているそうです。
調べたら、これは「生体組織工学」などと訳されている。
なんか違う気がする。
気になるのは「工学」。
“engineering”だから「工学」と訳したのだろうけど、英語の”engineering”には「上手に応用する」って意味もある。
“tissue engineering”という言葉を作った人の真意としては、「人間組織が持っている力をうまいこと応用することで新しい医学を開拓していこう」ってものがあったんじゃないでしょうか。
それを、「”engineering”だから『工学』でしょ」的短絡思考で訳してないか?と不安を覚えるわけです。
僕なら、そうだなあ、「生体組織応用学」とか訳すかも(医学界の人、ツッコミ歓迎です)。

周囲を見渡すと、今の日本は「短絡翻訳」だらけ。
以前もブログで言ったような気がしますが、何年か前、家族で「インディ・ジョーンズ」の最新作を観に行ったわけ。
映画の最初の方で、インディが運転する車が悪漢のトラックに突っ込んでくる。
助手席に座っているオッサンが運転手に”You don’t know him!”って叫ぶんだけど、つまり、「実はおれは昔からあいつという人間を知っている、あいつは何をしでかすかわからない無茶な男なんだぞ」と、映画冒頭でのいろんな状況説明をその一言に託してるんです。
僕はゲームや映画の脚本やったりもしてるんで、そういったシナリオの苦労と工夫がわかるんですよね。
それを縮めて言えば「あいつは何するかわからんぞ!」あるいは「あいつは無茶するぞ!」とか訳すところです。
ところがT田先生の翻訳は「気をつけろ!」ですよ・・・。
それでもう、その後映画を観る気が失せてしまいました。
一事が万事、現状の洋画の翻訳はそんなかんじで、英語が全然わからない人は、洋画を観ても50%ぐらい楽しさを損してる気がします。
僕は40%ぐらいかな・・・(それがきっかけでスピードラーニングを買ったが今は押し入れの中)。

たとえば翻訳本のタイトルも酷い。
元著者のアイデアをタイトルが無にしている。
トマ・ピケティの「21世紀の資本」が大ブームになってますが、僕はこれ、誤訳じゃないかと思ってます。
元の英語タイトルは”Capital in the Twenty-First Century”で、”capital”は「資本」という意味ですから、これで正しいとほとんどの人が思うでしょう。
でもこの写真を見てください。

 

 

 

 

 

 

 

“Des Kapital”はドイツ語ですが、英語だと”The Capital”となります。
これを当時の翻訳者は「資本」ではなく、「資本論」と訳しました。
「労使の関係、資本というものの本質を根底から論じることに挑戦したい」というカール・マルクスの真意を汲み取ったのでしょう。
そして、これがトマ・ピケティの本の表紙(英語版ですが)。

 

 

 

 

 

 

 

ピケティ氏が「資本論」を意識しているのは明白ではないでしょうか?
もし自分なら、「21世紀の資本論」「資本論・新世紀」などと訳したことでしょう。
「共産主義はすでに失敗し、世界は資本主義が独占している。しかし新世紀に入ったところで資本の本質をもう一度論じてみようじゃないか」という彼の真意を少しでも感じ取れるようにと考えるからです。
残念ながら現状のタイトルからはそこは何も伝わって来ません。

自分は今、さる大手外資系企業のブランディングに携わっていますが、本国のスローガンを見直そうということで、調査用の英文ステートメント案がいくつか届きました。
その日本語訳を見て、これで調査にかけたら大変だと思い、結局自分で訳すことにしました。
オリジナルのステートメントを書いた人の真意がほとんど無視されているように見えたからです。
そして、そこでズレが生じると、そこから何年もズレたままになってしまうからです。

これからTPP時代となって、海外の思想、ニュアンスが今まで以上にどっと舞い込むことでしょう。
そこで必要とされるのは「短絡翻訳」ではない「真意翻訳」です。
同級生の医者も憂えていたけど、明治の日本人はものすごくがんばって海外の言葉を真意で訳してきました。
たとえば明治初期、”love”に該当する日本語はなかった。
それまで「愛」という言葉は仏教用語でした。
「恋」という言葉は存在したが、ちょっとニュアンスが違う。
二葉亭四迷は”I love you”をどう解釈していいか悩み抜き、「死んでもいい」と訳した。
夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳した。
やっぱりちゃんと訳語を決めようよ、ということで、「恋愛」という言葉が誕生した。
自分が言いたいのは、真意をどう汲み取るかというそういう苦労を今の翻訳家はしているのだろうか、ということです。

僕は、これもコピーライターの新しい仕事だと思ってます。
仕事として面白くはない。
もし依頼があったら、
(えー、メンドくさいなー、しかも大した稼ぎにならないしなー)
とか思うでしょう。
でも、誰かがしっかりやらないといけないものと考えるのであります。

2015年5月17日
by kossii
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炎上チェックライターという新職種

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最近、CMやWEBムービーが、とにかく炎上します。
社会が複雑化する中で、誤解を招くメッセージを企業が思わず発してしまう、といったケースがどんどん増えて来ています。
そういう意味で僕がずーっと気になっているCMがあります。
「ガイアの夜明け」の枠でオンエアしているこの富士通のCM。
https://www.youtube.com/watch?v=x3cRGccfY-U
トンマナはとてもヒューマンで、その街の足としてずっと働いて来たタクシー運転手さんが、子どもの飛び出しを事前に察知して事故を防ぐ。
そういった経験スキルを、これからはICT技術でみんなで共有できるよ、といった主旨。
でもこれ、見方によってはとても恐ろしい内容のCMとなります。
どういうことかというと、コツコツと磨いてきた職人の技を、これからはテクノロジーで全て奪い取ってやるぞ、という宣言になっていると言うこと。
「すごーい!でも、これからは、運転手さんに代わってICTが飛び出しの多い場所だけでなく、便利でお得な情報を知らせてくれたりするそうです」と台詞で言ってますが、これでは、まさにテクノロジーによる弱者排除を加速する企業と受け取られても仕方ないです。
僕はこのCMを見た後、小さい女の子が将来データサイエンティストになり大成功を収め、そのパーティの帰り、富裕層の住む住宅地の一角でゴミ箱を漁っている元運転手と再会し、「あれ、あなたはいつも私を送ってくれたあの…」といったストーリーを妄想してしまいました。
もちろん、富士通がそんな非人間的な会社であるわけはないのに。

どこに問題があるのか?
それは、「運転手さんに代わって」です。
これが、「運転手さんを見習って」なら問題ないんです。
わかりますか?
その一言の違いで、「人間性排除」じゃなく「人間性共存」企業になれるんです。
僕がこのCMのCDなら、そこに気づいた瞬間、再編集を進言します。
あの女の子もそんな高価なタレントじゃなさそうだし、ちょっと呼んでそこだけ台詞録り直せば済むこと。
オフナレだからリップの問題もないし、2~3時間の作業。
このCMが問題にならずに済んでいる理由は、企業の真意を視聴者が理解しているから、といった性善説的なものではないと思います。
言っている内容が難しくて、CMの内容を理解できる人が少ないからです。
つまり運が良かっただけ。
これは、ほんの一例です。
「うわこのCM、大丈夫かね」とこっちがハラハラするもの、時々見ます。

こないだ、あるPR会社から僕にちょっと前例のない依頼がありました。
それは、PRの文言が炎上しないかチェックしてほしいというもの。
そのクライアントは目下社会的にかなりのバッシングを受けている最中でもあり…ほんのちょっとしたものの言い方も間違えられない、という話でした。
もちろん引き受けましたが、この依頼を僕の所に持って来たのは賢明と言えましょう。

大きな企業では、広告やPRを弁護士チェックにかけたりします。
ところがそこでどういうチェックが返ってくるかというと、
「妻という文字はもともと箒を持って家の前を掃除していたというところから来ているので差別用語とされる恐れがある」
とか、そういうのだったりします(これ、本当の話ですよ!)。
僕は、
「じゃあ、サッカーは古代に敵兵の首を転がしたところから始まったという話なので、非人道的行為に当たりますね」
と言ってやりましたが。
危ないものは全てNG、というやり方ならもちろん問題にはならないでしょう。
でもそれでは大事な真意が何も伝わらない、という本末転倒になってしまいます。
そこをうまくできるのはやはりコピーライターかなと思います。

ほんのちょっとした言葉のミスで、意図せずともそれが差別になったり、人権侵害になったりする、難しい世の中です。
コピーライターにも、炎上チェックライターという、新しい役割が生まれるかもしれません。

2015年5月17日
by kossii
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「コシモクラウド」の初仕事

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僕が勝手に「コシモクラウド」と呼んでいる若手コピーライターグループがいます。
僕の会社に所属しているわけではなく、普段は学校に行ってたり働いたりしながら、数人で、安価で、大量にコピーを書く、というスタイルが「ソーシャルクラウド」に近いのでそんなふうに名づけました。
メンバーは、np.無料広告学校の受講生、元受講生で、学生やフリーなど自分が所属している組織に縛られずにコピーライター活動ができる者たち。
その初仕事が、これ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150509-00083462-suumoj-life
レオパレス21の新ブランドコンセプト開発・ネーミング開発でした。
社長直轄でかなり気合いの入ったプロジェクトでもあり、また、こういった不動産のブランド名称はロジカルに決まっていくものでもないため、5名ぐらいの体制で数ヶ月かけて1000案ぐらい考え、その中から100案ぐらい提出したと思います。
とても自分一人ではできない仕事で、彼らがいてくれて命が助かった感じ。
電通経由でいただいたご依頼でしたが、電通内制でも難しかったんじゃないでしょうか。

なぜこういった活動をこれまで特に公にしなかったかというと、彼らが未熟だったからです。
どの案件も結局最後は僕が書く、といったことが多く、個人的なちょっとしたサポートぐらいにしかならなかったから。
でも、最近は俄然力をつけてきて、舌を巻くようなアイデアを出してくることも多いです。
つい先日はとある企業の事業アイデアを数十案提出したら発注主は驚愕してました。
上記のネーミングは長廻君という若者が書いたものがベースになってますが、当時はまだ慶応の学生でした。
しかし僕の目から見ると、もはや大手広告代理店の10年目ぐらいのコピーライターより、時としてはるかにいいコピーを書きます。
僕はいろんなエージェンシーで企業研修をしたり、内制クリエイティブと仕事させてもらってますが、その目線でそこまで言い切れます。
1年間広告学校に通ってバーチャルのワークショップを経て、そこからリアルの仕事を手伝う、という流れがいい結果を生み出してるのでしょう。
彼以外にも、まだ20代前半だけどとりあえずプロとしてはやっていけるかな、というのが何人かいます。

ただ、僕は彼らにコピーライターになることを全く薦めてません。
広告代理店クリエイティブへの転職も薦めてません。
今後、業界の構造がどう変わっていくかわからないし、広告クリエイティブのビジネスモデルがどうなるかもわからない。
大御所と呼ばれるコピーライターが就職活動している時代です。
数年は大局を見極める必要があるだろうと。

でも、今はコピーライティング活動はやらせていくつもりです。
クリエイティブの基礎体力作りになるから。
現状、僕のサポートだけで疲弊している感もあるけど、どうしてもコピー・ネーミングの、特に力仕事的な助勢が必要、ということがあれば手伝わせるのもやぶさかではありません。
その際は僕までご連絡ください。

2015年4月4日
by kossii
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np.広告学校に来てほしくない人。

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np.無料広告学校第8期の募集が始まりました。
毎年十数名の枠に対してだいたい百名前後の応募があります。
今期はすでに問合せもかなり来ていることから見て、さらに狭い門になることは間違いないでしょう。

そこで、適切な人のチャンスが奪われないように、ここで少し「ふるい」にかけておきたいと思いました。
僕が「来てほしくない」人はどういう人か、以下に書きます。

まず、宣伝会議賞コピーが広告コピーだと思ってる人。
その手のコピーを書けるようになろうとして入校しても、間違いなく役に立ちません。
そういうコピーの書き方は教えません。
宣伝会議賞はもともと真木準さんが始めたものだったように思いますが、一般人向けにおもしろコピーを募集することで広くコピーというものの存在を知ってもらおう、というところに主眼があったはずです。
サラリーマン川柳を募集することで川柳になじんでもらい、その中から人によっては俳句の世界に進んでいく、そういったものに近く、川柳と俳句が違うものであるように、ああいった公募のコピーとプロの書く広告コピーは全く違うものなのです。
そこを混同して、素人コピーがコピーの頂点と誤解して、それを求めて入校し、勝手に不満を言って辞めていく、そういう人は迷惑以外の何物でもないです。
np.広告学校は実践的クリエイティブ能力を鍛える場ですので、そういう人はとにかく応募しないでいただきたい。

次に、努力できない人。
考える力が伸びるのは、考える時です。
講師の発言を聞いている時ではありません。
課題を一所懸命考える。
コピーをいろんな方向で50案ほど書いて、その中からこれぞというものを選ぶ。
そういう時に能力が伸びているのであって、講義は答え合わせのようなものです。
ちょっと思いついたものをそのまま表現案にして持って来て、講師の言うことをチャカチャカとメモって、「どういうコピー書けばいいんですか?」「ここをこうすればいいんですか?」と、インスタントの結果ばかり求める、そういう人は10年通ったって能力伸びません。
10kmとか20kmとか自分の限界まで走ることで肺活量とか持久力のある肉体になっていくわけで、100mぐらい走ったらコーチの方向いて「どう走ればいいんですか?」とメモを取り出す、そんな人がマラソン選手になれるわけがない。
努力できないちゃっかりさんは通うだけ無駄です。

あと、休む人。
今年、骨折で入院した時も僕は退院した日に講義しました。
両松葉杖で階段登って。
体調などの理由で休講にしたことは一度もないです。
受講生の中にはちょっとしたことで休む人がいます。
これは厳しさの差です。
僕は仕事に厳しいんです。
そうじゃない人は辛いことからすぐに逃げてしまうし、クリエイティブのように自分を追い込む仕事は向かないと思います。

能力の高い人を求めているわけではありません。
求人ではないので。
能力の伸びしろのある人を求めているのです。
その伸びしろを作るのは自分自身であって、僕らがしているのは、そこに少し補助をしてあげる、ぐらいのことなのです。

コピー!コピー!と眼を血走らせる人がコピーライターに向いているとも思いません。
広告なんてどう考えればわからない、と頓珍漢だった人が、1年で大いに成長することもあります。
さっき50案書けと言ったけど、やり始めれば案外と楽しい作業です。
僕はコピー書いている時いつもニヤニヤしているそうです。
(うわ、くっだらないこと思いついたな…)とか、緊張と弛緩を繰り返しながら書いてます。
苦しいことをさせたいわけではなく、楽しいことは努力の先にあるのだ、という経験をさせたいのです。

卒業してからコピーライターになる必要もないと思っています。
ただ、「考える」という作業は、どんな仕事にも後々役立ちます。
結果的に上手なコピーが書けるとかではなくて、とことんまで考え抜くことができる人、そういう人に応募してほしいと思います。

2015年3月30日
by kossii
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CREATIVE ALLIANCE

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いま、自分はプチバブル状態にいます。
毎日のように新規案件の依頼が来ていて、基本的に仕事を選ぶことをしない自分ですが、そろそろそうも言っていられなくなりそうです。
依頼内容は非常に多彩で、通常の広告企画制作以外にも、若手クリエイターの育成、公募広告賞のアドバイス、社内ブランディング、エンタメコンテンツの監修、等々、クリエイティブディレクションとかコピーライティングとかいった幅で収まらない、いわば行間を埋めるようなものも多く「小霜さん以外に頼める人が考えつかなかった」とよく言われます。
「クリエイティブ・コンサルティング」を標榜しそこに軸足を移した作戦が当たった、と言えそうです。

1年前の今頃はこうではありませんでした。
長い入院から解放されたばかりで案件は2,3に激減し、身体も思うように動かず現場CDとしてやっていけるか不安を抱え、会社は赤字転落し銀行から多額の融資を受けていました。
業界内では「あの人はもう車椅子らしい」「もう仕事してないらしい」という噂も蔓延。
そこに来て経営パートナーから半年後に古巣の代理店に戻りたいと告げられました。
そうなると半年間は他代理店の受注を受けられないし、さらに血を流し続けることは明らか、そういった負債は自分が背負うことになるわけで、交換条件で支援策はないのかとその代理店に打診させたら「それはそっちの問題だろう」という伝言が戻って来ただけでした。

自分に残された選択肢は2つしかありませんでした。
1つは、引退。
渋谷の自宅を売っ払って会社も清算し、どこか郊外にでも引っ越して、広告業界とはオサラバしてのんびり暮らす。
もう1つは、新しいビジネスモデルで再チャレンジする。

2つめを選んだ僕が最初に相談した人がAOI Pro.の故藤原社長でした。
これからは自分が前面にガンガン出るんじゃなく、若い人を押し出す、スターにする手伝いをする、そんなポジションがいいんじゃないかと思ったんだけど、需要ありますかねえ、と聞いたら、それさ~、すっごくあると思いますよ~と、前のめりになってくれました。
そして思いがけず、
「じゃあさ~、うちと契約しようよ!」
と。
僕はこれで「いけそうだ」という自信を持った。
もしこの時「いや~どうかな~」と言われていたら、今頃僕は静岡の漁港あたりでぼんやり海を眺めていたかもしれません。

大手広告代理店が制作をインハウス化する中で、CMプロダクションは下請け発想だけでは今後縮むばかり。
広告主からの直発注も含め、自ら市場を開拓していかなければいけない。
そこに僕のような「手練れ」がいると、いろいろやりやすい、というのはあったでしょう。
ただ、彼は理屈できっちりとは考えてなかったでしょうね。
直感的に「とりあえずこれは押さえとこう」と思ったんじゃないでしょうか。

プロデューサー時代、彼は思いきったやり方で扱いを一気に増やし、社長に就任するや、誰もが驚く経営手腕でグループ全体を勢いづかせました。
いろんな人と会い、いろんな人を味方に引き入れ、その中に僕もいたわけです。

対談記事の打合せで年末に会ったのが藤原さんと会話した最後になりました。
正直言うと、僕はその時軽い嫉妬のようなものを感じていました。
なにしろ彼は全てを持っているのですよ。
あらゆる業界人からリスペクトされ、心身が気力にあふれていて、次の日の名古屋でのゴルフを楽しみにしてました。
「そういう人もいるんだよなあ」と。
僕は大病を乗り越えたものの、脚を少し不自由にするなど失ったものもありましたから。
次の日のゴルフで藤原さんはイーグルを出し、その次の日に身体が不調となり、病院でそのまま意識を失いました。

人生は不条理に満ちていて、時に人の理解を軽く超えてしまいます。
藤原さんの不幸をどう理解すればいいか、僕は医学上の意見も聞いたし、宗教上の意見も聞いたけど納得できる答えは得られていません。

この3月から中江さんの新体制が始まりました。
中江さんは藤原さんの直感経営を縁の下の力持ち的に実現化して来た人で、僕から見るとむしろこの人の方が経営者的ではあり、AOI Pro.の将来はしばらく安泰と思えます。
その新しい企業スローガンとステートメントを依頼されました。
企業スローガンは、企業の「動き」を生み出すものでなければならない、というのが僕の持論です。
AOI Pro.は、M&Aも含め多様な企業と合従連衡していくことで、新たなクリエイティブ市場を切り拓いていく、その方針、新ビジネスモデルを
「CREATIVE ALLIANCE」
という言葉で表現しました。
世界の広告会社のスローガンを100社ほどマッピングして俯瞰視したところ、この、連携を模索しながら新しいクリエイティブを生み出していく、という象限はポッカリ空いてたんですね。
時代を先取りできて、投資家に対しても有効だろうとと考えました。
飾りにせず、前に出していく言葉にするために、名刺でもかなり大きめに配置されています。
実際にビジネスシーンで役に立っているそうで、嬉しい限りです。
藤原さんは「クリエーティブ」に思いをすごく持っていて、「Creative Native」というスローガンを唱えていました。
その思いを引き継ぎ、発展させていく、という意もあります。
そこについてAOI Pro.側に否やのあるはずもありませんでした。

今日、藤原さん「お別れの会」に参列しました。
新高輪プリンスのその会場は、18年ほど前に僕らが結婚式を挙げたのと同じ崑崙でした。
「ありがとうございました」と頭を下げて来ました。