2012年12月1日
by kossii
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政党ネーミング評

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政党の離合集散が激しい。新しい党名も発表したり消えたりしている。プロ・コピーライターの端くれとして、ちょっと各政党のネーミングを評してみたい。もしかするとネーミングの向こうに党首のセンスなど、何か垣間見えるものもあるかも知れない。
まず自由民主党。このネーミングはいい。みんな「自由」という言葉が大好きだから。本来「自由」とは厳しいものだと僕は思うのだけど、解放感や奔放さがくっついてくるから、この言葉を聞くと日本人は単純に気持ちがアガる。「民主」という言葉はそうでもないだろうけど。政治臭が強すぎ、生活者が自分の言葉にできないからだ。ハリウッド映画はフリーダムフリーダムうるさいが、デモクラシーデモクラシーとは叫ばない。「朝鮮民主主義人民共和国」みたいな国もあるし、少しだけ胡散臭さを伴う。でもいちおうおれたちのベースは民主主義だよ、と押さえておく意味では必要なワード。そういう意味ではバランスがいい。「自民党」と略されると「自由」が隠れてしまう。なるべく略さないでくれとメディアに言うべきだと思う。
次に民主党。これはいただけない。党名を決めた時点で失敗が見えていた、とまでは言い過ぎかもしれないが。政党のネーミングはやはり自由民主党がベンチマークになる。自由民主党と比べて民主党、というのは、何か欠けた印象を与える。本来のものから何か足りないぞ。えっ、自由がないの?と。また、オリジナルの言葉ではないから、オリジナルのアイデアが考えられない人たち、という印象も与えてしまう。過去の政党の亜流だろと。もしこの党が「未来の党」といった名前だったなら、無理なチャレンジも国民はもっと寛容に受け入れたかも知れない。
日本維新の会。これは悪くないと思う。維新は日本人にとって憧憬であり、敬意がわき上がるワードだ。音的にも「一新」に通じるから、改革を求める人たちの気持 ちを取り込みやすい。ただ坂本龍馬や明治の元勲達は偉大な存在過ぎて、そこに自分たちをなぞらえる態度を不遜と感じる人も多いだろう。
日本未来の党。いいと思う。「自由」と同様、「未来」は単純に響きのいい言葉で、気持ちをアゲてくれる。こわい未来もあるけども、日本人にとって未来とはアトムでありドラえもんであろう。また、「自由」「民主」という文脈から外れていることが、自民党の対抗馬としてのポジションを明確にし、新しいビジョンに期待を持たせる。
みんなの党。生活者が政党に期待するのは「プロとして何かやってくれそう」感だと思う。渡辺代表はそんな期待感に応えてくれそうな実力キャラなのに、ネーミングに反映されていないのがもったいない。これではむしろ大言壮語的な無理を感じ取ってしまう。それにひらがな使いはいい意味でも悪い意味でも幼稚に感じる。そこから来る素人集団的印象も実体との乖離がある。
公明党。「公明」とはどういう意味なんだろう。公明正大が由来なのかな。よくわからないが、学会員ならピンと来るのだろうか。仲間言葉は仲間のつながりを強めてくれる。そういう意味では悪くないネーミングと言える。
国民新党。これはいただけない。歴史をかじっている人なら蒋介石の国民党を連想してしまう。それに「国民」はそれほど気持ちをアゲてくれるワードではない。ただ「日本国に住んでいる人」という、仕組み上の存在としか感じられないからだ。「日本」というワードはいい。血のつながり、文化の継承を感じる時、人は結束しようという本能が働く。今週号のAERAによれば今は女性も右傾化傾向が強まっているらしく、このナショナリズムの高まりに乗らない手はないだろう。日本維新の会、日本未来の党は抜け目なく「日本」を頭に置いている。
新党大地。これはどうだろう。「大地」というワードは農業シズルが強すぎる。北海道の大地から生まれた政党、と言いたいのだろうが生活者に対して何を提案しようとしているのか見えない。しかし、北海道の票田さえ確保すればいいのだ、というところに目標を割り切るならしっかり寄与するネーミングと言えるだろう。
日本共産党。共産主義が人類に災禍をもたらすトンデモ主義だったということがバレバレになってしまってから、「共産党」という名前を掲げ続ける決断には勇気が必要だっただろう。しかしだからこそそのブレなさがあるリスペクトを獲得している。もし党名を変えていたら今頃は消滅していたかも知れない。政権を獲る見込みは果てしなくゼロだと思うが、野党としてはしぶとく生き残ると思う。
社会民主党。ゆるやかな社会主義を標榜するイメージとポジションが、過去には大きな価値を持った。しかし今や「社会」というワードは時代に取り残されている感をもたらしてしまう。福島代表のお花畑な発言もそれに加速をかけている。真面目な話、無邪気に言いたいことだけ言う党、というコンセプトで党名を変更するといいと思う。
以下、なくなった政党。
国民の生活が第一。最初にこの党名を聞いた時、新人コピーライターが浅知恵で書いたようなネーミングだと感じた。何か変わったことをやらかそうと思って、滑っている。これでは、きっと実務上も何か無理なことをやろうとして滑るんだろうな、という印象に結びついてしまう。
太陽の党。これは微妙なネーミング。「太陽」にネガはない。生きるための活力を感じるいいワードだ。しかし由来が「太陽の季節」ということで、石原代表の独裁印象を強めてしまう(逆にそれが有利に働くかもしれないが)。また、太陽の塔の洒落になっているのが、軽々な印象を与える。しかも岡村太郎という、政策と何も関係ないキャラを先に連想させてしまう。
たちあがれ日本。「立ち上がる日本」なら良かったと思う。「たちあげれ」はめんどくさい。えっ、おれがやるわけ?となる。生活者はやりたいのではなく、やってほしいのだから。「立ち上がる」ならネガはなかった。
減税日本。これはよくない。理由は三つ。一つは、人は嫌なものから目を背けるから。「税」のことなど考えたくもないのだ。「減」が付いてればいい、ということにはならない。「糞」は見たくないが「減糞」なら見たい、ということにはならない。もう一つは、減税以外何も考えていない政党なのかと、視野が狭すぎるイメージを与える。もう一つは、生活者にとってお得な言葉を掲げる姿勢が商売的、チラシ的な品の低さを印象づける。河村代表のキャラも相まって、維新はそのあたりの品のないイメージを嫌ったのではないか。
商品にとってネーミングが非常に重要であることは、常識だと思う。政党もネーミングが寄与したり足を引っ張ったりする。僕はそこに広告的プロフェッショナリズムを持ち込むことにはあまり賛成じゃない。自分たちの理想とすることを奇をてらわず、素直に言葉化すればいいと思う。ネーミングの素人が妙にウケを狙おうとすると滑ってしまうので注意していただきたい。

2012年11月21日
by kossii
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「シブシブ」の問題

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うちの長男はいま小六で、中学受験の真っ最中。志望校は「渋谷教育学園渋谷中学校」通称「シブシブ」だ。そこを志望校に選んだ理由は二つ。一つは家から歩いて通えるから。僕は子供を通勤電車に乗せるのがイヤなのだ。もう一つは海外との交流に力を入れていて、留学制度が充実しているから。僕は子供たちをいつでも海外に出られるようにさせておきたい。そして、息子もこの学校を気に入った。
小六になってから受験勉強を始めたので、当初は模試を受けさせると合格率20%程度。「今からじゃ無理ですね」と言う塾もあった。僕は何事も集中力だと思っているので、今からでもイケルイケルと言っていたらだんだん成績が上がってきて、半年で70%ぐらいまで来た。算数や国語はほぼ言うことなしの点数を取っているようだ。問題は理科社会。特に社会の出来が悪い。塾の先生が言うには、通常は理科社会が先に上がって算数国語で伸び悩むんだがお子さんは逆だと。かなり珍しいタイプのようだ。社会なんて覚えればいいわけだから、勉強すればそれだけ伸びるはずなのに。
で、僕は自分で社会の勉強を見てやろうと思い、「シブシブ」の過去試験問題集を買いに行かせた。そして社会の問題を見て驚いた。これは僕の受験時代の社会とはまるで違う。感心したのだ。昔の社会の問題は、いわばブツ切りだった。中世の問題なら中世の内容を問うものだし、アフリカの問題ならアフリカについて答えればよかった。「シブシブ」の問題は、過去から現在、日本から世界へと、立体的に繋がっている。たとえば沖縄の問題。沖縄は昔から地理的に交易上有利で、琉球と呼ばれていた時代は中国と日本の両国と交流していた。といった説明がある。まずそこで歴史問題として、琉球王朝の王城の名称や、江戸時代に琉球を実質支配していた藩の名称を問う(首里城はいいとしても薩摩藩は大人でもなかなか答えられないと思うが)。次に、戦争を経て米国の占領下にあった時代の説明があり、時事問題として普天間基地の場所を問う。そしてなんと、全日空の那覇空港ハブ構想の説明にいく。那覇をハブ化することで、日本の空港とアジア各国の空港との貨物輸送時間が短縮されるという説明図がある。さらに10年前と現在の、日本と各国の貿易額のグラフがある。それらの図を見ながら、全日空のこの構想が日本の農業にどんな影響を与えるか、「高級」「成長」という言葉を使って述べよ、という問いが来る。年々アジア各国との貿易額が拡大する中で日本の高級生鮮農作物をスピーディに輸出することができれば農業の成長に寄与する可能性がある、といったことを書けばいいのだろう。小六にはちょっと厳しすぎるかもしれない。日本の農業が抱えている問題点と、アジアで日本の農作物が高級品として珍重されていることまで知らなければなかなか答えられないはずだ。しかし、この世の中を一本の軸で繋いで考える、という姿勢は実にいい。それこそが正しい「社会」教育だと感じる。
いつでも情報が引き出せる情報社会では、知識を蓄えておく能力はもう役に立たない。それよりも引き出した情報を繋げる能力、繋いだものに新しい価値を見いだす能力が要求される。教育の現場もちゃんとわかってるようだ。自分の子供を送り込もうとしている学校が時代と併走していることに安堵した。学校見学でいくつかの学校を訪ね何人かの先生と会って話した印象では、私立公立問わず、意識の高い人は高い。公立でプレゼンテーション力養成をカリキュラムに入れている学校もある。実践的になって来ている。少子化が幸いして(?)、先生も二人体制で授業をしたりする。メインの先生が教壇に立ち、サブの先生が理解できてなさそうな子供の席に行って教えたりしてる。僕の時代では考えられない。今の子供たちは僕らの頃よりよほど進んだ教育を受けているんじゃないだろうか。そう思うと次の世代が頼もしく見えてくる。
ところで広告学校の生徒たちに、「シブシブ」の社会の問題をいくつか出してみた。ほぼ誰一人、ほぼ何一つ、答えられなかった。頼むよ君たち…。そんなに世の中のことに興味なくてどうすんの。コピーや企画は世の中から見つけてくるものなんだよ。昔のコピー年鑑をいくらほじくったって、そこには見つからないのだぞ。

2012年11月20日
by kossii
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赤ちゃんを泣かせろ

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不快な記事を読んでしまった。
「再生JALの心意気/さかもと未明(漫画家)(PHP Biz Online 衆知(Voice)) – Y!ニュース http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121119-00000002-voice-pol
僕を不快にさせたのは、この記事の見出し。「飛行機の搭乗マナーは守られてる?」。赤ん坊を公共交通機関で泣かせるのはマナー違反だという主張だ。泣くなら乗せるな。乗せるなら航空会社は隔離室を設けろと筆者は言う。
記事を書いた漫画家も、サイトに載せたPHPも、広めたヤフージャパンも、「基地外」である。
いつからそんなものがマナーになった?
1ヶ月ほど前、大阪の北野高校総会で講演会をさせてもらった。行きも帰りも東海道新幹線はとても混んでいて、珍しくグリーン車も満席だった。帰りは2歳ぐらいの幼児を連れた母親と相席になった。僕が隣に座ろうとすると困ったような顔をした。きっと隣に誰も座らないことを期待してグリーン車に乗ったに違いない。そのうち子供が騒ぎ出し、周囲の目線を気にしてか、客室の外に連れて行ってしまった。僕はひとこと声をかけてあげればよかったなあと少し後悔した。しばらくすると戻って来たので「自分、ぜんぜん子供気にならないので。そちらも気にされることないですよ。うちもまだ一番下が三歳で」と言ってあげたら、表情がパッと晴れたようになって「いやもう、そう言っていただけただけでありがたいです」と安堵した顔になった。僕の席は窓際だったので、子供はこっちの方がいいでしょう代わりましょうかと言ったが、いやお気持ちだけでと固辞された。「ほんとうにありがとうございます。気持ちが救われました」と言い残して母子は名古屋で降りた。おそらく新幹線に乗るたびに周囲にびくびくしてたんだろうなと思い、何かいいことをした気分になった。
前回も書いたけども、日本の未来を救うのは子供を産み育てる母親なのである。彼女たちこそヒーローなのだ。公共交通機関で泣いている赤ちゃんや騒ぐ幼児がいたら、周囲の乗客は「ありがたやありがたや」と心の中で手を合わせるべきだ。そして、母親が萎縮しないようにこちらから気を遣ってあげ、できれば声をかけてあげるべきだ。それこそがマナーだろう。
大阪では人の本能をテーマにした講演をした。そこでも少し触れたのだけど、なぜ赤ちゃんは泣くのか。そしてなぜそれに大人たちは苛立つのか。その答えは簡単だ。赤ちゃんはここが現代社会であるとはわからない。アフリカのサバンナだと思っているのだ。天敵のヒョウが狙っている世界にいると信じているわけだ。だから、母親に対して常に救助信号を発信しようとする。いわゆる生存本能ってやつだ。かたや大人は自分が見ている世界と赤ちゃんが見ている世界が同じだと思っている。だから、なぜ意味もなく泣くんだ?と、その理不尽さにイラつく。
赤ちゃんが意味もなく泣くのにイラつくのなら、自分が意味もなく糖分を摂ったり、意味もなくセックスしたくなったり、意味もなく被災者を支援したくなったりすることにもイラつかなければおかしい。人間というものにイラつかなければおかしい。
赤ちゃんを泣かせるな、などという発想は人間否定に通じる。人間としての異常な感覚を肯定し、子を産み育てる母親をマナー違反などとして社会から排除しようとする、そんな主張を広めてどうしようというのか。PHPとヤフーに猛省を促したい。

2012年11月17日
by kossii
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投票すべき政党

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衆議院が解散となり、選挙戦が始まる。僕が投票する政党は、少子化対策をきちんと打ち出している党、その一択だ。
これまで消費税だとかTPPだとか道州制だとか、いろんなものが政治案件として浮上してきたけども、なぜどの党も少子化対策をメインに打ち出さないのかさっぱり理解できない。日本の国力はこれからどんどん落ちていって国際競争力も失われていくという、暗い予想がなされている。日本は現在の東南アジア並の貧乏国になるだろうと。その理由はただ一つと言っても良い。急激な少子化。つまり扶養層の激減と、被扶養層の激増だ。これに抜本的な手を打たない限り、何をやろうとがん患者に絆創膏を貼るような紛らしでしかないだろう。
昔から「働き手」は2つの層を養わないといけない。親と子だ。このサイクルが続く限りその社会は持続できる。が、日本の場合、これからの労働層は親と子に「他人の親」まで加えた3つの層を扶養しないといけなくなる。もしかすると「さらに他人の親」で4つの層。それで社会が成り立つ道理がない。
いま最も人口ボリュームが大きい層は60代前半の「団塊の世代」だが、諸先輩方はきっちりと子供を産み育てた。現在アラフォーの「団塊ジュニア」だ。団塊の世代が子育てのために一軒家やマンションを購入しようとして不動産が高騰し、バブルを生み出した。彼らの不動産購入が一巡するとバブルが弾けた。結果的には彼らの動きで日本経済は振り回されたことになるが、異常なことをやって来たわけじゃない。異常なのはむしろ彼らの子供たち「団塊ジュニア」とそれより若い人たちと言えるかもしれない。衆知の通りこれらの世代は子供を産まない人が多い。だから不動産も回らないし、景気が上がらない。彼らは自分たちを被害者世代と感じているようだが、現在の不景気の原因は彼ら自身にもあるのだ。また、彼らは親という1つの層しか扶養しないことになる。やがて年老いれば他人の子供に扶養されることになるわけだが、それでは社会は回っていかない。畑に種を捲くことをしないで、他人の収穫で食わせてもらうようなものだ。自覚はないかもしれないが、やっていることは結果的にズルになっている。
もちろん、子供を産まない人たちにも事情や主張はあると思う。不妊に悩まされている人は仕方がない。そういう人たちが蔑視されるようなことがあってはならない。僕は苦しい不妊治療を乗り越えて子供を授かったご夫婦を何組も知っているが、頭が下がる。政治家がまず考えるべきことは、そういう人たちに援助金を出すってことじゃないだろうか。また女性の、キャリアとの両立問題もある。キャリアと子育ては今も「and」ではなく「or」関係と感じている人が多い。しかし先進国で「or」になっているのは日本だけだ。日本では女性の労働層は30を過ぎるとがくっと減る。海外でそんな現象はない。これは日本では出産と同時に仕事を辞める人が多く、海外ではそのまま働き続ける人が多いことを意味している。職場の制度が追いついていないからだろうが、金を出すとか休暇を与えるとかじゃなく、日本も経営者、そして働き手の発想を思いっきり「and」に変えるべきだろう。僕は自分のマネージャー(30代半ば・女)に、子供ができたら会社にベビーベッド置いてやると言っている。働きながら子育てすればいいじゃないかと。赤ちゃんをおんぶしながら打合せに出ていて、何がいけない?もともと女性は赤ちゃんをおんぶしながら田植えをしていたのだ。子供ができたら育児に専念して家庭に引きこもる、なんてのが一般的になったのは歴史を見ても昭和の一時代ぐらいだろう。会社を田んぼか畑のようなものと考えれば、赤ちゃんをおぶって出勤する方が自然じゃないだろうか。そんなふうに現場レベルでできることはいくつもあるが、政治でもそこはちゃんと手当てすべきだろう。
子供を産まない人が増えた原因には、社会的ムードの影響も大きいと思う。僕はずっと前から言ってるんだけど、なぜアルコールのCMに子供が出てはいけないのか。会社から疲れて帰ってきて、ビールを一杯飲む。目の前に妻子がいて、生まれたばかりの子の笑顔を見ながら明日もがんばるか、とやる気を出す。CMでそんな幸せな家庭を描くことは不可能なのだ。キリンやアサヒ、サントリー、サッポロは莫大な量のCMを露出しているわけだけど、登場人物は全て子供のいない大人。ビールの主飲料層は40代だから、30代とか40代にもなって子供も作らず友達同士で飲んでますよー楽しきゃいいんですよーといったシーンばかりが溢れることになっている。不自然すぎないだろうか。これは別にそういう法律があるわけではなく、酒造会社間の自主的な取り決めだから、社長が集まって話せば1分で解決されるぐらいのことだ。つまり、少子化問題、人口動態がどれだけ重要か、という認識が足りないのだ。子供がまねして飲んだらどうする、という少しばかりのクレームのために日本を誤らせていると言ったら言い過ぎだろうか。次の総理になった人は、酒造会社の社長たちに電話してくれないかな。いやマジで。予算のいらない少子化対策ですよ。SNSなどネットの普及も大きく影響していると思う。そもそも人は、楽しいことは胸にしまっておくものだ。幸せな家庭のことを口にすると「ノロケ」と揶揄される。だからネットでは不幸話や不満、クレームばかりとなる(このブログを書く時も若い社員や生徒に腹が立ったりなどネガな動機が多い)。だから配偶者や子供への感謝よりも愚痴の方が圧倒的に流通しやすい。マンツーマンのコミュニケーションでは、そういった会話は「謙遜だろうな」とさっぴいて受け止めたりするが、顔の見えないネットでは文字通り受け止めてしまう。かくして子育てに対してネガな情報ばかりが蔓延することになる。それへの対抗としては、子育て層があえて「ノロケる」という姿勢も大事なんじゃなかろうか。そして、それを「リア充」などと揶揄してはイカンのだ。
世界に目をやると、今後、中国の成長はどこかのタイミングから急に失速していくと予想されている。それは一人っ子政策の影響で、働き手の数と被扶養層の比 率が極端なアンバランスに陥るからだ。中国もそれがわかっているから、いま必死にヘゲモニーを確立しようとしているのかもしれない。
米国は西欧や日本と違って、少子化は緩やかに進むと言われている。若年労働人口を支えているのはヒスパニックだ。今後米国は老いたアングロサクソンと若い黒人ヒス パニック層の分断が進んでいくだろう。そして米国はアングロサクソンの国ではなくなっていく。その象徴的な出来事が先日の大統領選挙だったと僕は見てい る。
子育てに立ちはだかる最も大きな障壁は、何と言っても経済的な問題と社会構造だろう。金がないから育てられない。それもまた返しようのない話だ(僕は一人っ子だけど、その理由は二人 以上を育てる金がなかったからだ、と親から言われたことがある。言葉の返しようがなく、ただ悲しさを覚えるだけだった)。確かに子育ては金がかかる。特に 教育費。うちの長男がいま中学受験で塾に通っているが、こないだは特訓期間だとかいうことで、30万の請求が来ていた。年じゃなく、月。塾だけで年間数百 万。クレイジー!最近は塾の費用を用途にした銀行ローンもあるらしい。幼稚園と保育園の問題も解決されていない。働きながら育てようにも預ける場所がない (だから僕は子供を会社に連れて行けばいいと思っている)。そんなこんなアゲインストな状況の中で、いま子供を産もうと決意するには胆力が必要だろう。だからこそ、ここを今すぐ政治がやらないとい けない。子供を産んでも大丈夫!というメッセージを発信しないといけない。僕は前回の選挙では民主党に票を投じた。それは「子育て支援」に期待したからだ。しかしその期待はすぐに失望に変じた。そういった支援は10年、あるいは20年、確実に続くという保証がなければ意味がない。政局の動きや経済動向でやったりやらなかったり、額が変わるようでは形を変えたバラマキに過ぎない。政治家はなぜそんなこともわからないのか。頭が悪いのか。何か思惑が他にあるのか。消費税を上げようと、富裕層に課税しようと、将来的には無意味なことだ。これ以上法人税、所得税を上げようとするなら僕としては海外脱出も検討せざるを得ない。昨年から英会話の家庭教師を雇った理由の一つはそれを見越してのことだ。愚かな政府の元では暮らせない。
永井豪が1970年代に描いた短編集の中に「赤いチャンチャンコ」という一篇がある。社会が老人を扶養できなくなって、誰でも60歳になると赤いチャン チャンコを着せて祝ってもらい、そのまま殺されてしまうという話。まるで未来の日本を予見したかのようだ。昔貧しい地方では姥捨て山という慣習もあった。 このまま進んでいくと社会保障費打ち切り、など、新しい形の姥捨て山が復活するかもしれない。
日本で2番目に大きい人工ボリュームの「団塊ジュニア」層は、生理学的にそろそろ子供を産める限界に差しかかっている。いま彼らが子供を産まなければ日本は終わってしまう。いましかチャンスはないのだ。

2012年11月13日
by kossii
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「クリエイティブ」か「クリエーティブ」か?

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僕はいくつかの法人を経営していて、その中に「Como creative」という有限会社がある。日本語表記は「コモクリエイティヴ」だ。これを創った十数年前、「Creative」は「クリエイティヴ」あるいは「クリエイティブ」と表記するのが普通だった。「Sony creative」も「ソニー・クリエイティブ」だ。
ところがここ数年、ネットや出版やあちこちで「クリエーティブ」が目立つようになってきた。自分の実感値では、もともと9割ぐらいのシェアを誇っていた「クリエイティブ」が「クリエーティブ」勢に逆転され、今や半分以下にシュリンクしている感がある。
自分がニラんだところ、おそらく黒幕は電通だ。彼らがどこかのタイミングで「クリエーティブ」を採用してからそうなって来た気がする。今でも「クリエーティブ」という言い方をするのは電通系の人が多い。しかしなぜ「クリエーティブ」?辞書を調べてみた。すると辞書では「クリエーティブ」となっている。そっちが外来語の読み方として正式ってことか?もしかすると電通が採用したために辞書がそっちを正式な読み方としたのかもしれない。それで、古ーい大辞林を書庫の奥から引っぱり出してきてページをめくってみた。するとそっちでも「クリエーティブ」となっていた。がーん。昔から「クリエーティブ」が正式な読み方だったのだ!だから電通はそっちを採用したわけで、僕も、ソニーも、他の多くの人たちも、辞書を調べようともせずに「Creativeはそりゃクリエイティブでしょ」と思い込んでたってことか。なるほど。
しかし、ここで僕はあえて「待った」と言いたい。そこまでわかったとしてもどうも僕は「クリエーティブ」に馴染めないのだ。言葉の持つ意味は、「音」の影響を受ける。「語感」「音感」が関係のない意味を引っ張ってきてしまうのだ。それを利用した言葉もある。たとえば「プータロー」。プ~と屁をひりながら寝転がっているダメダメな様子を語感が醸し出している。「プタロウ」でも「プー太郎」でもこのダメさとは微妙に違ってきてしまう。逆に最近は「フリーター」という言葉を聞かなくなってきたが、「フリーダムを信奉するプロフェッショナル」的な立派な印象が実体と離れすぎていると思われたからではなかろうか。
「クリエーティブ」はどうだろう。僕は語感的にどうもダメな感じがする。「エ~」とか。「金くりぇ~」とか。それどーなの?みたいな案しか持ってこないような弱々しいかんじ。
「クリエイティブ」だと、「エイ!」って勇ましい感じがする。「エイエイオー」的な、何かやりそうな。ビシッと課題解決する案を出してきそうなかんじ。
どうだろう。ここは言葉のプロフェッショナルとして広告クリエイティブ業界全体で、「クリエイティブ」に統一すべきではないだろうか。まず電通さんが「クリエイティブ」に改めてくれないかなあ。そうすればやがて辞書も「クリエイティブ」になり、「クリエーティブ」の名刺を出した時に、「エ~この人どーよ」的な印象をクライアントの潜在意識に与えることもなくなると思うのだけど。

2012年11月11日
by kossii
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1989年 北京・上海の記憶

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僕が初めて中国に行ったのは1989年、天安門事件直後の冬だった。
中国で流す長尺インフォマーシャルをチェックするのが目的だったが、それはどちらかというと名目。当時はご褒美的な意味で海外出張をさせてもらえることがあり、これも仕事半分、物見遊山半分の旅であった。
北京へは運航を始めたばかりのANAで行った。ホテル名は忘れたけども、日本の出張ビジネスマン御用達のホテルに泊まった。北京について最初に抱いた印象は「色がない」だった。街は埃っぽく、薄暗く、夜は真っ暗闇だった。昼間が薄暗いのは、建物がどれも古びて土気色になっているのと、カラフルな服を着ている人がいないからだった。街の人たちの多くは草色の人民服を着ていた。それはまるで分厚い布団にくるまっているようで、あんな物を着てよく動けるものだと感心した。街灯はほとんど点いていなかった。午後7時頃になるとどの店も閉まってしまい、飲む場所、遊ぶ場所はなかった。そのぐらいの時間にホテルのベランダから通りを見下ろすと、真っ暗闇の中をもぞもぞと人の集団がうごめいていた。それが出退勤の光景だった。
路上のフリーマーケットのような場所に買い物に出かけた。すると若い男が声をかけてきて、両替を誘ってきた。当時中国で流通している貨幣は、外国人が持たされる外貨券と人民券の2種類に分かれていた。海外からの輸入品などを専門に扱っている国営デパートのようなものがあって、そこは外国人専用ということで外貨券しか使えなかった。良質な輸入品を手に入れるためには外貨券が必要ということと、ドルなどの外貨に両替できるのも外貨券だけ、という理由から中国人は外貨券を欲しがった。もちろん一般の店舗では人民券で買い物ができるので、僕はヤミの両替をしてもらうことにした。交換レートはちょうど2倍だった。僕はそのマーケットで膝下まで丈のある大きなダウンコートを買った。たしか6千円ぐらいだったと思う。半額で人民券を手に入れているから実質は3千円くらい。真っ黒なコートで、日本で着てもおかしくない代物だった(じっさい、今でも時々着る)。日本で買えば10倍以上はしたんじゃないだろうか。しかし、そういうコートを着ている中国人は一人も見ないのが不思議だった。
街中にエンタテインメント的なものは一切なかった。なにしろ午後7時頃になると全ての店が閉まってしまう。パブも、バーも、何もなかった。日本の駐在員たちはホテルのカラオケ屋に集まっていた。当時僕は「世界中の都市でカラオケを歌う」目標を自らに課していたので、行った(ちなみにアジアはもちろんパリでもNYでも行った)。そんな馬鹿げた目標がなかったとしても、北京では他に遊ぶ場所はなかった。カラオケは日本の第一興商が入っていた。楽曲リストをめくるといくつかの曲がマジックで塗りつぶされていた。透かしてみると「加藤隼戦闘機隊」。日本の軍歌は御法度なのだ。目次に「ムード系」とあったので、この国でそんなのがゆるされるのか?と思ってめくったらそのページは「中国のうた」に差し替えられていた。
タクシーをチャーターして万里の長城へ行った。大きなダウンコートはそのために買ったのだった。タクシーの中では沢田研二の「TOKIO」がかかっていた。現地に着くと観光客もまばらで、閑散としていた。一人で長城の上まで登った。同じような光景が延々と続いているのを見て、すぐに飽きた。なんとなくの寂しさも覚えて、早々に帰ってきてしまった。
仕事で中央電視台のプロデューサーと会った。日本で言うとNHKのプロデューサーのようなもので、ソウルオリンピックの中継もしたというエリートだ。知的で、人間的にも好感を抱いた。彼は さすがメディア人というべきか、さっぱりとした服装で、白っぽいカーディガンを着ていた。3日連続で打合せをしたが、2日目になんとなくの違和感を覚え た。その正体は3日目にわかった。彼は3日続けて同じ服を着ていた。よく見ると、カーディガンはずいぶん黄ばんでいた。
北京の最後の日に博報堂の北京支社に立ち寄った。会議室の壁に黒い穴が連なって開いていた。天安門事件の時に、外から機銃掃射された跡だということだった。
仕事は北京で終わったが、僕は自費で上海に立ち寄ってから帰国することにした。上海へは中国のローカル航空会社で行った。当時、中国の民間パイロットは空軍上がりで操縦が荒いと言われていたが、確かに極端な急上昇急下降で、耳が痛かった。機内食として段ボールの小さい箱を手渡された。空けるとチキンの足のような物とスポンジケーキのような物がごろんと入っていて、それを手でかじった。
当時の上海空港は、小学生の頃の木造バラック校舎を思い出させるほど質素な建物だった。タクシー待ちは長蛇の列。並んでいると、小柄なオッサンが手招きしてきた。僕が持っていた「TOKYO」と大きく印字された観光バッグをめざとく見つけたのだ。逆に僕はそれを狙ってその袋を抱えていた。タクシーの運ちゃんはとにかく愛想が良く、親切だった。だって日本人は外貨券で払ってくれるわけで、これは人民の2倍の料金を払ってあげてるんだから。僕は長蛇の列から外れてそのオッサンの後に着いていった。オッサンのタクシーは、なんと言うべきか、スクラップそのものの軽トラだった。僕は旅先であまり写真を撮らないが、あれを撮らなかったことは今でも少し後悔している。あれを見て動くと信じる人は稀だろう。軽トラは乗り合いで、荷台に中国人が何人か座っていた。僕は助手席に座らされた。走り出すと、寒い。風が吹き込んでいる。窓を閉めようとすると、レバーがとれていた。ヒーターはないのかと思ってインパネを見たら、全てのメーターが動いてなかった。僕はあきらめてコートのボタンを締め直した。当時、中国ではフォルクスワーゲンのサンタナが人気で、タクシーもサンタナをよく見かけた。上海ではヒルトンに宿を取った。中国のホテルはタクシーの車格によって車寄せに入る制限を設けていて、ヒルトンは「サンタナ以上」でないとクルマを直接着けられなかった。僕はホテルのずいぶん前で降ろされて、そこからガラガラと荷物を引いて歩いていった。
ヒルトンに着いて、中のカフェでランチを取ることにした。何かメモを書いていたら、中国人のウェイトレスが2人やって来て、僕が使っているボールペンと自分のとを交換してくれないかと言う。僕のはANAの機内で税関申告書を書く時にもらったプラスチックのボールペンで、「ANA」のロゴが入っていた。それがとてもカッコよくて欲しいらしい。交換してあげたらすごく喜んだ。彼女のは金属製で、そっちの方が少し高そうだった。ノックの部分が少しだけ錆びていた。
上海に着いた日の夜、突然高熱が出て来た。予兆はあった。北京はあまりにも乾燥していて、のどをやられてしまったのだった。それにしても突然ひどい咳が出て来て、高熱で天井がぐるぐる回った。ホテルはまだ建設途中で、薬局はまだできていないと言う。次の日、僕は風邪薬を買うためにタクシーで外国人専門のデパートに行った。外国人専門で外貨券しか使えないというのに、表記はどれも中国語。どれがどれかさっぱりわからない。身振り手振りを交えながら、店員に英語で「I have a high fever. I need a medicine」と言った。店員は完全スルー。向こうの方を見たまま、首を振って中国語で何か言った。中国の公務員からはほぼ例外なく、何のやる気も感じ取れなかった。タクシーとは対照的に。そう、タクシーとは違って、とひらめいた僕は待たせてあったタクシーに戻り、風邪薬を探してくれないかと頼んだ。運ちゃんはまかせとけ!とばかりに店の中に駆け込み、しばらくうろうろしてから、これこれと人差し指でショーケースをつついた。アメリカ製のヴィックス咳止めがあった。運ちゃんは親指を立てて「ヴィックスナンバーワン!」と言った。
その咳止めは劇的に効いた。次の日にはすっかり回復した(その一件以来、僕はアメリカ製の薬をかなり信頼している)。薬を探してくれた運ちゃんと上海を案内してもらう約束をしていて、最初にタクシーで人民券の使えるデパートに行った。デパートと言っても、昔日本でもよくあった、地方の薄暗いスーパーといった風情だ。そこで僕は母親へのみやげとして毛皮のコートを買った。何の毛皮かはわからなかった(後にタヌキだと判明する)が、1万8千円ぐらいだった(実質はその半額)。
昔の英仏の租借地に当時の風情が残っていると聞き、次にそこに行ってみた。残っている、というか、何の手も加えられないまま古びている印象で、美しさや情緒は感じなかった。街を歩いていると突如腹が痛くなってきて、建物の中の便所を借りた。溝を水が流れていて、その中にすると流れていく方式だった。囲いとか、そういうものはなかった。上海ではあまり人民服は見かけなかった。でも北京と同じく人々の服装は皆薄汚れていて、街中が貧しそうに見えた。中国では億万長者のことを「万元戸」と呼んでいたが、一万元は日本円にして30万円程度だった。職業としては外貨券をもらえるタクシーが人気のようでメルセデスのタクシーもいたが、共産党員など特権階級でないとなかなかできない仕事なのだ、と運ちゃんが話していた。
がっかりしたことに上海でもエンタテインメントというものはやはりほとんど存在しなかった。あるホテルで年老いたジャズメンが演奏しているバーがあり、そこに行った。そのジャズメンは戦争中に日本人からジャズを教わった人たちで、上海でジャズを演奏できるのは彼らだけという話だった。そのバーは薄暗く、メンバーの表情はよく見えなかった。照明効果でそうしているのではなく、中国は街中も、店の中も、全てが薄暗かった。文明の尺度は街の明るさに比例するという。ソ連邦時代、トランジットで降りたモスクワ空港も薄暗かった。
僕は上海のどこかにディスコがあるという噂を耳にしていて、そこに行ってみたいと思った。ところが誰に聞いてもそんな場所は知らないと言う。明日帰国する日の夜、ホテルに戻るために拾ったタクシーの運ちゃんにダメ元で聞いてみた。「もしかするとあそこかなあ」と言い出したので、とにかくそこに連れてってくれと頼んだ。その店はホテルの外れにあった。入場料約1500円を払って中に入ると、そこには六本木があった。東京の流行から2,3ヶ月遅れの感はあったものの、そこでは沢田研二でも50年前のジャズでもなく「Pet shop boys」が流れていた。ミラーボールの下で20代ぐらいの中国の若者が大勢踊っていた。それらは中国に着いてから初めて見る人種だった。着ている物がきれいにクリーニングされているのだった。街を歩いている人たちとこの店内の人たちのギャップに少し混乱した。日本人だと思って声をかけてきた女の子がいた。どっちも英語が達者でなかったので、あまり話が続かなかった。
上海空港で外貨券を両替する列に並んだ。列は二列できていたが、僕の並んだ列は一向に進まない。窓口の女性係員は何か黙々と作業している。ふと彼女は列ができていることに気づき、無言で窓をぴしゃっと閉めた。並んでいた外人たちはやれやれといった様子でもう一つの列に並んだ。
成田空港に戻った時、思わず眼がうるんできた。空港全体が真っ白に光り輝いていた。日本という国が「光の国」に思えた。いろんな国に行ったけども、帰国してそんな感情の高まりを感じたのは初めてだった。
税関で毛皮のコートが申告漏れだと指摘された。これは1万8千円だと言ったら、ありえない、そんなわけないだろうと言われた。レシートを見せたら税関吏はうーんとうなって、納得いかないようにずっと首をかしげていた。
あれからまだ、たったの23年だ。中国はすっかり変わってしまった。世界も変わった。人々の「変わろう」というパワーはすさまじい。日本もこれからどんどん変われると思う。

2012年10月24日
by kossii
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足掻く。

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ベルセルクは13巻ぐらいまでがおもしろい。主人公たちが突然放り込まれた異次元空間。そこは大量の化け物たちの晩餐会場。主人公たちは生け贄として供出されたのだった。絶望しかない状況で、片眼片腕を失いながら、主人公はそれでも「足掻く」。
この「足掻く」という一言がずっと気に入っている。答えが見えなくても、どこに向かっているかわからなくても、足掻いていれば何かが見えてくるかもしれない。
僕はもともとクリエイティブの仕事など自分にできるわけがないと思っていた。もしあなたがこれまで野球のボールなど触ったこともないのに、入社した先の配属先が「野球部」などと告げられて喜ぶだろうか。僕にとってコピーライターという肩書きは絶望そのものだった。
僕は勉強はできた。というか、なぜか試験の点数を取る能力が優れていた。現役で東大文一に受かったし、どこか人生は自分の意のままになると感じていた。それが、突然異次元空間に放り込まれてしまった。もしかするとそこで補欠のような惨めなポジションになってしまうかもしれない。そんな人生はごめんだった。だから僕は足掻いた。
その当時はコピーライターのための本などは数冊あるかないか、ぐらいだったし、ネットもなく会社の上司や先輩以外から情報を集めるということもままならなかった。全て自分で試行錯誤するしかなかった。もちろんコピー年鑑は読んだ。それを書き出して、自分の書いたコピーと見比べたりした。自費でワープロを買った。写植に近い見え方で自分のコピーを見た方が、より実際の印象で判断できるんじゃないかと考えた。自分の興味のないコンテンツを知ろうと思った。恋愛映画とか昔の文学とかを観たり読んだりして気になる言葉をメモった。打合せでは先輩のコピーをどうやって出し抜こうかと考えた。自分のコピーが不採用になったら、採用されたもの以上にいいのを書いて、次の日にもう一回提出したりした。自分が関わった案件では、必ず自分のコピーがプレゼンされるようにした。そうやって、新入社員の頃から自分のコピーや企画がいくつも世に出て行った。
いま、プレゼンして、クライアントから「おもしろいですね」と褒められる。しかし自分は大いに不満だ。なぜならそれは僕の企画だからだ。ほとんど全ての案件で、若い社員のコピーや企画ではない。恣意的にそうしてるわけじゃない。まず若い人たちのアイデアを求めるのだけど、提案に値するものが出て来ない。そして彼らは不満そうに口を尖らせてすぐに白旗を掲げるってわけだ。
僕の会社、np.やHelpbuttonで請け負っているのはコピーだけじゃない。マス広告にも限っていない。WEBサイト構築、eコマース、ダイレクト広告、ブランド戦略、CI、エンタテインメントコンテンツ開発、そしてGamificationと、あらゆる依頼が来る。どれも前例のないものばかりで、「わかんねえよ」と匙を投げたくなる毎日。でも僕は足掻く。やっていることは新人の頃となんら変わらないなって最近気づいた。ついこないだまで「小霜君は若手のホープでして…」などと紹介されていたのが今週とうとう50歳になった。でも僕はまだ足掻き続けている。
新人が、自分のコピーが採用されないので「自信がなくなって来た」と言っていた。宣伝会議のコピー学校で褒められたぐらいで、すっかり自分はコピーライターとしてやっていけると思っていたらしい。だめですかーとか言いながら、そのうちどこかに消えていくのかもしれない。いまチャンスをものにできない人が、10年後、ものにできるはずはないからね。
僕の無料広告学校では、「君たちにクリエイティブなどできるわけがない」と教えている。奇跡を起こすしかないだろと。足掻いていれば天使が降りてくるかもしれない。その降りぐせをつけるのがベテランになるってことなのだと。残念ながら、理解してくれる者は今のところ一人もいないようだ。
僕はきっと60になっても見苦しく足掻いているのだろうなと思う。

2012年9月6日
by kossii
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コピー料=感謝料

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ブログアップがずいぶん久しぶりになってしまった。この夏は夏休みどころか土日も休めないぐらいだったから。
手が回らないので、若いコピーライターたちにコピーや企画を手伝ってもらった。そして、なんだか絶望的な気分になった…。
ざっくり言うと、なぜ、若いコピーライターたちは、仕事で役に立たないのか?ってこと。
結局、どの案件も時間を無駄にしただけで、自分が何から何までやることになってしまった。
以前から不思議には思っていた。たとえばコピーライターを募集する。課題を出して、コピーを書いてもらう。なかなか面白いコピーを書くな…と思った人を採用する。ところが、いざ実際の仕事になると、ちんぷんかんぷんのコピーしか出して来ない。その時のがっくり感ったら。
これは一体どういう現象なんだろう。
オリエンに連れていって、クライアントの商品への思いをいっしょに聞く。なるほど、なるほど、とうなずいているのに、それがコピーにまるっきり反映されていない。どこかで見たことあるようなレトリックが並んでいる。これじゃあそこらの商品のコピーと変わらんじゃないか?と言うと、泣き出したりする。その場に倒れ込む人もいた。この商品の優位性は何?と聞くと、ちゃんとしゃべる。わかってんじゃん。なんでそれを文字にできないの、と聞くと、ど、ど、ど、どう書けばいいか…とどもって震え出したりする。
その様子を見ていて、なんだか新興宗教の洗脳を受けた人たちみたいだなと思った。何かの思い込みとか呪縛が激しすぎて、自分で理解していても手が動かない。
彼らはどこかで得体の知れない洗脳を受けてるんじゃないだろうか?
1案だけ持って来る人も多い。しかも大外しで。意味がわからない、と言うと、いかにこのコピーが優れてるかを必死で主張し始めたりする。
わけがわからない。
僕が新人の頃どういうふうにコピー案を提出してたかというと、まず自分のお薦めを1案、CDやチームに見せる。これがお薦めなんですが…と言って。そうするとたいていは、うーん、どうかなあ、ちょっと違うかもなあ、みたいな話になる。そうですか、じゃあやっぱこういうことですか?と言って代案を出すと、こういうことだよ、最初っから出してよ-、みたいなことになる。もしそれも刺さらなければ、じゃあこの中にありますか?と言って50案ぐらいの束を出す。そしたら、「小霜、使えるヤツ」ということになって、いい仕事が来るようになる。代理店にいれば公平にいい仕事がもらえるということはない。いいコピーを書くヤツにいい仕事が行き、悪いコピーを書くヤツに悪い仕事が行く。広告クリエイターはその繰り返しでのし上がっていく。別に誰かに教えてもらったわけじゃない。それが当たり前だと思ってやって来た。
なぜ若いコピーライターたちは、CDやチームを怒らせたり、(使えねえコイツ)と思わせるような仕事の仕方ばかりするのだろう?
ふと思ったのだけど、コピー料や企画料がどうやって決まるのか、という根本のところから彼らは勘違いしているのではないだろうか。
以前、TCCでコピー料の基準を作ろうというプロジェクトがあって呼ばれたことがあるが、他の人が言っていることは僕には理解不能で、僕の言うことも他の人には理解不能だったようで、自然消滅してしまった。なぜ話が合わなかったのか、今ならわかる気がする。
僕が考えるコピーや企画の報酬の方程式はこうだ。
「コピー料や企画料は、感謝の大きさで決まる」。
クリエイティブに限ったことではないと思うが、報酬の大きさは感謝の大きさに比例する。これは報酬というものの大原則だろう。
いくつかの要素を与えて、コピーライターが文章としてそれを整理してくれたとする。その場合も感謝が発生する。それは「手間がはぶけた」感謝だ。報酬は1万とか2万とかそんなものかもしれない。
でもコピーで商品を規定して、その商品の価値が格段に高まったら、コピー料が100万以下ということはちょっとない。
僕のCD料も感謝料。僕のプレゼンで大きな扱いが獲れたら、あるいは守れたら、エージェンシーは500万とか、1000万とか払ってくれたりする。
払う側に共通して存在するのは、「助かった!」という気持ちだと思う。「このコピーでいける!助かった!」「この企画ならいける!助かった!」と。
これはCDとコピーライターの関係にもあてはまる。僕が若い人に発注するのは、新鮮なアイデアを期待してのことだ。そういうものが出て来たらやはり「助かった!」と思う。これでいいプレゼンができるぞ!と。そしたら、コイツ今度メシでも奢ってやろうとか、フリーだったらちょっとコピー料上乗せしないと、とか、次もまた発注しよう、とか思う。逆にどうしようもない1案に固執されたら怒りしかない。そんな時は僕に限らずチームの皆も(コイツ死ね)と思っているだろう。僕らはいつもギリギリで闘っているのだから。
この前自分の広告学校の受講生にそういう話をしたら、そんなふうに考えたこともなかった、広告クリエイティブって自己表現すればいいものと思ってました、と言っていた。
これ、と断定することはできないけども、若い人相手のコピー学校とかコピーの公募賞のあり方に問題はないだろうか。
なぜなら、そこで提出されたコピーは、誰にも感謝されることなどないのだから。
クライアント不在のコピーは、亡霊を相手に書いているようなものだ。それを褒める先生や審査員がいたとしても、「助かった」ではない。傍観者として「いいんじゃないの」と言っているだけだ。有料のコピー学校は、コピーを書く方がお金を払う。もらう側が「いいね」と褒める。実際の仕事とは真逆だ。そこで感覚が狂ってしまうんじゃないだろうか。売れない画家が絵を描いているとそのうちパトロンの目にとまって、この絵はいいねとお金を払ってくれる、コピーでお金をもらうとはそういうものだと思い込んでる人たちが多いんじゃなかろうか。
僕の無料広告学校では、僕はクライアントの立場になって受講生たちの案を見ている。その立場で見て「これは可能性ありそう」「これは試してみる価値あるかも」という案を評価する。僕は広告アイデアのベースは「愛」だと教えている。それは相手に「助かった!」と感じてもらうアイデアが上等だということ。
僕の事務所で働くコピーライターはかわいそうでもある。なぜなら、なかなかコピーが採用されないから。僕はいつも彼らのコピーや企画が実現されるといいなと思うし、そういう方向へ持って行こうとするのだけど、若手の案だけを提出するというわけにもいかないから、自分の案も混ぜておく。するとクライアントが選ぶのは常に僕の案。これが若手コピー、これが僕コピー、と教えるわけでもなく、僕自身、いいじゃないかと思うものを提出しているにもかかわらず。
「自己表現」をモチベーションとして書かれたものと、「助けよう」というモチベーションで書かれたものとの差なのかもしれない。
広告クリエイティブに必要なのは普通の感覚だと思う。チームを、CDを喜ばせて、エージェンシーを喜ばせて、クライアントを喜ばせて、生活者を喜ばせてお金をもらう。僕らがやっているのはそういう普通のことだ。普通の社会感覚、ビジネス感覚を身につけて、それからクリエイティブスキルを身につける、そういう順序じゃないと危ないんじゃないだろうか。

2012年7月27日
by kossii
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「土用丑の日」というマーケティング

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鰻の旬は冬である。
冬眠に備えて秋から冬にかけて栄養を蓄えるから、鰻はその頃がうまく、夏はやせてしまって味も落ちる。
だから江戸時代まで、鰻は冬の食材であった。
その習慣を変えてしまったのが平賀源内だ。
あまりにも夏場に売れなくて困っているという鰻屋の悩みを聞いて、「夏こそ鰻」キャンペーンを展開した。
そのやり方は、マーケティングの基本に忠実だ。
USPとターゲットインサイトを結びつけた。
鰻のUSPは「栄養に富んでいる」。
ターゲットインサイトは、「夏バテしないものを食べたい」。
当時、「夏は『う』のつくものを食べるのが良い」という言い伝えがあり、夏場は梅干しや瓜がよく売れていたらしい。
彼はそこに乗っかるカタチで「丑の日にうなぎ」というコピーを書いた。
クリエイティブ・ジャンプをしたわけだ。

海外のマーケティング教科書で、「靴をはかないアフリカ原住民にどうやって靴を売るか」といったものがあるけども、それと同じことを、とっくの昔に実践してた人がいたってことだ。
僕が無料広告学校で教えていることも、つまりはこういうこと。
ところで鰻の値段が高騰していると報道されているけども、それは春までの話で、今は仕入れ値が下がって安くなっているらしい。

2012年6月29日
by kossii
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カンヌの妖力

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今年のカンヌの受賞作品をあらかた見た。日本勢で圧倒的に印象的だったのはProjectorの”Museum of me”かなあ。もしかすると僕の視点はズレてるかもしれないが。マスとネットの連携CMはどこに評価ポイントがあるのかわからない場合が多くて、悩ましい。
CM表現イッパツ的な、オールドスタイルで僕が最も楽しめたのは”Dads in briefs”だ。これはもう大好き。愛のレベル。嫉妬すら覚える。
http://www.youtube.com/watch?v=FwrZzk-45Jk

カンヌとか、海外賞のCMを観て、俺もああいう長尺の面白いのがやりたいやりたいやりたいと、セックスにあこがれる男子高校生みたいなフンガー状態になっているクリエイターは無数にいると思う。でも”Dads in briefs”のようなCMに本当に商品を売る力があるか、そこは計算できているのだろうか。僕らは観客ではなくプレイヤーなのだ。カンヌはプレイヤーをただの観客にしてしまう妖力がある。魔女サッキュバスのように、プロをセックス妄想やりたいやりたい男子にしてしまう。だからカンヌには用心しないといけない。
いわゆる面白CMは、商品の差別点を表現していない場合が多い。CMの中で、この商品は競合に比べてこの点が違っていて…と言い出すと、観る方はとたんにシラケてしまう。エアコンの広告なら、暑い夏にはこれ!ぐらいのところで表現を作った方が、シンプルで強いものになるわけだ。”Dads in briefs”も、商品の内容は何一つ語っていない。ここにCMの大いなる矛盾がある。
“Dads in briefs”のようなCMが成立するには、唯一の条件が必要だ。それは、その商品が、「競合よりも店頭販売力がある」ってこと。ここは重要なポイントなので若手クリエイターはぜひ覚えていてほしい。つまり他よりも安いってことだ。ほっといても店頭で勝てるのなら、差別点無視の面白CMは成立する。もしも商品が高ければ、結局、店頭で競合にひっくり返されてしまう。CMは無駄になる。
残念ながら、僕らが扱うのはメイド・イン・ジャパン製品ばかりで、高いのだ。日本製品はグローバルでも、もはや日本国内でも店頭で負け始めている。ロス市内の家電店でソニーのTVを置いているところはほとんどなく、マニア向けの店に限られるという。そのうち国内の量販店も中韓製品ばかりであふれかえるかもしれない。
コモディティ化が進みきった製品群の、僅かしかない差別点を最大に魅力化するという、野暮で理屈っぽい作業から僕らは当面逃げることはできないだろう。今のところ日本メーカーが生き残る道はそこしかないからだ。それでいてCMは強く、明るく、できるだけクレーマーの標的にならないように!という、ぜんぜん面白くない姿勢で臨まないといけない。でもそれがプロということだし、海外のクリエイターにはできないことだと思う。