2018年1月30日
by kossii
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JAA「TVとデジタル商談用共通指標」への提言

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1月29日に催された、JAA(日本広告主協会)のセミナーを聴きに行きました。
全体のテーマとしては広告主としてマスとデジタルの融合をどう進めるか、というものでしたが、セミナーの最後にJAAから各広告主に提唱される「TVとデジタル商談用共通指標」の内容に興味があったからです。
(ちょっと横道に逸れますが、「TVとデジタル」という言い方は厳密には正しくないと僕は思っています。TVからもデータが取れるようになり、CM配信も運用型になっていくかも、という中においてはTVもデジタルメディアと捉えるべきだからです。「TVとWeb」が正しい表現かと。まあ、そこは置いときまして…)
その指標は、流通バイヤーとの商談の場で使う想定で作られたものです。

今まで流通の棚を確保するための取引通貨はTVCMの出稿量、GRPでした。
TVに何GRP出稿するか?以外のコミュニケーション活動は一切無視されてきたのが実状です。
広告コミュニケーションがデジタルシフトしていく中で、Webのコミュニケーション活動が勘案されないのはおかしい、TVCMとWeb動画とひっくるめて評価するように持って行きたい、というのが今回の提唱の眼目です。
僕はこの大方針には喝采を送りたいと思います。
生活者と向き合わず、流通対策のため無駄にTVに出稿するなどといった、合理性を欠くことが今までこの慣習によって生じて来たからです。
また、対流通だけでなく、ここにはいろんな可能性が込められています。
タレントの出演条件もGRPが基本ですし、あちこちにまだはびこっているGRP至上主義がここから改まっていくかもしれません。
何より、これからは「マス・Web統合」で評価するのだ、と広告業界周辺の人たちに意識を変えてもらうことは非常に重要です。
そのような方向で、コミュニケーション活動全体を評価する基準作りの第一歩を踏み出したのは大きな意義のあることと感じた次第です。
それに、今後TVCMの予算がWebに移っていくのは避けられないでしょう。
日本民間放送連盟の規定により、TVCMのオンエア回数には制限があるからです。
TV局がひっちゃきになって視聴率UPを図ろうとするのは、視聴率が上がらなければCM1本あたりの収入が減るからです。
しかしその努力にも関わらず、これから動画コンテンツは地上波以外で楽しむスタイルが増えるはずですから、TVだけでコミュニケーション全体予算を消化しきれないことになり、その分Webでアプローチするのが自然な流れと思います。
今回の共通指標化はその流れに沿ったものと認識しています。

ただ惜しむらくは、内容がちょっと荒っぽすぎる印象が…。
具体的な指標ですが、「率から回へ」の思想で、メディアを問わず、また短尺長尺を問わず動画広告を「何回表示するか」という超シンプルなもので行こう、ということでした。
実はこの手前の「当初案」があり、それは「何人に何回表示するか」というものだったそうなのですが、僕はそっちが正しいのではと感じました。
現状の結論に辿り着くまでには、いろんな要素を検討されたそうです。
ターゲティングの精度の差を盛り込むべきか、とか、ビューアビリティの概念を含めるべきか、などなど。
そういったいろんな要素を含めていくと複雑になりすぎるし、中でも厄介なのが、TVのGRPはターゲットの中で何人に届いたのか把握しやすいが、Webはデバイスやプラットフォームが重なり合っているのでユニークユーザー数を捉えにくい、ということがあり、それでシンプルな総表示回数にしたという説明でした。
しかし、まさにそのデバイスやプラットフォームの重なりを勘案しながらシミュレーションすることこそがリーチとフリクエンシーの最適化、運用というものであり、Webのメディアプランニングとはそれを指すと思っています。
そういったシミュレーションがまだできないエージェンシーも確かに多いですが、デジタルの先端を走っているところはそれをやるのが仕事です。
せっかくTVとWebの共通指標を作ろうというチャレンジなのに、Webの神髄であるリーチとフリクエンシーが排除されているところに、どうも違和感を否めませんでした。
また、TVとWebの大きな差はターゲティングの精度もありますが、リーチ力にもまだまだ大きな開きがあります。
ターゲット1人に何回表示したか?だけではなく、何人に表示したか?を欠いてはTVとWebの正しい評価につながらないように思うのです。

この共通指標をJAAの会員広告主が流通バイヤーとの商談で使う大きな意義として、流通サイドに「デジタル広告量」にも意識を振り向けたいのだ、という説明もありました。
それも大方針として僕に何ら異論はありません。
ただ、逆の危惧も感じました。
この共通指標は、暗にWebの表示1回もTVの表示1回も同じ効果なのだ、と伝えていることになります。
そうすると、同じ表示回数ならコスパのいいやり方を選べばいいじゃん、という短絡的な話につながっていかないかなと。
つまりマスとWebの「or」意識をまたしても再燃させることにならないかな、というのが心配なのです。

マスとWebは「and」意識で統合するのが一番だと僕は思っています。
たとえば、TVCMには「フォロー」という考え方があります。
CMは3回観られると心理変容が起きる、といった定説がありまして、立ち上がり期に続いて、少し時期を置いてからまたオンエアすると効果が高いとされていて、この露出の仕方を「フォロー」と呼びます。
僕は、フォローをバンパー広告でできないかなと考えています。
TVCMを1回観た人に対して(スマートTV利用者からのデータを、推測アルゴリズムによってスマホ全体にひも付けられるようになって来ています)は、全く同じTVCMを見せる必要はなく、要点だけをWebの6秒(余談ながらバンパーは6秒きっかりだと6秒オーバーと認識されることがあるようなので5.8秒で作るのが安全です)で伝えるだけでもリマインド効果は出るのではという仮説です。
もしそういうやり方が一般化すると全体のコミュニケーションコストは激減するはずですし、TVとWebのウィンウィン関係のわかりやすい一例になり得ると思うわけです。

思うに、商談上の共通指標としてはこれまでのGRPのままでよいのではと。
ただし、Webの「係数」を掛け合わせることによって、単にTVCMだけ露出するよりも〇倍になる、という説明をすればいいのではということです。
実際、流通バイヤーに棚取りの商談をする際には、当該商品のコンセプトや広告の概要を記入するフォームが用意されているそうですが、そのフォームはもう「GRP」という単位になっちゃっていて、これをメーカー側が書き換えるわけにはなかなかいかないという実状もあるようです。
これであれば、GRP主義の流儀を大きく崩すハードルなく理解されやすいのではないか、これからはTVだけじゃなくWebとの統合がモノを言うのだという意識付けに寄与するのではないかと思うわけです。
じゃあその係数はどうやって算出するのか。
TVCMに何GRP出稿して、Webメディアのこれに何回、これに何回表示するとこれぐらいの出稿量UPと同等の効果が出る、という計算式を作って、エクセルか何かでJAAの会員広告主に配布すればいいと思うんです。
セミナーには電通の執行役員もいらしてましたが、電通デジタルぐらいの知見があればできるでしょう。
完全な精度は求めにくいと思います。
が、新しい共通指標は「取引指標」ではなく「説明指標」として使ってほしい、というお話もありました。
ならば、大枠の出稿価値を掴む、という目的は達せられると考えます。
では、Webにしか出稿しない場合はどうするのか、ですが、オールターゲットに近い消費財で、TV抜きのアプローチは考えられない、というものはまだまだ多いでしょう。
現状、流通バイヤーとの商談ではTVCMありきがマジョリティであると考えられます。
Webオンリーのコミュニケーションがフィットするのはターゲットが限られる商品です。
それはそのような説明をした上で、あえてTV的なGRPに換算するならばこのぐらい、という見せ方をすればよいのではないでしょうか。
逆に言えばその話に耳を傾けてもらうために、まずはTVCM効果にWebが寄与するのだ、という指標から始めることでスムーズな道筋を作れるのではと思うのです。

僕は、マス・Web統合時代における出稿量の共通指標化にJAAが動いた、というところに大きな意義を感じています。
広告主にダイレクトに呼びかけられるのはJAAしかなく、広告主自身が動かなければ何も変わっていかないからです。
であればこそ、広告主が動きやすい指標であってほしいと思います。
おそらく提唱された指標では、広告主は動きづらいように感じます。
「GRP」の考え方がもう古い、というのは確かにそうで、今後、マス・Web統合コミュニケーションにふさわしい新しい指標が必要とされることは間違いないと思います。
ただ不完全でも「橋渡し」があってこそ次へ進める、というものもあります。
電気自動車の前にハイブリッドが必要だったように、有機ELの前に液晶が必要だったように。
せっかくの一歩を踏み出したのですから、ここで火を絶やすことなく、この指標なら動けると会員広告主の多くが賛同してくれるまで、二の矢三の矢を放っていただきたいなと切に期待します。

2018年1月24日
by kossii
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小霜とのお仕事を検討されている方へ

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おかげさまで、僕もけっこう業界内で名前が売れてきているようで、おそらくこれを書いている今もあちこちで仕事のパートナー候補として名前が挙がっていることと思います。
以前から長いお付き合いの方々は僕の人となりや仕事の進め方をよくご存じなので、単純にその案件にハマるハマらないで判断してくれます。
でも初めての方々は、僕という人間がよくわからないために躊躇されるケースが多いんじゃないでしょうか。
そのお気持ちはよくわかります。
僕も、仕事のパートナーとして、CM監督、アートディレクター、運用コンサル、といった人に声をかけるとき、初めての方だと直接の連絡はなかなか怖くてできません。
ちゃんと労力を割いてやってくれるだろうか、いろんな事情に耳を傾けてくれるだろうか、案件にフィットするだろうか、などなどの不安がよぎります。
結局、いつもの安心な人で…となることが多いのが実状です。

ただ、「マス✕Web」クリエイティブを全体で捉えるクリエイティブディレクターは現状ほとんどいらっしゃらないようで、そこで困った方々が意を決して連絡をくださる、ということが増えています。
「いつもの安心な人」が存在しないわけです。
そこで、僕がどのように仕事と向き合って、どのような考え方で取り組んでいるかを、そのような方々のご参考になるよう書いてみようと思いました。

まず、僕はクライアント・ファーストのスタイルを貫いています(至らないところもあるにせよそのつもりでいます)。
発注主の要求や事情にできる限り答えるために、こちらから合わせる、ということです。
「オレのやり方はこうなんで」と、押しつける自分ファーストは絶対にしません。
そして今後、クライアント・ファーストのためにはWebも知らなくてはいけません。
だから自分の仕事領域にWebを取り込みました。
デジタルクリエイティブの先駆者のような紹介をされることがありますが、マスからデジタルに舵を切った、ということでは全然ないのです。
Webだけで十分な案件ならWebだけ、マスだけで十分な案件ならマスだけ、両方を掛け合わせた方が効率的ならそういう提案をします。
ご依頼内容もものすごく幅広いです。
デジタルクリエイティブはもちろん、普通にTVCM企画、コピー、CI、コンサルティング、商品開発、人材開発、etc.
基本的には何でも屋です。

次に、「コントローラブル」であると思います。
僕からしても、あまりに監督などが「アンコントローラブル」だとやりにくい。
広告の業務っていろんな事情が絡まりながらカタチを作っていくものなので、たくさんの事情や要素をいったん腹に収めて、ガラガラポンでその制約の中でのベストを提示するのがCDの役割でもあります。
その進行の中で、事情を受け容れてくれない人がいるとそこでスタックしちゃうんですよね。
もし僕がそういう人なら、広告主やエージェンシーを困らせることになります。
僕は「作品」づくりということへの執着が全くありません。
成果主義なんです。
どれだけ表現物が褒められようと商品が売れなければ凹みます。
もしそれで賞を獲っても辞退するでしょう。
そして、「成果」の中にはいろんな事情や制約を乗り越えて、という部分も含まれると思っています。
発注主はそこがわかっていますから、よくぞこの複雑な事情を乗り越えてここまで持って行ってくれた、と喜んでくれます。
そういうふうに喜んでもらえたとき、僕は非常に達成感を覚えます。

次に、基本的に仕事は選びません。
大きな仕事はありがたいです。
特にTVCMのシリーズなどは売上げが安定しますから。
でも、仕事の喜びを与えてくれるのはやはり「人」なんですよね。
どこにどんな出会いが潜んでるかわからない。
なので、新規のご依頼は規模の大小に関わらず大歓迎です。
むしろ規模が小さい方が新しいことがしやすい、という個人的喜びはあります。
新しいこととは表現として新しいというだけではありません。
一例で言えば、こないだTV局の方から、Webで番宣をやりたいがどうしていいかわからない、というご相談を受けました。
まず僕は運用会社をご紹介し、どういう運用の仕方がいいかそこと打ち合わせしました。
その番組は旅ものバラエティで5人のタレントが中心になっていたので、ターゲティングとしては、各タレントのファン、旅もの番組好き、すでにその番組のファン、といったセグメントができるのではないかということになり、それぞれのターゲットに合わせて、番組の素材をWebCM用に編集し分けることにしました。
7ターゲット向けに短尺長尺2タイプで計14タイプ。
TV局の編集室に番組ディレクターと1日籠もって編集しました。
運用会社は運用しやすいと喜んでました。
おそらくこれを読んでいる皆さんはこういった仕事のやり方って聞いたことがないし、こういう仕事のやり方をするCDも知らないでしょう?
僕からするとこういうことが「新しい」と感じるんです。
撮影もしないような仕事はしたくないよ、などというのは古い考え方に感じます。
僕はWebCMにちゃんと予算かけましょうよと提唱してますが、それは、同じ撮影もの動画なのにTVCMには3千万、WebCMには3百万、というのはおかしいでしょうと言っているのであって、お金をかけずにすむのであればかけないに越したことはないのです。
TVCMほどの制作費をWebCMにかけよう、というカルチャーはまだ広告業界には育ってないです。
それも「事情」の一つですが、ならば、アリ素材を使ってうまくできないか、アフターエフェクトの簡易アニメと組み合わせるだけでも違うんじゃないか、といった試みをいろいろやっているところです。
そういったものがロールモデルになって、低予算WebCMの業界標準になれば、僕にとっては痛快なことです。
何となく僕の目指しているものがわかってもらえたでしょうか。

次に、座組みについては何でもアリです。
まず、多くの広告主が誤解されてるんですが、エージェンシーさんと僕は競合関係だから一緒にチームを組むのは難しいのではと。
そんなことはありません。
エージェンシーさんと僕は基本的には協業関係です。
エージェンシーからご依頼をいただくとき、最も多いケースは、すでにエージェンシー内にCD以下のクリエイティブスタッフがいて、彼らと一緒にやってほしいというものです。
スタッフの刺激や学びにもなるので、と。
CDが2人立つことになりますが、僕が実質上のECD(CDのさらに一つ上)的な立場でやらせてもらうことになります。
もちろん僕と並び立っての作業を嫌がる人もいるでしょうが、それは個人の問題です。
そういう協業をすることで人間関係でトラブルが生じて業務に支障をきたす、といった例は少なくともこの数年は一つもありません。
最近は広告主サイドのECDとして、エージェンシーさんを下に付けてもらう、といった座組みも増えて来ました。
これにはマス担当とWeb担当がバラバラで、エージェンシーが異なったり、エージェンシー内の意思疎通がちゃんとできていないという背景が大きいです。
広告主側にいる方が、一つにまとめやすいわけです。
また、プロダクションさんから声がかかることも増えました。
WebCMは、エージェンシーを介さずに広告主がプロダクションに直発注するケースが多いです。
しかし、プロダクションもただ下請的に作業するのでは広告主の要求に応えられなくなってきていて、CDとして見てくれないか、というご依頼です。
とにかく外部で自由にスタッフィングしてくれ、というケースもあります。
その場合は案件に応じて、適した人や組織に声をかけてベストと思えるスタッフィングをします。
座組みの考え方もクライアント・ファーストで、発注主の事情によってこちらの体勢を整えるということです。

次に、僕は権威で仕事しません。
権威という意味が、あるカテゴリーに精通したエキスパートということならいいのですが、ただ著名であるとか、ナントカの会員だとか、そういった曖昧な「偉さ」のようなものを後ろ盾に仕事するのは間違っていると思うのです。
打合せにおいては、正しい意見、あるいは面白いアイデアを出す者の勝ち。
それが誰であっても関係ないはずです。
同意できないけどあの人には逆らえないな、といった進行の仕方は間違っているということです。
僕は業界内での自分のポジションがよくわかっていません。
たぶん気にしていないからわからないのだと思います。
広告主のエライさんにも平気で反論しますが、それは今のポジションだからできるのではなくて、20代の頃も同じようにしてました。
正しい意見を言うべき、正しい提案をすべき、という、それだけなんです。
最近はどうも自分の意に反して大御所とか雲上人とか呼ばれることもあり、こんな仕事の相談したら怒られるんじゃないかと思ってました、とか、こんなことで時間取らせたら怒られるんじゃないかと思ってました、とか言われることあるんですが、怒るわけないし。
基本的に僕の内面は30代半ばでCDの仕事をし始めてからそんなに変わった気がしてません(その頃から僕を知っている人はいろいろ異論あるかもしれないけどそれは飲みながら伺うこととします)。

次に…何か聞きたいことありますか?
こないだ酒の席で聞かれたんですが、今後何をモチベーションにして働こうとしてるんですか、と。
「恩返し」みたいなことかもしれないなあ、と答えました。
広告業界のおかげで僕はずいぶんいい思いをさせてもらって来たと感じてます。
それなりに努力もしたし、運もあったでしょうが、やはり先達がきっちりクリエイティブのビジネスモデルを作ってくれていて、そこにうまく乗っかれたことが最も大きいと思っているんです。
そのモデルが崩れてきていて、業界人皆が苦労し始めている。
デジタルシフトって現状はすごく非効率ですからね。
ただ労力が倍になっただけで。
だから、こういうやり方をすればうまくいくんじゃない、とか、こういうふうに頭を切り替えれば楽になるんじゃない、とか、そういう提示をしていきたいなと。
広告クリエイターは、「あの仕事をやった人」として評価されるものです。
僕は、「業界のここを変えた人」として評価されたいと思うようになってきてます。
ちょっと格好付けすぎですかね。

僕の評判を聞くと、きっと二分されると思います。
「素晴らしい人だよ」
「イヤなヤツだよ」
と。
同じ絵画や風景でも観る人によって感じ方が異なるように、要は相性というものだと思います。
取って食いはしませんので、まずはこのサイトに載っているメアドから連絡いただければ幸いです。

2018年1月10日
by kossii
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新年の抱負など

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明けましておめでとうございます。

年が明けると同時にインフルエンザが発症しまして、元旦から寝込んでました…。
年始の予定は全てキャンセルになっちゃったのですが、旧年に溜まった疲れとか澱のようなものを吐き出すデトックスになった気がしています。

昨年上梓した「急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。」が自分の予想を遙かに超えて業界内で話題になり、いろんなご相談が寄せられるようになりました。
マス系クリエイターの視点からデジタルを語った本は初めてということ、また、Webを「第6のマスと考える」「Web動画からWebCMへ」などの提唱が好評を持って受け容れられたようです。

僕はずっと「クライアント・ファースト」の理念を守って仕事してきており、発注主のご要望に360°答えるためにはWebも取り込んでいかないといけない、というだけのことでデジタルに手をつけ始めました。
が、従来のマス型広告クリエイティブにWebを取り込む、は言うは易しだったようで、けっこう皆さん苦労されているようです。
テクニックではなく構造的なハードルがあるんですね。
それは組織体制の課題と制作コストの課題の2つに収斂されていくように思われます。

そこで、今年はデジタルクリエイティブ、つまり「マス✕Web」統合クリエイティブにもう一度ちゃんと注力しようと思いました。
「そういうやり方があったか」「それなら自分たちにもできそうだ」というロールモデルを作り続けるということです。

「マス+(足す)Web」ではありません。
現状、ほとんどの広告クリエイティブがこの考え方の下で企画制作されていると思われます。
しかしこれでは同じコストをマスとWebで分割するだけで、コストも増え、人的リソースも足りなくなり、業界の首を絞めることとなります。
効率化のためのデジタルシフトが進むほど苦しくなる矛盾に突き当たります。

デジタル系のセミナーを聴くと、「これからは〇〇すべし」といった論調が多いです。
が、デジタルの強みは柔軟性のはずです。
ケースバイケースで、この案件ならこのやり方がいいのでは、この案件ならこのやり方が、と縦横無碍に解決策としてのクリエイティブを提供できる、それが「マス✕Web」統合の本懐と考えます。

ここをうまく抜けることができれば、広告業界はまた一段ステップをあがることができると自分は信じています。
そのために小ぶりな案件であっても今年はチャレンジャブルなものを数多く手がけたいと思います。
もし何か「マス✕Web」統合クリエイティブでお困りの際はお気軽にお声がけください。

皆さまのビジネスが急上昇しますように。
本年もよろしくお願いいたします。

小霜和也

2017年12月29日
by kossii
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今年最も「へえ~」と思ったこと

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皆さんのSNSタイムラインにはいろんな広告が流れて来ますね。
その中でも洋画の広告ってけっこう多くないですか。
でもなぜか、邦画や地上波の番宣ってほとんど見ないと思いませんか。

どうも日本の映画界やTV局の上層部には、
「Webなんか死ねばいいのじゃ」
という方々がまだまだいらっしゃって、Webに広告を出すなどワシャ許さん!てかんじらしいんです。
でももうそんな時代じゃないでしょうよということで、ちょっとずつ変わりつつあって、僕のところにもWebをうまく活用できないかという相談が局やタレント事務所から来たりします。
それはまあ、じゃあお手伝いしましょうか、ということで普通に仕事するんですけど、そんな中で聞いた話が、今年最も僕を「へえ~」と言わせたものでした。

TV局、特に地方TV局は、番組を作って自分の波でオンエアするよりも、DVDとかにする方が儲かるそうなんですね。
なので、コンテンツとして売れそうなものは最初からDVD化を見越して作るということです。
そこまでは想像つくのですが…。
僕がへえ~と驚いたのは、もはや、自分の波に載せないコンテンツも作り始めてると。
つまり二次利用ではなく純粋に動画配信サービスに売るための番組をTV局が作ってるんです。
その方が利益が上がるからと。

これって、TV局自身によるTVメディアパワーの否定でもありますよね…。
TVって免許事業だから、別会社ならまだしも、TV局としてそういうことができるのかな?
そういう動きが拡がると総務省はどう考えるのかな?
とか、いろいろ考えたりはしますけど、そこまでやらないと局は生存できないって自分たち自身が課題意識を持ち始めているんでしょうね。

TV局ってじつはけっこう旧い体質で、そういう改革を進めようという若手と、過去の栄光よもう一度的な上層部とでけっこうバチバチのようですね。
僕が数年前にちょっと関わった大手ネット局もそんなかんじで身動きが取れなくなってました。

「だからTVはオワコン」とか、そういうことを言う気は全くないですよ。
TVがなくなるってことは考えられないし、むしろそういう言い方に僕はやや嫌悪を感じる方です。
そういうのはポジショントークだから。
広告業界人、とりわけ僕のようにクリエイティブディレクターを名乗る者はクライアント・ファーストでなければいけないと思っています。
僕のことをWeb系のクリエイターであるとか、バズ系クリエイターであるとか誤解している人も多いようですが、どんなクライアントのためにも最適なコミュニケーション設計を作るためには「オレは〇〇しかできない/やりたくない」ではもはや通用せず、Webも取り込んでいかないといけない、そういうスタンスでいようねと言っているだけなのです。
だからこれからも、マス✕Webなのか、Webだけでいいのか、チラシだけでいいのか、案件に応じた最適な提案をしていきます。
それに、僕は広告クリエイターとして成功者の部類であると思います。
でもそれは自分ひとりの才能でそうなったわけではなく、先達が広告ビジネスモデルの枠組みを作ってくれていて、そこに乗っかれたからです。
TVには感謝しかないです。
なので、自分が助けられる部分があるならば、TVを助けていきたい。
それは新聞も雑誌も何でも同じです。
クライアント・ファーストの理念の中でメディアの配分は変えていくかもしれないけど、あのメディアは終わったね、みたいな言い方は絶対にしたくない、そんなかんじです。

今年も広告業界、クライアント筋、メディア筋の皆さまにはお世話になりました。
皆さまによいお年を…と言いかけたのですが、今年、素晴らしい出会いも多々ある中に、やはりクズみたいなのもどうしても混ざって来て、クズみたいなのに意識を取られた分、信頼すべき人たちの仕事を疎かにしてしまったな、と猛省していたりします。
以前から僕は人で仕事を選ぶ、と公言してますが、来年はもう一度ちゃんとそこに戻ろうと思います。
クズみたいなのじゃない皆さまによいお年を。

 

2017年12月18日
by kossii
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俺のハラスメント

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今年は異常な忙しさで、
「これ以上働くと病むぞコレ」
というとこまで行きました。
それでブログも書く余裕がほとんどなかったんですが。
こういうニュースが出て来ちゃったので、いろいろ思うところあり…。

はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171217-00010002-bfj-soci&p=1

まず、はあちゅうさんに同情するし、事実だとしたら当然あってはならないこと。
そこは言うまでもなく。

広告業界で何か問題が起きたときにホント困るのは、十把一絡げにされちゃうんですよね。
僕も著名クリエイターの末席にいたりするので、
「どうせ小霜も同じようなことやってるんだろ」
みたいに思ったり言ったりしてくる人いるんです、きっと。
高橋まつりさんの事件の時も、あれについては僕は1ミリも関わってないし、一切責任ないのだけど、
「お前は最低の人間だ」
といった匿名メール来ましたもん。
確かに僕は電通の仕事も引き受けてますよ。
でもそれだけで責めるのなら、電通と取引している数十万人に同じメールを送るべき。

ちなみに僕は自分のポジションを利用して女性に手を出したことは一度たりともないです。
主な理由は、カッコ悪いから。
個人的な美意識では、それよりキャバで振られてる方がまだマシ。

しかし、打合せで暴言を吐いて、誰かを傷つけたことはあったかもしれない。
もしそういう人がいらしたらお詫びしたい。
言葉ってその人の心の中に残り続けたりするから、それが悪い方に行ったのならば、罪深いことをしたと責められても仕方がありません。

正当化するわけではないですが、広告のCDは心理学で言うところの「トンネリング状態」に入りがちなんです。
コンペを獲らなきゃいけない、いいアイデア出さなきゃいけない、クライアントと監督、タレントの言い分を着地させなきゃいけない、などなどのプレッシャーで周囲が見えなくなるわけです。
最近は電通が悪者扱いされがちですが、プロダクションの扱いとかは、博報堂もそうとうに酷かったですよ。
今は改善されてると思いますが。
クリエイティブで勝たなきゃいけないという切迫感がおかしくしてたんでしょう。
夕方プランナーたちを呼びつけて、CDが酒飲みに行って「戻るまでに考えといて」。
で、解放されるのが朝、みたいな。
「博報堂のすごい打合せ」ってタイトルの本が出てるみたいですが、タイトルだけで殺意を覚える人は数百人はいるんじゃないでしょうか。
僕はそういう無駄な打合せが大嫌いで、人の時間をむやみに奪うのもハラスメントだと思っているので、自分がCDとして仕事するときは極力コンパクトな打合せになるよう心掛けてます。
それでも博報堂に在籍していたというだけで十把一絡げにされて責められることあります。

また、思うに、ハラスメントというものの考え方も難しい。
僕の暴言を最も受けたのはやっぱ小西だろなあ。
「こんなコピーただのゴミだ、森林の無駄遣いだ、地球に謝れ!」
ぐらい言ってたからなあ。
その次は佐々木だなあ。
「脳味噌の作りがおかしいんじゃねえの?」
ぐらい言ったなあ。
でも、メシは毎晩奢ってた。
結果的に小西は独立してPool成功させたし、佐々木は100万部以上売るベストセラー作家になったし、僕の弟子だった頃の「ハラスメント」が何らかの下地を作ったかもしれないなあ、とも思う。
二人ともそこは否定しないはず。
だから、すまんかったな、というのはあまりないかな。
ただ彼らはハートが強かったから。
振り返って、もっと線の細いヤツらだったら潰れてたかも、と思うとちょっと怖くなります。
モヤモヤします。

僕の無料広告学校には「叱られたい」という動機で応募してくる人が以前よりも多いです。
上司がビビって説教できない、そういう時代の中で、叱られないと得られない、そう考える若い人もいるわけです。

じっさい無料広告学校では「無料」をいいことに僕は歯に衣を着せるという物言いを全くしません。
もちろん少しでも育ってほしいという、愛みたいなものがモチベーションになってるわけですけど、残念ながらついていけないと途中でやめる人が毎期1~2人はいます。
そう言えば今期はまだ一人もいないな…。
キツいことやらせてる自覚はあるので、そのぶん面倒見ることになります。
メシ奢ったりとかは当たり前で。
Webサイトでは「就職の斡旋はしない」ということにしてるけど、実際はやってます。
面接ではこう言えよ、とかアドバイスして電博に入ったヤツらもゴロゴロいます。
中途入社の課題を一緒に考えてやったりまでします。
頼られたら、断るわけにいかないから。
ところがそういうのに恩義を感じて時間が経っても交流あるようなヤツらはまあ、半分ってかんじかな…。
ハラスメントって、当事者が傷ついたらハラスメントだって話を聞いたことありますが、僕はいつも盛大に傷ついてます。
ただ傷つけあってるだけかもしれないな。
じゃあ何でやり続けるんだ、て聞かれると、何ででしょうかねえ。
それでも「ありがたい」と感じるヤツらが多少はいるから、かな。

地位を利用した「パワー」ハラスメントで言えば、広告主のエージェンシーへのハラスメントはまだまだ酷いものがありますね。
いや、広告主、だいたいはいい人たちなんですが、やはり人間として許せないレベルの人も中にはいます。
そういう人からハラスメント受けてると、いつの間にかそれが基準になって、下の人に対する気遣いができなくなっちゃうんです。
鈍くなる、ということですね。
広告業界のハラスメントの構造は、そういうことかもなあと思います。
気をつけなければいけません。
みんなも、僕も、改めて。

2017年7月3日
by kossii
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新著発売されました

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7月1日に小霜の3冊目となる新著が発売されましたので、そのご報告です。

急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。(宣伝会議)

いま広告業界では広告主にもエージェンシーにも「デジタルシフト」の大号令がかかっています。
ただ、そこにはいろんな課題が複雑に絡まっていて、業界として足踏み、もしかすると衰退さえしているように見えます。
・デジタル広告(≓マス広告とWeb広告の統合、あるいはWebのマス広告的活用)の設計についての知見不足
・Web動画に対するリターン期待値の不確実性
・マス系人材(主にクリエイター)とWeb系人材(主に運用者)の分断
といった数々のハードルを乗り越えながら次の広告コミュニケーションをどう最適化すべきか。
クリエイティブという立場から、自分が成果を上げてきた実例を交えて解説しました。
自分はもともと(というか今も)マス系の広告クリエイターとしてテレビCMばかり作って来たのですが、早い段階からデジタルの仕組みに興味があって、手探りでデジタルシフトをやって来ました。
ようやく昨年頃からデジタルで商品を売るためのやり方について、確信めいたものを得られるようになりました。

前著「ここらで広告コピーの本当の話をします。」はいろんな方々に語り尽くされてきたコピーライティングやブランディングといったものを自分流の視点で定義し直すことで、業界内で大きなヒットとなりました。
今回はおそらくまだ誰も体系立てて語ったことのないデジタルクリエイティブのあり方について初めて語る試みです。
その理解の第一歩として、「Web動画」という成果の不確実なものを「WebCM」という確実性の高いものに進化させるためにはどうすればよいか、というところから説明を始めます。

おかげさまで、予約開始と同時にAmazonのマーケティング・セールスカテゴリーで第1位となっています。
「アドバタイムズ」でこの本に絡めたコラムも始めましたがそちらも大きな反響が寄せられているようです。
第1回「マス系とWeb系はさっさとベッド入りなさい。恥ずかしがってないで。」 https://www.advertimes.com/20170626/article253071/

もし手に取っていただければ(社内の回し読みでもいいです!)、そしてもしご感想などいただければ、望外の喜びです。

何卒よろしくお願いいたします。

2017年6月20日
by kossii
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宣伝会議からの告知(小霜の新著)について修正

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ご無沙汰しております。

ブログを書くのはちょっと久しぶりとなりますが、その理由は新著を執筆していたからです。
仕事の合間を縫うように書いていたもので、とてもブログまでは余裕がありませんでした。

その新著「急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。」ですが、いよいよ7月1日発売となります。
汐留や赤坂などの一部書店では前日から並んでいるかもしれないので、早く手に入れたい!というイラチな方はそちらを覗いてみてください。

さて、一昨日、宣伝会議からのメルマガでその新著の予約販売開始告知が配信されました。
ただその中の、本の解説については僕の確認を取らずに書かれたもので、本の主旨とズレています。
なので、ここで修正したいと思います。

まず、「デジタルでマスの代わりができる」といったタイトルになってましたが、確かに商品、ターゲットセグメントによってはWebはマスの代替となり得る、と本で書きました。
しかしそれは内容の一部であって全部ではありません。
もうマスなんて古い、これからはWebだけでOKさ、なんて主張と捉えた方も多かったのではないかと危惧しているわけです。
そんな手垢のついた、インチキ情報商材みたいなことを言うわけがありません。
書いた内容はそれと真逆です。

Webが逆立ちしてもできない、テレビCMじゃないとできないこともあるし、その逆もあります。
この本の主旨は、マスならではの特性、Webならではの特性をもう一度捉え直してそれらを統合することで成果につなげよう、ということで、それをクリエイティブの視点から書いたわけです。

マスとWeb統合の第一歩は、Web「動画」という不確実なものをWeb「CM」という確実性の高いものにしていくことと思っています。
事例なども多数引用しながらそこを解説しました。
それをやることによって、マスとWebは横つながりの、一続きのものになれるということです。

現状、アマゾンなどに書かれてある解説文などもちょっとおかしいので修正依頼をかけているところです。

ともあれ、Web動画というものについてどうしたらいいかと悩まれている方は多いでしょう。
その救いの一つになるのではと思っています。

2017年3月11日
by kossii
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肺気胸になりまして

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2月は、どうも、よくないことが起きるのです。
一昨年の2月も末になって右脚を骨折しました。
今年は無事に過ぎてくれよ…と念じていたら、やはりと言いますか、末になって肺気胸が見つかりまして。

なんだか咳がひどく、花粉症か何かだろうと思って抗アレルギーの薬をもらって飲んでも治らない。
おかしいなということでレントゲン撮ったら
「コレ肺気胸になってますよ」。

肺気胸というのは何らかの弾みで肺に僅かな穴が開き、そこから漏れた空気が肺と胸膜の間に溜まっている状態のこと。
それで本来の肺が縮んでしまうんです。
僕の場合は右肺が3分の2ぐらいになっていて、症状としては、
時々ひどく咳こむ
寝るとゼーゼー言う
100mぐらい歩くとちょっと息苦しくなる
カラオケがうまく歌えない
といったところです。
治療は難しいものではなく、胸膜にチューブを刺して溜まった空気を抜き、そのまま数日入院すれば穴が塞がると。

ところがその数日が取れないんですねえ。

打合せならまだリスケできても、3月は撮影日が8日あって編集日はもっとあって、それらがゴチャゴチャに入り組んじゃってる。
どーにもお手上げ。
撮影や編集を誰かに任せるか?
そういうわけにはいきません。
つか、某エージェンシーの人たちが22時に帰ってから僕だけスタジオに残ってのど飴なめながらコピー書いたりしてるんですよ!

肺気胸が見つかった次の日、
「取りあえず一回抜いてみよう」
ということで、空気抜いて、その日はそのまま編集室に直行しました。
残念ながら、数日でまた元の大きさに縮みました…(胸に開けた穴の痕、結構痛い)。

ただこのままいつまでも放っておくと、肺が縮んだまま元に戻りにくくなるそうです。
なのでこうすることになりました。
24日(金)にまたチューブ入れて空気抜きます。
土日だけ様子を見た後、チューブ挿しっぱなしで、機械をくっつけたまま帰宅。
その状態で一週間仕事します。
31日(金)に検査して、治っていることが確認できたら2泊ぐらいで退院。
もし治ってなかったら最長1週間入院。
てなスケジュールです。

関係各所の方々にあまり気遣いされるのもイヤなので黙ってたのですが、そろそろオープンにしないといろいろご迷惑かけるかなと。
呼吸困難で緊急搬送、といった可能性もゼロではないそうですし。
チューブをつけている間は風呂は禁止なので、その期間はたぶん臭い的にもご迷惑かもですがご寛恕ください。
4月頭の入院が終われば通常運転に戻ります。

よろしくお願いします。

2017年1月4日
by kossii
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謹賀新年 : 今年の小霜は

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A HAPPY NEW YEAR!

 

2017年が皆さまの羽ばたく年となりますよう!
(この絵はサビニャックが自身の年賀状用に描いたものだそうで、原画がうちの階段に飾られてます)

 

リンダ・グラットン「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」には、これからは新しい3つのステージが人生に登場するだろうと書かれています。
いろんな他者の人生や多様性に触れながら自分のアイデンティティを探す「エクスプローラー」ステージ。
自由と柔軟性をもって小さな創造的ビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー」ステージ。
人的ネットワークやスキルの蓄積を元に多種類の仕事を同時に行う「ポートフォリオ・ワーカー」ステージ。
なるほど。
人生100年となると、教育-仕事-老後という一直線のリニアな生き方ではなく、ノンリニアなマルチステージ時代になるのは間違いなさそうで、こういった新しいステージも100年の中のどこかで取り込んでいく必要が出て来るでしょうね。

しかしよく考えてみると、これらは「ステージ」なんだろうか…?
自分がいま進めている広告クリエイティブビジネスは、これらが同時に入り混じって成立しているような気がします。
うーむ、いつの間にか時代の先取りしてたのか…要は「その調子で行け」ってことか…とポジティブ解釈して、2017年も現在のやり方を一層押し進める方向で行こうかなと考えております。
具体的には、

・デジタルクリエイティブ
ここにさらに力を入れます。
現在、マスとデジタルを統合する役割としていろんなエージェンシーさんとアドバイザリー契約を結んでいます。
春にはこのテーマで新著を出す予定です。

・カルチャーメイキング
以前は広告によって商品が生活カルチャーを生み出すのだ、という意識がありました。
人々の生活習慣から新しくしてしまおうという熱量が。
今年はもう一度そういう失われつつあるスタンスを取り戻しながら案件を見ていこうと思います。

・ソーシャルソリューション
医療・健康、エネルギー、地方創生、etc.
いろんな社会課題系コミュニケーションのご依頼がありますが、今年は本腰を入れる年になりそうです。
そのための勉強もますます必要です。

・スターメイカー
自分が前に出るのではなく、若いCDを前に立てて自分はバックアップ役に回る。
50歳を過ぎた頃からそういうポジションで仕事したいと思ってたのですけど、いくつかカタチになってきました。
もっと増やしていきたいですね。

・フィクサー
僕の会社の標語として「ワンストップからノンストップへ」というものがあるのですけど、もはや総合系エージェンシーのトップでもコミュニケーションの全てを担い切れない状況です。
クライアントの課題を解決するために自分がハブとなって、いろんなエージェンシーや組織、スペシャルパーソンをチーム化するという役割も担うようになってきています。

こういったことで(こういったことじゃなくても)何かお役に立てるようであればぜひお声がけください。

そしてやはり大事にしたいことは、

・新しい人たちとの人脈拡大

コ・クリエーションの時代などとも言われますが、やはりこれからは多彩なスキルや考え方を持った人たちとどれだけ繋がっているかが重要と思っています。
なので僕はどんな方とも(「電話料金がおトクになりますよ」的な人は別として)時間を取って会うようにしています。
一見さんもWelcome!

今年もよろしくお願いいたします。

小霜拝

2016年12月30日
by kossii
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今年のシメ : 障害について思うこと

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今年のシメに、何か書こうかな。
振り返るといろいろ書きたいことあるなー、と多少逡巡しつつ、障害をテーマにいま感じてることを書くことにしました。
障害者の大量殺人など刮目すべき事件もあり、障害について世の中が考えさせられる年でもありましたしね。

僕は「視覚障害者のホントを見よう」など、障害者の社会復帰運動をサポートしています。
また社会課題解決型の仕事をいくつかやらせてもらってるんですが、そこに障害者の存在をどう考えるか、が関わってくることもあります。
それで社会活動家の方々からお話を聞くことあるんですけども、こういった主張をされることが多いです。
「障害者を特別扱いするな」。
障害者、健常者、と区別すること自体おかしいのだ、と。
その区別が差別の元になるし、障害者に自分を一段劣った存在だという思い込みを与えてしまうのだ、ということです。
同列の人間として扱うべき、なんなら障害者という呼称自体なくしてしまってもいい、ぐらいの。
僕も障害者の端くれ(?)ですが「自分を障害者だと思ってはいけない」と言われたこともあります。
オリンピックとパラリンピックをいっしょにすべきという意見はこの延長線上にある気がします。

考え方として、頷ける部分は大いにあります。
どんな人であっても人間として等しく価値を持つのだ、という理念は美しく、「障害は個性だ」という言い方もよく聞きますが、生物の生存に欠かせない多様性の現出なのだ、とまで思考を行き着かせることもできます。
ただ、こういった「障害者も健常者も区別するな」といった言葉は、健常者から聞きます。
障害者から聞いたことは、僕はまだありません。
その理由の一つはきっと、そこに現実的なジレンマがあることを知っているからでしょう。

僕は3年前に肉腫の大きな手術をして以降、左脚が多少不自由になり、下肢障害4級の障害者手帳をもらっています。
それと同時に警視庁に申請して、公道に駐車できる許可証ももらいました。
こいつが大活躍で・・・。
いろんな制約はあるし、僕もなるだけ交通の邪魔にならない場所を選んで停めるのですが、それでもかなり便利です。
目的地のすぐ近くに停められますから。
僕は打合せやらプレゼン、編集やらで、多い時は1日に4~5箇所ぐらい車で移動しますが、障害者になる前と比べて移動効率は格段に上がってます。
今年は19年前に独立してから最も売上げの高い年になりまして、それはもちろん皆さまのおかげなのですが、こいつのおかげもけっこうあるかな~と。
僕の会社には僕が働けなかった頃に生じた欠損金がかなりあったのですけど、それも消化してしまったので、この調子で行けば来年あたりはとんでもない税金を払うことになりそうです。
逆にもしこの許可証がなかったら?
仕事の効率は格段に落ちるでしょう。
駐車場から目的地まで歩くのが大変です。
駅やバス停まで歩くのも大変ですから、電車やバスを利用するのは現実的ではありません。
そして、稼ぎが落ちて、納める税金が下がる、あるいは働くのをやめちゃった時、僕は社会を支える側から支えられる側に回ることになります。
健常者、大損です。
それに僕は12月30日にこんなものを書いていて、てか、これは早くやっつけちゃって次の本の執筆に移らねばとジャストナウ焦っているぐらいの仕事人間なので、働かないで皆さんに養ってもらう状態は決して幸せなことではありません。
何が言いたいかというと、障害者と健常者を区別する制度は、一方的に健常者が障害者を養うためだけにあるのではなくて、障害者の方も社会に益する、そして自尊心を保つことができるという幸福な関係を成り立たせてもいるということです。

だから、人々の心性的に区別をなくそう、というのは非常に正しい。
社会システムとして区別しなければいけない、というのも非常に正しい。
でも「システムとしては障害者だけど意識としては障害者と感じるな」というのは、けっこう難しいことですよ。
そのジレンマをどうするのか、が課題であると思っているわけです。

それを解決するヒントがありました。
東大の中邑教授の講演で、目鱗が落ちた気がしました。
「近視の人が眼鏡をかけて普通に生活をしている。これを障害とは呼ばない。障害のある人が義足などのデバイスをつけて普通に生活できればそれはもう障害者ではない」。
なんとシンプルな回答!
今、テクノロジーが急激に発達していて、デバイスによって障害はある程度乗り越えられる。
それどころか、義足のアスリートは走り幅跳びで8m40cm飛ぶ。
より高く飛びたい、より速く走りたいアスリートは自らの足を切ろうと考えるかもしれない。
人を真っ裸な状態で見るのではなくて、デバイスで補助された状態で障害者と言えるかどうか判断すべき時代だろうと。
「眼鏡がないとPC画面がぼんやりします」といった理由で就職できない、なんて話はないわけですから。
デバイスの補助、もそうでしょうし、僕のように法制度による補助によって健常者以上のパフォーマンスを出す、ということもあります。
働いている僕の姿を見て、人として劣った存在だ、と思う人はいないでしょう。
いや、少しはいるかもしれんな・・・。
僕は「杖」「人工骨頭」というデバイスと「駐車許可証」という法制度によって健常者並みになっているのです。

法制度のことで言えば、101人以上の従業員を抱える企業は2%以上の障害者を雇用しないとペナルティが課せられます。
ただし、週20時間以上働かないとカウントにならないのです。
障害者の中には週19時間しか働けない、という人も実際にいるのですが、そういった人たちは働くチャンスに恵まれないことになります。
ソフトバンクなど自主的に20時間未満でも障害者雇用を始めた企業もありますが、たとえば数人で分業することで1カウントにするなど、法制度の見直しもまだ余地があるでしょう。
それで健常者のように働けたなら、不自由なく生活できたなら、その障害者は健常者と同じだよね、と思えばいいんじゃないでしょうか。
いわば、「見なし健常者」とでも言いましょうか。

そして、進化したデバイスによっても、法制度によっても健常者と同じようにはいかない、という人は社会が面倒を見てあげる。
ただそのような人たちを社会復帰させるためにテクノロジーを開発すると、そこからイノベーションが起きることがあると思います。
宇宙空間は極限空間で、いかに少ない物資で、いかにエネルギーロスなくやっていくかの技術を磨き続けているわけですが、そこからイノベーションが生まれた事例は多いのだと以前JAXAで聞きました。
それに似たようなことと捉えてもよいのでは。

「障害者」「健常者」を線引きすることでいろんな歪みが生まれている、というのはそうだと思います。
でも区別しない、というのは現実問題として、全員にとってのデメリットが多い。
ならば、「障害者」「健常者」に加え、「見なし健常者」の三者が世の中には存在するのだ、そして「障害者」をどんどん「見なし健常者」化していくのだ、そんな意識を皆で持てば、社会保障費問題も含めいろんな課題解決に向かっていけるのではなかろうか。
実を言えば、障害者の社会復帰運動にはいろんなクレームが寄せられますが、そのほとんどは障害者からのものなんです。
ひとことで言えば、
「そっとしといてくれ」。
その気持ちの奥底には、何を言われようとどうしようと、結局障害者は障害者じゃないか、という諦観に近いものがあるように感じます。
確かに、そっとしておいてあげるべき人もいらっしゃると思います。
でも、尻を叩くことで健常者以上になれる人もたくさんいらっしゃるはずだし、そういう人はもう障害者として見るべきではないよ、という認識を共有することが大事ではないかと。
そんなふうに考えたりします。

ともあれ、今年はお世話になりました。
来年が皆さまにとって良き年でありますように。