2014年6月26日
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ザックよローマ人に見習ってくれ

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塩野七生「ローマ人の物語」が大好きです。特に初期の頃の話が。
文化力でギリシャ人に劣り、身体力でガリア人に劣り、経済力でカルタゴ人に劣った、ないない尽くしのローマ人がなぜどこよりも強大な国家を建設できたのか?
それには彼らが固持した、優れた「制度」がありました。
その一つが、「失敗を咎めない」というものです。
軍団を率いて合戦に負けた指揮官は、その責を負わされて処罰される、あるいは解任されるということはなく、逆に「負けた理由が最もわかっているはずだ」ということでもう一度挑戦できるのです。

ザッケローニ氏がワールドカップでの惨敗の責を取って退任すると発表しましたが、彼はどうも日本人的感覚に染まりすぎてないでしょうか。
半分の敵を相手に、8万の将兵のうち6万の死傷者と1万の捕虜を出したカンナエの戦いに比べれば、ワールドカップの負け方など軽いものです。
ローマ人の末裔として、ローマの古き良きしきたりに従って、再チャレンジしてほしいところ。
負けるたびに監督を交代しているようでは、知見も積み上がらないし、次に勝てる確率は下がるでしょう。
ローマ人は厳しい生存競争を勝ち抜くために、実に合理的な考えを貫いていたようです。
現代の日本人も見習う点は非常に多いと思います。

2014年5月19日
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週刊スピリッツの善意

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2011年3月、僕はいわき市の避難所に炊き出しに行きました。
当時は放射性物質が東京にも大量に来てると騒がれていて、西に疎開する人が多くいました。僕はへそ曲がりなので逆に福島第一原発に最も近い避難所にボランティアに行ってやろうと思ったんです。

CM撮影の現場では、「ケータリング」と呼ばれる業者さんが食事を作りますが、けっこう工夫が凝らされていて美味い。映画やドラマではコンビニ弁当ですませたりということもあるようですが、CMでは食事の質は非常にうるさく言われます。おそらくクライアント商売というカルチャーでそうなっているのでしょう。
僕は被災者の方々はすでに自衛隊のカレーや豚汁には飽きているだろうから、美味いケータリング業者を雇って避難所に行こうと考えたわけです。
そこである業者さんに声をかけたところ、彼らは「それなら自分たちのお金でやりたい」と言いまして、初回は彼らが主体、僕らがサポートする、というカタチを取りました。現地でいろいろ取材して、万全を期して2回目を自分たちの資金でやろうと考えました。

僕のマネージャーが福島の議員さんに連絡を取ったところ、南相馬は大きな避難所がない、ということだったので、いわき市の避難所で実施しました。
避難所は学校の体育館でした。その中に入って驚いたのですが、震災からまだ2週間ほどしか経っていないのに、支援物資は文字通り山のごとくそびえ立っていました。僕はそれを見て、物質的な支援はこれ以上必要ないなと感じました。ただ、入り口の近くに設えられていた小さな本棚が気になりました。そこにはコミックや本が数冊置かれているだけで、食料や生活用品の山と対照的な心細さがありました。いま彼らに最も不足しているのは「娯楽」ではないのか?そう感じました。
避難所の子どもを捕まえてそのあたりについて尋ねると、本棚の本を皆で回し読みしていると。でも、全く回ってこないんだと、寂しげに答えました。いま一番欲しいものは何?と聞くと、「ドラえもん!」と叫びました。

帰京してから福島にケータリングに行った子細をツイッターに上げ、4月に再度行こうとしていることを語ると、週刊スピリッツのとある編集者から連絡がありました。
「本は必要とされてませんか?」と。
僕は即座に、「まさに必要とされてますよ!」と答えました。
その人は、小学館内の有志に声をかけて本を集めるので運んでもらえませんかと言ってきました。僕は、もちろんやぶさかではないが、どうせなら同行したらどうですか?と誘いました。

出発当日の朝、僕は目を疑いました。
彼らが集めた本は、デカい段ボール箱で十数箱あって、事務所の前に積み上がっていました。引っ越しかよ!と僕は心の中でツッコミを入れました。もともとはバス一台で行くはずが、仕方なく僕らだけ別班で自分のSUVを出すことにしました。
現地に着いてからは、炊き出しは従業員たちに任せ、僕は地元のボランティアの青年に案内され、本を配って回る運転手役を務めることになりました。
2,3カ所回って戻るつもりが、結局10カ所の避難所を回ることになり…戻った時にはすでに夜、炊き出しは終わってました。
前回の反省点を元に綿密に考えたメニューは好評で(後に週刊誌の特集にも写真が掲載されていました)、従業員たちはずいぶんとお礼を言われていたようですが、企画した僕は残り物にありついただけ。
ただ、配った本は子どもたちにとんでもなく喜ばれました。「ドラえもんあるよー」と言うと、まさに両手を挙げて「わー」と走ってくるのです。編集者たちはちょっと涙ぐんでいました。

僕は被災地での支援活動をそこでいったん中断としましたが、彼らはその後、福島から東北まで足を伸ばして、自分たちで本を配る活動をしていたようです。後日談として、営業再開した書店からクレームがついて困った、という話も聞きました。さらには、現地の方々と交わり、ずいぶんと様々な支援を広げていたようです。これには頭の下がる思いがありました。

いま問題となっている「美味しんぼ」の内容については、僕も大いに疑問を感じています。
放射線の影響で鼻血が出るなら、歯茎など他の部位からの出血も伴わなければ理屈に合いません。
綿密な取材に基づいた、ということですが、双葉町じたいは取材を受けていない、など、中立な立場からのメッセージであるようには見えません。

ただそこにスピリッツ編集部や小学館の悪意があったとは思えません。
守るべき作家性と世間への影響の間で苦悩したのではないかと想像します。
炎上商売ではないかという穿った見方もあるようですが、彼らの収益源は単行本、アニメです。週刊誌はそのための見本誌といった位置づけになっており、多少の売上げ増がただちに利益に繋がるわけではないと言えます。
彼らの中には、自分自身の活動として、実際に被災地に住む人たちとずっと交わって来た人たちがいます。
彼らが善意の人々であることを自分は知っています。

2014年5月13日
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知的障害者アート、いい。

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ずいぶん昔ですが、岡本太郎が子どもたちの美術作品を批評するという企画をTVでやってました。
彼は、小学生が創ったものはだいたい「いい」と言う。
中学生が創ったものは「よくない。ちゃっかりしてる」と。
美術教師が創ったものは、評価する価値もないとばかりに首を振る。
計算や理屈が入ってくると、美術はとたんに力を失ってしまう、と彼は言いたかったのでしょう。中学生ぐらいになるともはや「ちゃっかり」してしまうのです。
長女が幼稚園の頃、干支の動物の絵を描かせてそれをそのまま年賀状に使ったことがありますが、映画監督の行定さんがエラくそれを気に入ったらしく、「あの年賀状はナンバーワンですよ!」とずいぶん言われました。理屈のないものに、理屈で生きる大人は勝てないことがあるのです。

アートとは、いわば、左脳を封じ込めるための戦いなのかもしれません。
理性を押し込めて狂気を引き出すという、常人には難しい所為ができることを「アートの才能がある」と言うのでしょう。

そう考えると、最初からアートの才能を持ってそうな人たちがいます。
知的障害者です。

日韓共催のワールドカップの頃、知的障害者の団体が当時の人気選手、ベッカムやルーニー、ロナウドなどの似顔絵Tシャツを通販で販売してました。
おそらく厳密には肖像権問題などをクリアしていたとは思えませんが。
僕はそれにとてつもなく「感じる」ものがあって、数着購入。
見る人によってはただの落書きでしかなかったかもしれませんが、そこには自分の体内の枠というか、何かを破壊するパワーがあったのです。

先日、東ちづるさんが理事長を務めるGet in touchのイベントに顔を出しました。
https://www.facebook.com/getintouchjapan
知的障害者のアート展です。
やはり、どれも良かった。
気に入った作品が一つあって家に飾りたくなり、「売ってほしい」と粘ったのだけど描き手の意思が確認できないということで断念しました。

彼らが描いている様子を映像で見たのですが、理屈も邪心もなし。
ただ、己が描きたいままに楽しんで描いているだけ。
これはまさにアーチストが理想とする姿ではないでしょうか?
障害者の仕事といえば、「彼らにもできる」的捉えられ方をされるのが通常だと思いますが、アートでいえば、「彼らの方ができる」のですよ。
そもそもの資質は、彼らの方にあるから。

展示会を見ていてひとつ残念だったのは、障害者のアートを使った新聞広告。
元の絵には力があった。
ところがそれを理屈でレイアウトしてしまったために、結果、力のない綺麗事表現になってしまってました。
障害者の仕事として一段下に見て、それを拾い上げてやる、という健常者的傲慢さがなかったでしょうか。
僕なら、画面を2分割し、絵は絵として、いじったりコピーを乗せたりしないでそのまま置いたと思います。
ゴッホのひまわりやムンクの叫びを切り貼りはしません。

知的障害者アートには力がある。広告表現にも使えるかもしれません。
しかしそれは巨匠の絵画や写真を扱うように扱わなければいけないと思います。
僕らの方が下なのです。

2014年5月10日
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韓国軍は逃げないだろうか?

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セウォル号事件ほど悲しい事件もない。
もしあの中に乗っていたのが自分の子どもたちだったらと思うと、どうにもならない気持ちになります。
連中は相変わらず問題ばかり起こしていますが、前よりも許せる気分になっているのはたぶんその影響なのでしょう。

船長や船員が乗客を残して我先に脱出したというのも酷い話だけど、自分には現場に到着した海洋警察が転覆しつつある船内に入らなかった、ということが最も理解しがたい。
海保だったら迷わず行ってたはず。
そう信じたいです。

9.11では、NYの消防署員や警官の多くが崩れつつあるビルの中に突っ込んでいって殉死しています。
日本でも福島第一原発から所員たちは逃げ出すことなく踏みとどまってくれました。
僕らがいまこうやって生活できているのは、いざという時に自分の身体を張れる人たちの高邁な意識のおかげとも言えるのではないでしょうか。
そこの信頼が失われるのは恐ろしいことです。

人種や民族の問題ではないと思います。
9.11で「〇〇系だけが行かなかった」などといった話は聞きません。
日本で線路に落ちた人を助けようとして自分の命を捧げた韓国人学生もいらっしゃいました。
セウォル号事件でも最後まで踏みとどまった船員もいたそうで、悲劇の背景にあったのは、職業倫理の意識付け、メンタルトレーニングの不徹底なのかなという気がします。

そう考えると、やや不安になるのは、韓国軍兵士はどうなのだろうかと。
朝鮮半島で有事が再勃発した時、もし彼らが海洋警察と同レベルの意識だとしたら、戦う前に逃げ出すかもしれないではないですか。
あっという間に北鮮軍は釜山にまで到達し、自衛隊と直接対峙するようになるかもしれない。
かの国には公意識を再点検してほしいものです。

2014年5月4日
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日本国憲法に意味はあるのだろうか?

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憲法記念日を迎えたこともあって、憲法改正か現状擁護かの議論が囂しくなっているようです。
しかし、僕が思うに、日本国憲法にそれほど意味はあるのでしょうか。
正確に言えば、護られない憲法に意味はあるのかと言うことです。

だって、第9条第2項に
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
と銘記してますが、自衛隊が実質的に陸海空軍であることは明らかです。

僕は法学部出身でもあり、法律には常に「解釈」が伴うことは承知していますが、これはさすがにその範疇を超えているでしょう。
「大佐」を「一佐」と呼んだり、「ARMY」を「SELF DEFENSE FORCE」と呼べば軍隊でなくなるのなら、ナチスの「ドイツ国防軍」も中国の「人民解放軍」も軍隊ではないということになります。

中国は人治国家だと非難されることがありますが、僕ははたして日本が法治国家と胸を張れるのか疑問です。
違法駐車とかスピード違反で捕まったら、皆さん、怒るじゃないですか。何でおれだけ捕まえるんだって。ちょっとぐらい見逃してくれよって。
僕も思いますよ、運が悪かったなーって。
みんな、ルールなんてそれほどきっちり守らなくてもいいんじゃねって思ってるわけです。
それは日本が基本的に単一民族国家であって、慣習法的なものを重視する土壌もあるでしょうが、法律の大元である憲法の護られ方がズルズルだから、というのもあると思うんです。

しかもこのために、ルールを自分の都合で使い分けるという卑怯な文化も根付いてきてるように感じます。
「国際平和を誠実に希求し」
と言ってる割には、アメリカの若い衆がどれだけ死んでもお構いなしでしょう。
北朝鮮が何かやって来たら、「アメリカさん行ってくれるでしょ。うちらの若いのは出しませんけどね、平和憲法なんでね、ええ」ってことでしょ。
それでは平和憲法の精神はどこかに置いちゃって、自分だけトクするように建前を利用してるだけではないですか。

やはりね、上がやってることは、下に影響すると思うんです。
広告業界もこちらが誠実であればあるほど、言葉を自分たちの都合いいように使い分けて、そこにつけこむ卑しい人が増えている気がします。

今の憲法が押しつけられたとかはどうでもいいと思います。
中身がどうかでしょう。
今の憲法のおかげで日本は戦争もなく反映したという意見もどうでしょうか。
もし戦争を認める憲法だったら日本は再度朝鮮半島や中国に攻め入ったでしょうか。
日本国憲法の内容にさほど関係なく日本はここまで来た、というのが本当のところではないのでしょうか。
そして今、行き詰まりを見せ始めている。

僕は憲法改正すべきだと思ってます。
ちゃんと守れるものにすべきということです。
そして、法やルールというものは、いったん決めたからには、例外なく守られねばならないのだ、という認識をもう一度持ち直すべきだと思います。
それがなされない限り、現状のままにせよ改正されたにせよ、結局のところ都合のいい「解釈」で憲法は有名無実化してしまうし、政府が進めている集団自衛権を止める術もないんじゃないでしょうか。

2014年4月16日
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インターン志望学生さんへのメール

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**さま

はじめまして、小霜です。
まず、僕の仕事と僕に興味を持っていただいたこと、感謝です。

さてインターンの件ですが、結論から言うと難しい。
理由としては、そこでたいした「学び」はできないと思うから。

他者との共感が幸福感につながるという考え方は、正しいです。
たしかそれは科学的にも証明されていたような。

しかしそれを為すためには力が必要です。
その力とは、体験であると思います。
もっとかみ砕いて言うと、遊びです。

女の尻を追いかけ回すとか、趣味に没頭するとか、ギャンブルにはまるとか、酒に溺れるとか、世界一周してみるとか。
若い頃に必要な「学び」とは、そんなことから得られる体験であろうと僕は思います。

あなたが今すべきことは、世界一周を再開することではないでしょうか。
その体験が、あなたの血肉となり、あなたの求める共感力の支えになるはず。
もし日本で何かしたいのなら、キャバクラの付け回しとかやってみたらどうでしょう。
現代に生きる女の子の赤裸々な本音が見えてくるかもしれません。
人間ってカッコ悪いなーとか、でもがんばってるなー、とか、えっあのコ母親だったのか-!とか、
そういうのに触れることは大きな「学び」です。

あなたも含め、昨今の学生さんたちは会社に入る前から会社員としての予行演習をしたがるようだけど、それは間違い。
頭でっかちの人に入社して来られても、使えたものではありません。
企画やコピーの全てが「仏作って魂入れず」になるんです。
僕が若い人相手に広告学校をやっているのも、その点はやや矛盾があると言えます。

もし僕に、直に話が聞きたいと言うことであれば、
今日の夕方以降か明日の15時~16時なら時間が取れるので連絡ください。

あ、そうだ、このやり取りをブログで公開してもいいですか。
これは広告業界志望の学生さん皆に言いたいことでもあるので。
もちろん実名は伏せます。

では、よろしくお願いします。

小霜和也
no problem LLC.

150-0001
東京都渋谷区神宮前5-47-13
青山パインビィレッジ401
Tel. 03-5766-0318
Fax. 03-5766-0319
www.noproblem.co.jp

From: *** [mailto:********]
Sent: Wednesday, April 16, 2014 10:54 AM
To: ********
Subject: インターン志願の件

ノープロブレム合同会社
小霜和也 様 米村 浩 様

はじめまして。
**大学**学部3年の***と申します。

突然のご連絡、申し訳ございません。
この度は、無料広告学校のHP、KOSHIMO BLOGを拝見し、ひとつお願いがありご連絡差し上げました。

大変厚かましいお願いであることは重々承知の上、申し上げさせていただきます。
私事で恐縮ですが、2013年9月から大学を1年間休学しています。
残り半年の休学期間、小霜様のもとで学ばせていただけないでしょうか。

私がこのお願いをするに至ったのには、一通のメールでは伝えきれないたくさんの理由があります。
自分でもまだ整理しきれていない部分がありますが、その理由を簡単に述べさせていただきます。
お忙しい中大変申し訳ございませんが、悩める学生に救いの手を差し伸べて頂けたら幸いです。

そもそも、私が休学を決断した本来の理由は、
幼い頃からの夢だった世界一周を実現させるためでした。

今まで大きく道をそれることなく、それる勇気もなく、
時の流れに身をゆだねながら、それなりに充実した生活を送ってきました。
しかし、これが噂のモラトリアムかと言わんばかりに、大学2年生の頃から自分の人生について深く考えるようになりました。

反対する両親にプレゼンをし、誓約書まで書かせられ、やっとの思いで休学の許可をもらいました。
半年間の貯金生活を経て2014年2月9日、出国しました。

しかし今、私は日本にいます。
出国してから、わずか2ヶ月で帰国しました。

あれほど夢と豪語していた世界一周が、次第に、
自己満足の極みにしか思えなくなり、旅を続けることの意味を見いだせなくなったのです。

旅は噂通り、自分と向き合うのに最適な環境を与えてくれました。
この世の幸せとは?生きるとは?自分の幸せとは?生き甲斐とは?などの、普段決して考えることのない哲学的なことまで考えました。
そして、向き合えば向き合うほど、考えれば考えるほど、旅は自分を幸せにしてくれないと思うようになりました。

青二才の自分なりに考えた答えは、この世の幸せは”共感”で、生きるとは”働くこと”、
自分の幸せは、”幸せの種である共感を人に与えること”で、生き甲斐は”人に感謝されること、求められること”です。

今の自分には、世界一周によって誰かを幸せにすることはできず、自分を幸せにすることもできません。
けれど、自分の手でお金を稼ぎ、休学を決断して自由な時間を得たのだから、未来の自分に投資したいと考えました。
そのため、広告業界の第一線で活躍されている方のもとで、人を幸せにする術を学びたいと思いました。

夢と信じつづけてきたものを失い、一時は絶望に浸り、自分を見失いかけました。
世界一周を豪語していた手前、帰国することはできないと思い込んでいましたが、自分の愚かさ、恥を忍んで帰国しました。
以前から友人のFacebookの投稿で貴社の存在を知っており、今回、覚悟してご連絡させていただきました。

お忙しい中大変申し訳ないのですが、一度お会いしていただくことはできませんでしょうか。
どうかよろしくお願い致します。

本メールに履歴書を添付させていただきます。
これまで大学生活で取り組んできた主な企画、活動の概要も合わせてご覧いただけたら幸いです。
また、大学では**部で現代広告を専攻しています。

—
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** *
**大学**学部3年
Tel: ********
E-mail: ********
********************************************

2014年4月12日
by kossii
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文系の自分が渾身の力でSTAP細胞の捏造について解説してみる。

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前回のブログで、STAP問題は何が本当の問題なのか自分の考えを書いてみたわけですが、それはそれとしまして。
みんなが最も関心を抱いている、
「STAP細胞は本当にあるのか」
「悪意があったのかなかったのか」
といった点について、ちょっと突っ込んで調べてみようと思いました。プレゼンがバタバタと終わったりして今週はヒマだったので。

具体的には、改ざん、捏造と言われる画像がいったい何を表してるのかを勉強したわけです。
これがわからないままでは、結局、正しい意見は持てないと思いますから。
自分、なにしろ法学部出身なのでどこまで科学的に説明できるか不安はありますが…。
非科学的に生きている方々がSTAP問題についてご自分の感想を抱かれる時の参考にしていただければ。

さて、まずは前提となる知識から。
人は元々受精卵という一個の細胞で、これが様々な細胞に分裂し、心臓の細胞になったり骨の細胞になったりして人の形を成します。で、いったん心臓の細胞になってしまったらそれが骨になったり血液になったりすることはありません。
この、まだ何にもなってない状態を「未分化」、何かの細胞になることを「分化」と言います。
未分化状態の細胞は、どんなものにでもなれる可能性があり、それゆえに「万能細胞」などと呼ばれたりします。
いま人類が手に入れた万能細胞は2種類あります。
「ES細胞」と「iPS細胞」です。
ES細胞は、ざっくり言うと受精卵をうまいこと取り出したもの。クローンなどに使えますが、医療に使うのは難しい。その主な理由は、他人の細胞を使うことになるので拒否反応が起きるから。
iPS細胞は、分化した細胞を人工的な技術で未分化状態に戻したものです。医療への貢献が期待されますが、がん化など暴走をどう制御するかなどの課題が残っています。

そこでSTAP細胞です。
これは僕も誤解していたことで、たぶん皆さんのほとんどもそうだと思うんですけど、酸などの刺激を加えるぐらいのことで分化した細胞を未分化に戻せるかも、という仮説は小保方さんのものではないんですね。そのアイデアは以前からあって、それを実証したと主張しているのが彼女、という状況です。
喩えるなら世界のどこかに未知の大陸があるのでは、という仮説がある中で、新大陸を実際に見て来たと言い張る人が現れた、ということでしょうか。
なので、彼女の成果を否定することは別にSTAP細胞を否定することにはならないのです。

では、改ざんされたと言われる下の図を見てください。
stap 1
これは電気泳動と言われる手法でいろんな細胞のDNAの長さを表したデータなんですね。一番左がES細胞。まん中がT細胞と言われる細胞。左からの三つは、比較のための参照として置かれています。右二つがT細胞を未分化に戻した(と主張されている)STAP細胞。
STAP細胞は受精卵などの未分化細胞じゃない、分化した細胞から作られないと意味がありません。そこで選ばれたのが免疫細胞の一種であるT細胞。これからSTAP細胞を生み出せれば分化した細胞から未分化に戻したことがハッキリするというわけです。
この図をよく見ると、まん中の画像の上の方、フォトショで黒く加工した後がある。
これを見つけた科学者たちは、「?」と首をかしげました。なぜなら、わざわざそういうことをする理由がわからないからです。
分化した細胞が未分化に戻っても、DNAは変化しません。むしろまん中の画像は右隣の画像と近くないとおかしいんです。
もしかすると小保方さんは、T細胞とSTAP細胞がこの図上でも違う見え方をしないといけないと考えたのかもしれません。
つまりこれは「やる意味のない改ざん」なんですね。改ざんが常套になっていて、うっかり余計なことをやっちゃったんでしょうか。
これを指摘されてから理研は「STAP幹細胞はT細胞から作れなかった」的なことを言って科学者たちをズッコケさせています。イミフすぐると。

次に、下の画像。

stap2

STAP細胞が万能細胞であることを証明するためには、これがちゃんと分化することも示さないといけません。「Nature」の論文ではそのために2つのことをしたとなっています。
1つは、マウスの皮下に細胞を注入して、それがある種の腫瘍化したことを確認したと。それがまん中の画像です。
もう1つは、細胞をマウスの受精卵に注入してキメラマウスというある種の奇形を作り出したと。これを引き受けたのが山梨大の若山教授です。

ところがこれらの画像が数年前の論文で使ったものの使い回しであることがわかり、「捏造」ではないかと(ところで僕の親しい研究者によればこの正式な読みは「ねつぞう」じゃなく「でつぞう」だそうです)大騒ぎになったわけですが、何がそんなに問題かというと、この腫瘍化画像は「ただのES細胞によるものじゃないのか?」という疑惑が生じるからです。

おそらくその疑惑を誰より強く抱いたのが、「論文取り下げ」を最初に求めた若山教授です。彼は実験用のマウスを小保方さんに送り、そのマウスから作られたSTAP細胞(?)で見事にキメラマウスを作り出したのですが、彼が受け取った細胞の遺伝子検査をしたところ、まったく別のマウスのものであることが判明。それはES細胞を取り出すための実験用マウスでした。
つまり、彼はSTAP細胞と言われながらES細胞を掴まされていた可能性があるわけですね。
記者会見でそこを突っ込まれると、小保方さんは「若山先生とは直接話してないので、さあ~」と、話をはぐらかしていました。

以上が「改ざん」と「捏造」の概要です。
ふい~。
「自分は新大陸に行った!」と主張し、その証拠として金銀の財宝や原住民を連れ帰った小保方さんですが、調べてみると財宝は金メッキ。原住民のDNA検査をしたらそのへんに住んでる黒人じゃねーかよ!というのが今の状況です。
航海日誌はつけてない、航海図は秘密、同行した者はいるが誰かは言えない、世界中の冒険家が試してもどこにも見つからないが、自分はもう200回も行ってます。新大陸はあります!と。
これをどう受け止めるかは皆さんのご自由ですが、僕は、もし新大陸があるとすれば、全く違う方角に船出した方が見つかるような気がします。

2014年4月9日
by kossii
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あなたは小保方さんにお金を預けますか。

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今日、小保方さんが記者会見を開きましたね。
どうなんでしょう。今後、彼女は世の同情票を集めることになるのでしょうか。

テレビでSTAP細胞の話題になると、コメンテーターの誰かが決まって
「結局、STAP細胞があるかどうかでしょう」
「可能性を潰すのはもったいない」
「小保方さんだけを悪者にしてはいけない」
などと言います。
報道ステーションの古館氏も「STAPがあるかどうかだけをみんな知りたい」と。
ネットの書き込みを見ても、似た感想を持たれる方が多いようです。

が、ハッキリ言わせていただければ、そういった視点は間違っていると思います。
ズレズレです。
STAP問題について一般の人たちは小保方さんを擁護、あるいは同情しがちのようですが、僕の親しい研究者たちは皆さん激おこぷんぷん丸です。
これはきっと、「お金」について無頓着でいられるか否かの差でしょう。

いわゆる「研究費」というものの多くは、国からの補助で賄われています。
調べると、理研へは運営交付金という名目で580億円が国庫から支払われており、STAP細胞の発表によってさらに1000億円の補助金が交付されることになっていましたが、これは取り消されました。
当然ながらこれらの基は税金であり、僕らのお金です。

研究費とはある種の投資であると思います。
喩えるならば、日本国民が投資家、政府が証券エージェント、理研や各組織の研究室が投資を求めるベンチャーのようなもの。
僕らのお金を預かる政府は、「この研究に投資すれば必ずや将来大きなリターンをもたらしてくれる」という案件に補助金を与えるわけです。
そして、その判断の材料が「論文」です。

その論文のデータがいい加減な内容だったらどうなるでしょうか。
「我が社は水をそのままエネルギーに変えるSTAP発電を開発しました!」という報告書があって、証券エージェントが「小霜さん、このファンドに投資しない手はないですよ!」という話になった。
ところがその報告書を吟味すると、そもそものデータが虚偽であった。水がエネルギーに変わった瞬間を見たと言い張っているのは、そこの社員一人だけと。
一般の投資の世界なら、これは詐欺を疑われます。
「いやでも、もし本当だったらもったいない」などと、そこに自分のお金を預けますか。

企業の経営者が虚偽の決算報告で株価を吊り上げたら、それは違法です。
「悪意はなかった、ミスして3年前のデータを貼り付けただけ」と言ったって、ヘタすると刑務所ですよ。
なぜ罪なのか。
それは、投資家に損害を与え、結果的に優良で将来ある案件に適切に資金が届くことを妨げるからです。

日本には、STAP細胞以外にも投資すべき価値ある研究がたくさんあると思うんです。
詐話的なトンデモ研究ばかりが注目を集めるようになったり、あるいは、研究者というもの自体が不信の対象になったりして、まじめに正直にデータを取りながら価値ある研究をしているところにお金が届かなくなる。
STAP問題で日本の研究界が危機的状況に晒されているというのは、そういうことでしょう。

今日の記者会見を見て、僕は、彼女は科学者として不適格の印象を受けました。
悪意があったかどうかなど、どうでもいい話です。
これから1年かけて検証していく丹羽さんという方は理研のエースだそうですが、彼が1年間を無駄にすることで、僕らはもっと大きな果実を失うことになるかもしれません。
彼女は「STAP細胞はある」と言い張っていましたが、それはすなわち「今後もSTAP細胞にお金と時間を投資し続けてくれ」という主張と同義です。
いやしくも研究者の端くれであるならば、「ある」と確信するに足るファクトを示すのが先、保身は後でしょう。

2014年4月1日
by kossii
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「いいとも」が僕らにくれていたもの

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まだ僕が子どもの頃、大阪では毎週土曜午後にTVで吉本新喜劇の舞台中継をやっていました。学校から家に帰ると必ずそれを観ました。今から考えると不思議にも感じるのですが、そこでは脚本は毎週変わっても、芸人それぞれの芸は全く変わらない。たとえば池乃めだかは悪いヤツらに一方的にやっつけられた後、「今日はこのぐらいにしといたる!」と言って、みんなをずっこけさせる。芸人一人一人が必ずお約束の芸や台詞を持っていて、何年経とうがそれしかやらないのです。なぜそんなやり方がウケていたのか。

そこにあったのは、「変わることのない日常」だったような気がします。
当時、僕らが恐れていたものは核戦争であった。ノストラダムスの大予言は核戦争だろうと言われてました。それさえ起きなければ、お金がなくても基本的には幸せでした。たぶん関西の人たちは芸人たちの変わらない芸を観ながら、変わらない日常という安心感を見いだしていたんじゃないだろうか。その頃の関東の様子は知らないけど、東京は東京で同じようなカルチャーがあったのだろうと思います。浅草の落語みたいな。

冷戦が終わり、バブルも終わって、日本は世界に10年も後れを取っているということになって、変化が余儀なくされました。
芸人も一発芸人として、毎年出て来ては消え、が繰り返されるようになっていきました。
そこにあるのは「変わりゆく日常」。
つまり不安の世界。
人は本能的に変化を恐れます。正確に言うと自分でコントロールできない変化ですね。たとえば独身生活から結婚生活への不安が高まるとマリッジブルーになり、成田離婚したりするわけです。

「いいとも」のグランドフィナーレで中居君がいいことを言ってました。
「コンサートはエンディングありきで考えるけど、バラエティはエンドレスを目指さないといけないのが苦しい」と。
コンサートは非日常、バラエティは日常、その違いを言っていたのでしょう。
日常で人々が欲しているのは安心感。
「いいともを特に観ていたわけではないが、終わると寂しい」という感想を持つ人は非常に多いようですが、たとえ自分が観ていなくても、ずっと変わらず存在していることの安心感があの番組にはあったのですよね。
「いいとも」が終わって残った寂しさ。
その正体は変化する世界へ放り出される不安感でしょう。
あの番組が長寿となった鍵はオープニングのテーマ曲だと思います。あれは名曲です。
終了した理由を僕は知りませんが、視聴率の割にはタレント出演料含む制作費が嵩みすぎ、赤字番組化していたのかもしれません。世の中の変化に抗しきれなかったということでしょうか。

バラエティではないですが、変わらないと言えば「サザエさん」。
もし「サザエさん」まで終わってしまったら国民総鬱状態になってしまうかも。
あと100年でも続けてほしいものです。

2014年3月9日
by kossii
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飾りじゃないのよ杖は

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今朝、夢を見ました。
何かの弾みで立ち上がった時、うっかり杖を突くのを忘れ脚だけで歩いたら歩けて、「あれ、こうやれば歩けるんだ」と驚いていた。
その感覚があまりにリアルで、あんなかんじでやればイケるんじゃないか?とトイレに行くのに試してみたがぜんぜん無理でした。
最近は二本杖を使うのにはすっかり慣れ一本杖でも少し歩けるようになって来たけど、大腿神経が切れちゃってる以上やはり完全な杖ナシは難しいようです。

そんな僕からすると、佐村河内氏の会見で最も腹立たしかったのは、杖を突いてなかったこと。
なんだ、普通に歩けるんじゃないか。
きっと彼はこれまで「障害者の象徴」として、飾りで杖を使っていただけなのでしょう。

そう言えば「明日ママ」の三上博史の杖の使い方もいい加減ですね。
あれはスパルタ教師の竹刀的アイテムとして考えたんでしょうけど。

もともと僕の自宅はオフィス兼用として設計されたため、それがいま幸いして、打合せのほとんどをその会議スペースでやらせてもらってます。
でも撮影や編集は当然のこと、プレゼンや大人数の打合せもこちらから出向かないといけません。
その時の杖がどれほどもどかしいか。
こんなもの使わないですむなら今すぐ捨ててしまいたい。

広告学校の生徒が言っていたのだけど、松葉杖で電車に乗っても誰も席を譲ってくれないんですよと。
その話には少し驚きました。
妻は子どもを連れてるとしょっちゅう譲られると言うから、人々が全体的に不親切になっている、ということでもなさそう。
なぜ杖だけが冷たい仕打ちを?
もしかしたら杖を飾りで使う人が多いからじゃないだろうか。
あんなもんファッションだろ、なぜ席を譲る必要が?と。

僕は退院してからまだ電車に乗ってません。
クルマの運転はできるので、自分で運転するかタクシーで移動してます。
その方が時間短縮になるというメリットもあるのだけど、電車で不親切にされるのがこわい、というのもあります。

ファッション、飾りで杖を使っている人は今すぐ使うのをやめていただきたい。