2019年12月7日
by kossii
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表現者の責任

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「Guilty」というデンマーク映画があります。
舞台はデンマーク版の110番電話受付室。
不祥事を起こしてそこに異動させられた警官が主人公で、彼が「誘拐されてクルマの中にいる」という女性の電話を受けるところからストーリーが始まります。
彼はあちこちに電話をかけて事件を解決しようとするのですが、カメラが写すのは彼のいる部屋だけ。
映画として、電話のやり取りだけで事件の進行とか、現場の緊迫感が伝わるチャレンジがなされていて、それが非常にうまくできてます。
ついでに言えば、最後のどんでん返しも秀逸。

NHK「パラレル東京」のドラマはテレビ局の報道センターが舞台でした。
この番組の狙いは視聴者に震災を「自分事」として捉えてもらうことにあると言います。
しかしドラマを観ていると、その思惑がうまくいったとは言い難いように感じました。
「プロローグ」で首都大学教授が実際に首都圏を大地震が襲ったらどういう事態になるかのショッキングな解説をしてくれましたが、僕にはそれで十分というか、ドラマはその内容の再現映像以上のものにはなってなかったんじゃないかと。
テレビ局は確かに震災全体を俯瞰できるという意味では舞台としてふさわしいでしょうが、であれば、現場の緊迫感をどう真に迫って伝えるかの「Guilty」のような工夫が必要です。
それをしなかったがゆえに、ドラマのテーマが「報道のジレンマ」「若手アナウンサーの成長」といった、本来の主旨からズレたものになっていて、舞台が聖地になっていることもあり、震災が視聴者にとって自分事でなくむしろ絵空事に映ってしまったような気がしました。
「救命病棟24時」で首都圏震災を背景としたシリーズがあり、そうすることで救命現場の葛藤や困難さを乗り越えるストーリーを描こうとしていたわけですが、そのようなドラマに近いと言いますか。
「株価が大暴落する」といった台詞も不要のはずです。
番組の主旨は、何の対策もせずボンヤリしていると命が危ない、ということを実感を持って伝えるところにあるわけですが、首都圏の震災による株価暴落は視聴者に対策の取れるものではなく、無為に不安をあおる要素でしかないからです。
生理や糞便などの食料の次に問題となるリアルは描いてないし。
「間違った報道をして避難者がパニックを起こしたらどうする」という台詞もありましたが、そもそも避難者がテレビなんて見ているわけありません。
「地震があったらまずブレーカーを落とすべし」と番組中に何度も言ってるので、在宅避難の人々が対象だとしても、彼らがテレビを観ているという想定自体に大きな矛盾があります。
情報は携帯ラジオで得るべきなんです。
もう身も蓋もない話ですが。
他にも突っ込みどころ満載なのですけど、このへんにしときます。

このように書いていくと、こういった反駁を感じる人は多いでしょう。
「いやしかし、震災への備えを啓発する意味で、あのドラマには意義があったはずだ」。
そこなんです、ポイントは。
「だからこそ」なんですよ。

東日本大震災の時もそうでした。
震災の悲惨さ、被災者の大変さ、を描くコンテンツはたくさんありました。
しかし、「表現」としてよくできているものはさほど多くなかった印象です。
ところが描き方が下手じゃないかという批評はされないんです。
これは障害者を描くコンテンツもそうですし、人権や差別問題を描くものもそう。
そういうテーマのものはアンタッチャブルで批判されにくいので、ヘタなままでよしとされてしまうわけです。
これらは社会全体がターゲットで、商品CMなどよりもよほど重要なもののはずです。
だからこそ、「見事に」伝えるための工夫、表現上の努力が一層必要とされるはずです。

先日、厚労省の「人生会議」ポスターが炎上しました。
テレビのコメンテーター含め、ネットでは擁護する発言が多く見られました。
「こういう啓発はどんどんしていくべきだろう」と。

僕は過去、非常に恐怖な体験をしたことがあります。
全身麻酔が手術中に切れそうになったんですよ。
ふと意識と感覚が戻って、手術室の会話が聞こえてくるんです。
どうやら今からメスを入れるようで、僕は必死になって、自分が意識あることを何とか伝えようとしました。
しかし身体はピクリとも動きません。
もうこのまま耐えるしかない、と諦めたらまた眠りに落ちていきました。
あの恐怖はいま思い出しても身震いします。

「人生会議」のポスターは、おそらく、植物人間になってしまったのだけど意識はあって、周囲の人々の声は聞こえてくる、そんな状況を描いているのでしょう。
こんなことになるなら延命拒否の意思表示をしておけばよかったと。
でも、これはとてもじゃないけど笑い事にできるものではないです。
一般の人に広く伝えるためエンタメにすべし、という理屈はわかりますが、生死の綱渡りをしている人たちも見るわけで、「ふざけんな」の声が起こるのは必定です。
なぜそこまで予測しなかったのか。
ついでに言えば、なんで小籔さんの眼は開いてるんだろう?
それもちょっと意味がわかりません。

表現者には、表現を見事にやる責任があるんです。
社会的に重要なコンテンツであるほど、その責任は重くなるはずなのですが、逆に、甘えのようなものを感じるケースが多いです。
プロの表現者であれば、広く皆が自分事として受け止めなければいけないテーマほど、表現のハードルは高くなるのであって、幾重にも慎重になりつつ優れたアイデアを出さなければいけないのだ、そういう意識を強く持っていただきたいと思います。

2019年12月3日
by kossii
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努力は思わぬ道を開く

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以前より、ずっと気になっていたことがありました。
それは、
「どうしてもクルマの中でオシッコしなければならない場合が来ないか?」
です。
最近は大雪とか台風とかで道路が完全に死んでいる様子をテレビで観ますし、自分がそういう状況に出くわす可能性あるよなと。

対策として僕が考えたのは、
「ペットボトルにしよう」
でした。
僕の車には常に数本ミネラルウォーターやらお茶やらのペットボトルが置かれているので、いざとなったらそれにすればいいのではと。

で、先日、車を運転していたら急に尿意を催したんです。
途中でコンビニに寄るなどもできたのですが、ギリ目的地まで持つかな…というかんじだったので我慢していたら、目的地に到着するや、もう限界に来て。
そうだ、以前から考えていたあのプランを実行に移すときだ、と思いまして、手近にあったペットボトルの水を捨てて、通行人に見られてないかな…と気にしながら、ジッパーを下げました。
ところが思いがけぬことが!
ペットボトルの口よりも僕のちんちんの方がはるかに太かったんです。
これは想定していなかった…。
ちょっとしたうれしさと絶望が同時に襲いかかりました。
ところが思いがけぬことが!
慌ててちんちんを納めてジッパーを下げた途端、尿意が収まったんです。
どうやら、下半身をいろいろまさぐっていたのがそういう効果を与えたらしく。
そのまま普通に降りて、トイレで用を足しました。

この逸話の教訓、それは、
「努力は思わぬ道を開く」
というものではないでしょうか。

ここしばらくずっと新著にかかりっきりで、ブログの更新が止まっていたのですが、
「ブログはどうなってますか」
という声を聞くようになって来たので、何か書こうかと。
思いついたのはこういう話だけでした。
意外にいい話…ですよね?

後日談ですが、ネットで調べると車中の簡易トイレっていろいろあるんですね。
さっそく買って車に置いておくようにしました。

2019年7月18日
by kossii
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人生で成功するためのステップ

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この歳になって、ようやくわかってきたことがあります。

長い仕事人生において成功を収めるためのステップとは、シンプルなものなんじゃないか?と。

それで最近は、自分の子どもたちにも広告学校の受講生たちにも、この話をするようにしています。

そのステップとは、

実力をつける

その実力で、多くの人から感謝される

そしたら後は何をやってもうまくいく

2019年6月21日
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ミドルファネルが業界を変える

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最近「フルファネル」という言葉をよく耳にしませんか。
「ファネル」が何ぞや、というのは(もし知らない方がいらしたら)各自調べていただくとして…。
僕の定義ではトップファネルが認知、ボトムファネルが刈り取り、それらを繋ぐミドルファネルが自分事化、となります。
たとえば認知とはTVCMで広く知ってもらうとかですね。
たとえば刈り取りとはリスティングや自社サイトを訪れた人へのリターゲティングバナーとかですね。
これらは、ずいぶん前から行われて来ました。
しかし、バラバラに行われて来たので、認知から刈り取りまで全体で一つのコミュニケーション設計を作ろうよ、という考え方を「フルファネル化」と言っているわけです。

実際、ミドルファネルをぶっ込むと、成果が格段に上がります。
昨年対比数倍といった数字が出たりします(僕の事例で「変わらず」などといったことはまだ一つもありません)。
ミドルファネルのキモは「細分化」にあります。
僕のやり方としては大きく2つに分かれてまして、ターゲットの細分化あるいは商品優位性の細分化です。
ターゲットの細分化とは、ターゲットを3~4種類ぐらいのクラスター(スモールマス)に分けることですが、その各クラスターが価値を感じるようにWEBCMなどのコンテンツを複数バリエーション制作し、当てていくわけです。
商品優位性の細分化とは、その商品やサービスの優位性を一つに決めるのではなく、多面的に捉えてコンテンツを複数バリエーション制作し、ターゲットに複数回当てていきます。
喩えは悪いですがいろんな餌で魚釣りをするわけです。
どっちにしても、メディアとしてはSNSが売上げや集客への寄与度が高い傾向です。

広告コンテンツ企画制作はTVCMなどのトップファネルをまず先にやって、さあWEBはどうするか、という流れが一般的でしょう。
僕は逆のやり方を取ります。
ミドルファネル先にありきで、そのコンテンツの中から最大のクラスターに当てられるもの、あるいは商品優位性を最大に伝えられるものを「代表」としてTVCMやTrueViewに持って来るのです。
ちなみにTrueViewはトップファネルに置いて認知メディアとして活用するやり方と、ミドルファネルに置いて自分事化メディアとして活用するやり方と、両方に使えますが、SNSに比べてViewは10倍以上出ますがエンゲージは低いのでトップファネル向きと考えます。
ミドルファネルはトップやボトムの役割を兼ねることもできます。
制作費的にも、全部まとめて作っちゃうことができますから、これまでのやり方より格段に低くなります。

「なるほど、じゃあすぐやってみよう!」と思っても、残念ながらそうはいきません。
フルファネル化は、コミュニケーション組織の一体化なくしてはできないことだからです。
先ほど、「これらは、ずいぶん前から行われて来ました。」と書きましたが、別組織で行われる場合がほとんどでしたし、今もそうです。
つまり認知はマーケティング部・宣伝部。
そこにつながっているのは総合系エージェンシー。
刈り取りはデジタルマーケティング部。
そこにつながっているのはデジタル系エージェンシー。
じゃあミドルファネルは誰がやるの…?
できる組織がないんです。
ミドルファネルのコンテンツ、たとえばWEBCMを企画制作する能力は宣伝部にありますが、運用する能力はデジタルマーケティング部にあります。
この2つの組織が両輪になっていなければフルファネルなんてできっこないんです。
よく業界系の記事で「デジタルマーケティング部がフルファネルを実現しました」というのを見かけますが、自己矛盾です。
「宣伝部とデジタルマーケティング部がフルファネルを実現しました」となっていなければ、それはフルファネルではありません。

ファネルというものを語るときには、必ず組織論がくっついてくるんです。
2つの組織がそれぞれで予算を持っているというのもコトをややこしくしています。

じゃあ、フルファネルは誰が音頭を取ってやっていくのか?
社長です。
あるいは、マーケティングを全権委任された専務、常務などの、いわゆるトップ。
僕はこういった方々から依頼を受け、広告主サイドのアドバイザーとして組織間、企業間の交通整理をする、そんな業務が増えました。
繰り返しますが、そうやって組織を整えてミドルファネルから作っていくと、格段に成果が上がるんです。
ただ、このようなトップはまだまだ少ない実感です。
幕末の開明派大名のような、マーケティング意識の高いトップが増えれば、次第に広告主の組織体制も変革され、ひいては広告業界全体の変革につながるように思えます。
どうやったら増えるかなあー、と考えているところです。

2019年3月18日
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ピエール瀧の子どもに罪はない

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あくまで仮の話としてです。
山中教授が若い頃から違法ドラッグをやっていたのが見つかったら、iPS研究は自粛しなければならないのだろうか?
答は否に決まってます。
教授自身は研究から退くかもしれませんが、研究を止めるわけにはいきません。
ならば、アーチストがドラッグや犯罪をやっていたら、その作品は地上から抹殺されるべきなのか?
この答えも否に決まっています。
どちらもその人自身ではなく、その人の成果物なのですから。
そして、どちらもそれによって恩恵を受ける人たちが、数の多寡はともあれ、いるのですから。
これは議論の余地もないのではないでしょうか。

科学者であれ、アーチストであれ、ビジネスマンであれ、彼らが残した功績は等しく彼らの「子ども」です。
子どもにまで罪を着せようというのは、古代の九族皆殺を連想させてゾッとします。

現代のあらゆる生物は自分の遺伝子を残そうという本能を持っています。
そういう本能を持たない生物も過去にはいたかもしれませんが、当然ながら、死滅しています。
僕らにもその本能はあるわけで、それがゆえに、わざわざ時間やお金や労力を使って「子ども」を産み育てます。
しかし、生涯子どもを持たない人たちもいますよね。
これはなぜなのか。
ミームという考え方があります。
情報遺伝子、あるいは疑似遺伝子とでも呼びましょうか。

自分が成し遂げたもの、作り上げたものには何らか「自分」が宿っています。
そして、それは拡散していく可能性があります。
iPSなら、そこを起点にして新しい発見がなされるとか。
音楽なら、それに触発された人が新しい音を生み出すとか。
人間はそこに自分の遺伝子を見出すのですね。
あたかも自分の子孫が増殖していくように。

人間だけが持つこの不思議な心性は、少子化と結びついています。
新興国で出産率が高く、先進国で出産率が低い理由は、乳幼児死亡率の高低なども影響しているでしょうが、先進国の方がミームを作る機会に恵まれているからでしょう。
先進国に住む僕らは生物学的な子どもよりも情報遺伝子による子どもをせっせと産み育てているわけです。

逆に言えば、だからこそ僕らは先進でいられるのかもしれません。
昔から、何かを成し遂げる者にとって子どもは足かせでした。
僧侶は妻帯を禁じられていました。
しかし、一族の中でそのような者が出ると必ず兄弟が子どもを多く残す。
そのように生物学的な子どもと情報的な子どもを残すバランスを取りながら僕らは進歩というものをして来たのでしょう。
少子高齢化の問題はそのバランスが崩れてきているということです。

いずれにせよ、「子ども」のいない世界に未来はありません。
私見では、生物学的な子どもは何より重要です。
しかし、情報遺伝子による子どもも未来に繋がる種であることは間違いありません。
子どもに罪はありません。
子どもを抹殺してはいけません。

2019年1月8日
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新年の当たり前⑤ 今年も現場行きますよ!

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ここのところ、すっかりデジタルの人間と見做されている自分ですが、そんなことはありません。

クライアントさまの課題解決のためにはデジタルも採り入れなきゃというだけのことでして、「TVCMの企画制作して」「コピー書いて」というレガシーなお仕事もフツーにやっております。
そんな中、最近びっくりするようなことを言われるようになってきました。
「えっ、小霜さん、撮影立ち会うんですか?」

ちょっと意味わからない。
サンドイッチマン状態となること多し。
CDなんだから撮影に立ち会うのは当たり前じゃん?
気になって調べてみると、クライアントのエラい人がいるところにしか現れない、つまりプレゼンと試写しか来ないCDが非常に多いらしい。
以前、エージェンシーのCMプランナーたちが勝手に打ち合わせして「確認してください」って企画を送って来たことがありました。
なんで勝手に進めてるんだ、って怒ったのだけど、彼らからするとCDは打合せに参加しないのが当たり前だったのでしょうね。
何たることか。

クリエイティブディレクターとは、クライアントに対してクリエイティブ・クオリティの保証をするのが役割。
それが、企画もしなければ撮影にも行かない、編集にも行かないではいったいどこに存在理由があるのでしょうか。
撮影で気づくことは非常に多い。
その場の閃きでいいカットが撮れることもあるし、逆に、その場の発見で炎上が防がれることもある。
そして撮影現場にいれば、どんなカットを撮っていたかわかる。
編集では監督がまず繋いだのをチェックするのだけど、うわーこれじゃなー、となることもある。
このままクライアントに見せたら揉めるの必至、大改造必要、という。
そういった時、「こんなカット撮らなかったっけ?」とCDが気づくかどうかで全然違ってくる。
だから僕は、企画打合せは自分で主導し、撮影も編集も最後までチェックします。

最近はコンサルティング的な業務も多くなってきましたが、やはり現場プレイヤーでなければ、机上論しか提言できなくなってしまいます。
僕は評論家になるつもりはありません。
そういう意味でもこれまで通り、いわゆるCM、コピーライティングといったレガシークリエイティブもしっかりやり続けなければと思う次第です。
たいへんだけど仕方ないです。
基本大阪人なので、アホなものばかり作っていたいというどうしょうもない性根もあるのですが…。

振り返れば、2018年はコンテンツの年でした。
ドラマでも映画でも主役〇〇頼みではなく、内容の優れたコンテンツがヒットしました。
これは生活者の視聴態度が全体的にLean BackからLean Forwardに変化して来ているということでしょう。
いいものは自分で見つける時代ということです。
広告においても、これからはコンテンツ=クリエイティブ主導が加速すると予測しています。
まだまだクリエイティブの現場から離れるわけにはいかないなと気を引き締めております。

ということで、新年の野心から新年の当たり前まで①~⑤を一気に書いてしまいましたが、これらを実現するためには自分一人の力では到底無理でして、皆さまのご支援ご助力をいっそう賜りたい次第です。

改めて、本年も何卒よろしくお願いいたします。

欲しい ほしい ホシイ── ヒトの本能から広告を読み解くと(インプレス・ジャパン)>Amazon

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心④ コピーライティングの新しい仕組みづくり

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今年からコピーライティングの新しい「仕組み」を作っていこうと思います。

「コピー」というものの役割がどんどん拡大している、というのが根っこの理由です。
僕は数年前に上梓した自著で、コピーはキャッチフレーズよりもタグラインに価値がある、などと書きました。
その原則は今でも変わっていないと思いますが、キャッチフレーズとタグラインを書くのがコピーライターの役割かというと、それではもう全く足りません。
一例を挙げれば、「検索ワード」は「ハッシュタグワード」に変わって来ていますね。
商品やサービスがSNS内でどのように検索されるか、拡散されるか、そういったコピー作りは旧来のレトリック型キャッチフレーズ作りとは全く頭の使い方が異なります。
Web広告(特にバナー)ではクラスター分けされたターゲットに精緻に刺さるコピーが必要ですが、これも属性でセグメントするのか、興味関心でセグメントするのか、そういったことでコピーの作り方は変わって来ます。
これまでの職人的やり方では対応できないのです。

また、広告主は押し付けを嫌がるようになって来ています。
コピーライターが、これが絶対にいい、といって1案、あるいは2、3案しか持っていかないと「もっと他にも見たい」と言われます。
「①」でも触れましたが、マーケティング担当者がアカウンタビリティ(説明責任)を果たすためには、全方位的に俯瞰した上で、これならコミュニケーション投資で失敗しないという強い確信を持たなければ進めないのです。
僕がコピーやネーミングをプレゼンするやり方は、まず切り口違いの50案ほどをテーブルの上に並べます。
それを広告主が見ていると、無意識に秘めていた思いが顕在化してきて、「自分たちが本当に伝えたかったのはこれだ」とわかってくるんですね。
そこからさらに拡げたり掘ったりをして、最終的な確信まで持っていきます。

ただそのやり方には馬力が必要です。
切り口違いの50案を並べるためには元となる数百案から絞り込まないといけません。
自分一人で360°の切り口を数百出すのはキャパ的に無理があるので、「クラウド」を活用します。
僕の「クラウド」とは、副業コピーライターたちです。
無料広告学校の元受講生に、副業でコピーを書きたいという人たちがいます。
本業としてコピーライターを目指す人もいますが、ほとんどは企画脳を育てることで自分の実務に役立つだろう、また人生の次のステージへの体力づくりになるだろう、と考える人たちです。
コピーライティングはクリエイティブ作業の中で最もストラテジー立案に隣接していますから。
そしてその中には、非常に「使える」人たちがいるんです。
案件によって適した人を数人集めてオリエンし、ガーッと書いてもらいます。
それを僕がディレクションし、また書き直し、50案に絞り込んでいきます。
活躍度合いによってきちんと報酬は払いますし、もちろん手柄を自分のものにしたりはしません。
採用されたらそれを書いた人の名前をコピーライターとしてクレジットします。
このやり方はクライアントさまに大好評で、これまで喜んでもらえなかったことがありません。
エージェンシーやプロダクションにもなかなかできないことで、言葉ひとつひとつのレベルも凌駕していると思います。
僕が商品開発に携わらせてもらったキリンノンアルコールビール「零ICHI」のネーミングは主婦のアイデアでした。

最近、そのやり方を聞きつけた外部クリエイティブディレクターやアートディレクターから彼らを貸し出してほしいという話が来るようになりました。
彼らのモチベーションは企画脳を鍛えることですから、他流試合をしてみたいという意欲も旺盛です。
もし誰かのコピーやネーミングが採用されたらクレジットに名前をしっかり入れる(手柄を横取りしない)ことを条件に開放することとしました。
これは一部のコピーライターたちから反発を招くかもしれません。
しかし自分はもう20年以上前から旧来のコピーライティングではやっていけない時代が来ると警鐘を鳴らしています。
自分のスタンスはあくまでクライアントファーストであり、クライアントのためにどういうやり方がベストかを常に考え続けてきました。
コピーライティング、ネーミング開発についてはこのCD&Crowd体制が現状ではベストと思っており、また、これは国が奨励する第2の人生設計に向けた副業・兼業の流れに完全に合致するものであります。
「量産の元が大事ならAI&CDでもいいんじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、AIは発注主の真意を理解して書き始める、ということをしません。
ただワードを並べ替える作業を高速でするだけ、と言って過言ではないでしょう。
アルゴリズムはほぼ同じでしょうから、AIコピーが普及すると表現の差別性が感じられなくなっていく、というパラドックスも待っているはずです。
まだまだA/Bテストぐらいにしか使えないんじゃないか(逆にA/Bテストになら非常に使える)と思っています。

ちなみにスペシャリストが一人で書く、というやり方じゃないとできないコピーライティングもあります。
企業の経営ビジョンを言葉化するとか、そういうものですね。
ミッション、ビジョン、バリュー、ステートメントといったいわば「CIセット」などは、経営者に寄り添わないととても書けないものなので、これは僕が一人でゼロスクラッチでライティングします。
ところでコピー、スローガン、ネーミング、自分は全てバイアウトします。
これらは発注主のものであり、自分はそれらを作るお手伝いをしているに過ぎないという認識なので、権利を一切持ちません。

ここらで広告コピーの本当の話をします。 (宣伝会議)>Amazon

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心③ イノベーション支援の支援

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社会的な視点でもビジネス的な視点でも、今後のキーワードがイノベーションであることに異論はないと思われます。

ニーチェは「現在に影響を与えているのは未来」と言いました。
調査によれば日本では未来へ悲観的な人が9割です。
となると、明るい未来を切り拓くために、イノベーションを続々と生み出そうという現在の流れは必然ということです。
大企業もオープンイノベーションに頼る時代に突入しています。

ただ、日本はイノベーションアイデアを持ったスタートアップ企業にとって必ずしも良い環境とは言えません。
ラトヴィアがスタートアップ天国となっているのは国自体がテストマーケティングサイズだからです。
日本では大企業や大資本と提携しないとなかなか難しい実状があります。
だから皆で他国に負けないぐらいスタートアップ企業を支援しないといけないわけで、じっさい様々な支援サービスが立ち上がっています。
投資家へのプレゼンの仕方を指導したりとかですね。

ところが、その投資家に悪質な人たちがいるんです。
ただアイデアを食い物にするというだけでなく、低レベルの話では女性起業家の20%が投資家からセクハラを受けたというデータも存在します。
そういった投資家からどう保護し正しい成長軌道に乗ってもらうか、という課題があります。
また、スタートアップ企業のマーケティングの受け皿をどうするか、という課題もあります。
適切なマーケティング支援をしてくれるプレイヤーが、少なくともスタートアップ側からはほぼ見えていません。
人脈を辿って個人レベルで依頼、というのが実状です。

しかし、これらをサポートする新しい仕組みがいくつか立ち上がろうとしています。
自分はそのサポートの仕組みをサポートします。
無料広告学校もそうですが、もともと僕は若者支援をずっとやっていまして、これもその延長として捉えています。
近々公表します。

社会課題解決サポートも、今まで通り注力します。
これまで、iPSを初めて実用化したことで著名な高橋政代先生が主導する神戸アイセンター構想、視覚障害者の社会復帰を後押しするiSEE!運動などをサポートしてきました。
昨年からそれらに加え、障害者の社会復帰を実現していく他の取り組みにも参加しています。
これも大きな事例がひとつ成立しましたので近々公表できると思います。

社会課題解決と言えば、内閣府のお仕事もほとんどがそれに該当します。
ここもエージェンシーとのコネクティング的な示唆をさせていただくことが多く、コミュニケーションロスの防止やメディア費効率化などによって、かなり税金を有効活用できているはずです。
いちおう報酬は出ますが、まあボランティアに近いかなと…。
2018年度の日本のベストバイヤーは僕を買った内閣府で間違いないと思っております。

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心② クリエイティブ・コネクションという新たな役割

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昨年はいろんな、有り難いご縁に恵まれた年でした。

2019年1月現在、内閣府、日本テレビ、電通デジタル、サイバーエージェント、Jeki、AOI Pro.、そして多数の広告主さまと顧問/アドバイザー/ECD契約を結ばせていただいています。
各界のトッププレイヤーとお付き合いしていると、その課題感を得るだけでも自分にとって大きな知見となります。
メディアの記事ではない、ナマの実態を肌で感じられるのは非常に強いことだからです。
それも行政の大所高所からアウトプットの現場までを見られることは自分に立体的な視座を与えてくれ、そこからクライアントさまへ机上論ではない実効性の高いフィードバックをすることができます。
おそらくこのようなポジションにいる人間は日本で自分一人だけでしょう。
今年は、このポジションをさらに拡げます。

そして、広告主直でのご依頼内容、お付き合いの仕方も変化してきています。
自分はずっとクリエイティブディレクターをやって来て、クリエイティブは自ら請け負うのが当たり前でしたし、広告主やエージェンシーの方々もそう思っていたはずです。
でも、僕はあくまで広告主側にいて、エージェンシーがクリエイティブの企画制作をするのをサポートしてほしい、というご依頼が増えて来ているんです。
いろんな事情(契約関係とか権利関係とか)で、クリエイティブはこのエージェンシーに任せることが決まっている、といったケースってけっこうあるんですよね。
でも、なんだかうまくいかない。
そこに自分が入ると、瓦解寸前だったのがうまく回り始めるんです。
「うまくいかない」というのは、表面的には、マス・Web統合があります。
なかなかワンストップで任せられるエージェンシーがいない、また、広告主側のリテラシーが高くないと、エージェンシーも低めに合わせてくる。
こんなことでいいのか?と経営層から叱咤されるのだけど、現場がなかなか期待以上に答えられない。

デジタルは本当に日進月歩です。
たとえば昨年9月、TrueViewのデータをGDNで使うことができなくなり、TrueViewによるファネル設計が難しくなりました(おそらくそのことすら知らないデジタル系の人もまだいるはず)。
YouTubeの広告収入を減少させるようなことをなぜGoogleはやったのか?
この疑問に答えてくれる人はいませんでした。
やや話は逸れますが、日本ではWebCMは短いほどよく観られる、が常識です。
が、米国では一昨年ほど前から逆転現象が始まっているんです。
YouTubeコンテンツは長い方が見られる傾向にあり、Googleは長時間動画をリコメンドするアルゴリズムに変えたようです。
長い動画に広告を入れ込む方がGoogleとクリエイターはWin-Winの関係が築けるというわけです。
つまり、米国ではYouTubeのTV化がいよいよ始まっていて、日本はそれに振り回されている状況。
そこまで仮説立てられていて初めて、じゃあ日本ではどうするべきかという打ち手が考えられるわけですが、広告主もエージェンシーの担当者もほとんど追いついていない実状があります。
いろんな間違った知識や憶測が乱れ飛んでいる中で、成果の出にくいデジタル施策が氾濫しているので、僕のような運用発でコンテンツを評価できる人間が歓迎されるのです。

ただこれはけっこう根の深い話でして、広告主とエージェンシーのいろんな「ズレ」が年々大きくなっているように感じます。
いくら念を入れてオリエンをしても、経営層の真意を掴んでいないプレゼンがなされる、ということは往々にしてあります。
いろんな企業とお付き合いして感じるのは、最も勉強しているのは社長、専務、常務、といった代表取締役なんですよね。
できる人、わかってる人がデジタルマーケティングに長けた他社から横滑りでそこに入ってくると、部長レベルでもう付いていけなかったりします。
でも社長がいちいち現場に顔を出すのも限度がある。
僕はマス・Web統合のご依頼を受けて入ることが多いのですが、元エージェンシーの人間なのでエージェンシーのインサイトもわかります。
ああここを取り違えたのだな、ということで、経営層の言葉を翻訳してあげるとか、それでもダメなら具体的にこういう企画がいいんじゃない、と見せてあげたりとか。
そうすると非常にスムーズに流れ始めるんですね。
撮影や編集も極力立ち会います。
やはり末端まで真意が伝わっていないということはありますし、その場で口を出すことは必ずあります。
さらに言えば、エージェンシーからの見積もりを見てほしいとか、契約内容を見てほしいとか、そんなことを頼まれたりもします。
そうすると、「ここは内制でいいんじゃないですか?」「ここの美術は必要ないんじゃないですか?」とか言うだけで、何千万円と制作費が下がったりするんですよ。
ただそれだけのことで、僕の契約料の何倍もペイします。
何といいますか、自分がやっていることはコンサルティングというよりも、「コネクティング」じゃないかなーと感じること増えました。
単にコストカットを迫って泣かせるのではなく、エージェンシーのモチベーションも上がるようにベストな落としどころを見つけてあげる、そんな役割が期待されるようになって来ていて、経営層大喜びなんです。
今年はそういう仕事の仕方ももうちょっと増やしてみようかなと思っています。
何しろクライアントさまにメチャ喜ばれるものですから。

じつはその先には、「内制化サポート」というものが待ち受けている気がしています。
コミュニケーション施策全てをワンストップで引き受けられるエージェンシーが、現実的にはいないと言ってもいいぐらいの状況の中で、一部の広告主はコンテンツの企画制作でも、メディア運用体制でも、内制化に舵を切り始めています。
お正月の討論番組で、どなたかが「知の再武装」という言葉を発してました。
AIが人間の「知」の一部を引き受けるのだとすると、人間としてAIにはできない領域の知を見直し再強化しなければいけない、といった意です。
マーケティングの内制化に置き換えるならば、それは単にエージェンシーに払うマージンが浮くよね、とか、そういうセコい目的ではなく、デジタルテクノロジーが加速し、企業全体としてデジタルディスラプション(創造的破壊)からどう防衛するのか、あるいはディスラプター側になることはできるのか、そういった「再武装」を伴わなければ意義は浅いでしょう。
いずれそういったサポートもしていきたいと思っています。

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心① 「マス・Web統合」さらに「広告・販促統合」へ

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皆さま、明けまして。
(昨年父が他界したものでこれ以上は口に出せませんが・・・)
本年もよろしくお願いいたします!

旧年は自分にとってまた一段ステージを登る年となりました。
これもひとえに皆さまのご支援によるものと感謝しております。

最近、自分の使命は広告業界をもっとより良い世界とすることではないか(シリコンバレーあたりでよく使われそうな言い方ですが…)と感じるようになり、そのような期待を向けられることも多くなってきました。
そのために、今年はこれまでに増して様々な抱負(あるいは野心)を持つこととしました。

まずは、「マス・Web統合」も超えた「広告・販促統合」へのクリエイティブ・ディレクター活動領域拡大です。

クリエイティブのマス・Web統合を自著で提唱したのは1年半ほど前。
これは今や当たり前で、言うまでもないものとなって来たように思います。
ただクリエイティブを統合しても、マス・Webの垣根を越えたアロケーション(=予算配分)をどうするかという課題がくっついて来ることに気づきました。
コミュニケーションの「最適化」とは、コンテンツの最適化を縦軸、予算配分の最適化を横軸とすると、その面積をどれだけ拡げるかということです。
どちらかだけでも成り立たない、両輪のようなものです。

今後、TVのWeb同時配信が始まることとなるでしょう。
そうするとTVとWebの一体化が本格的に始まることとなり、データの相互活用もできるようになっていくと思われます。
ただ、そこに至る道は険しいものがあります。
クリアすべき権利関係が山積みであるのと、ワンセグでの視聴がションボリな体験もあり、民放は腰が引けているからです。
なので、まだしばらくはオン・オフをまたいで分析するメソッドに頼る必要があります。

この課題を克服するために僕は昨年ハートラス社と業務提携し、予算配分最適化メソッドの開発・普及促進を始めました。
Fig.A(Figures for Allocation フィーガー)という名前です(仮 公表前)。
ネーミングが表すとおり、広告主さまからいただく数字データだけで各コミュニケーション施策が何にどれだけ寄与したかを分析、今後の最適配分案を提示します。
現状、再現性は約8割。
「再現性」とは、簡単に言えばTVCMのGRPを1上げると商品が10個売れる、というシミュレーション結果が出たとして、実際にやってみると8個~12個の幅で変動するという意味です。
これは他の類似ツールと比して劣るものではなく、また、回を重ねると約9割まで上がっていきます。

統計学で用いられる重回帰分析という手法があり、やや難しく言うと1つの目的変数を複数の説明変数で予測しようというものです。
ビジネス分野では営業予測や店舗の売上げ予測に使われることがありましたが、変数は品数や値引率、店の面積など。
Fig.Aはこれをコミュニケーション施策の様々な変数に応用できないかと考えたメソッドです。
ツール導入の必要がないので、初期投資にお金がかからず、驚くほど廉価でサービス提供ができます。
また、ツールを使うための人的リソースを割いていただくこともありません。
さらにはスピーディで、2週間以内に分析・提案が可能。
その日の天候など施策外で影響を与えそうなものを変数に組み込むこともできます。
バナーを増やすとコンバージョンが増えるね、といった表層的な分析に留まらず、どの施策がどの施策に影響を与えているのかというアトリビューション(貢献度)も可視化できます。
この技術を持っているのは僕の知る限りでは我々だけで、紹介させていただいた自分のクライアントさまからはとても好評です。

近年マーケティング部署から経営層へのアカウンタビリティ(説明責任)が大きな課題として浮上しています。
つまりコンテンツ制作費、メディア費含め、コミュニケーション投資の対効果がブラックボックス化しているのをなんとかせよと。
「そこはどうしようもないよね」「そのうち誰かがやるよね」と放っておける性分ではないので、自分がその課題解決をしようと意を決した次第です。

また、これまで僕が悩んでいたのは、KPIの設定でした。
たとえばWebCMを流したとします。
動画は静止画よりもクリック率が劣りますから、そこでのコンバージョンはさほど期待しません。
リターゲティングバナーにつなげるためのデータ取得を主目的とします。
しかし、このWebCMの何をもって「うまくいった」と言えるのか?
KPIを完全視聴率と設定したとしても、それが高ければCMとして出来のいいクリエイティブと考えられるのか?
Googleはアルゴリズムを変えて「完全視聴しやすい人」に露出させるようになり、TrueViewの平均完全視聴率は数年前の倍ぐらいになっています。
それは広告が届いたと考えていいのだろうか?
しかし、このWebCMのこのバージョンをこれだけ露出すればこういう効果に繋がる、といったことが可視化できれば、それこそがクリエイティブの評価になるし、メディア運用においてKPIという考え方すら必要なくなるかもしれません。

そして、さらに重要なこと。
Fig.Aはマス・Webにとどまらず、チラシであったり営業マンの数であったり、販促施策や営業施策まで対象とすることができます。
たとえば僕のあるクライアントさんは集客を折り込みチラシに頼っていましたが、このメソッドによって初めてTVCM・Web・チラシ全体の最適アロケーションをすることができました。
また、ある家電メーカーでは売上げ向上のために「広告予算を減らして量販店の派遣店員を増やすべきではないか?」といった議論がなされています。
こうなると、「マス・Web」の領域すら閉じこもった感があります。
デジタル時代に入り、クリエイティブディレクターはコンテンツ発でなく、メディア設計発でコンテンツを企画することが求められていますが、自分はさらに、これを販促領域まで拡げる必要があると考えています。
それによって販促・営業まで含むコミュニケーション投資をさらに柔軟なものとし、ROIをトータルで高めることができます。

自分で提唱しておきながらですが、「マス・Web統合」という課題ですら今や周回遅れの感を抱きます。
繰り返しになりますがマス・Web統合などは当たり前、販促から営業活動まで全てを俯瞰視して、どこにどういうコンテンツを配置してどういうアプローチをするのか、そこまで役割を拡張することで広告クリエイティブディレクターは来たるべき時代に機能すると考えています。

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