2020年2月4日
by kossii
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ウィルス飛沫99%カット(?)

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あちこちの薬局でマスクが品切れとのニュースです。
日本ではそんなに大勢の人がコロナウィルス肺炎を発症していませんので、その大半は咳エチケットではなく予防したい人たちが買っているのでしょう。
市販のマスクにウィルスを予防することなどできないのに、です。

厚労省の新型インフルエンザ専門家会議はこのように言っています。
「不織布(ふしょくふ)製マスクのフィルターに環境中のウイルスを含んだ飛沫がある程度は捕捉されるが、感染していない健康な人が、不織布製マ スクを着用することで飛沫を完全に吸い込まないようにすることは出来ない。」
感染者が飛沫の範囲を狭めるためにマスクをするのは一定の効果を認めるものの、その逆、健康者が感染を防ぐための効果はほぼない、というのが厚労省のスタンスで、これは医療従事者の共通認識になっていると言えるでしょう。

もしかするとあなたは、
「いやいや病院に行けばお医者さんたちマスクしてるじゃん」
と思うかもしれません。
もしそれが市販のマスクなら、たぶん、「お通夜の喪服」みたいなものでしょう。
お通夜に喪服を着ていくのは失礼に当たるのだって知ってました?
それだと死を待ち構えてたことになるので、お通夜には私服で行って、こんなに急だとは…と言うのが礼儀なんです。
ところが実際に私服でお通夜に行こうものなら、無知な人々の群れからなんだこの失礼なヤツはという目で睨まれます(何度かそういう目に遭いました)。
エージェンシーの「ご提案」もそうですね。
立場が下の者が提案するときは「提案差し上げます」などと言うべきで、立場が上の者が提案してきたら「御社のご提案」となるのですが、広告業界では「私どものご提案としましては…」がデフォルトです。
クライアントが無知だと何だこの失礼なヤツらはと思われてしまうので「ご提案」になるわけです。
このように正しい知識があっても周りの無知に合わせないといけないケースは多々あります。
医師も、マスク付けとけば患者も安心するだろう的な動機で付けている人が多いと思われます。

またあなたは、
「でもマスクのパッケージにウィルス飛沫99%カットって書いてるぞ」
と言うかもしれません。
そこなんです、僕が非常に気になっているのは。
その99%カットの根拠は、そのメーカーが行った試験結果です。
具体的な文言としては、以下のようになっています。
「0.1μmの微粒子・花粉。ウィルス飛沫を99%カット(フィルター性能)。特殊静電フィルターが花粉・ウィルス飛沫はもちろん、0.1μmの微粒子もカット。」
僕が気になるのは、なぜ、
「0.1μmの微粒子・花粉・ウィルス飛沫を」
ではなく、
「0.1μmの微粒子・花粉。ウィルス飛沫を」
と分けているのか?です。
また、
「花粉・ウィルス飛沫はもちろん、0.1μmの微粒子もカット。」
と、花粉・ウィルス飛沫と0.1μmの微粒子を別物にしてますよね。

アメリカ合衆国労働安全衛生研究所が規定しているマスクの性能は、N95だと0.1~0.3μmの微粒子を95%カット、N99だと99%、N100だとほぼ100%となっていて、厚労省もN95と同レベルのDS2という規格を定めています。
これらはもともと粉塵予防に用いられるもので、建設現場などでマスクを使用するときはこの規格のものを使うべしと法律で定められています。
これがウィルスにも効果あるのでは?として、N95規格以上のマスクは医療現場にも拡がっています。
上記のマスクメーカーは、これに倣った表現をしているのだと思います。
おれらのマスクはN99レベルやで、と。
しかしそれなら、なぜストレートに
「0.1μmの微粒子・花粉・ウィルス飛沫を99%カット(フィルター性能)。特殊静電フィルターが花粉・ウィルス飛沫含む0.1μmの微粒子をカット。」
と言わないのか。
素朴な答は、ウィルスを99%カットするデータはない、ということになります。
だからそこは濁しているのだろうと。

いやもしかすると、逆かもしれません。
メーカーは99%ウィルスをカットできると自信満々なのに、そういう表現を消費者庁が許さなかったので、曖昧にせざるを得なかった。
消費者庁はなぜかハッキリさせるのを好みません。
あらゆるものを曖昧にするのです。

消費者庁は名前のごとく、消費者の利益を守るために存在しているはずだけど、結果として何も守っていないように自分には感じられます。
たとえば飲むものは全身に影響するはずだから、どこか身体の一部に効くと言ってはならない、とか。
だからグルコサミンが関節にいいとは言えない。
サプリメーカーは屈伸している様子をCMで見せたりして、口には出せないけどわかってくれ…!とアピールするわけです。
ジェスチャーゲームみたいなものですよ。
「えーっと、ペンギン?ペンギン?違う? それは…水?あっ、お茶?合ってる? わかった、カトちゃん!カトちゃんね?」
ところがそういう表現も「✕」にされていって、今ではただ突っ立てるだけのジェスチャーゲームです。
何にも伝えられない。

花王ヘルシアは「脂肪を燃焼させる」と言っていたのが、「実際に燃焼させるわけではない」という指導が入って、その言葉は使えないことに。
実際燃焼したらファイアパンチだろ!

実際に燃焼しないから「比喩表現なんだな」と思ってもらえるわけで。
「いくら飲んでもファイアパンチにならないぞ」とクレームが入ったという話は聞きません。
ドラッグストアに行くといろんなサプリや健康食品が並んでますが、どれが何に効くのかわかりません。
その状況がなぜ消費者の利益になるのか、僕には理解できないのです。

マスクに話を戻しますと、友人の医療者曰く、健康者がマスクを付けることで感染に対する意識を高める効果はあるのではないか、それによって人混みに近づかないようになる、手洗いを徹底するといった間接的効果はあるのでは、と。
しかし僕は逆を案じます。
マスクを付けることで実際以上の大丈夫感で、平気で人混みに行ってウィルスをもらいまくることにもなりかねないではないですか。
グルコサミンが全身に効くのに消費者が膝にだけ効くと誤解したって、カテキンが実際に脂肪を燃やすのだと誤解したって、メガシャキの「メガ」がメーカーが主張するように「MEGA」という単位ではなく「眼が」なんだなと誤解したって、たいして消費者の利益は損ないませんよ。
それよりも、効果のないマスクに頼ってウィルスをバンバンもらいまくるとか、買い占めで本当に必要としている人に届かないとか、あるいは逆に効果があるのに医療従事者は「ない」と認識してしまっていて彼らが命を落とすことになるとか、そっちの方が比較にならないぐらい大きな問題でしょう。
厚労省の認識が正しいのか、メーカーの試験結果の方が信頼できるのか、曖昧にしないで、消費者の利益のためにここでハッキリさせてほしいと思う次第です。

2019年12月31日
by kossii
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小霜が愛して止まないコミック2019

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僕は平均して一日に一冊コミックを読みます。
それで、「いまどんなコミックが面白いですか?」とよく聞かれます。
その人のことをよく知っていれば、「〇〇さんはこれを読むといいんじゃないかなー」と、コミックコンシェルジュ的なことをしますが、ほぼ外れません。
「あれはよかったですー!」と感謝されること多いです。
今年もいろんな方にお世話になりました。
年末に感謝を込めて、2019年末現在、小霜が愛して止まないコミックを披露してみようかと思います。
万人が「面白い!」と感じるコミックはないでしょうけども、あなたのコミックライフ(?)の何らか参考になれば。
*現在連載中のものに限りました
*連載開始時期は古いかもしれません

SHIORI EXPERIENCE~ジミなわたしとヘンなおじさん~(1) (ビッグガンガンコミックス)

連載開始してもう5年以上経ちますけど、これはあらゆる角度から非常によくできたコミックです。
地味な音楽教師にジミヘンの霊が宿って、超絶ギターテクができるようになる、という馬鹿げた設定。
それで昔志したバンドをもう一度学校で編成しようとするのですが、これが、笑えるし泣けるんですよね。
ほぼどんな人も「いい!」って言ってくれるんじゃないかと。
こういうのがスピリッツやモーニングじゃなくビッグガンガンというマイナー誌から出て来たところにこれからのコミックの可能性を感じます。
ジミヘンだとかカートコバーンだとかが登場するし、権利関係とか考えるとアニメ化・ドラマ化は不可能と思われます。
おそらくコミック止まりだし、おそらくそれがゆえになかなかメジャーにならないのですが、コミックだけでじゅうぶん楽しめます。
音楽で元気でる系では「BLUE GIANT」もそうとういいです。

 

Dr.STONE 1 (ジャンプコミックス)

謎の光線によって人類が石化してしまい、数千年が経つ。
その石化が解けた少年は科学の知識がハンパない天才で、原始時代に戻った地球をゼロから文明社会へと発展させようとする。
たとえば自動車を作るためには何が必要か?というロードマップを書いて、そのための原料を採取しに行き、一つ一つ完成させていく。
それを妨害しようとするヤツらとのバトルもあり、お笑いもありで、何というか「男の子のためのコミック」です。
正直、ジャンプ系は友情・努力・勝利の定型があまり好きになれないのだけど、これはただケンカするだけじゃない努力と勝利を目指していて、とても斬新。
少なくとも嫌いだと言う人はほぼいないのでは。

 

お別れホスピタル (1) (ビッグコミックス)

回復が見込めずただ死期を待つだけの患者ばかりが集められた病棟のお話。
第1巻で衝撃を受けました。
フィクションなんでしょうけど、実際にそういうエピソードあるかもなーという不思議なリアリティと説得力がある。
作者はアスペルガーか何か精神をやや病んでいて、それを公表していますが、人を観る視点が常人とはちょっと違う気が。
作者が高校生の頃バイトで働いていた新生児クリニックの話「透明なゆりかご」もオススメ。

 

ゴールデンゴールド(1) (モーニングコミックス)

瀬戸内海の寂れた島に福の神が現れる。
島はなぜか本土から環境客が押し寄せどんどんリッチになっていく。
ただ、そこにはどこか禍々しいものがあって、どういう結末を辿るのか目が離せません。
ものすごく奇妙な引き込み力のあるコミック。

 

GIGANT(1) (ビッグコミックス)

タイトルの「GIGANT」が何を指しているのか表紙からは全くわからず、「若くてチャラそうに見えるけど人として器のでかい女の話かな」とか勝手に思ったのですが。
まるっきし違ってました…。
作者がデビュー時から「乳」に並々ならぬ執着を持っていたのは知っていたのですが、まさかそれを発散するためだけの作品を描くとは。
世界観は「いぬやしき」に似ているけど、それよりとんでもない怪作です。

 

あげくの果てのカノン(1) (ビッグコミックス)

高校の先輩への想いが断ち切れない女の子のせつない心情を描いているのですが、舞台は近未来、異星人の侵略で荒廃した地球というとんでもない設定。
先輩は異星人を排除する防衛軍に属していて、身体のほとんどが機械になっている。
展開もとんでもないことが続く。
これもまた怪作と言っていいでしょう。

 

便利屋斎藤さん、異世界に行く  1 (MFC)

個人的には、もしかするとこれが今年のNo.1かもしれません。
昨今はファンタジーモノの秀作も増えて来てますが、これはハッピーな読後感を求める人にオススメ。
元いた世界ではただの鍵開け屋で誰からも必要とされなかった齋藤さんが、ファンタジー世界ではパーティにとってなくてはならない存在となる。
ちょっと泣けてくるんですよね…。
残念なのは、1巻はそうとういいんだけど、2巻がダメ。
便利屋としての活躍が全く描けてない。
期待してただけに…(T^T)

 

ゴブリンスレイヤー 1巻【期間限定 無料お試し版】 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)

ファンタジーモノのダーク系で秀逸なのがこれ。
怪物の中で最も低位で最も弱く、冒険者から相手にされないゴブリンは、最も残虐な存在。
そのゴブリンだけをひたすら狩る男の話。
読後感はスカッとして、鬱にはならないです。

 

終末のワルキューレ 1巻 (ゼノンコミックス)

神代表の13名と、人類代表の13名がタイマンして、もし人類が7勝できなかったら滅ぼされるという、これもまたなかなかの設定。
戦う組合せに意外性があって、「そう来たか」というアイデアがある。
画はけっこうB級感あるんだけど、それがかえっていいのかもしれません。
一度読み始めるとちょっと抜けられません。

からかい上手の高木さん(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

いつも教室で席が隣同士の中学生男女。
女の子は男の子をからかって楽しみ、男の子はやり返そうとするけど空回り。
そんなカタチで気持ちを伝えようとする二人のやり取りにほんわかする。
連載開始からけっこう長いですが、よくネタが尽きないなと感心。
業界のダークサイドでささくれ立ったココロを癒やすのに使わせてもらっています。
大人になってからの「からかい上手の(元)高木さん」もグッド。

 

イサック(1) (アフタヌーンコミックス)

ここ数年、なぜか西欧歴史モノがいろいろ出て来てて、けっこうなヒットを飛ばしてます。
ヴィンランド・サガ」しかり、「乙嫁語り」しかり。
以前はそういうテーマは読者が少ないということで日の目を観ることは少なかったはずだけど、僕のような固定ファンが一定層いるということでしょうか。
歴史モノは、史実に忠実なリアリティがないとマニア心をくすぐりません。
徹底したノンフィクションと、主人公が活躍するフィクションのうまいバランス取りが必要だと思いますが、これはそこがすごく良くできてます。
似たところでは、連載は終わりましたが「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」もなかなかです。

 

フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(1) (アフタヌーンコミックス)

医療コミックは数多くあって、たぶんそのほとんどを読んできたと思いますが、僕はこれが一番好きかな…。
主人公はカンファレンス荒らしだと臨床医から目の敵にされる病理医。
カンファレンスに出席しては臨床医の診断に「その症状でその診断とは、新しい論文でもありましたかねえ」とかケチを付けてぶち壊しにする。
患者が救われるとかそういう話ではなく、医療を支える裏方を極力クールに描いている。
僕も若い頃は褒め合いのクリエイティブボードで「その表現はどうですかねえ」とかケチを付けて総会屋などと言われていたもので、自分を主人公に投影しているのかもしれません。
ちなみに2年前ぐらい、フジテレビでドラマになりましたがあれはひどかった…。
ドラマ化するならちゃんとやってほしいものです。

 

アサギロ 1 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

沖田総司を中心とした新撰組の話なんですが、彼らは単なるバカ集団。
やたら腕っ節はいいただのバカどもが、立派な正論を吐く尊攘志士を斬りまくる。
こういういわばへそ曲がりな設定、好きなんですよね…。

 

保安官エヴァンスの嘘(1) (少年サンデーコミックス)

女にモテたいだけの理由で保安官になったものの、クールに振る舞うしかなくなってしまって彼女いない歴=年齢というエヴァンスの、しょうもない話。
本当にしょうもない話が延々と続くだけなのですけど、疲れ切ったときにはこのぐらいのコミックがちょうど良かったりもします。

 

ザ・ファブル」、「約束のネバーランド」、「ゴールデンカムイ」、「アオアシ」、「響~小説家になる方法~」、「昭和天皇物語」なども相変わらず面白いですが、かなりメジャーになって来ているのでここでは採り上げませんでした。
ドリフターズ」は休まないで連載のスピード上げてくれ!
では、来年もコミックが豊作でありますように。

2019年12月21日
by kossii
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グレタを死なせてはいけない

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グレタ・トゥーンベリさんについては新著でもSDGs解説の流れで触れました。
ちょうど脱稿した頃、彼女はスペインのCOP25に参加するためのヨットの手配で困っていました。
その後、彼女についての報道が増え、今、僕が心配しているのは、

彼女は自殺しないだろうか?

です。
僕は日曜午前のフジ「ワイドナショー」が大好きで毎週欠かさず観てるのですが、彼女が飛行機を拒否して船にこだわるのをコメンテーターたちは「パフォーマンス」と決めつけてました。
これにはかなりガッカリしました。
ガッカリだよ、松ちゃん!

彼女を突き動かしているのは「恐怖」だと思うんです。
彼女は鬱病始め様々な精神疾患を抱えています。
8歳の頃気候変動の話を聞いてショックを受けたことがきっかけだったそうで、肉も食べられなくなったと。
飛行機を拒絶するのも、僕がタマネギに恐怖を感じて拒絶する以上の、生理的な拒絶反応から来るものではないかと。

彼女の言動・行動については様々な人たちがワイワイ批判しています。
科学的に間違っている、とか。
彼女は子どもですよ?
先進国の恵まれた子どもに将来の気候変動についてとやかく言う資格はない、とか。
気候変動について発言するための資格ってどういうものが必要なんでしょう。
気象予報士の資格を取った石原良純ならとやかく言えるのかな。
言い方がなってない、礼儀ができてない、とか。
彼女を誹謗する大人たちの汚らしい言葉使いに比べれば、僕にはよほど常識的に聞こえますよ。
「天に向かって唾を吐く」とはまさにこのこと。

僕は、彼女の発言内容が正しいか正しくないかにさほど関心はないですし、彼女の言葉使いが妥当かどうかにも関心はないです。
なにせ、子どもなんですから。
もちろん、子どもだからといって見下しているわけではないですよ。

僕が関心あるのは、気候変動への恐怖から精神を病む子どもがいるのだ、というところです。
世の人たちも関心を持つべき最大のポイントはそこではないかと思っています。

気候変動への恐怖で精神を病ませた子どもに大人はどのように接するべきか。
汚らしい誹謗でさらに追い詰める?
そういう人たちが大勢いるようなこの世界は、まあ崩壊に向かうわなあ。

もし彼女の精神疾患が進行して恐怖が絶望に変わり、死を選んだとしたら、彼らは溜飲を下げるのでしょうか?

2019年12月20日
by kossii
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恐れながら社長マーケティングの本当の話をします。

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本日12月20日(金)、4冊目となります著作
「恐れながら社長マーケティングの本当の話をします。」
が宣伝会議より上梓されました。

内容は以下となります。

第一章 社長 、 まずは マーケティング部をなくしましょう
第二章 「名物 宣伝部長 」はどこいった
第三章 御社は「ミドル ・ファネル 」作れますか
第四章 やっぱし事件は 現場で起きている
第五章 「 VISION 」の本当の 話をします。
第六章 テクノロジー変わるマーケティング思想変えるビジネスモデル変える
第七章 不買運動が起きてます!
第八章 社長、さっき 言いかけたことですが

これまで企業経営は「商品開発」「製造供給」「営業」「財務」が柱とされてきましたが、「商品開発」や「営業」を組み込んだ「マーケティング」と、「製造供給」「財務」の三本柱で成り立つと考える企業が増えて来ました。
ところがトップは部署や外部エージェンシーの部分最適に翻弄されて適切なマネジメントができないままに、ESG投資などの社会要請プレッシャーを浴びることとなり、広告主を中心としたカオスが業界全体に拡がっている状況です。

それもあってか、自分のところにも経営層から「マーケティングのサポートをしてほしい」というご依頼をいただくようになって来ています。
自分のような「現場にも行ける」人間がトップの隣に立つと、スカッと全部見渡せます。
マーケティングの回転を止めている問題点が明瞭に見えるんです。

外部エージェンシーからすると、広告主はブラックボックス化しています。
「なぜこういう判断になるんだ?」
「誰が決定権を持っているんだ?」
「本音はどこにあるんだ?」
と。
広告主からエージェンシーを見ても同様で、
「なぜこういう提案になるんだ?」
「誰が中心で働いているんだ?」
「本音はどこにあるんだ?」
と。

自分の具体的な役割は主にはPromotionのマス・デジタル融合ですけども、これを成し遂げるためには組織の連携を正常化させる必要があり、上流から下流まで行ったり来たりしながら、広告主の部署間や外部パートナーとの「詰まり」を解消していくことが裏命題となります。
そんな中で得た知見を元に、「自分でマーケティングまで関わろう」とされるトップに向け、自分なりの指南をまとめた次第です。

自社マーケティングが正常に機能するためにトップが知っておくべきことを以下のように整理しました。
・「マーケティング」の正しい定義、認識
・マーケティングが企業の総力戦に移行している実状
・現場トラブルの実態
・Mission,Vision,Valuesの正しい機能のさせ方
・新しいテクノロジーのマーケティングへの組み込み方
・SDGs、ESGなど社会要請のマーケティングへの取り込み方
新テクノロジーの矢継ぎ早な登場によるマーケティングメソッド、マーケティング思想の進化、変化によって業界全体が足元から揺らいでいる中、ここでトップが軸となりマーケティングの再編成をしようという提言となっています。
広告主のトップに限らず、広告業界人、広告に隣接されている方、どなたがお読みになっても何らかのお役には立てるかと思います。

(なぜかアマゾンでは23日発売となっています)
恐れながら社長マーケティングの本当の話をします。

2019年12月7日
by kossii
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表現者の責任

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「Guilty」というデンマーク映画があります。
舞台はデンマーク版の110番電話受付室。
不祥事を起こしてそこに異動させられた警官が主人公で、彼が「誘拐されてクルマの中にいる」という女性の電話を受けるところからストーリーが始まります。
彼はあちこちに電話をかけて事件を解決しようとするのですが、カメラが写すのは彼のいる部屋だけ。
映画として、電話のやり取りだけで事件の進行とか、現場の緊迫感が伝わるチャレンジがなされていて、それが非常にうまくできてます。
ついでに言えば、最後のどんでん返しも秀逸。

NHK「パラレル東京」のドラマはテレビ局の報道センターが舞台でした。
この番組の狙いは視聴者に震災を「自分事」として捉えてもらうことにあると言います。
しかしドラマを観ていると、その思惑がうまくいったとは言い難いように感じました。
「プロローグ」で首都大学教授が実際に首都圏を大地震が襲ったらどういう事態になるかのショッキングな解説をしてくれましたが、僕にはそれで十分というか、ドラマはその内容の再現映像以上のものにはなってなかったんじゃないかと。
テレビ局は確かに震災全体を俯瞰できるという意味では舞台としてふさわしいでしょうが、であれば、現場の緊迫感をどう真に迫って伝えるかの「Guilty」のような工夫が必要です。
それをしなかったがゆえに、ドラマのテーマが「報道のジレンマ」「若手アナウンサーの成長」といった、本来の主旨からズレたものになっていて、舞台が聖地になっていることもあり、震災が視聴者にとって自分事でなくむしろ絵空事に映ってしまったような気がしました。
「救命病棟24時」で首都圏震災を背景としたシリーズがあり、そうすることで救命現場の葛藤や困難さを乗り越えるストーリーを描こうとしていたわけですが、そのようなドラマに近いと言いますか。
「株価が大暴落する」といった台詞も不要のはずです。
番組の主旨は、何の対策もせずボンヤリしていると命が危ない、ということを実感を持って伝えるところにあるわけですが、首都圏の震災による株価暴落は視聴者に対策の取れるものではなく、無為に不安をあおる要素でしかないからです。
生理や糞便などの食料の次に問題となるリアルは描いてないし。
「間違った報道をして避難者がパニックを起こしたらどうする」という台詞もありましたが、そもそも避難者がテレビなんて見ているわけありません。
「地震があったらまずブレーカーを落とすべし」と番組中に何度も言ってるので、在宅避難の人々が対象だとしても、彼らがテレビを観ているという想定自体に大きな矛盾があります。
情報は携帯ラジオで得るべきなんです。
もう身も蓋もない話ですが。
他にも突っ込みどころ満載なのですけど、このへんにしときます。

このように書いていくと、こういった反駁を感じる人は多いでしょう。
「いやしかし、震災への備えを啓発する意味で、あのドラマには意義があったはずだ」。
そこなんです、ポイントは。
「だからこそ」なんですよ。

東日本大震災の時もそうでした。
震災の悲惨さ、被災者の大変さ、を描くコンテンツはたくさんありました。
しかし、「表現」としてよくできているものはさほど多くなかった印象です。
ところが描き方が下手じゃないかという批評はされないんです。
これは障害者を描くコンテンツもそうですし、人権や差別問題を描くものもそう。
そういうテーマのものはアンタッチャブルで批判されにくいので、ヘタなままでよしとされてしまうわけです。
これらは社会全体がターゲットで、商品CMなどよりもよほど重要なもののはずです。
だからこそ、「見事に」伝えるための工夫、表現上の努力が一層必要とされるはずです。

先日、厚労省の「人生会議」ポスターが炎上しました。
テレビのコメンテーター含め、ネットでは擁護する発言が多く見られました。
「こういう啓発はどんどんしていくべきだろう」と。

僕は過去、非常に恐怖な体験をしたことがあります。
全身麻酔が手術中に切れそうになったんですよ。
ふと意識と感覚が戻って、手術室の会話が聞こえてくるんです。
どうやら今からメスを入れるようで、僕は必死になって、自分が意識あることを何とか伝えようとしました。
しかし身体はピクリとも動きません。
もうこのまま耐えるしかない、と諦めたらまた眠りに落ちていきました。
あの恐怖はいま思い出しても身震いします。

「人生会議」のポスターは、おそらく、植物人間になってしまったのだけど意識はあって、周囲の人々の声は聞こえてくる、そんな状況を描いているのでしょう。
こんなことになるなら延命拒否の意思表示をしておけばよかったと。
でも、これはとてもじゃないけど笑い事にできるものではないです。
一般の人に広く伝えるためエンタメにすべし、という理屈はわかりますが、生死の綱渡りをしている人たちも見るわけで、「ふざけんな」の声が起こるのは必定です。
なぜそこまで予測しなかったのか。
ついでに言えば、なんで小籔さんの眼は開いてるんだろう?
それもちょっと意味がわかりません。

表現者には、表現を見事にやる責任があるんです。
社会的に重要なコンテンツであるほど、その責任は重くなるはずなのですが、逆に、甘えのようなものを感じるケースが多いです。
プロの表現者であれば、広く皆が自分事として受け止めなければいけないテーマほど、表現のハードルは高くなるのであって、幾重にも慎重になりつつ優れたアイデアを出さなければいけないのだ、そういう意識を強く持っていただきたいと思います。

2019年12月3日
by kossii
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努力は思わぬ道を開く

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以前より、ずっと気になっていたことがありました。
それは、
「どうしてもクルマの中でオシッコしなければならない場合が来ないか?」
です。
最近は大雪とか台風とかで道路が完全に死んでいる様子をテレビで観ますし、自分がそういう状況に出くわす可能性あるよなと。

対策として僕が考えたのは、
「ペットボトルにしよう」
でした。
僕の車には常に数本ミネラルウォーターやらお茶やらのペットボトルが置かれているので、いざとなったらそれにすればいいのではと。

で、先日、車を運転していたら急に尿意を催したんです。
途中でコンビニに寄るなどもできたのですが、ギリ目的地まで持つかな…というかんじだったので我慢していたら、目的地に到着するや、もう限界に来て。
そうだ、以前から考えていたあのプランを実行に移すときだ、と思いまして、手近にあったペットボトルの水を捨てて、通行人に見られてないかな…と気にしながら、ジッパーを下げました。
ところが思いがけぬことが!
ペットボトルの口よりも僕のちんちんの方がはるかに太かったんです。
これは想定していなかった…。
ちょっとしたうれしさと絶望が同時に襲いかかりました。
ところが思いがけぬことが!
慌ててちんちんを納めてジッパーを下げた途端、尿意が収まったんです。
どうやら、下半身をいろいろまさぐっていたのがそういう効果を与えたらしく。
そのまま普通に降りて、トイレで用を足しました。

この逸話の教訓、それは、
「努力は思わぬ道を開く」
というものではないでしょうか。

ここしばらくずっと新著にかかりっきりで、ブログの更新が止まっていたのですが、
「ブログはどうなってますか」
という声を聞くようになって来たので、何か書こうかと。
思いついたのはこういう話だけでした。
意外にいい話…ですよね?

後日談ですが、ネットで調べると車中の簡易トイレっていろいろあるんですね。
さっそく買って車に置いておくようにしました。

2019年7月18日
by kossii
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人生で成功するためのステップ

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この歳になって、ようやくわかってきたことがあります。

長い仕事人生において成功を収めるためのステップとは、シンプルなものなんじゃないか?と。

それで最近は、自分の子どもたちにも広告学校の受講生たちにも、この話をするようにしています。

そのステップとは、

実力をつける

その実力で、多くの人から感謝される

そしたら後は何をやってもうまくいく

2019年6月21日
by kossii
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ミドルファネルが業界を変える

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最近「フルファネル」という言葉をよく耳にしませんか。
「ファネル」が何ぞや、というのは(もし知らない方がいらしたら)各自調べていただくとして…。
僕の定義ではトップファネルが認知、ボトムファネルが刈り取り、それらを繋ぐミドルファネルが自分事化、となります。
たとえば認知とはTVCMで広く知ってもらうとかですね。
たとえば刈り取りとはリスティングや自社サイトを訪れた人へのリターゲティングバナーとかですね。
これらは、ずいぶん前から行われて来ました。
しかし、バラバラに行われて来たので、認知から刈り取りまで全体で一つのコミュニケーション設計を作ろうよ、という考え方を「フルファネル化」と言っているわけです。

実際、ミドルファネルをぶっ込むと、成果が格段に上がります。
昨年対比数倍といった数字が出たりします(僕の事例で「変わらず」などといったことはまだ一つもありません)。
ミドルファネルのキモは「細分化」にあります。
僕のやり方としては大きく2つに分かれてまして、ターゲットの細分化あるいは商品優位性の細分化です。
ターゲットの細分化とは、ターゲットを3~4種類ぐらいのクラスター(スモールマス)に分けることですが、その各クラスターが価値を感じるようにWEBCMなどのコンテンツを複数バリエーション制作し、当てていくわけです。
商品優位性の細分化とは、その商品やサービスの優位性を一つに決めるのではなく、多面的に捉えてコンテンツを複数バリエーション制作し、ターゲットに複数回当てていきます。
喩えは悪いですがいろんな餌で魚釣りをするわけです。
どっちにしても、メディアとしてはSNSが売上げや集客への寄与度が高い傾向です。

広告コンテンツ企画制作はTVCMなどのトップファネルをまず先にやって、さあWEBはどうするか、という流れが一般的でしょう。
僕は逆のやり方を取ります。
ミドルファネル先にありきで、そのコンテンツの中から最大のクラスターに当てられるもの、あるいは商品優位性を最大に伝えられるものを「代表」としてTVCMやTrueViewに持って来るのです。
ちなみにTrueViewはトップファネルに置いて認知メディアとして活用するやり方と、ミドルファネルに置いて自分事化メディアとして活用するやり方と、両方に使えますが、SNSに比べてViewは10倍以上出ますがエンゲージは低いのでトップファネル向きと考えます。
ミドルファネルはトップやボトムの役割を兼ねることもできます。
制作費的にも、全部まとめて作っちゃうことができますから、これまでのやり方より格段に低くなります。

「なるほど、じゃあすぐやってみよう!」と思っても、残念ながらそうはいきません。
フルファネル化は、コミュニケーション組織の一体化なくしてはできないことだからです。
先ほど、「これらは、ずいぶん前から行われて来ました。」と書きましたが、別組織で行われる場合がほとんどでしたし、今もそうです。
つまり認知はマーケティング部・宣伝部。
そこにつながっているのは総合系エージェンシー。
刈り取りはデジタルマーケティング部。
そこにつながっているのはデジタル系エージェンシー。
じゃあミドルファネルは誰がやるの…?
できる組織がないんです。
ミドルファネルのコンテンツ、たとえばWEBCMを企画制作する能力は宣伝部にありますが、運用する能力はデジタルマーケティング部にあります。
この2つの組織が両輪になっていなければフルファネルなんてできっこないんです。
よく業界系の記事で「デジタルマーケティング部がフルファネルを実現しました」というのを見かけますが、自己矛盾です。
「宣伝部とデジタルマーケティング部がフルファネルを実現しました」となっていなければ、それはフルファネルではありません。

ファネルというものを語るときには、必ず組織論がくっついてくるんです。
2つの組織がそれぞれで予算を持っているというのもコトをややこしくしています。

じゃあ、フルファネルは誰が音頭を取ってやっていくのか?
社長です。
あるいは、マーケティングを全権委任された専務、常務などの、いわゆるトップ。
僕はこういった方々から依頼を受け、広告主サイドのアドバイザーとして組織間、企業間の交通整理をする、そんな業務が増えました。
繰り返しますが、そうやって組織を整えてミドルファネルから作っていくと、格段に成果が上がるんです。
ただ、このようなトップはまだまだ少ない実感です。
幕末の開明派大名のような、マーケティング意識の高いトップが増えれば、次第に広告主の組織体制も変革され、ひいては広告業界全体の変革につながるように思えます。
どうやったら増えるかなあー、と考えているところです。

2019年3月18日
by kossii
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ピエール瀧の子どもに罪はない

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あくまで仮の話としてです。
山中教授が若い頃から違法ドラッグをやっていたのが見つかったら、iPS研究は自粛しなければならないのだろうか?
答は否に決まってます。
教授自身は研究から退くかもしれませんが、研究を止めるわけにはいきません。
ならば、アーチストがドラッグや犯罪をやっていたら、その作品は地上から抹殺されるべきなのか?
この答えも否に決まっています。
どちらもその人自身ではなく、その人の成果物なのですから。
そして、どちらもそれによって恩恵を受ける人たちが、数の多寡はともあれ、いるのですから。
これは議論の余地もないのではないでしょうか。

科学者であれ、アーチストであれ、ビジネスマンであれ、彼らが残した功績は等しく彼らの「子ども」です。
子どもにまで罪を着せようというのは、古代の九族皆殺を連想させてゾッとします。

現代のあらゆる生物は自分の遺伝子を残そうという本能を持っています。
そういう本能を持たない生物も過去にはいたかもしれませんが、当然ながら、死滅しています。
僕らにもその本能はあるわけで、それがゆえに、わざわざ時間やお金や労力を使って「子ども」を産み育てます。
しかし、生涯子どもを持たない人たちもいますよね。
これはなぜなのか。
ミームという考え方があります。
情報遺伝子、あるいは疑似遺伝子とでも呼びましょうか。

自分が成し遂げたもの、作り上げたものには何らか「自分」が宿っています。
そして、それは拡散していく可能性があります。
iPSなら、そこを起点にして新しい発見がなされるとか。
音楽なら、それに触発された人が新しい音を生み出すとか。
人間はそこに自分の遺伝子を見出すのですね。
あたかも自分の子孫が増殖していくように。

人間だけが持つこの不思議な心性は、少子化と結びついています。
新興国で出産率が高く、先進国で出産率が低い理由は、乳幼児死亡率の高低なども影響しているでしょうが、先進国の方がミームを作る機会に恵まれているからでしょう。
先進国に住む僕らは生物学的な子どもよりも情報遺伝子による子どもをせっせと産み育てているわけです。

逆に言えば、だからこそ僕らは先進でいられるのかもしれません。
昔から、何かを成し遂げる者にとって子どもは足かせでした。
僧侶は妻帯を禁じられていました。
しかし、一族の中でそのような者が出ると必ず兄弟が子どもを多く残す。
そのように生物学的な子どもと情報的な子どもを残すバランスを取りながら僕らは進歩というものをして来たのでしょう。
少子高齢化の問題はそのバランスが崩れてきているということです。

いずれにせよ、「子ども」のいない世界に未来はありません。
私見では、生物学的な子どもは何より重要です。
しかし、情報遺伝子による子どもも未来に繋がる種であることは間違いありません。
子どもに罪はありません。
子どもを抹殺してはいけません。

2019年1月8日
by kossii
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新年の当たり前⑤ 今年も現場行きますよ!

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ここのところ、すっかりデジタルの人間と見做されている自分ですが、そんなことはありません。

クライアントさまの課題解決のためにはデジタルも採り入れなきゃというだけのことでして、「TVCMの企画制作して」「コピー書いて」というレガシーなお仕事もフツーにやっております。
そんな中、最近びっくりするようなことを言われるようになってきました。
「えっ、小霜さん、撮影立ち会うんですか?」

ちょっと意味わからない。
サンドイッチマン状態となること多し。
CDなんだから撮影に立ち会うのは当たり前じゃん?
気になって調べてみると、クライアントのエラい人がいるところにしか現れない、つまりプレゼンと試写しか来ないCDが非常に多いらしい。
以前、エージェンシーのCMプランナーたちが勝手に打ち合わせして「確認してください」って企画を送って来たことがありました。
なんで勝手に進めてるんだ、って怒ったのだけど、彼らからするとCDは打合せに参加しないのが当たり前だったのでしょうね。
何たることか。

クリエイティブディレクターとは、クライアントに対してクリエイティブ・クオリティの保証をするのが役割。
それが、企画もしなければ撮影にも行かない、編集にも行かないではいったいどこに存在理由があるのでしょうか。
撮影で気づくことは非常に多い。
その場の閃きでいいカットが撮れることもあるし、逆に、その場の発見で炎上が防がれることもある。
そして撮影現場にいれば、どんなカットを撮っていたかわかる。
編集では監督がまず繋いだのをチェックするのだけど、うわーこれじゃなー、となることもある。
このままクライアントに見せたら揉めるの必至、大改造必要、という。
そういった時、「こんなカット撮らなかったっけ?」とCDが気づくかどうかで全然違ってくる。
だから僕は、企画打合せは自分で主導し、撮影も編集も最後までチェックします。

最近はコンサルティング的な業務も多くなってきましたが、やはり現場プレイヤーでなければ、机上論しか提言できなくなってしまいます。
僕は評論家になるつもりはありません。
そういう意味でもこれまで通り、いわゆるCM、コピーライティングといったレガシークリエイティブもしっかりやり続けなければと思う次第です。
たいへんだけど仕方ないです。
基本大阪人なので、アホなものばかり作っていたいというどうしょうもない性根もあるのですが…。

振り返れば、2018年はコンテンツの年でした。
ドラマでも映画でも主役〇〇頼みではなく、内容の優れたコンテンツがヒットしました。
これは生活者の視聴態度が全体的にLean BackからLean Forwardに変化して来ているということでしょう。
いいものは自分で見つける時代ということです。
広告においても、これからはコンテンツ=クリエイティブ主導が加速すると予測しています。
まだまだクリエイティブの現場から離れるわけにはいかないなと気を引き締めております。

ということで、新年の野心から新年の当たり前まで①~⑤を一気に書いてしまいましたが、これらを実現するためには自分一人の力では到底無理でして、皆さまのご支援ご助力をいっそう賜りたい次第です。

改めて、本年も何卒よろしくお願いいたします。

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