広告は課題設定が9割

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僕は無料広告学校というものを主宰しています。
月曜日の夜19~21時で十数名を相手に広告の基本的なストラテジーの考え方とクリエイティブについて教えてます。
今期は自宅の近所にある町会の集会所をお借りしてます。
その分、受講生たちに神輿のポスターを作らせたり、実際に参加させたりなど町会の手伝いをするということで。
これまでは講義が終わった後はケータリングで軽く飲んだり食べたりしていたのですが、集会所をあまり長く借りたり汚したりもできないので、今期からは2人ずつぐらいの少人数で、近所の料理屋で彼らの個人的な悩みを聞いたり質問に答えたりしています。

昨晩はあるコピーライター志望者から宣伝会議賞について聞かれました。
「防災意識を高めるコピー」というお題があったそうなのですが、何やらモヤモヤしたものがあったようで、それについてどう思うかと。
僕は、
「プロならそういうお題は出さない」
と答えました。
そのコピーから、いったい何が課題なのか読み取れない。
だから成功したかどうか評価する基準も生まれない。
と。

日本は定期的な震災に見舞われる国です。
その被害を最小限に留めるために、やらなければいけない課題は何なのか。
たとえば防災グッズ一式が一家に一つあるだけでずいぶんと違う、ということなら、防災グッズの普及率の低さが課題だ、ということになりますね。
ならば「防災グッズを普及させよう」というのがお題であるべきです。
そうすれば評価の基準もハッキリします。
極端な話、そのために「防災意識」というのは不要かもしれません。
防災グッズは普段の生活でこんな役に立つよ、といった価値観の作り方でもかまわないわけです。
いざという時にその家に防災グッズがあればよいのですから。

仮に、「成人病の怖さについて意識を高めよう」というキャンペーンがあったとします。
そのキャンペーンが功を奏して、成人病とは何と恐ろしいものかという意識が根付いたとしても、それだけでは誰の何の利益にもなりません。
人々が動いてナンボなんです。
そのためにまずやるべきことは、やはり課題探しです。
もし健康診断の受診率が低すぎる、という課題が見つかったとしたら、お題を「健康診断の受診率を高めよう」と言い換えるべきでしょう。
そこに向けて人々を動かすための手法はいろいろあるはずです。
インセンティブを与える、でもいいし、わざわざ行くのが面倒だと考える人が多いのなら、生活動線の中に置けないかという発想でもいい。
いまパチンコホールで健康診断を実施していたりします。
受診する人は無料で、実施する会社はホールからお金をもらいます。
パチンコホールは暇をもてあます高齢者が集う場所となりつつあるので、どうせ無料ならと、彼らは健診を受けるんですね。
それが集客にもつながるので、ホールも潤うという仕組みです。
そういうやり方でも結果オーライなら全然かまわないし、人々を動かすためには広告人にもそのぐらい柔軟な視点が必要な気がします。

僕はいろんな企業からコミュニケーションのご依頼を受けますが、課題のはっきりしないオリエンが多いです。
ふわっとしてるんですね。
少子高齢化の影響は散々言われていることですが、ここ数年の内需の落ち込みは肌感としてかなりキツいものがあります。
生活者の経済格差も激しく、僕らがターゲットとする層は財布の紐を締める一方。
政府の思惑を余所に売りの現場でデフレは進行し続けています。
なので企業も「どうしたらいいんだ」と焦るばかりで、その焦りやこうありたいという願望が戦略とごっちゃになったまま提示されるのです。
こちらからすれば、ふわっとした状態からご相談されてもいいんです。
課題探しからご一緒できれば。
ただ、ふわっとしたままコンペとかになると、何となくインパクトありそう、とか、何となくターゲットにウケそう、といった表層的なところで決まっていって、結局成果が出ない、ということが多いです。
広告はオリエンの良し悪しで9割決まるとも言われます。
それはすなわち、課題設定がしっかりなされているか、ということに他なりません。

冒頭の話に戻りますが、公募賞の多くは課題設定がふわっとしていて、審査の基準もふわっとしています。
そこで選ばれたものには当然課題解決力はないから、企業がそれを実際の広告に採用することは稀、ということになります。
僕は公募賞そのものについて否定的ではありません。
言葉はよくないかもしれませんが、お遊び、お祭り、として楽しめばよいのだと思います。
ただ、課題解決力なきクリエイティブが現場で通用するクリエイティブなのだ、と若い人たちが誤解しないようにしといてほしい、とは思います。