2012年11月13日
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「クリエイティブ」か「クリエーティブ」か?

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僕はいくつかの法人を経営していて、その中に「Como creative」という有限会社がある。日本語表記は「コモクリエイティヴ」だ。これを創った十数年前、「Creative」は「クリエイティヴ」あるいは「クリエイティブ」と表記するのが普通だった。「Sony creative」も「ソニー・クリエイティブ」だ。 ところがここ数年、ネットや出版やあちこちで「クリエーティブ」が目立つようになってきた。自分の実感値では、もともと9割ぐらいのシェアを誇っていた「クリエイティブ」が「クリエーティブ」勢に逆転され、今や半分以下にシュリンクしている感がある。 自分がニラんだところ、おそらく黒幕は電通だ。彼らがどこかのタイミングで「クリエーティブ」を採用してからそうなって来た気がする。今でも「クリエーティブ」という言い方をするのは電通系の人が多い。しかしなぜ「クリエーティブ」?辞書を調べてみた。すると辞書では「クリエーティブ」となっている。そっちが外来語の読み方として正式ってことか?もしかすると電通が採用したために辞書がそっちを正式な読み方としたのかもしれない。それで、古ーい大辞林を書庫の奥から引っぱり出してきてページをめくってみた。するとそっちでも「クリエーティブ」となっていた。がーん。昔から「クリエーティブ」が正式な読み方だったのだ!だから電通はそっちを採用したわけで、僕も、ソニーも、他の多くの人たちも、辞書を調べようともせずに「Creativeはそりゃクリエイティブでしょ」と思い込んでたってことか。なるほど。 しかし、ここで僕はあえて「待った」と言いたい。そこまでわかったとしてもどうも僕は「クリエーティブ」に馴染めないのだ。言葉の持つ意味は、「音」の影響を受ける。「語感」「音感」が関係のない意味を引っ張ってきてしまうのだ。それを利用した言葉もある。たとえば「プータロー」。プ~と屁をひりながら寝転がっているダメダメな様子を語感が醸し出している。「プタロウ」でも「プー太郎」でもこのダメさとは微妙に違ってきてしまう。逆に最近は「フリーター」という言葉を聞かなくなってきたが、「フリーダムを信奉するプロフェッショナル」的な立派な印象が実体と離れすぎていると思われたからではなかろうか。 「クリエーティブ」はどうだろう。僕は語感的にどうもダメな感じがする。「エ~」とか。「金くりぇ~」とか。それどーなの?みたいな案しか持ってこないような弱々しいかんじ。 「クリエイティブ」だと、「エイ!」って勇ましい感じがする。「エイエイオー」的な、何かやりそうな。ビシッと課題解決する案を出してきそうなかんじ。 どうだろう。ここは言葉のプロフェッショナルとして広告クリエイティブ業界全体で、「クリエイティブ」に統一すべきではないだろうか。まず電通さんが「クリエイティブ」に改めてくれないかなあ。そうすればやがて辞書も「クリエイティブ」になり、「クリエーティブ」の名刺を出した時に、「エ~この人どーよ」的な印象をクライアントの潜在意識に与えることもなくなると思うのだけど。

2012年5月29日
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おごれよ。

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はあちゅうという人のブログが炎上しているらしい。女性がひと月に化粧に使う金額を計算するとこんなになるんだと、そういう内容。ハッキリとは明言していないが、だから男は女におごって当然、というニュアンスに腹を立てた人が多かったということのようだ。 「ハァ?」って感じである。なぜそんなことで炎上するのか、自分にはまるっきりわからない。だって、男が女におごるなんて当然じゃあないの。ていうか、それは本能的行為だと思うぞ。 この世のあらゆる生物には「自分の遺伝子を残そう」という本能が組み込まれている。正確に言えば、「自分の遺伝子なんか残さなくていい」という生物は滅び 去って、「残したい」という本能バリバリの連中だけが現在も生き抜いて来ているわけだ。そして、残すための戦略は同じ生物のオスとメスでも異なっている。 人間の場合、「男 はなんで浮気するの」「女って怖いよな」などと、男女は永遠に理解し合えないものとなっているが、それはこの戦略の違いが根っこにある。 人間の女性はどんなにがんばっても100人の子どもを産むことは難しい。魚みたいにバンバン卵を産んで、そのうちちょっと生き残ればしめたもの、という戦 略は採れない。少数の子どもをしっかり育てないといけない。人間の子どもは生みっぱなしだと死んでしまう。だから女性は本能的に健康な遺伝子を持ってい て、自分たちを養ってくれそうな男性を必死で選ぶ。見極めようとする。つまりイケメンでやさしい男と結婚したいのは本能による。 男の方はどうか。男は女性と違って「魚戦略」が可能だ。とっかえひっかえセックスしていれば、いくらだって遺伝子を残すことができる。理屈の上ではだけ ど。人間 の本能は原始時代に培われているわけだけども、その当時は当然結婚などもなく、乱交社会だ。女性は自分の子どもが自分の遺伝子を宿していると確信できる が、男はそうはいかない。その子が自分の子かどうかわからない。自分の遺伝子を残す確率を上げるためにはやりまくるしかなかった。男がそもそも浮気性なの はこの時代の名残だ。しかし、だからといってやりまくるだけでは子どもは死んでしまう。養わなければならない。男はそのジレンマを常に抱えている。家庭 を大事にしながらも外で遊びたい、ほとんどの男はそういう矛盾した本能に苦しんでいる。どっちに傾くかは個体差だ。現代ではその本能の受け皿として風俗店というものがあったりする。 話を戻すと、そういうこともあって、選ぶのは常に女性の方なのだ。これは人間に限らない。ライオンのたてがみは健康をアピールしてメスに選んでもらうため の もの。そう考えるとちょっと情けない。鳥の歌声もそう。男はばらまく、女は選ぶ。心理学の実験でも、男は魅力的な女性にホイホイついていくが、女は身が固 い傾向のあることがデータとして 出ている。だから、男は選ばれるような行動をしないといけない。たとえばスポーツ。運動能力の高さは健康な遺伝子を持っていることの証明だ。だから 女性はスポーツマンに惹かれる。そして、気っぷの良さ。ケチな男はモテない。いいよいいよと奢る男の方が圧倒的にモテる。それは、こいつなら自分と自分の 子どもに資源を持ってきてくれそうだと本能が教えるからだ。 一つ疑問が残るのは、では、なぜ人間の女性は着飾るのか。木嶋被告などを見る限り、男は女性の容姿など本当はどうでもいいのではないのか、という気にもなる。なら化 粧に毎月何万円も使うなんてじつは無駄なんじゃないのか。まあ、もちろん男の方も全く相手を選ばないってわけじゃない。自分が養うにふさわしい女性かどう かぐらいは気 にしている。本能的には若い女性を好む。その方が自分の子どもにとって有利だから。社会が成熟するにつれ晩婚になっているが、本能は若さを求める。だから 女性は化粧をする。化粧とは、若く見せるための技術だ。透明感があって弾力性のある肌は子どもの肌ということだ。そしてもうひとつそこに意味があるとする ならば、化 粧にお金をかけるのは女性の巧妙な策略かもしれない。男に安易に「ワリカン」と言わせないための。これで奢ってくれないような男はふるいに落としてやろう という、ケチ男発券器なのではないか。さすがにそれは考え過ぎか。 現代はストレスフルな社会だが、それはあまりにも人間が頭でっかちになりすぎて、本能に逆らう生活を強いられているからじゃないかと僕は思う。女性に奢る のは、 そんなに嫌なものだろうか?おれは女になど奢らんぞ!と言っている人はそれでいいだろう。でも、いい女が回ってくる確率は低いと思う。女性にモテたいのな ら、しのごの言わずにバーンと奢って、気っぷの良さを見せることをお勧めしたい。 ちなみにヒモやホストなど女性が男性に貢ぐ関係も存在するが、これはある種の執着心のなせる技。負け込むほどギャンブルにのめり込む心理に近い。だからこの関係がハッピーエンドに至る例はほぼ聞かない。

2012年4月15日
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Go for it baby 著作権業界

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僕のカラオケレパートリーはけっこう狭い。FMとかCMソングとかでふと耳に入って「キタ!」と身体がビビッと反応したものだけ覚える。かなりの選択と集中をする。そしてこないだひさびさに「キタ!」曲があった。B’zの「Go for it baby」。Joan Jettの「I love rock’n’roll」にかなり似ている。下地にしたかもしれない。こういう、刻むようなエレキが僕は大好きだ。PEPSI(サントリー)のCM曲なのでキリンの人たちの前じゃ歌えないかも。しかしそんなのはたいした問題じゃない。これはもう最速で自分のレパートリーに加えないといかん。 そう思い立ったのが発売の数日前。僕はまず、ダウンロード配信で買おうと思った。ダウンロードすれば、そのままiPhoneに保存して仕事の合間に聴くことができる。しかし、B’zの新曲を扱っている配信サイトはなかった。それで次に、ツタヤDiscasでレンタルしようと思った。CDを買ってもいいんだけど、結局PCやiPhoneあるいはカーステに保存して聴くことになるわけで、板を持っていることに意味を感じない。コレクターでもないし。ところが不思議なことに、新譜情報に登録されてなくて予約できなかった。発売前だから?それで僕はやむなくYouTubeでPVを探すことにした。PVはあっという間に見つかった。それをダウンロードし、数回視聴して僕はだいたいマスターすることができた。 そしてCDを手に入れる必要はなくなってしまった…。 悩む。自分がやったことは窃盗みたいなものか?たぶんもう聴くこともないCDを今から律儀に買うべきなんだろうか?音楽業界の人は「買え」って言うだろうな、もちろん。今年の10月から著作物をダウンロードすると罰則が適用されるようになるらしい。訴えられたら僕は罰金を払わないといけないってことか。でも、何のために?それで音楽が売れるようになるんだろうか。なんだか腑に落ちない。どこにも駐車場がないから仕方なく路駐したらキップ切られるあの理不尽な感覚。金をけちりたいわけじゃない。ドネーションとして払ったってかまわない。なぜ罰則よりも先に、お金を払う場所をきちんと整備してくれないのかが、わからんのだ。 以前、博報堂の社長だった東海林さんが名言を残された。「泣く子と時代には勝てない」と。音楽業界はCDが売れないと嘆いているようだが、僕はCDプレイヤーなどとっくに持っていない。周囲でCDプレイヤーで音楽を聴いている人などいない。CDプレイヤーがないのにCDが売れないのは当たり前だ。そういう人たちにCD買わないと罰金だ、というのは無理があり過ぎるんじゃないか。それが業界の前進につながるんだろうか? 時代とは「逆らう」ものじゃなく「乗る」ものだろう。「乗る」とはその時代の人の生活を見て、そこに伴走すること。皆が勝手にダウンロードして音楽を聴いたり映像を見たりしているなら、まずはそこを認めないといけない。認めた上でどうマネタイズするかを考えないと、どんどん無理が出てくると思う。iTunes storeやAmazonやhuluなど、時代を作ったり乗ったりしているサービスにはひとつ共通点がある。それは「ラク」ってこと。人はラクや楽しいことをしたい。iTunesはダウンロード購入がラク過ぎる。価格設定も含めて、このお気軽感はすごい。Amazonは国税局と争っても法人税を日本に払おうとしないし日本人の僕としては国内の本屋から買いたいんだけども、午前中に注文したらその日のうちに届くというシステムがあまりにもラクで楽しすぎて、毎日のように利用してしまう。罰則を設けるというのはぜんぜん楽しくない。発想が真逆だ。もはやこれまでのビジネスモデルは崩れた。そこにこだわっても誰も楽しくなれない。楽しくないものはそのうち滅びるしかない。日本の著作権業界に、そこんとこ理解して、もう一回がんばってほしいと切に願う。 Go for it baby コエテユケ 甘い思い出を 本当の最高はこれから始まる Ah ah ah ah~。 ちなみにこの曲、キーが難しい。どのキーで歌えばいいのかいまいちよくわからない。上手に聴かせるのは大変だ。

2012年3月14日
by kossii
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これは新種の中元歳暮なのか?

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僕はホワイトデーというものが嫌いだ。だからお返しなどしない。しないったらしない。僕の周りの女性はみな賢明にも「お返ししてくれー」とは言って来ない。 なぜ嫌いかというと、美しくないからだ。野暮だからだ。 バレンタインデーは、まだいい。いちおう由来がある。皇帝の命に背いて兵士の結婚を祝福し殉教した聖ヴァレンティヌスの故事に因み、愛を祝う習慣が時代や国によって様々に変容したのがバレンタインデーだ。日本だけがなぜか「女性から男性に告白する」ということになっているが、そういう日を利用して告白するけなげさを美しく感じる人が多かったから定着したのだろう。 いったいホワイトデーに何の美しさがあるのか? チョコをもらったら男はお返しをしないといけないと言う。ではそのお返しとは何なのか?愛情なのか?バレンタインデーに告白された男は、嘘でもその子を好きだよと言わなきゃいかんのか?モノなのか?もらったモノに対して返すのがルールというなら、それはただの中元歳暮じゃないか?バレンタインデー、ホワイトデーとは、中元歳暮のことだったのか?昔はせっけん、今はチョコ、そういうことなのか?だったら「2月3月のごあいさつ。贈り物はチョコがいいですね。」ってCMでも流せばいいんじゃないか? ホワイトデーには何の由来もない。菓子業界が、2匹目のドジョウを狙ってでっち上げたものだ。男もチョコ買えと。女が勇気出して買ってるんだから、男としてもらったままというわけにはいけないでしょ、やっぱり何か返してあげないとね?返すんならこれがいいよ。やっぱ男なら3倍返しでしょ。ね?計算づくの見合い婆みたいだ。ほっといてくれ。 僕は広告学校で、マーケティングとは「付け目」を見つける作業だと教えている。時代の付け目、心理の付け目。バレンタインデーは女性心理の付け目にうまく入っていけた。それで成功した。ホワイトデーも付け目を見つけたようだが、それは、もらったら返すべき、男ならこうすべき、といった脅迫の付け目に感じる。マーケティングとして美しくないのだ。 ただ、過去、ホワイトデーも悪くないな、と思えることもあった。女性から「お返しとしてホワイトデーにデートしてよ」と誘われた時だ。 ホワイトデーのようなものの存在が認められるとして、それをバレンタインデーの延長と考えるならば、日本の場合は、「女性がもう一段プッシュする日」にしたらいいと思う。昔と比べて女性は強くなっている。だから返せ、じゃなく、だからさらにいく、とした方が自然だし笑えるじゃないか。

2012年1月9日
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電車メシ問題あるいは北岡監督の悩みについて

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昨年末、撮影に行ったらCM監督の北岡さんが悩ましげな表情でやって来て、「今朝すごいものを見ちゃったんですよ」と言う。「唐揚げを食いながら電車に乗ってくる女がいたんですよ」と。コンビニで買ったらしき唐揚げをぐちゃぐちゃと食いながら入ってきて目の前に立ったらしい。その光景があまりにショックだったらしく、「こんなかんじで、こんなかんじで唐揚げをくわえて、」とその状況を模写して一所懸命伝えようとしてた。しかも唐揚げの臭いがくさくてたまらんかったと。 でもよく考えてみるとさあ、と僕は言った。「新幹線だと駅弁食べるじゃない。なんで東横線だとダメなんだろうか」。僕は以前、山手線で弁当を食べている夫婦を見たことがある。見事な農民ファッションに包まれた、初めて東京に野菜を売りに来ましたという風な二人だった。それはかなり奇異な光景だったんだけど、山手線で弁当食うのはおかしいという常識はいつからできたんだろうか? それで撮影の合間に少しだけ議論になった。電車の中で食事をしていい線引きはどこなんだろうかと。席の問題だろうか。席が向かい合わせだと食っていい、という共通認識があるんだろうか。通勤電車はダメなのか?小田急なんかはどうなるんだろうか。たしか箱根まで行ってるから通勤電車と行楽列車が混ざってる。 正月、そんな話を妻にした。そしたら「食べていい電車はテーブルついてるじゃない」と。 問題解決しました。

2011年12月24日
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俺の「もったいない」

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マネージャーが僕のブログを「つまらない」と言う。「酔っ払った勢いで書くと言っときながらまじめな話ばかりじゃないか」と。確かにその通りと神妙に反省した。それで、今回は思い切りどうでもいい話を書こうと思う。「もったいない」について。 僕の行動の動機は、その大半を「もったいない」が占めている気がする。これだけ「もったいない」に支配されてる男も珍しいんじゃないだろうか。 先日、m-floのVERBALさん主宰のイベントで「ageHa」に行って来た。そこのVIPルームでクライアントと打合せがてら飲むのが目的だったんだけど、クラブに来て踊らないのは「もったいない」。ということで、VERBALさん、クライアントと乾杯を終えてすぐ踊りに行った。もしかしたら20年ぶりぐらいかもしれない。よし今夜はもったいなくなかったぞと満足したものの、後で考えると、女の子に声かけなかったなあ。もしかするとすごく「もったいない」ことだったかもしれない…と悩む。 1ヶ月前、陰嚢水腫の手術中、麻酔医の先生が声をかけてきた。「大丈夫ですか、緊張してませんか?」と。「いや、別に…どうして?」と聞き返すと、「緊張で手術に耐えられないという方もいらっしゃるんで、そういう場合はお薬を打つこともできますから」と言う。「それって睡眠薬ですか」「いや、意識が少しポワンとするんです」「必要ないと思います」「そうですか」。麻酔医は去って行った。僕はその時、なんだかすごく「もったいない」ことをした気になって、「先生、先生」と呼び戻した。「どうしました」「その薬、打ってほしいんですけど」「えっなんでですか」「そのポワンとするのが面白そうだなと思って」「そういう理由ではダメですよ」と今度は憤然と去って行ってしまった。今でもあのポワンがもったいなかったと悔やんでいる。 数年前から宇宙旅行に申し込んでいるのも、宇宙に行くチャンスがあるのにこの眼で見ないなんて「もったいない」!と思ったから。人生の全てについて、何でもやってみないと「もったいない」と思っている。そもそも結婚して子供をつくったのも、子供のいる結婚生活を経験しないなんて「もったいない」という気持ちがあったからかもしれない。 トイレに行くのも極力我慢する。もよおしてすぐにするなんて「もったいない」。大便する時のあのほーっとする気持ちよさは、直前どれだけこらえたかに比例する。白状すると、少し失敗することがある。パンツを洗う妻がそれに気づいているかどうかはわからない。そういえば今日はクリスマスイブだ。罪滅ぼしに何か買おうか。

2011年12月13日
by kossii
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「絆」でいいじゃないか

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今年の漢字が「絆」に決まったことで、ネットでいろんな人が不平を言っている。みんな東北のことなど忘れてるくせに絆など偽善だ、とか、「喪」がふさわしいとか「白紙」がふさわしいとか何とか。 そうだそうだという声が多い理由はわからないでもない。しかし、僕は個人的に、大いに不愉快だ。 震災後、いろんな業務がなくなったり延期になったりして、僕は暇になった。で、被災地のために何かをしなければいけないと思った僕が最初にしたことは、渋谷、五反田、新宿の薬局を一件ずつ回って、ひとつずつ紙おむつを買い集めることだった。被災地では生理用品、特に紙おむつが不足して衛生面で困っていると聞いたので、とにかくそれを集めて送ろうと思ったのだ。しかし、どこに行っても品切れ状態であまり集まらなかった。その次の日に妻を誘って出直すことにした。主婦の直感で、あそこならあるかもしれない、というのが役に立ち、二日目はかなり集まった。また、主婦の知恵で、買うならこういうタイプが役に立つはず、というのも参考になって、SUVのリアシートから荷台までパンパンにして、都庁にどっさり持ち込んだ。 疲れ切って、やれやれと休んでいると、妻が、明日もう一回行きたいという。長女の音楽の先生が茨城県潮来の出身なのだが、そこに支援物資を積んで車で送り届けてほしいと。潮来は地震の被害が酷く、液状化で数百軒の家が沈み、混乱状態であると。まだガソリンはどこにも売っていなかったが、距離を計算したらギリギリ往復できそうだ。正直、もう勘弁してくれと悲鳴を上げそうだったが、また都内を回って支援物資を積み込み、先生を送っていった。潮来はまだ道がガタガタしていたが、選べば何とか走行できた。あちこちで道路が陥没したり家や電信柱が不自然に傾いていた。それが被災地を見た最初だった。物資は市役所に届けようと思ったが、みんな出払っていて受け取る人がいない。先生の実家に預けることにしたが、とても喜んでもらえた。せめてもと言うことで、お返しに米をもらった。僕はその時「絆」を感じた。 東京に戻ってから僕が思ったのは、潮来であれなら福島や東北はどうなっているのだろう、と言うことだった。NPOが東北へ輸送する物資を募集していたので、僕はネットをつぶさに調べ、九州の倉庫にカロリーメイトが大量に在庫されているのを見つけ、すぐに押さえて送ってもらったりした。 そして、いわきに「ケータリング」に行こうと思った。僕らはCMなどのロケをする時、軽トラックの調理車で食事を作ってもらったりする。ケータリングと言う。それなりに凝っていて、なかなかうまい。被災地では自衛隊がカレーや豚汁の炊き出しをしているのは知っていたが、避難所の人たちはうまいものは食っていないだろうと思った。当時、いわきは原発を恐れてトラックが入ってこないと言われていたので、そこに行こうと思った。マネージャーを通じてケータリングの業者といわきの市会議員に連絡を取って、行けないか交渉させた。 ケータリング業者の1社がそのアイデアに乗り、最初は自分たちの費用で行きたいと言い出したので、まずはそれに着いていって、手伝いながら現状視察をしようと思った。現地の惨状を見、現地の人たちや避難所の子供たちの話を聞くと、何が必要なのかがわかって来た。彼らが食べたいものは、凝った洋食ではなく「和食」であること、物資は足りているが本や漫画などの娯楽に飢えていること、などなど。そういったことを把握して、万全の体制でもう一度ケータリングに行こうと計画した。 その話をツイッターでしていたら、小学館の編集者から自分たちの絵本や漫画の需要はないだろうかと問い合わせがあった。もしあるのなら届けてくれないかと。届けると言うよりも、いっしょに行きましょうと誘うと、段ボール10箱以上を持ってやって来た。全ての箱に一冊ずつドラえもんとポケモンが入っていた。僕は予想外の大荷物に自分の車を出すことにして、ケータリングを社員たちにまかせ、現地のボランティアの兄ちゃんの案内で、編集者たちといっしょにいわきの避難所を10カ所ほど回って本を届けた。「ドラえもんあるよ-」と言うと子供たちがワーッと集まってくる。編集者たちも思いがけない経験に喜んでいた。 彼女たちはその後も、活動を東北まで広げている。 これを「絆」と呼ぶのはヘンテコなことなのだろうか。 僕は毎年、児童養護施設に援助をしている。今年は資格を取るために短大に行きたい、という孤児の学資を出している。その子は孤児のケアをする仕事に就きたいらしい。そのためには短大で心理学を学ぶ必要があるのだ。名前は知らないし、向こうにも僕の名前は教えていない。この震災で両親を失った子供は240人いるらしい。僕はあと20年は働くつもりでいる。その子たちも含め、引退するまでにあと10人の孤児の学資を面倒見るつもりだ。それ以外の子たちは誰かにおまかせしたい。 何かになりたい、何かをやりたい、そういう気概がありながら、不幸な環境で実現できない子供たちがいる。それを放置しておくのは、世の中のためにならない。そういう子たちに活躍の機会を与えれば、その子が、あるいはその子の影響を受けた誰かが、世の中のためになることをしてくれるかもしれない。それが「援助」だと僕は思っている。それを「絆」と言っては僭越だろうか。情けないが自分の子供たちは世の中をなめていて、受験をやると言いながらゲームばかりしている。我が子とは言え、やる気のない人間を援助するぐらいなら僕はその金を孤児の学資に当てる。 以上は、被災地のために少し援助した、ほんの一人の僕の話だ。今年は僕以上に、被災地に貢献した人がたくさんいた。なけなしのお金を寄付した人もいただろうし、とにかく現地で働いた人もいたし、震災後すぐに物資をトラックで運び込んだ人もいた。死ぬ思いで働いた自衛隊、警察、消防、役所の人たちもいる。僕のすぐ周囲でも、自分の仕事も顧みず、大勢の人を引き連れて、滅私の精神で働いた人たちもいる。今年は確かに原発問題を中心に、日本の膿が出てきた年だった。悪人らしき人たちもいた。でもみんながんばったじゃないか、よくやったじゃん、と僕は言いたい。彼らに、日本に絆なんてないよねと、どういう根性で言えるのか。 今年の日本は「喪」だよね「白紙」だよねと言うヤツらは、もしかして自分たちが「喪」であり「白紙」なんじゃないのか。

2011年10月16日
by kossii
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長袖予報

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僕は株を買えば必ず下がり、売れば必ず上がるのだけど、服装もほぼ必ず裏目に出る。この季節は僕にとって非常に苦手な季節だ。半袖を着ていくと必ず寒く、長袖を着ていくと必ず暑い。僕の長袖半袖は、なぜかいつも世の中の人たちと逆なのだ。そしてそのうち風邪を引く。 季節の変わり目は風邪を引きやすい、とはよく言われるが、それは、寒い日に半袖を着ちゃうようなうっかりさんが多いということではなかろうか。 僕のようにいちいち何を着るか悩むのが面倒、という性格ばかりが問題なのではなく、家屋の性能が向上しているのも無視できないだろう。現代家屋の壁は昔のようにペラペラではなく、非常に優秀な断熱材でできているから、家の中では気候を感じにくくなっているわけだ。だから、今日は何となく暑そうだし、コート着ていくのも面倒だし、このまま行くか、と甘く予想して風邪を引く。 少しデカい話をすると、いま社会保障費は膨張する一途で、これをどう圧縮するかが国にとって喫緊の課題となっている。この中で、「寒い日に間違えて半袖着て引いた風邪」の医療費は案外と馬鹿にできない割合なんじゃなかろうか?医療費削減のためにも、ぜひ「長袖予報」を提案したい。天気予報で、「東京は長袖です」「埼玉はコートが必要です」と、何を着ていくべきかの予報も同時にすればいいわけだ。 ピクトグラムで長袖シャツやコートのアイコンを見せればいいだけだから、簡単にできると思う。もちろん最高気温/最低気温を見て自分で判断すればいい、という話もあるが、少なくとも僕はそこから何を着ればいいか判断つかない。つかないったらつかないのだ。そういう人は他にもたくさんいるはず。 2年前広告批評のラストイベントに招かれた時に「クリエイティブは世の中を幸せにできるか」というテーマを投げられた。僕の答は「もちろんできる」だったのだけど、これはまあその一つの例。小さなアイデアを積み重ねて日本を少しずつ良くしたいものだ。などという文章をパンツとランニング姿で打っている。

2011年10月13日
by kossii
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最強の痴漢撃退法

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もうずいぶん前、まだ独り暮らしだった頃、夜中に電話が鳴った。こんな時間に誰だろと思いつつ「もしもし?」と応えたが返事がない。切れてるわけではない。電話口の向こうからかすかに、「はあ…はあ…はあ…」と吐息のようなものが漏れ聞こえてくる。「どなたですか?」と聞いても反応が変わらない。僕はピンと来た。これは…母親に違いない!と。その頃うちの両親は非常に不和で、いつも離婚するだの何だのともめていたので、母が電話の向こうでしのび泣いていると思ったのだ。「母さん!母さんだろ?母さん!」と僕は叫んだ。そのとたん、ぶつりと切れてしまった。その後しばらくして、やっと得心できた。あれは変態電話だったのだ。僕はおかしくなってきた。変態もさぞびっくりしただろう。まさか「母さん」という言葉が返ってくるとは思わなかったに違いない。それに、男にとって「母さん」というのは最強に「萎える」言葉なのだ。 今日、大病院の泌尿器科に行った。2年ほど前から睾丸に水がたまるようになって、それは陰嚢水腫といって特に害のない病気なんだけど、完治させるために手術の申し込みに行ったのだ。泌尿器科の先生を僕は非常に尊敬する。他人の男のあれを素手で触れるというのはいかに職業といえどすごい。でも、若い女医となると感心ばかりもしてられない。反則だ。エコー検査であそこをぐりぐりされて僕はちょっとヤバい感じがしてきた。万が一にも反応しちゃったら大変じゃないか。それで僕は邪念を払うために微分積分を思い出そうとした。しかし高校の数式など思い出せるわけがなかった。次に僕は母親の顔を思い描いた。一気に萎えて、無事に検査は終わった。 女性達に覚えていてほしいこと。もし暗がりで痴漢に出会ったら、こう叫ぶといい。「母ちゃん!」。それで男はほぼ萎える。これより強力な痴漢撃退法は存在しないのではなかろうか?ぜひACでもCM化を検討してほしいものだ。