2019年12月21日
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グレタを死なせてはいけない

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グレタ・トゥーンベリさんについては新著でもSDGs解説の流れで触れました。
ちょうど脱稿した頃、彼女はスペインのCOP25に参加するためのヨットの手配で困っていました。
その後、彼女についての報道が増え、今、僕が心配しているのは、

彼女は自殺しないだろうか?

です。
僕は日曜午前のフジ「ワイドナショー」が大好きで毎週欠かさず観てるのですが、彼女が飛行機を拒否して船にこだわるのをコメンテーターたちは「パフォーマンス」と決めつけてました。
これにはかなりガッカリしました。
ガッカリだよ、松ちゃん!

彼女を突き動かしているのは「恐怖」だと思うんです。
彼女は鬱病始め様々な精神疾患を抱えています。
8歳の頃気候変動の話を聞いてショックを受けたことがきっかけだったそうで、肉も食べられなくなったと。
飛行機を拒絶するのも、僕がタマネギに恐怖を感じて拒絶する以上の、生理的な拒絶反応から来るものではないかと。

彼女の言動・行動については様々な人たちがワイワイ批判しています。
科学的に間違っている、とか。
彼女は子どもですよ?
先進国の恵まれた子どもに将来の気候変動についてとやかく言う資格はない、とか。
気候変動について発言するための資格ってどういうものが必要なんでしょう。
気象予報士の資格を取った石原良純ならとやかく言えるのかな。
言い方がなってない、礼儀ができてない、とか。
彼女を誹謗する大人たちの汚らしい言葉使いに比べれば、僕にはよほど常識的に聞こえますよ。
「天に向かって唾を吐く」とはまさにこのこと。

僕は、彼女の発言内容が正しいか正しくないかにさほど関心はないですし、彼女の言葉使いが妥当かどうかにも関心はないです。
なにせ、子どもなんですから。
もちろん、子どもだからといって見下しているわけではないですよ。

僕が関心あるのは、気候変動への恐怖から精神を病む子どもがいるのだ、というところです。
世の人たちも関心を持つべき最大のポイントはそこではないかと思っています。

気候変動への恐怖で精神を病ませた子どもに大人はどのように接するべきか。
汚らしい誹謗でさらに追い詰める?
そういう人たちが大勢いるようなこの世界は、まあ崩壊に向かうわなあ。

もし彼女の精神疾患が進行して恐怖が絶望に変わり、死を選んだとしたら、彼らは溜飲を下げるのでしょうか?

2019年12月20日
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恐れながら社長マーケティングの本当の話をします。

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本日12月20日(金)、4冊目となります著作
「恐れながら社長マーケティングの本当の話をします。」
が宣伝会議より上梓されました。

内容は以下となります。

第一章 社長 、 まずは マーケティング部をなくしましょう
第二章 「名物 宣伝部長 」はどこいった
第三章 御社は「ミドル ・ファネル 」作れますか
第四章 やっぱし事件は 現場で起きている
第五章 「 VISION 」の本当の 話をします。
第六章 テクノロジー変わるマーケティング思想変えるビジネスモデル変える
第七章 不買運動が起きてます!
第八章 社長、さっき 言いかけたことですが

これまで企業経営は「商品開発」「製造供給」「営業」「財務」が柱とされてきましたが、「商品開発」や「営業」を組み込んだ「マーケティング」と、「製造供給」「財務」の三本柱で成り立つと考える企業が増えて来ました。
ところがトップは部署や外部エージェンシーの部分最適に翻弄されて適切なマネジメントができないままに、ESG投資などの社会要請プレッシャーを浴びることとなり、広告主を中心としたカオスが業界全体に拡がっている状況です。

それもあってか、自分のところにも経営層から「マーケティングのサポートをしてほしい」というご依頼をいただくようになって来ています。
自分のような「現場にも行ける」人間がトップの隣に立つと、スカッと全部見渡せます。
マーケティングの回転を止めている問題点が明瞭に見えるんです。

外部エージェンシーからすると、広告主はブラックボックス化しています。
「なぜこういう判断になるんだ?」
「誰が決定権を持っているんだ?」
「本音はどこにあるんだ?」
と。
広告主からエージェンシーを見ても同様で、
「なぜこういう提案になるんだ?」
「誰が中心で働いているんだ?」
「本音はどこにあるんだ?」
と。

自分の具体的な役割は主にはPromotionのマス・デジタル融合ですけども、これを成し遂げるためには組織の連携を正常化させる必要があり、上流から下流まで行ったり来たりしながら、広告主の部署間や外部パートナーとの「詰まり」を解消していくことが裏命題となります。
そんな中で得た知見を元に、「自分でマーケティングまで関わろう」とされるトップに向け、自分なりの指南をまとめた次第です。

自社マーケティングが正常に機能するためにトップが知っておくべきことを以下のように整理しました。
・「マーケティング」の正しい定義、認識
・マーケティングが企業の総力戦に移行している実状
・現場トラブルの実態
・Mission,Vision,Valuesの正しい機能のさせ方
・新しいテクノロジーのマーケティングへの組み込み方
・SDGs、ESGなど社会要請のマーケティングへの取り込み方
新テクノロジーの矢継ぎ早な登場によるマーケティングメソッド、マーケティング思想の進化、変化によって業界全体が足元から揺らいでいる中、ここでトップが軸となりマーケティングの再編成をしようという提言となっています。
広告主のトップに限らず、広告業界人、広告に隣接されている方、どなたがお読みになっても何らかのお役には立てるかと思います。

(なぜかアマゾンでは23日発売となっています)
恐れながら社長マーケティングの本当の話をします。

2019年12月7日
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表現者の責任

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「Guilty」というデンマーク映画があります。
舞台はデンマーク版の110番電話受付室。
不祥事を起こしてそこに異動させられた警官が主人公で、彼が「誘拐されてクルマの中にいる」という女性の電話を受けるところからストーリーが始まります。
彼はあちこちに電話をかけて事件を解決しようとするのですが、カメラが写すのは彼のいる部屋だけ。
映画として、電話のやり取りだけで事件の進行とか、現場の緊迫感が伝わるチャレンジがなされていて、それが非常にうまくできてます。
ついでに言えば、最後のどんでん返しも秀逸。

NHK「パラレル東京」のドラマはテレビ局の報道センターが舞台でした。
この番組の狙いは視聴者に震災を「自分事」として捉えてもらうことにあると言います。
しかしドラマを観ていると、その思惑がうまくいったとは言い難いように感じました。
「プロローグ」で首都大学教授が実際に首都圏を大地震が襲ったらどういう事態になるかのショッキングな解説をしてくれましたが、僕にはそれで十分というか、ドラマはその内容の再現映像以上のものにはなってなかったんじゃないかと。
テレビ局は確かに震災全体を俯瞰できるという意味では舞台としてふさわしいでしょうが、であれば、現場の緊迫感をどう真に迫って伝えるかの「Guilty」のような工夫が必要です。
それをしなかったがゆえに、ドラマのテーマが「報道のジレンマ」「若手アナウンサーの成長」といった、本来の主旨からズレたものになっていて、舞台が聖地になっていることもあり、震災が視聴者にとって自分事でなくむしろ絵空事に映ってしまったような気がしました。
「救命病棟24時」で首都圏震災を背景としたシリーズがあり、そうすることで救命現場の葛藤や困難さを乗り越えるストーリーを描こうとしていたわけですが、そのようなドラマに近いと言いますか。
「株価が大暴落する」といった台詞も不要のはずです。
番組の主旨は、何の対策もせずボンヤリしていると命が危ない、ということを実感を持って伝えるところにあるわけですが、首都圏の震災による株価暴落は視聴者に対策の取れるものではなく、無為に不安をあおる要素でしかないからです。
生理や糞便などの食料の次に問題となるリアルは描いてないし。
「間違った報道をして避難者がパニックを起こしたらどうする」という台詞もありましたが、そもそも避難者がテレビなんて見ているわけありません。
「地震があったらまずブレーカーを落とすべし」と番組中に何度も言ってるので、在宅避難の人々が対象だとしても、彼らがテレビを観ているという想定自体に大きな矛盾があります。
情報は携帯ラジオで得るべきなんです。
もう身も蓋もない話ですが。
他にも突っ込みどころ満載なのですけど、このへんにしときます。

このように書いていくと、こういった反駁を感じる人は多いでしょう。
「いやしかし、震災への備えを啓発する意味で、あのドラマには意義があったはずだ」。
そこなんです、ポイントは。
「だからこそ」なんですよ。

東日本大震災の時もそうでした。
震災の悲惨さ、被災者の大変さ、を描くコンテンツはたくさんありました。
しかし、「表現」としてよくできているものはさほど多くなかった印象です。
ところが描き方が下手じゃないかという批評はされないんです。
これは障害者を描くコンテンツもそうですし、人権や差別問題を描くものもそう。
そういうテーマのものはアンタッチャブルで批判されにくいので、ヘタなままでよしとされてしまうわけです。
これらは社会全体がターゲットで、商品CMなどよりもよほど重要なもののはずです。
だからこそ、「見事に」伝えるための工夫、表現上の努力が一層必要とされるはずです。

先日、厚労省の「人生会議」ポスターが炎上しました。
テレビのコメンテーター含め、ネットでは擁護する発言が多く見られました。
「こういう啓発はどんどんしていくべきだろう」と。

僕は過去、非常に恐怖な体験をしたことがあります。
全身麻酔が手術中に切れそうになったんですよ。
ふと意識と感覚が戻って、手術室の会話が聞こえてくるんです。
どうやら今からメスを入れるようで、僕は必死になって、自分が意識あることを何とか伝えようとしました。
しかし身体はピクリとも動きません。
もうこのまま耐えるしかない、と諦めたらまた眠りに落ちていきました。
あの恐怖はいま思い出しても身震いします。

「人生会議」のポスターは、おそらく、植物人間になってしまったのだけど意識はあって、周囲の人々の声は聞こえてくる、そんな状況を描いているのでしょう。
こんなことになるなら延命拒否の意思表示をしておけばよかったと。
でも、これはとてもじゃないけど笑い事にできるものではないです。
一般の人に広く伝えるためエンタメにすべし、という理屈はわかりますが、生死の綱渡りをしている人たちも見るわけで、「ふざけんな」の声が起こるのは必定です。
なぜそこまで予測しなかったのか。
ついでに言えば、なんで小籔さんの眼は開いてるんだろう?
それもちょっと意味がわかりません。

表現者には、表現を見事にやる責任があるんです。
社会的に重要なコンテンツであるほど、その責任は重くなるはずなのですが、逆に、甘えのようなものを感じるケースが多いです。
プロの表現者であれば、広く皆が自分事として受け止めなければいけないテーマほど、表現のハードルは高くなるのであって、幾重にも慎重になりつつ優れたアイデアを出さなければいけないのだ、そういう意識を強く持っていただきたいと思います。

2019年12月3日
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努力は思わぬ道を開く

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以前より、ずっと気になっていたことがありました。
それは、
「どうしてもクルマの中でオシッコしなければならない場合が来ないか?」
です。
最近は大雪とか台風とかで道路が完全に死んでいる様子をテレビで観ますし、自分がそういう状況に出くわす可能性あるよなと。

対策として僕が考えたのは、
「ペットボトルにしよう」
でした。
僕の車には常に数本ミネラルウォーターやらお茶やらのペットボトルが置かれているので、いざとなったらそれにすればいいのではと。

で、先日、車を運転していたら急に尿意を催したんです。
途中でコンビニに寄るなどもできたのですが、ギリ目的地まで持つかな…というかんじだったので我慢していたら、目的地に到着するや、もう限界に来て。
そうだ、以前から考えていたあのプランを実行に移すときだ、と思いまして、手近にあったペットボトルの水を捨てて、通行人に見られてないかな…と気にしながら、ジッパーを下げました。
ところが思いがけぬことが!
ペットボトルの口よりも僕のちんちんの方がはるかに太かったんです。
これは想定していなかった…。
ちょっとしたうれしさと絶望が同時に襲いかかりました。
ところが思いがけぬことが!
慌ててちんちんを納めてジッパーを下げた途端、尿意が収まったんです。
どうやら、下半身をいろいろまさぐっていたのがそういう効果を与えたらしく。
そのまま普通に降りて、トイレで用を足しました。

この逸話の教訓、それは、
「努力は思わぬ道を開く」
というものではないでしょうか。

ここしばらくずっと新著にかかりっきりで、ブログの更新が止まっていたのですが、
「ブログはどうなってますか」
という声を聞くようになって来たので、何か書こうかと。
思いついたのはこういう話だけでした。
意外にいい話…ですよね?

後日談ですが、ネットで調べると車中の簡易トイレっていろいろあるんですね。
さっそく買って車に置いておくようにしました。

2019年7月18日
by kossii
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人生で成功するためのステップ

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この歳になって、ようやくわかってきたことがあります。

長い仕事人生において成功を収めるためのステップとは、シンプルなものなんじゃないか?と。

それで最近は、自分の子どもたちにも広告学校の受講生たちにも、この話をするようにしています。

そのステップとは、

実力をつける

その実力で、多くの人から感謝される

そしたら後は何をやってもうまくいく

2019年6月21日
by kossii
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ミドルファネルが業界を変える

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最近「フルファネル」という言葉をよく耳にしませんか。
「ファネル」が何ぞや、というのは(もし知らない方がいらしたら)各自調べていただくとして…。
僕の定義ではトップファネルが認知、ボトムファネルが刈り取り、それらを繋ぐミドルファネルが自分事化、となります。
たとえば認知とはTVCMで広く知ってもらうとかですね。
たとえば刈り取りとはリスティングや自社サイトを訪れた人へのリターゲティングバナーとかですね。
これらは、ずいぶん前から行われて来ました。
しかし、バラバラに行われて来たので、認知から刈り取りまで全体で一つのコミュニケーション設計を作ろうよ、という考え方を「フルファネル化」と言っているわけです。

実際、ミドルファネルをぶっ込むと、成果が格段に上がります。
昨年対比数倍といった数字が出たりします(僕の事例で「変わらず」などといったことはまだ一つもありません)。
ミドルファネルのキモは「細分化」にあります。
僕のやり方としては大きく2つに分かれてまして、ターゲットの細分化あるいは商品優位性の細分化です。
ターゲットの細分化とは、ターゲットを3~4種類ぐらいのクラスター(スモールマス)に分けることですが、その各クラスターが価値を感じるようにWEBCMなどのコンテンツを複数バリエーション制作し、当てていくわけです。
商品優位性の細分化とは、その商品やサービスの優位性を一つに決めるのではなく、多面的に捉えてコンテンツを複数バリエーション制作し、ターゲットに複数回当てていきます。
喩えは悪いですがいろんな餌で魚釣りをするわけです。
どっちにしても、メディアとしてはSNSが売上げや集客への寄与度が高い傾向です。

広告コンテンツ企画制作はTVCMなどのトップファネルをまず先にやって、さあWEBはどうするか、という流れが一般的でしょう。
僕は逆のやり方を取ります。
ミドルファネル先にありきで、そのコンテンツの中から最大のクラスターに当てられるもの、あるいは商品優位性を最大に伝えられるものを「代表」としてTVCMやTrueViewに持って来るのです。
ちなみにTrueViewはトップファネルに置いて認知メディアとして活用するやり方と、ミドルファネルに置いて自分事化メディアとして活用するやり方と、両方に使えますが、SNSに比べてViewは10倍以上出ますがエンゲージは低いのでトップファネル向きと考えます。
ミドルファネルはトップやボトムの役割を兼ねることもできます。
制作費的にも、全部まとめて作っちゃうことができますから、これまでのやり方より格段に低くなります。

「なるほど、じゃあすぐやってみよう!」と思っても、残念ながらそうはいきません。
フルファネル化は、コミュニケーション組織の一体化なくしてはできないことだからです。
先ほど、「これらは、ずいぶん前から行われて来ました。」と書きましたが、別組織で行われる場合がほとんどでしたし、今もそうです。
つまり認知はマーケティング部・宣伝部。
そこにつながっているのは総合系エージェンシー。
刈り取りはデジタルマーケティング部。
そこにつながっているのはデジタル系エージェンシー。
じゃあミドルファネルは誰がやるの…?
できる組織がないんです。
ミドルファネルのコンテンツ、たとえばWEBCMを企画制作する能力は宣伝部にありますが、運用する能力はデジタルマーケティング部にあります。
この2つの組織が両輪になっていなければフルファネルなんてできっこないんです。
よく業界系の記事で「デジタルマーケティング部がフルファネルを実現しました」というのを見かけますが、自己矛盾です。
「宣伝部とデジタルマーケティング部がフルファネルを実現しました」となっていなければ、それはフルファネルではありません。

ファネルというものを語るときには、必ず組織論がくっついてくるんです。
2つの組織がそれぞれで予算を持っているというのもコトをややこしくしています。

じゃあ、フルファネルは誰が音頭を取ってやっていくのか?
社長です。
あるいは、マーケティングを全権委任された専務、常務などの、いわゆるトップ。
僕はこういった方々から依頼を受け、広告主サイドのアドバイザーとして組織間、企業間の交通整理をする、そんな業務が増えました。
繰り返しますが、そうやって組織を整えてミドルファネルから作っていくと、格段に成果が上がるんです。
ただ、このようなトップはまだまだ少ない実感です。
幕末の開明派大名のような、マーケティング意識の高いトップが増えれば、次第に広告主の組織体制も変革され、ひいては広告業界全体の変革につながるように思えます。
どうやったら増えるかなあー、と考えているところです。

2019年3月18日
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ピエール瀧の子どもに罪はない

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あくまで仮の話としてです。
山中教授が若い頃から違法ドラッグをやっていたのが見つかったら、iPS研究は自粛しなければならないのだろうか?
答は否に決まってます。
教授自身は研究から退くかもしれませんが、研究を止めるわけにはいきません。
ならば、アーチストがドラッグや犯罪をやっていたら、その作品は地上から抹殺されるべきなのか?
この答えも否に決まっています。
どちらもその人自身ではなく、その人の成果物なのですから。
そして、どちらもそれによって恩恵を受ける人たちが、数の多寡はともあれ、いるのですから。
これは議論の余地もないのではないでしょうか。

科学者であれ、アーチストであれ、ビジネスマンであれ、彼らが残した功績は等しく彼らの「子ども」です。
子どもにまで罪を着せようというのは、古代の九族皆殺を連想させてゾッとします。

現代のあらゆる生物は自分の遺伝子を残そうという本能を持っています。
そういう本能を持たない生物も過去にはいたかもしれませんが、当然ながら、死滅しています。
僕らにもその本能はあるわけで、それがゆえに、わざわざ時間やお金や労力を使って「子ども」を産み育てます。
しかし、生涯子どもを持たない人たちもいますよね。
これはなぜなのか。
ミームという考え方があります。
情報遺伝子、あるいは疑似遺伝子とでも呼びましょうか。

自分が成し遂げたもの、作り上げたものには何らか「自分」が宿っています。
そして、それは拡散していく可能性があります。
iPSなら、そこを起点にして新しい発見がなされるとか。
音楽なら、それに触発された人が新しい音を生み出すとか。
人間はそこに自分の遺伝子を見出すのですね。
あたかも自分の子孫が増殖していくように。

人間だけが持つこの不思議な心性は、少子化と結びついています。
新興国で出産率が高く、先進国で出産率が低い理由は、乳幼児死亡率の高低なども影響しているでしょうが、先進国の方がミームを作る機会に恵まれているからでしょう。
先進国に住む僕らは生物学的な子どもよりも情報遺伝子による子どもをせっせと産み育てているわけです。

逆に言えば、だからこそ僕らは先進でいられるのかもしれません。
昔から、何かを成し遂げる者にとって子どもは足かせでした。
僧侶は妻帯を禁じられていました。
しかし、一族の中でそのような者が出ると必ず兄弟が子どもを多く残す。
そのように生物学的な子どもと情報的な子どもを残すバランスを取りながら僕らは進歩というものをして来たのでしょう。
少子高齢化の問題はそのバランスが崩れてきているということです。

いずれにせよ、「子ども」のいない世界に未来はありません。
私見では、生物学的な子どもは何より重要です。
しかし、情報遺伝子による子どもも未来に繋がる種であることは間違いありません。
子どもに罪はありません。
子どもを抹殺してはいけません。

2019年1月8日
by kossii
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新年の当たり前⑤ 今年も現場行きますよ!

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ここのところ、すっかりデジタルの人間と見做されている自分ですが、そんなことはありません。

クライアントさまの課題解決のためにはデジタルも採り入れなきゃというだけのことでして、「TVCMの企画制作して」「コピー書いて」というレガシーなお仕事もフツーにやっております。
そんな中、最近びっくりするようなことを言われるようになってきました。
「えっ、小霜さん、撮影立ち会うんですか?」

ちょっと意味わからない。
サンドイッチマン状態となること多し。
CDなんだから撮影に立ち会うのは当たり前じゃん?
気になって調べてみると、クライアントのエラい人がいるところにしか現れない、つまりプレゼンと試写しか来ないCDが非常に多いらしい。
以前、エージェンシーのCMプランナーたちが勝手に打ち合わせして「確認してください」って企画を送って来たことがありました。
なんで勝手に進めてるんだ、って怒ったのだけど、彼らからするとCDは打合せに参加しないのが当たり前だったのでしょうね。
何たることか。

クリエイティブディレクターとは、クライアントに対してクリエイティブ・クオリティの保証をするのが役割。
それが、企画もしなければ撮影にも行かない、編集にも行かないではいったいどこに存在理由があるのでしょうか。
撮影で気づくことは非常に多い。
その場の閃きでいいカットが撮れることもあるし、逆に、その場の発見で炎上が防がれることもある。
そして撮影現場にいれば、どんなカットを撮っていたかわかる。
編集では監督がまず繋いだのをチェックするのだけど、うわーこれじゃなー、となることもある。
このままクライアントに見せたら揉めるの必至、大改造必要、という。
そういった時、「こんなカット撮らなかったっけ?」とCDが気づくかどうかで全然違ってくる。
だから僕は、企画打合せは自分で主導し、撮影も編集も最後までチェックします。

最近はコンサルティング的な業務も多くなってきましたが、やはり現場プレイヤーでなければ、机上論しか提言できなくなってしまいます。
僕は評論家になるつもりはありません。
そういう意味でもこれまで通り、いわゆるCM、コピーライティングといったレガシークリエイティブもしっかりやり続けなければと思う次第です。
たいへんだけど仕方ないです。
基本大阪人なので、アホなものばかり作っていたいというどうしょうもない性根もあるのですが…。

振り返れば、2018年はコンテンツの年でした。
ドラマでも映画でも主役〇〇頼みではなく、内容の優れたコンテンツがヒットしました。
これは生活者の視聴態度が全体的にLean BackからLean Forwardに変化して来ているということでしょう。
いいものは自分で見つける時代ということです。
広告においても、これからはコンテンツ=クリエイティブ主導が加速すると予測しています。
まだまだクリエイティブの現場から離れるわけにはいかないなと気を引き締めております。

ということで、新年の野心から新年の当たり前まで①~⑤を一気に書いてしまいましたが、これらを実現するためには自分一人の力では到底無理でして、皆さまのご支援ご助力をいっそう賜りたい次第です。

改めて、本年も何卒よろしくお願いいたします。

欲しい ほしい ホシイ── ヒトの本能から広告を読み解くと(インプレス・ジャパン)>Amazon

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心④ コピーライティングの新しい仕組みづくり

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今年からコピーライティングの新しい「仕組み」を作っていこうと思います。

「コピー」というものの役割がどんどん拡大している、というのが根っこの理由です。
僕は数年前に上梓した自著で、コピーはキャッチフレーズよりもタグラインに価値がある、などと書きました。
その原則は今でも変わっていないと思いますが、キャッチフレーズとタグラインを書くのがコピーライターの役割かというと、それではもう全く足りません。
一例を挙げれば、「検索ワード」は「ハッシュタグワード」に変わって来ていますね。
商品やサービスがSNS内でどのように検索されるか、拡散されるか、そういったコピー作りは旧来のレトリック型キャッチフレーズ作りとは全く頭の使い方が異なります。
Web広告(特にバナー)ではクラスター分けされたターゲットに精緻に刺さるコピーが必要ですが、これも属性でセグメントするのか、興味関心でセグメントするのか、そういったことでコピーの作り方は変わって来ます。
これまでの職人的やり方では対応できないのです。

また、広告主は押し付けを嫌がるようになって来ています。
コピーライターが、これが絶対にいい、といって1案、あるいは2、3案しか持っていかないと「もっと他にも見たい」と言われます。
「①」でも触れましたが、マーケティング担当者がアカウンタビリティ(説明責任)を果たすためには、全方位的に俯瞰した上で、これならコミュニケーション投資で失敗しないという強い確信を持たなければ進めないのです。
僕がコピーやネーミングをプレゼンするやり方は、まず切り口違いの50案ほどをテーブルの上に並べます。
それを広告主が見ていると、無意識に秘めていた思いが顕在化してきて、「自分たちが本当に伝えたかったのはこれだ」とわかってくるんですね。
そこからさらに拡げたり掘ったりをして、最終的な確信まで持っていきます。

ただそのやり方には馬力が必要です。
切り口違いの50案を並べるためには元となる数百案から絞り込まないといけません。
自分一人で360°の切り口を数百出すのはキャパ的に無理があるので、「クラウド」を活用します。
僕の「クラウド」とは、副業コピーライターたちです。
無料広告学校の元受講生に、副業でコピーを書きたいという人たちがいます。
本業としてコピーライターを目指す人もいますが、ほとんどは企画脳を育てることで自分の実務に役立つだろう、また人生の次のステージへの体力づくりになるだろう、と考える人たちです。
コピーライティングはクリエイティブ作業の中で最もストラテジー立案に隣接していますから。
そしてその中には、非常に「使える」人たちがいるんです。
案件によって適した人を数人集めてオリエンし、ガーッと書いてもらいます。
それを僕がディレクションし、また書き直し、50案に絞り込んでいきます。
活躍度合いによってきちんと報酬は払いますし、もちろん手柄を自分のものにしたりはしません。
採用されたらそれを書いた人の名前をコピーライターとしてクレジットします。
このやり方はクライアントさまに大好評で、これまで喜んでもらえなかったことがありません。
エージェンシーやプロダクションにもなかなかできないことで、言葉ひとつひとつのレベルも凌駕していると思います。
僕が商品開発に携わらせてもらったキリンノンアルコールビール「零ICHI」のネーミングは主婦のアイデアでした。

最近、そのやり方を聞きつけた外部クリエイティブディレクターやアートディレクターから彼らを貸し出してほしいという話が来るようになりました。
彼らのモチベーションは企画脳を鍛えることですから、他流試合をしてみたいという意欲も旺盛です。
もし誰かのコピーやネーミングが採用されたらクレジットに名前をしっかり入れる(手柄を横取りしない)ことを条件に開放することとしました。
これは一部のコピーライターたちから反発を招くかもしれません。
しかし自分はもう20年以上前から旧来のコピーライティングではやっていけない時代が来ると警鐘を鳴らしています。
自分のスタンスはあくまでクライアントファーストであり、クライアントのためにどういうやり方がベストかを常に考え続けてきました。
コピーライティング、ネーミング開発についてはこのCD&Crowd体制が現状ではベストと思っており、また、これは国が奨励する第2の人生設計に向けた副業・兼業の流れに完全に合致するものであります。
「量産の元が大事ならAI&CDでもいいんじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、AIは発注主の真意を理解して書き始める、ということをしません。
ただワードを並べ替える作業を高速でするだけ、と言って過言ではないでしょう。
アルゴリズムはほぼ同じでしょうから、AIコピーが普及すると表現の差別性が感じられなくなっていく、というパラドックスも待っているはずです。
まだまだA/Bテストぐらいにしか使えないんじゃないか(逆にA/Bテストになら非常に使える)と思っています。

ちなみにスペシャリストが一人で書く、というやり方じゃないとできないコピーライティングもあります。
企業の経営ビジョンを言葉化するとか、そういうものですね。
ミッション、ビジョン、バリュー、ステートメントといったいわば「CIセット」などは、経営者に寄り添わないととても書けないものなので、これは僕が一人でゼロスクラッチでライティングします。
ところでコピー、スローガン、ネーミング、自分は全てバイアウトします。
これらは発注主のものであり、自分はそれらを作るお手伝いをしているに過ぎないという認識なので、権利を一切持ちません。

ここらで広告コピーの本当の話をします。 (宣伝会議)>Amazon

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心③ イノベーション支援の支援

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社会的な視点でもビジネス的な視点でも、今後のキーワードがイノベーションであることに異論はないと思われます。

ニーチェは「現在に影響を与えているのは未来」と言いました。
調査によれば日本では未来へ悲観的な人が9割です。
となると、明るい未来を切り拓くために、イノベーションを続々と生み出そうという現在の流れは必然ということです。
大企業もオープンイノベーションに頼る時代に突入しています。

ただ、日本はイノベーションアイデアを持ったスタートアップ企業にとって必ずしも良い環境とは言えません。
ラトヴィアがスタートアップ天国となっているのは国自体がテストマーケティングサイズだからです。
日本では大企業や大資本と提携しないとなかなか難しい実状があります。
だから皆で他国に負けないぐらいスタートアップ企業を支援しないといけないわけで、じっさい様々な支援サービスが立ち上がっています。
投資家へのプレゼンの仕方を指導したりとかですね。

ところが、その投資家に悪質な人たちがいるんです。
ただアイデアを食い物にするというだけでなく、低レベルの話では女性起業家の20%が投資家からセクハラを受けたというデータも存在します。
そういった投資家からどう保護し正しい成長軌道に乗ってもらうか、という課題があります。
また、スタートアップ企業のマーケティングの受け皿をどうするか、という課題もあります。
適切なマーケティング支援をしてくれるプレイヤーが、少なくともスタートアップ側からはほぼ見えていません。
人脈を辿って個人レベルで依頼、というのが実状です。

しかし、これらをサポートする新しい仕組みがいくつか立ち上がろうとしています。
自分はそのサポートの仕組みをサポートします。
無料広告学校もそうですが、もともと僕は若者支援をずっとやっていまして、これもその延長として捉えています。
近々公表します。

社会課題解決サポートも、今まで通り注力します。
これまで、iPSを初めて実用化したことで著名な高橋政代先生が主導する神戸アイセンター構想、視覚障害者の社会復帰を後押しするiSEE!運動などをサポートしてきました。
昨年からそれらに加え、障害者の社会復帰を実現していく他の取り組みにも参加しています。
これも大きな事例がひとつ成立しましたので近々公表できると思います。

社会課題解決と言えば、内閣府のお仕事もほとんどがそれに該当します。
ここもエージェンシーとのコネクティング的な示唆をさせていただくことが多く、コミュニケーションロスの防止やメディア費効率化などによって、かなり税金を有効活用できているはずです。
いちおう報酬は出ますが、まあボランティアに近いかなと…。
2018年度の日本のベストバイヤーは僕を買った内閣府で間違いないと思っております。