2016年1月5日
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ちびまる子、ドラクエ、ピクサー、コシモ、30周年。

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謹賀新年

明けましておめでとうございます。

 

皆さまは、ちびまる子ちゃん、ドラクエ、ピクサーと、コシモの共通点をご存じでしょうか。
今年で30周年なんですね。
自分が広告クリエイターとしてこの業界に入ってから早30年。
まだまだ現役としてやらせていただいています。
旧年は自分がクリエイティブに携わったほぼ全ての案件で想定を超えるKGI、KPIのスコアを出すことができました。
新年もスタートダッシュで新しいプロジェクトがいくつも始まります。
ここまで来られたのも、いま頑張れているのも、理解あるクライアント様、広告代理店様、力あるプロダクション様、様々な協力会社様、フリーの方々の支えによるものです。
改めてお礼を述べさせてください。
また、今後もより一層のご支援を賜れば嬉しい限りです。
よろしくお願い申し上げます。

小霜和也 拝


昨年度の活動ご報告

・クリエイティブディレクター/コピーライターとして企画制作を担わせていただいた商品・ブランド(順不同)
VAIO
マキシマム ザ ホルモン「Deka Vs Deka」
クリナップ 「流レールシンク」
H.I.S. 「Global ぷち商社 Service」
ドコモアニメストア
京橋再開発プロジェクト
ドクタープログラム トリニティライン
森永乳業 Pino
メットライフ生命
レオパレス21
他 数件

・コンサルティング契約、ブランディング、CIなどでお世話になりました企業・ブランド様(順不同)
iPS再生医療 神戸アイセンター(NextVision) 様
京橋 地域再開発プロジェクト 様
TOKYO GIRLS COLLECTION 様
トリニティライン(ドクタープログラム)様
ヒロインメイク(伊勢半) 様
とらのあな(ユメ(ノ)ソラホールディングス) 様
TECDIA 様
メットライフ生命 様
ビデオリサーチ 様
大広 様
朝日広告社 様
フリーセル 様
AOI Pro. 様
ドリームデザイン 様
博報堂アイスタジオ 様
他 数社

・メディア露出
ブレーン 2015年11月号 「心に残るプレゼン術」
販促会議 2015年10月号 「言葉一つで売上あがるセールスコピー研究」
ブレーン 2015年4月号 「私のクリエイティブディレクション論」
東洋経済ONLINE 「自前広告の時代 パネルディスカッション」
AdverTimes 「小霜和也氏がAOI Pro.とクリエイティブ・コンサル契約をしたワケ」
クリエイターズステーション 「あの人にあいたい!」

・連載コラム
月刊JAA 「宣伝部長・マーケ部長ソウルフル相談室 その魂、受け取りました!」
GameBusiness.jp 「ゲーム広告はこう作れ」
AdverTimes 「良いコピーをどうやって書くかというより先に知っておかないといけない話。」
東京コピーライターズクラブ 「コピーライターに訊け!」 Podcast配信128〜132回

・講演・セミナー
VR Forum2015 パネルディスカッション 「データドリブン・クリエイティブの可能性」
アドテック関西2015 パネルディスカッション
Adfes 講演
日経広告研究所 クリエイティブセミナー 「クラスターマーケティングについて」
宣伝会議 コピーライター養成講座
宣伝会議 広告心理学セミナー
宣伝会議 ネーミングセミナー
紀伊國屋サザンセミナー 「自前広告の時代 パネルディスカッション」
青山学院大学 広告文化論 「企業経営と広告クリエイティブ」
企業研修 資生堂 ソフトバンク パラドックス マッキャンヘルスコミュニケーションズ 他

・学校
ノープロブレム無料広告学校 第8期

・出版
「広告コミュニケーションの総合講座―理論とケーススタディー〈2016〉」(日経広告研究所)

2015年12月29日
by kossii
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本年のお礼とおまけ

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本年、2015年は自分にとって非常に良い年でありました。
2月に骨折、入院と、最初の躓きはありましたが・・・後半は見事に盛り返しました。
素晴らしい出会いがたくさんあり、新年への地固めができましたし、自分がCDを担わせていただいた広告はほぼ全てが驚くべきスコアを出しました。
当然ながら、自分ひとりの力では何もなし得ないわけで、これもひとえに皆さんのご支援の賜物とホント感謝しています。
改めてお礼を申し述べます。

と、共に・・・。
自分、仕事以外の趣味は「マンガ」でありまして、自宅には8畳ぐらいの書庫が2つあるのですが、棚が埋まって床に平積みしている状態です。
そんな私が今年出逢ったマンガのうち、「これは」と感じたものをご紹介してみたいと思います。
本業とは全く関係ないですが、まあ、お礼の「おまけ」みたいなものです。
順不同で、ランキングとかにはなっていません。
カテゴリーもバラバラですし、順位を付けられるようなものではないからです。
さて・・・


主人公は高校教師。
赴任した学校になぜか珍しい亜人がいろいろいる。
頭が身体から離れて困ってるデュラハンとか、男に触れただけでイカセてしまうので地味な生活を送っているサッキュバスとか。
彼が彼女たちの人生の悩みを聞いてあげるというだけの話なんだけど、なんかモヤモヤする。
コミカルなタッチの中に、障害とか差別とかの奥深い本質が潜んでるような気がする。
まあ、難しく考えずとも、単純にキャラがイキイキしてて楽しいです。


これまでいろんな医療系マンガを読んできたけど、今のところこれが最高かな。
主人公は偏屈で、自分の判断に間違いは絶対にないと言い切る病理医。
病理医とは採取した細胞を鑑別したりして、患者の病気が何なのか突き止める医師のことですね。
裏方ではあるんだけど、その判断に基づいて医師たちは治療方針を立てる、非常に重要なポジション。
その彼が、大学病院の医師たちの甘っちょろい診断をバッサバッサと切り捨てていく。
カンファレンスを荒らしまくる。
その痛快さがたまりません。


問題ばかり起こすウエイトレスがひょんなことから札幌のラジオDJになる、という話なんだけど、トークがすごく考えられてる。
良くできてると感心する。
この作者ってこういう話作れる人だったんだ、と驚き。
「バクマン。」とか「べしゃり暮らし」とか、クリエイティブの中にクリエイティブがある、マトリョーシカ的コミックを僕はかなりリスペクトしちゃうんですけども(だってダブルのアイデア出しが必要なんですから)、これはストーリーのテンポもいいし、キャラも魅力的だし、期待度高です。


最近また、世界滅亡系マンガが増えて来たなという感があって、これもその1つなんですけど、発想がメチャメチャ過ぎて目が離せない。
そういう意味では浅野いにおの「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」も同じカテゴリーだが、こっちも別方向のメチャメチャ発想で目が離せない。
僕はもう世界滅亡系でありきたりのストーリーでは物足りない身体にされてしまった。
「インデペンデンス・デイ」の新作が公開されるらしいけど、こういったマンガを読んじゃった後だと、もはやどんなすごい映像を観たって退屈に感じてしまうんじゃないだろうか。


島原の乱を描いた歴史モノ。
どうしようもない絶望感の中にとことん落ち込んでみたい、という時にオススメです(そういう時、ありません?)。
最初からもう救いようのなさがムンムンしてて、おそらくハッピーエンドはあり得ません。
「狼の口」が好きな人はこれも必ず気に入るでしょう。


上杉謙信が実は女性だった、という様々な根拠を元に創った戦国マンガ。
まさかこの作者が歴史モノをやるとは想像もせず、独特のタッチへのアレルギーからかアマゾンのレビューでは低評価も見えるんだけど、僕はこれはこれでアリじゃないかと。
歴史群像劇として、案外にちゃんと面白いですよ。
NHKの大河って、最近は男性主役と女性主役がかわりばんこにやるようになったけど、残念ながら女性主役の年って当たらないですよね。
それはもう戦国とか幕末で女性が切った張ったできるわけがないので、無理ゲーだろと僕は思いますが、こういう話でやってくれれば面白くなるはず。


これは天才的な文学の才能に恵まれてるんだけど、アスペルガー?的な、人との接し方が異常、という女子高生の話。
完全なコミュ障なんだけどそこは全く悩んでない。
自分が必ず正しいと確信している。
そこが痛快。
「フラジャイル」もそうだけど、異常性格も行くとこまで行けば魅力になるという・・・。
それも最近のマンガの傾向かもしれません。


食料の用意ができなかったため、ダンジョンでモンスターを食いながら奥に進むことになったパーティの話。
いろんなモンスターの調理法が書いてある。
まあ面白いけど、たぶん長くは続かないんじゃないかな・・・。
でもこういった、ちょっとしたアイデアによるスマッシュヒットがいろいろ出て来る、というのも最近のマンガ界の傾向な気が。
僕は良いことと捉えてます。
多様性です。


改めて読むと、やっぱりこの人の発想力は、誰も真似できないなあと。
終わっちゃうのはホント惜しいなあと。
これからどうやって暮らしていくのかなあと。
そんな心配しなくていいんだろうけど。

ということで、多少は年末年始の暇つぶしのお役に立てたでしょうか。
来年も斬新なマンガがたくさん出て来ますように。

2015年10月4日
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マイナンバーと悪魔の本名

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マイナンバーの議論が今後加速しそうです。

税金の取りっぱぐれがないように、とか、不正な銀行口座が作られないように、とか、政府がその効用を訴える一方で、もし誰かに知られてしまうと悪用されかねないじゃないか、といった心配の声も出始めていますね。

僕が思ったのは、マイナンバーって古代の「本名」に似てるなあ、と。

昔は、本当の名前は他人に知られてはならないものでした。
なぜなら呪いにかけられてしまうからです。
そういう「悪用」を防ぐために、普段、人々は通称で呼び合っていたんですね。

欧米人が親しくなると上下の関係であっても「ジョージと呼んでくれたまえよ、ハッハッハ」などとファーストネームで呼び合うようになるのは、あなたになら本名を知られても構わないほど信頼しているよ、と伝えているわけで、古代のそういった習慣の名残なんですね。
悪魔は本名を知られた相手には絶対に服従をする、といった話もありますが、それも古代の名残から創られたストーリーでしょう。
「デスノート」は「本名と顔が一致すれば殺せる」というルールでしたが、上記のようなところから着想を得ているのだと思います。

SNSでは、実名で投稿する人は結局、ほんの一握りですよね。
大部分の人は依然として匿名か、Read Only。
実名の人の中には仕事のPRだけして他の投稿は読まない、という人も多く、それゆえにFacebookなどは若い人が「自慢大会」と揶揄して離れて行ってます。
ただ、利害的なことだけでなく、そこには実名で自分の実態を晒すということへの本能的な恐れもあるのでは。
逆にTwitterや2チャンネル、ニコ動などによく書き込む人は、匿名による安心感を同時に確認しているような気もします。
だから匿名だと気が大きくなって、つい言い過ぎてしまう。
なり過ぎる人もいる。
名前さえ隠せば問題ない、と思って、写真をアップして悪さがバレてしまうという「バカ発見器」現象が後を絶たないのはそういう理屈ではないかと。
先日も銀行強盗でパクった金を見せびらかして捕まったカップルがニュースになってましたが…。

さてマイナンバー制度ですが、本名を知られたらもう服従するしかない哀れな悪魔のように、自分の「12桁」を知られてしまうともう全てがコントロールされてしまう。
そういった本能的な畏れに近いものがこの制度に潜んでいる気がします。
もしかすると、そのことで、人々は本来の姿に近づいたことを感じ、安心感を覚える可能性もあります。
もしかすると、そのことで、人々は心理の根源に近いところでプレッシャーを持ち、不安社会がますます醸成される可能性もあります。

経済界だけでなく、社会学者、心理学者など、他方からの知見を集めて議論を進めてほしいものです。

2015年8月18日
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なぜ東京オリンピックはトラブル続出なのか

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こないだ、夜、プレゼン用Vコンの音楽録りでスタジオに入ったんです。
収録終えてプレゼン作業の続きをやるためにプロダクションに戻ろうとしたら、なんとそのタイミングでスタジオのエレベーターが故障。
復旧がいつになるかわからないので、仕方なく階段を下りることに。
ところがその階段、手すりがないんですよ。

自分、2年ほど前から下肢障害者4級で外出時は杖を使って歩いてるんですけど、階段を下りるときが一番こわいというか、リスク高いんです。
右脚の一部が人工骨頭なので、股関節が脱臼しやすいと言われてまして、ころげたらけっこう大変なことになるかもしれない。
まあそのスタジオはビルの5階だったんで何とか下りましたけども、10階とかだったらちょっとお手上げだったかも。
健常者は気付かないと思うんですけど、日本、手すりのない階段たくさんあります。
階段ならまだしも、路面店の入り口とかの「段」にはほとんど付いてないです。

なぜなのかはわかりませんが、日本ではほぼ必ず、どんな店でも入り口に「段」があります。
僕はまだいいんですけど、車椅子の人はこの段一つためにその中には入れません。
2020年、パラリンピックで世界中からたくさんの障害者が東京にいらっしゃるわけですが、来てもらっても、現状のままでは街のどこにも行けません。
「オ・モ・テ・ナ・シ」は、どうなるのでしょうか。

石原都政の時期、東京オリンピックは国民の半分以上が「反対」してました。
その主な理由は
「そんな金がどこにあるんだ」
でした。
都は多数のタレントを起用したキャンペーンも展開してましたよね。
テリー伊藤さんは「東京オリンピックが実現したら胸毛を移植する」とか約束してました(ぜひ実行していただきたいものです)。

ところが今回、掌を返すかのように国民はこぞってオリンピック大歓迎。
その主な理由は
「日本にお金がたくさん落ちる」
ですよね。
僕の周囲でもそうですが、オリンピック絡みの話はとにかく金、金、金。
メダルじゃない方の。
オリンピックについて、ネットで言われてること、マスコミが言っていることの大半は、
「2020年に向けて日本は成長する」
です。

オリンピックを開催することで日本は赤字になるのか黒字になるのか、どっちが本当なんだろう?

おそらく今の経済環境においては黒字になるんでしょう。
実際2020年をターゲットにいろんなプロジェクトやいろんな再開発が進行していて、なるほど、やっぱり特需なんだなという気がします。
僕は渋谷区東に住んでますが、渋谷駅の東から南にかけてこれから大規模な再開発が行われ、地価も上がっていくそうです。
オリンピックの直前頃には子どもたちの上の2人はもう大学生だし、そのタイミングで家を売って賃貸マンションにでも越すべきか?などと考えたりもします。

でも何か間違ってる気がしませんか。

オリンピックの新エンブレム、好きか、と聞かれれば正直僕はあまり好きではないです。
理由は、そこには「東京」と「日本」しかないから。
リオも、ロンドンも、北京も、シドニーも、エンブレムで表現していたのは「人のパワー」です。
オリンピックの本質はそこにこそあるからで、どれも、人のパワーをその都市なりのカルチャーで表現するとこうなる、というデザインなわけです。
多くの生活者に新エンブレムが不評なのは無意識に本質欠如を感じ取っているからではないか、という気がします(言っておきますが、それを提案したADを批判しているわけではないですよ)。

新国立競技場もそうですが、東京オリンピック周辺にトラブルが絶えないのは、オリンピックというものの本質を皆が見失っているからではないでしょうか。
東京や日本の成長は「結果論」だと思うんです。
「人のパワー」の感動を最大に演出するためにどうあるべきか、といった議論を自分はまだ耳にしていません。

本当に「オ・モ・テ・ナ・シ」を実践するなら、オリンピックに向けてはたとえば、旅館法を緩和する必要があるでしょう。
このままだと海外の客人、泊まるところどこにもないですよ。
ホームステイの概念を拡げ一般家屋の余った部屋を宿泊業者に貸し出せるようにして、異文化交流を促進するなど。
パラリンピックに向けては、階段にはちゃんと手すりを付けよう、とか、路面店の「段」には板を張って車椅子でも入れるようにしよう、とか、そういう運動を始めるなど。
今すぐやることたくさんあるはず。

ところがお金の動かないプロジェクトは誰も手を挙げない。
その本質を見失った歪さが、いろんなトラブルの温床になっているのでは。
そんなことを思ったりします。

2015年8月17日
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「元ネタ」と「コピペ」の線引き

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たとえばクリエイターが、このような商品、あるいはその画像をどこかで見たとします。

 

 

 

 

 

それで、何かビビッと来るものがあった。
おそらくそれは、
「生き物とか何か物体の、端っこと端っこだけが見えてるのって可愛いな」
ってことでしょう。
これを「元ネタ」としてデザインするとしたら、どこまでが「パクリ」「コピペ」で許されず、どこからが「モチーフ」「オマージュ」として許されるのでしょうか。

たとえば黒い猫を白い犬に入れ替えたら?
「別のもの」として権利関係の問題はクリアできるかもしれません。
でもクリエイターとしては恥ずかしい。
上記の写真は「La merise」という実在するブランド商品のものであり、その販売を妨害するおそれがあるわけで、確信犯としてやるのは職業倫理的に許されません。
では、ドラゴンだったら?
ファンタジーの生物であり、魅力的に感じる人たちの層も違って来そう。
犬よりはずいぶんいい。
でも、まだギリギリ気になるところ。
じゃあホースならどうだ。
たとえばホースで水巻きしようとしている画があって、もう一つの画はホースの元が蛇口から抜けてるとか。
それなら問題ないような。
もしそのデザインが人気になったとして、「元ネタはこの黒猫なんです」と明かしたところで「パクリ」の誹りは受けないはず。
元の作者も「まさかあれの元ネタが自分のものだったとは」となるのでは。
許される「元ネタ」か許されない「コピペ」かの線引きはそのようなものかと思います。
で、やはり↓これはアウトではと・・・。

 

 

 

 

 

 

このNo.25はサントリーが取り下げたトートバッグ8種の中には入ってませんが、実在する商品の販売妨害につながる恐れがあるので、実は最もヤバいものかもしれません。
元ネタの作者に使用料を払うなど検討されてもよいのではという気がします。
デザイナーのオリジナルかどうかは関係なく、結果的にコンセプトが同じですから。

オリンピックエンブレムに端を発する騒動で驚いたのはネット民の元ネタ発見力。
テクノロジーの進歩で、コピペ、元ネタがこんなに簡単に見つかるようになったのだなあと。
「わからないだろう」「大丈夫だろう」といった甘い考えではもうやっていけなくなりました。

ただ、コピペされることで元ネタ権利者がトクをするケースも多いのです。
これが権利関係の問題をさらに複雑化しています。
たとえば「刀剣乱舞」というゲームが大ヒットしていますが、その発端は歴女が元キャラをいじった画像をpixivに投稿したことと言われています。
このように元ネタに手を加えることを「二次創作」と呼びますが、今年のコミケでも刀剣乱舞の二次創作本が大量に売られていました。
それがまたブームに輪をかけます。
そしてこれはゲーム、コミック、ラノベ、アニメ、いろんなエンタメコンテンツに共通する広がり方。
つまり、多くのIP(キャラなど知的財産権)保持者にとっては「著作権侵害してもらうことで自分たちも潤う」構造になっているわけです。
だからコミケで数十億のお金が動こうと「その一部は自分たちの権利だ」などといった主張はしないのです。
著作権侵害が非親告罪になると、権利者側も困るというおかしな話になっているんです。

そんな社会ですから、なぜ二次創作は許されてコピペは許されないのか?
ここをちゃんと理解できる若者は少ないでしょう。
若いクリエイターにとってコピペや元ネタ加工は当たり前のことになっているような気がします。

トートバックの騒動については完全にアートディレクターの落ち度であり擁護はできませんが、おそらく若いデザイナーが何の悪気もなくコピペしたのでしょう。
また上記の「刀剣乱舞」でも、使われていたアイコンが第三者が作ったもののコピペだったことが判明、制作会社が謝罪しています。
今後エージェンシーやプロダクションが真っ先に従業員に教えなければいけないのは、権利意識かもしれません。

クリエイティブとは、無から有を生み出すものではなく、元からある何かと何かを結びつけることで新しいコンセプトを生み出すものです。
元ネタなしでやれ、ということは、クリエイティブするな、ということとほぼ同じ。
だから今後も「元ネタ」「モチーフ」という概念は存在し続けるはずですが、これまでにも増して距離感を作らないと、トラブルが続出する悪寒があります。

どこからどこまでがホワイトでどこからがブラックなのか、僕ら経験を積んだプロでもわかりにくい時代になって来ています。
少なくともひとつ、常に気にすべきは、あるコンテンツやデザインを元ネタにするとき、元々の権利者がトクをするのか、損をするのか?
トクをするならばオマージュとして許される可能性はあるが、損をするなら許されない、ということでしょうね。

2015年8月9日
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いつの間にか本を書いていた夏

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今年の7月は人生で最高に大変な7月でした。
気を失った日も何日か。
夕方デスクの前に座りながら、気がついたら朝、みたいな。

競合プレゼンやら何やら、いろんな要因が重なってそうなるわけですが、最もヘビーだった要因はおそらくセミナー。

7月はセミナー・講演を、数えたら5つやってました。
そのテーマは全てバラバラ。
「お金をもらえるコピーライティングとは」
「そもそも広告とは何か」
「クラスター・マーケティング」(「おたく」とか「鉄女」とかある特定の趣味・性癖層にアプローチするマーケティング。小霜の造語)
「ネーミングのストラテジー」
「心理的本能を広告コミュニケーションにどう活かすか」
といった。
これらは誰でも参加できるパブリックなものですが、これ以外に企業研修などクローズドなものもやりました。

僕がセミナー・講演・企業研修を行うときに決めているルールがいくつかあります。
たとえば・・・
・本の内容を繰り替えさない。
千数百円で読んだことを数万円の参加費払って繰り返されたんじゃ、たまったものではないでしょう。
・受講者の求めるものに最大限答える。
特に企業研修などでは必ず取材して、その会社の課題に対して自分なりの提案を含めるようにします。
・常にコンセプトが新しいものであること。
じつは、これは僕がセミナーや講演を引き受ける一番の理由でもあります。
内容が斬新なものであるためにはいろんな本を読み直したり調べたり従前の準備が必要で、それが自分自身の勉強にもなるんですね。
でも、だから準備が大変なんですが・・・。

セミナーのスタイルは講師によっていろんなものがあると思いますが、僕はアドリブだと不安なので言いたいことのほとんどをスライドに書いてしまいます。
そうするとだいたい1分1枚ぐらいのペースになります。
ワークショップなどがなければ、1時間だと60枚、2時間だと120枚ぐらいがちょうどいい。
7月最後のセミナーは2時間で、140枚以上書いたらやはり時間が足りませんでした。

そして、そのセミナーが終わった後でマネージャーに言われたんですが、
「それって、もう本ですよね」
と。
確かにそうだ・・・。
140ページの本を書いたのと、ほとんど変わらんじゃないか!
長短はあるにせよ、1ヶ月で5冊の本を書いたようなもの。
そりゃ気を失うわな。

セミナーや企業研修には受講者のアンケートがありますが、おかげさまで、過去最高スコアと言われることも多く、好評のようです。
が、僕はアンケートで書かれたものは読まないことにしています。
常に新しいコンセプトでやるようにしているので、読んでも次の参考にならないからです。
それにアンケートは主催者が客寄せ戦略の資料とするためのものであって、自分はセミナーで食べているわけではありませんので。
ちなみにパブリックのセミナーは経済的には全く割に合いません。
知らない方は驚かれると思いますが、講義料は受講料一人分とほぼ変わりません。
Beatles”Taxman”の歌詞”There’s one for you, nineteen for me. Taxman!”を想い出させます。

今年の後半もセミナーや講演の予定がいくつか入っています。
いくつかお断りしたものもあります。
それは、「また同じテーマでやってほしい」というものです。
同じテーマだと自分の勉強にならず、自分にとって新しいコンセプトでないものは、受講側にとっても新しいものにならないだろうと思うからです。

2015年8月2日
by kossii
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なぜ「戦争特集」は8月なの?

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今年は戦後70周年。
ということもあり、この8月はTVでも戦争をテーマにした特番やドラマが目白押しです。

でも僕はどうも毎年、8月の戦争特集に違和感を覚えます。
「もう戦争はしてなるまいぞ」
という決意を固めるためにそういう特集期間を設けることじたいはとてもいいことと思うのですが、なぜそれが「終戦日」周辺の月なのかと。
なぜ「開戦日」周辺の月じゃないのか?と。

だいたい戦争特集で描かれるものは特攻隊、空襲、原爆、といった悲劇ですが、「酷い目に遭った」ことなんですよね。
「酷い目に遭わせた」ことではない。
それはやはり「終戦」に近いところを描くからそうなるのであって、結果的に皆の心に残るのは、酷い目に遭ったからよくない、負けた戦争だったから反省する、ということにしかなってないんじゃないかと感じるわけです。

僕は、南京の30万人虐殺とかは信じてませんが(証拠がないし、混血児がいないなど理屈に合わないことが多すぎるので)、程度はともかく旧日本軍がアジア各地で非道なことをやったのは否めないでしょう。
そこのところを国民皆で反省するなら8月はさほどふさわしくないのでは。
戦争は酷い目にも遭うけど、相手を酷い目にも合わせる、そこを思い出すにはむしろ「開戦日」周辺に特集をやるのが合理的な考えなのでは、ということです。

では12月8日なのか。
それも違う気がする。
1942年12月の時点で、日本はアジアをすでに蹂躙し始めていますので。

日本の戦争拡大はどこから始まったか、には諸説あると思いますが、日本という国がおかしくなった最大の契機は何と言っても満州事変でしょう。
軍部が勝手に仕掛けたことなのに、政府はそれを追認してしまった。
もしここで首謀者が裁かれていたら、盧溝橋も大東亜戦争もなかっただろうと僕は推察します。
ところが軍が現地判断で何を仕掛けても許されるという既成事実ができてしまったために、軍部、特に陸軍の独走を抑えられなくなり、マスコミや国民もバンザイバンザイで盧溝橋事変、上海事変、インドシナ進駐、そしてパールハーバーへと突き進んでいく。
要するに日本は調子に乗ったわけで、戦争を反省するということは、「調子に乗っちゃいかんぞ」という戒めでしょうが、それを皆で思い出すなら満州事変の起きた9月18日がふさわしいのではないか、などと思うわけです。

そうすれば中国も悪い気はしないでしょう。
韓国はわかりませんが・・・。
僕は日露戦争までは防衛戦争であった気がしますが、ここについても諸説あることは認めています。

いま、日本は安保法案問題で揺れていますけど、皆で考えるべきは「開戦」のありようについてですよね。
「終戦」にばかり思いを馳せていては、案外と将来の役には立たないのではないかと。
そんなことを思ったりします。

2015年8月1日
by kossii
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責任は常に、「選ぶ側」にあるのです。

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東京オリンピックエンブレムの件で佐野君を非難している人が多いようだが、これは完全に的外れと言うものです。
なぜならば、クリエイティブの責任は「作る側」ではなく「選ぶ側」が負うものだからです。

今回、100以上のデザイン案が提出されたと聞いていますが、その中には見たこともないような斬新なものもあったでしょう。
おそらくそういったものと比すと、佐野君の案は「わりと普通」のデザインだったと思います。
では選考委員会がなぜ「わりと普通」のものを選んだかというと、斬新なデザインは「先鋭的」「独創的」な印象を与える半面「マイナー感」「小ささ」を与えがちですが、「わりと普通」なデザインは「メジャー感」「大きさ」を与えがちで、後者の方がこれから日本が目指す方向性、世界から期待される日本のイメージに合致していると考えたからでしょう。
そして、そのメジャー感を出しつつも、ある程度の独創性も欲しい、という中でのベストバランスがこのデザイン案、ということになったのだろうと推察できます。

ただ、そういった「わりと普通」のクリエイティブは、似たものがどこかに存在するわけで、誰かの権利を侵害するリスクは高いです。
そしてそのリスクに関して、作る側が負うことは現実的に不可能ですし、作る側が負うという発想がナンセンスです。

たとえば商品のネーミングをする際、僕は自分で商標チェックをしません。
そこの責任は負えないからです。
僕は広告クリエイターであって商標権の専門家ではなく、日本中、あるいは世界中の商標権抵触を回避するための知見を持ち合わせていません。
これは必ずクライアント、あるいはエージェンシーにしていただきます。
そしてチェックの結果、もし似たもの、あるいは同じものがあったらどうするか?
権利抵触しない別のものを選ぶ、という選択肢もあれば、「買う」という選択肢もあります。
それを決めるのはクライアントです。
たとえば「iPhone」という商標は、日本においては「アイホン」株式会社が保持しており、おそらくアップルはアイホンに使用料を払っているのだと思います。
もし僕が「iPhone」というネーミングをアップルに提案したとして、「日本に似たようなのがあるじゃないか!」と僕が非難されるのはナンセンスなわけです。
言ってること、おわかりになるでしょうか。

オリンピックエンブレムについても、チェックする責任はクリエイターでなくクライアントにあります。
今回、そのチェック漏れが見つかったわけですが、
いやこれは似てないだろう、いいがかりレベルだろう、と判断するのか?
確かに酷似してるから、お金で解決しよう、と判断するのか?
意匠を一部修正するのか?
解決法はいくつかありますが、これらは全て「選んだ側」の責任において決めることなんです。
「作った側」はむしろ「選ぶときにちゃんと調べてくれよ!」と怒るべき立場かもしれません。

もちろん確信犯的に誰かのデザインがいいからそのまま持って来た、というのはクリエイティブの職業倫理的に許されることではありません。
が、万に一つ、そうであったとしても、まず責を負うべきは「選んだ側」。
「作った側」が非難されるのは盗作行為をした事実が確定してから、という順が正しいと思います。

ちなみに僕は佐野君が盗作行為をしたとは思っていません。
なぜなら、彼ほどの経験値を積んだアートディレクターなら、盗作と言われないぐらいにデザインを「離す」技術を持っているからです。
もしベルギーのデザインを従前に知っていたら、クレームが来ないような修正を加えたでしょう。

2015年6月17日
by kossii
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コピーライター養成講座を引き受けたワケ

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先日、小西利行くん、佐々木圭一くんと久しぶりに3人で飲みまして。
3人で揃って飲むのはもう10年以上ぶりかなあ…。
僕は広告代理店時代に彼らのトレーナーをやっていて、彼らからすると最初の師匠と言うことになります。
小西くんはPoolを立ち上げCDとして大成功を収めているし、佐々木くんは「伝え方が9割」で大ヒットを飛ばすなど、やはり自分の関わっていた人たちが活躍しているのは嬉しいもの。
それで、当然ながら昔話に花が咲き…。
その一つとしてこんなものがありました。

佐々木くんが初ボーナスをもらったとき、それで2人に奢ると。
いつも奢ってもらってばかりだからたまには自分が、と言い張るので、じゃあそうしてもらおうかと。
誰に聞いたのか
「ここはうまいらしいですよ!」
という寿司屋をどこだったか予約して、飲み食いしてお勘定になり、
「ここは僕に任せてください!」
とカウンターに向かったものの、頭を下げながらすごすごと戻って来て、
「お金が足りませんでした・・・」
と。
いったいいくら金持って来たのよ、と聞いたら3万円だと。
「それなりの寿司屋で1人1万で足りるかよ」
ということで、そこは僕が出すことに。
「じゃあ、2軒目は僕が出しますよ!」
てことでどこだったかおネエちゃんのいる店に行ったんだけど、
「足りません・・・」
そりゃそうだわな。
そこも僕が出すことに。
まあ、毎日がそんなかんじで、この2人には通算1千万円ぐらいは奢ってるんじゃないでしょうか?
こないだ「ワイドナショー」でダウンタウン松本が
「自分は後輩たちに1億は奢ってると思う」
と言ってたけど、先輩後輩というのはそういうものじゃないかと。
僕自身も若い頃、上司やいろんな方から散々奢られましたから。

水が上から下に流れるように、お金も上から下に流すものと僕は思っていて、それはたとえ顔を知らない間柄でも同じだろうと。
だから広告学校も無料でやっているし、セミナーで言えば、社会人が会社の経費で来るようなものは引き受けるけど学生がバイトしながら参加費を捻出するような養成講座のようなセミナーはお断りして来たわけです。

ただ、今年の養成講座はカリキュラムが一新されていて、これまでとは精神的な何かが異なる気がしました。
昨年度に発売された僕の著作は、コピーライターがちゃんと食っていくためのスキルとか姿勢とかを書いてほしいという宣伝会議のオファーから生まれたものですが、その気持ちが組み込まれているように見えたのです。
で、やはり「お金をもらえるコピーとは何か」といったテーマでやってくれないか、という依頼が。
それを拒否するわけにはいかないなと…。
大人の義理のようなものもちょっとありますし…。

それで、2コースで1コマずつ持つことにしたのですが、2部構成にしてもらいました。
第1部は講義。
第2部は質疑応答会ということで、飲食しながらいろいろ受講生の疑問や質問に答える。
ただそこの飲食代は全部僕の講義料から払う。
ということに。
養成講座の初日で講演をした服部タカユキくんは、若手コピーライターの指導ということについては僕ととても近い考え方を持っていて、養成講座やTCCでがんばってる人。
彼にも講師として協力してもらうことで、講義に厚みをつけようと思案しました。

もちろん講師にはセミナーというものへの考え方がそれぞれあって、ここで言いたいのは、僕のそれが正しいとかそうあるべきとかではないです。
単に、
「あれ、やらないんじゃなかったの?」
と不思議がる方がもしいらしたら、というご報告でした。

2015年6月14日
by kossii
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えらいぞ!リッツカールトン

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先日、初めて東京ミッドタウン内にあるホテル、リッツカールトンに行きまして。
ある会社の社長さんからお仕事のご依頼があって、そのランチミーティングでロビーにある和食屋さんに入ったのですが。
そこでちょっと、というか、かなり感動したんですね。

仲居さんがですね、料理を運んで来る。
それをテーブルに並べた後、そのまま黙って立ってるんですよ。
で、社長が
「お願いします」
って促すと、初めて口を開き、
「ではお料理の説明をさせていただきます」
と言って、どれが何という魚でどういう食べ方をするのか、といった解説を始めるんですよ!
もしかすると高級店ではそれが普通で、これまで自分がそのレベルの店に行ってなかった・・・というだけかもしれませんが・・・。
じつに感じ入ったわけです。
「おれが求めていたものはこれだ!」
と。

僕がどなたかと会食するときはやはり商談と言いますか、仕事絡みになることが多いのですが、どんな店でもほぼこのような ↓ 感じです。
「じつは小霜さんね、ちょっとこういう話が出てましてね」
「どういう話でしょう」
「近々、社長が替わるんですよ」
「へえー、それは初耳です」
「それでうちの体制も大きく変わるんですけどね」
「なるほどそうでしょうね」
「でね、今日の本題なんですが・・・その新社長からの指示で新し」
「お料理のご説明をさせていただきますこちらはミズダコでして北海道で捕れたものでこちらのポン酢で召し上がっていただいてもいいですしこちらのわさび醤油でもかまいませんこちらの鰺は淡路島で捕れたものでしてこちらの生姜醤油でお召し上がりくださいこちらの鯛は明石で捕れたものでうんぬんかんぬん」
「これはポン酢で、これは生姜でね、あーハイハイ」
「これはこっちで食べるんでしたっけ」
「そうです」
「それで、新社長の指示のお話でしたよね」
「あーそうそう、それなんですけど、新し」
「お料理のご説明をさせていただきますこちらは黒豚でして黒豚と言えば鹿児島が有名ですがこれは宮崎の黒豚でして食べ方はうんぬんかんぬん」

うるさいよ!
ポン酢だろうと生姜だろうとどうでもいいよ!
タコの捕れた海が北海道だろうとモーリタニアだろうと気にしないよおれは!
と叫びたいところだが、そんなことを言葉にすると相手が
(小霜さん、心の狭い人だな…)
とか、
(小霜さん、食事へのこだわりがないのか…そんなんでクリエイティブできるのかな…)
とか思うかもしれないじゃないですか…。
だからひたすら耐えるしかない…。
なんたる理不尽な状況…。

僕は以前、ある仲居さんに聞いたことがあるんですよ。
なんで客の会話を遮って、いきなり料理の説明始めるのと。
客によっては迷惑かもしれないじゃないですかと。
そしたら彼女が言うことには、店の方から、
「たとえ客が嫌がっても料理の説明はきっちりするように」
と命じられてるんですって。

僕は全ての料理店に言いたい。
「リッツカールトンを見習いなさい」
と。
仲居さんの働く効率もあるだろうから、さすがに黙って立ってるのをそのまま見習ってくれとは言いませんよ。
でも、
「料理のご説明をしてもいいですか」
って聞いて、
「それはいいです」
と言われたら、そのまま戻るとか。
そのぐらいのホスピタリティは見せてほしいな。

今後、重要な商談はリッツカールトンの和食屋。
自分はそう心に決めました。