2015年10月4日
by kossii
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マイナンバーと悪魔の本名

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マイナンバーの議論が今後加速しそうです。

税金の取りっぱぐれがないように、とか、不正な銀行口座が作られないように、とか、政府がその効用を訴える一方で、もし誰かに知られてしまうと悪用されかねないじゃないか、といった心配の声も出始めていますね。

僕が思ったのは、マイナンバーって古代の「本名」に似てるなあ、と。

昔は、本当の名前は他人に知られてはならないものでした。
なぜなら呪いにかけられてしまうからです。
そういう「悪用」を防ぐために、普段、人々は通称で呼び合っていたんですね。

欧米人が親しくなると上下の関係であっても「ジョージと呼んでくれたまえよ、ハッハッハ」などとファーストネームで呼び合うようになるのは、あなたになら本名を知られても構わないほど信頼しているよ、と伝えているわけで、古代のそういった習慣の名残なんですね。
悪魔は本名を知られた相手には絶対に服従をする、といった話もありますが、それも古代の名残から創られたストーリーでしょう。
「デスノート」は「本名と顔が一致すれば殺せる」というルールでしたが、上記のようなところから着想を得ているのだと思います。

SNSでは、実名で投稿する人は結局、ほんの一握りですよね。
大部分の人は依然として匿名か、Read Only。
実名の人の中には仕事のPRだけして他の投稿は読まない、という人も多く、それゆえにFacebookなどは若い人が「自慢大会」と揶揄して離れて行ってます。
ただ、利害的なことだけでなく、そこには実名で自分の実態を晒すということへの本能的な恐れもあるのでは。
逆にTwitterや2チャンネル、ニコ動などによく書き込む人は、匿名による安心感を同時に確認しているような気もします。
だから匿名だと気が大きくなって、つい言い過ぎてしまう。
なり過ぎる人もいる。
名前さえ隠せば問題ない、と思って、写真をアップして悪さがバレてしまうという「バカ発見器」現象が後を絶たないのはそういう理屈ではないかと。
先日も銀行強盗でパクった金を見せびらかして捕まったカップルがニュースになってましたが…。

さてマイナンバー制度ですが、本名を知られたらもう服従するしかない哀れな悪魔のように、自分の「12桁」を知られてしまうともう全てがコントロールされてしまう。
そういった本能的な畏れに近いものがこの制度に潜んでいる気がします。
もしかすると、そのことで、人々は本来の姿に近づいたことを感じ、安心感を覚える可能性もあります。
もしかすると、そのことで、人々は心理の根源に近いところでプレッシャーを持ち、不安社会がますます醸成される可能性もあります。

経済界だけでなく、社会学者、心理学者など、他方からの知見を集めて議論を進めてほしいものです。

2015年8月18日
by kossii
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なぜ東京オリンピックはトラブル続出なのか

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こないだ、夜、プレゼン用Vコンの音楽録りでスタジオに入ったんです。
収録終えてプレゼン作業の続きをやるためにプロダクションに戻ろうとしたら、なんとそのタイミングでスタジオのエレベーターが故障。
復旧がいつになるかわからないので、仕方なく階段を下りることに。
ところがその階段、手すりがないんですよ。

自分、2年ほど前から下肢障害者4級で外出時は杖を使って歩いてるんですけど、階段を下りるときが一番こわいというか、リスク高いんです。
右脚の一部が人工骨頭なので、股関節が脱臼しやすいと言われてまして、ころげたらけっこう大変なことになるかもしれない。
まあそのスタジオはビルの5階だったんで何とか下りましたけども、10階とかだったらちょっとお手上げだったかも。
健常者は気付かないと思うんですけど、日本、手すりのない階段たくさんあります。
階段ならまだしも、路面店の入り口とかの「段」にはほとんど付いてないです。

なぜなのかはわかりませんが、日本ではほぼ必ず、どんな店でも入り口に「段」があります。
僕はまだいいんですけど、車椅子の人はこの段一つためにその中には入れません。
2020年、パラリンピックで世界中からたくさんの障害者が東京にいらっしゃるわけですが、来てもらっても、現状のままでは街のどこにも行けません。
「オ・モ・テ・ナ・シ」は、どうなるのでしょうか。

石原都政の時期、東京オリンピックは国民の半分以上が「反対」してました。
その主な理由は
「そんな金がどこにあるんだ」
でした。
都は多数のタレントを起用したキャンペーンも展開してましたよね。
テリー伊藤さんは「東京オリンピックが実現したら胸毛を移植する」とか約束してました(ぜひ実行していただきたいものです)。

ところが今回、掌を返すかのように国民はこぞってオリンピック大歓迎。
その主な理由は
「日本にお金がたくさん落ちる」
ですよね。
僕の周囲でもそうですが、オリンピック絡みの話はとにかく金、金、金。
メダルじゃない方の。
オリンピックについて、ネットで言われてること、マスコミが言っていることの大半は、
「2020年に向けて日本は成長する」
です。

オリンピックを開催することで日本は赤字になるのか黒字になるのか、どっちが本当なんだろう?

おそらく今の経済環境においては黒字になるんでしょう。
実際2020年をターゲットにいろんなプロジェクトやいろんな再開発が進行していて、なるほど、やっぱり特需なんだなという気がします。
僕は渋谷区東に住んでますが、渋谷駅の東から南にかけてこれから大規模な再開発が行われ、地価も上がっていくそうです。
オリンピックの直前頃には子どもたちの上の2人はもう大学生だし、そのタイミングで家を売って賃貸マンションにでも越すべきか?などと考えたりもします。

でも何か間違ってる気がしませんか。

オリンピックの新エンブレム、好きか、と聞かれれば正直僕はあまり好きではないです。
理由は、そこには「東京」と「日本」しかないから。
リオも、ロンドンも、北京も、シドニーも、エンブレムで表現していたのは「人のパワー」です。
オリンピックの本質はそこにこそあるからで、どれも、人のパワーをその都市なりのカルチャーで表現するとこうなる、というデザインなわけです。
多くの生活者に新エンブレムが不評なのは無意識に本質欠如を感じ取っているからではないか、という気がします(言っておきますが、それを提案したADを批判しているわけではないですよ)。

新国立競技場もそうですが、東京オリンピック周辺にトラブルが絶えないのは、オリンピックというものの本質を皆が見失っているからではないでしょうか。
東京や日本の成長は「結果論」だと思うんです。
「人のパワー」の感動を最大に演出するためにどうあるべきか、といった議論を自分はまだ耳にしていません。

本当に「オ・モ・テ・ナ・シ」を実践するなら、オリンピックに向けてはたとえば、旅館法を緩和する必要があるでしょう。
このままだと海外の客人、泊まるところどこにもないですよ。
ホームステイの概念を拡げ一般家屋の余った部屋を宿泊業者に貸し出せるようにして、異文化交流を促進するなど。
パラリンピックに向けては、階段にはちゃんと手すりを付けよう、とか、路面店の「段」には板を張って車椅子でも入れるようにしよう、とか、そういう運動を始めるなど。
今すぐやることたくさんあるはず。

ところがお金の動かないプロジェクトは誰も手を挙げない。
その本質を見失った歪さが、いろんなトラブルの温床になっているのでは。
そんなことを思ったりします。

2015年8月17日
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「元ネタ」と「コピペ」の線引き

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たとえばクリエイターが、このような商品、あるいはその画像をどこかで見たとします。

 

 

 

 

 

それで、何かビビッと来るものがあった。
おそらくそれは、
「生き物とか何か物体の、端っこと端っこだけが見えてるのって可愛いな」
ってことでしょう。
これを「元ネタ」としてデザインするとしたら、どこまでが「パクリ」「コピペ」で許されず、どこからが「モチーフ」「オマージュ」として許されるのでしょうか。

たとえば黒い猫を白い犬に入れ替えたら?
「別のもの」として権利関係の問題はクリアできるかもしれません。
でもクリエイターとしては恥ずかしい。
上記の写真は「La merise」という実在するブランド商品のものであり、その販売を妨害するおそれがあるわけで、確信犯としてやるのは職業倫理的に許されません。
では、ドラゴンだったら?
ファンタジーの生物であり、魅力的に感じる人たちの層も違って来そう。
犬よりはずいぶんいい。
でも、まだギリギリ気になるところ。
じゃあホースならどうだ。
たとえばホースで水巻きしようとしている画があって、もう一つの画はホースの元が蛇口から抜けてるとか。
それなら問題ないような。
もしそのデザインが人気になったとして、「元ネタはこの黒猫なんです」と明かしたところで「パクリ」の誹りは受けないはず。
元の作者も「まさかあれの元ネタが自分のものだったとは」となるのでは。
許される「元ネタ」か許されない「コピペ」かの線引きはそのようなものかと思います。
で、やはり↓これはアウトではと・・・。

 

 

 

 

 

 

このNo.25はサントリーが取り下げたトートバッグ8種の中には入ってませんが、実在する商品の販売妨害につながる恐れがあるので、実は最もヤバいものかもしれません。
元ネタの作者に使用料を払うなど検討されてもよいのではという気がします。
デザイナーのオリジナルかどうかは関係なく、結果的にコンセプトが同じですから。

オリンピックエンブレムに端を発する騒動で驚いたのはネット民の元ネタ発見力。
テクノロジーの進歩で、コピペ、元ネタがこんなに簡単に見つかるようになったのだなあと。
「わからないだろう」「大丈夫だろう」といった甘い考えではもうやっていけなくなりました。

ただ、コピペされることで元ネタ権利者がトクをするケースも多いのです。
これが権利関係の問題をさらに複雑化しています。
たとえば「刀剣乱舞」というゲームが大ヒットしていますが、その発端は歴女が元キャラをいじった画像をpixivに投稿したことと言われています。
このように元ネタに手を加えることを「二次創作」と呼びますが、今年のコミケでも刀剣乱舞の二次創作本が大量に売られていました。
それがまたブームに輪をかけます。
そしてこれはゲーム、コミック、ラノベ、アニメ、いろんなエンタメコンテンツに共通する広がり方。
つまり、多くのIP(キャラなど知的財産権)保持者にとっては「著作権侵害してもらうことで自分たちも潤う」構造になっているわけです。
だからコミケで数十億のお金が動こうと「その一部は自分たちの権利だ」などといった主張はしないのです。
著作権侵害が非親告罪になると、権利者側も困るというおかしな話になっているんです。

そんな社会ですから、なぜ二次創作は許されてコピペは許されないのか?
ここをちゃんと理解できる若者は少ないでしょう。
若いクリエイターにとってコピペや元ネタ加工は当たり前のことになっているような気がします。

トートバックの騒動については完全にアートディレクターの落ち度であり擁護はできませんが、おそらく若いデザイナーが何の悪気もなくコピペしたのでしょう。
また上記の「刀剣乱舞」でも、使われていたアイコンが第三者が作ったもののコピペだったことが判明、制作会社が謝罪しています。
今後エージェンシーやプロダクションが真っ先に従業員に教えなければいけないのは、権利意識かもしれません。

クリエイティブとは、無から有を生み出すものではなく、元からある何かと何かを結びつけることで新しいコンセプトを生み出すものです。
元ネタなしでやれ、ということは、クリエイティブするな、ということとほぼ同じ。
だから今後も「元ネタ」「モチーフ」という概念は存在し続けるはずですが、これまでにも増して距離感を作らないと、トラブルが続出する悪寒があります。

どこからどこまでがホワイトでどこからがブラックなのか、僕ら経験を積んだプロでもわかりにくい時代になって来ています。
少なくともひとつ、常に気にすべきは、あるコンテンツやデザインを元ネタにするとき、元々の権利者がトクをするのか、損をするのか?
トクをするならばオマージュとして許される可能性はあるが、損をするなら許されない、ということでしょうね。

2015年8月9日
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いつの間にか本を書いていた夏

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今年の7月は人生で最高に大変な7月でした。
気を失った日も何日か。
夕方デスクの前に座りながら、気がついたら朝、みたいな。

競合プレゼンやら何やら、いろんな要因が重なってそうなるわけですが、最もヘビーだった要因はおそらくセミナー。

7月はセミナー・講演を、数えたら5つやってました。
そのテーマは全てバラバラ。
「お金をもらえるコピーライティングとは」
「そもそも広告とは何か」
「クラスター・マーケティング」(「おたく」とか「鉄女」とかある特定の趣味・性癖層にアプローチするマーケティング。小霜の造語)
「ネーミングのストラテジー」
「心理的本能を広告コミュニケーションにどう活かすか」
といった。
これらは誰でも参加できるパブリックなものですが、これ以外に企業研修などクローズドなものもやりました。

僕がセミナー・講演・企業研修を行うときに決めているルールがいくつかあります。
たとえば・・・
・本の内容を繰り替えさない。
千数百円で読んだことを数万円の参加費払って繰り返されたんじゃ、たまったものではないでしょう。
・受講者の求めるものに最大限答える。
特に企業研修などでは必ず取材して、その会社の課題に対して自分なりの提案を含めるようにします。
・常にコンセプトが新しいものであること。
じつは、これは僕がセミナーや講演を引き受ける一番の理由でもあります。
内容が斬新なものであるためにはいろんな本を読み直したり調べたり従前の準備が必要で、それが自分自身の勉強にもなるんですね。
でも、だから準備が大変なんですが・・・。

セミナーのスタイルは講師によっていろんなものがあると思いますが、僕はアドリブだと不安なので言いたいことのほとんどをスライドに書いてしまいます。
そうするとだいたい1分1枚ぐらいのペースになります。
ワークショップなどがなければ、1時間だと60枚、2時間だと120枚ぐらいがちょうどいい。
7月最後のセミナーは2時間で、140枚以上書いたらやはり時間が足りませんでした。

そして、そのセミナーが終わった後でマネージャーに言われたんですが、
「それって、もう本ですよね」
と。
確かにそうだ・・・。
140ページの本を書いたのと、ほとんど変わらんじゃないか!
長短はあるにせよ、1ヶ月で5冊の本を書いたようなもの。
そりゃ気を失うわな。

セミナーや企業研修には受講者のアンケートがありますが、おかげさまで、過去最高スコアと言われることも多く、好評のようです。
が、僕はアンケートで書かれたものは読まないことにしています。
常に新しいコンセプトでやるようにしているので、読んでも次の参考にならないからです。
それにアンケートは主催者が客寄せ戦略の資料とするためのものであって、自分はセミナーで食べているわけではありませんので。
ちなみにパブリックのセミナーは経済的には全く割に合いません。
知らない方は驚かれると思いますが、講義料は受講料一人分とほぼ変わりません。
Beatles”Taxman”の歌詞”There’s one for you, nineteen for me. Taxman!”を想い出させます。

今年の後半もセミナーや講演の予定がいくつか入っています。
いくつかお断りしたものもあります。
それは、「また同じテーマでやってほしい」というものです。
同じテーマだと自分の勉強にならず、自分にとって新しいコンセプトでないものは、受講側にとっても新しいものにならないだろうと思うからです。

2015年8月2日
by kossii
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なぜ「戦争特集」は8月なの?

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今年は戦後70周年。
ということもあり、この8月はTVでも戦争をテーマにした特番やドラマが目白押しです。

でも僕はどうも毎年、8月の戦争特集に違和感を覚えます。
「もう戦争はしてなるまいぞ」
という決意を固めるためにそういう特集期間を設けることじたいはとてもいいことと思うのですが、なぜそれが「終戦日」周辺の月なのかと。
なぜ「開戦日」周辺の月じゃないのか?と。

だいたい戦争特集で描かれるものは特攻隊、空襲、原爆、といった悲劇ですが、「酷い目に遭った」ことなんですよね。
「酷い目に遭わせた」ことではない。
それはやはり「終戦」に近いところを描くからそうなるのであって、結果的に皆の心に残るのは、酷い目に遭ったからよくない、負けた戦争だったから反省する、ということにしかなってないんじゃないかと感じるわけです。

僕は、南京の30万人虐殺とかは信じてませんが(証拠がないし、混血児がいないなど理屈に合わないことが多すぎるので)、程度はともかく旧日本軍がアジア各地で非道なことをやったのは否めないでしょう。
そこのところを国民皆で反省するなら8月はさほどふさわしくないのでは。
戦争は酷い目にも遭うけど、相手を酷い目にも合わせる、そこを思い出すにはむしろ「開戦日」周辺に特集をやるのが合理的な考えなのでは、ということです。

では12月8日なのか。
それも違う気がする。
1942年12月の時点で、日本はアジアをすでに蹂躙し始めていますので。

日本の戦争拡大はどこから始まったか、には諸説あると思いますが、日本という国がおかしくなった最大の契機は何と言っても満州事変でしょう。
軍部が勝手に仕掛けたことなのに、政府はそれを追認してしまった。
もしここで首謀者が裁かれていたら、盧溝橋も大東亜戦争もなかっただろうと僕は推察します。
ところが軍が現地判断で何を仕掛けても許されるという既成事実ができてしまったために、軍部、特に陸軍の独走を抑えられなくなり、マスコミや国民もバンザイバンザイで盧溝橋事変、上海事変、インドシナ進駐、そしてパールハーバーへと突き進んでいく。
要するに日本は調子に乗ったわけで、戦争を反省するということは、「調子に乗っちゃいかんぞ」という戒めでしょうが、それを皆で思い出すなら満州事変の起きた9月18日がふさわしいのではないか、などと思うわけです。

そうすれば中国も悪い気はしないでしょう。
韓国はわかりませんが・・・。
僕は日露戦争までは防衛戦争であった気がしますが、ここについても諸説あることは認めています。

いま、日本は安保法案問題で揺れていますけど、皆で考えるべきは「開戦」のありようについてですよね。
「終戦」にばかり思いを馳せていては、案外と将来の役には立たないのではないかと。
そんなことを思ったりします。

2015年8月1日
by kossii
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責任は常に、「選ぶ側」にあるのです。

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東京オリンピックエンブレムの件で佐野君を非難している人が多いようだが、これは完全に的外れと言うものです。
なぜならば、クリエイティブの責任は「作る側」ではなく「選ぶ側」が負うものだからです。

今回、100以上のデザイン案が提出されたと聞いていますが、その中には見たこともないような斬新なものもあったでしょう。
おそらくそういったものと比すと、佐野君の案は「わりと普通」のデザインだったと思います。
では選考委員会がなぜ「わりと普通」のものを選んだかというと、斬新なデザインは「先鋭的」「独創的」な印象を与える半面「マイナー感」「小ささ」を与えがちですが、「わりと普通」なデザインは「メジャー感」「大きさ」を与えがちで、後者の方がこれから日本が目指す方向性、世界から期待される日本のイメージに合致していると考えたからでしょう。
そして、そのメジャー感を出しつつも、ある程度の独創性も欲しい、という中でのベストバランスがこのデザイン案、ということになったのだろうと推察できます。

ただ、そういった「わりと普通」のクリエイティブは、似たものがどこかに存在するわけで、誰かの権利を侵害するリスクは高いです。
そしてそのリスクに関して、作る側が負うことは現実的に不可能ですし、作る側が負うという発想がナンセンスです。

たとえば商品のネーミングをする際、僕は自分で商標チェックをしません。
そこの責任は負えないからです。
僕は広告クリエイターであって商標権の専門家ではなく、日本中、あるいは世界中の商標権抵触を回避するための知見を持ち合わせていません。
これは必ずクライアント、あるいはエージェンシーにしていただきます。
そしてチェックの結果、もし似たもの、あるいは同じものがあったらどうするか?
権利抵触しない別のものを選ぶ、という選択肢もあれば、「買う」という選択肢もあります。
それを決めるのはクライアントです。
たとえば「iPhone」という商標は、日本においては「アイホン」株式会社が保持しており、おそらくアップルはアイホンに使用料を払っているのだと思います。
もし僕が「iPhone」というネーミングをアップルに提案したとして、「日本に似たようなのがあるじゃないか!」と僕が非難されるのはナンセンスなわけです。
言ってること、おわかりになるでしょうか。

オリンピックエンブレムについても、チェックする責任はクリエイターでなくクライアントにあります。
今回、そのチェック漏れが見つかったわけですが、
いやこれは似てないだろう、いいがかりレベルだろう、と判断するのか?
確かに酷似してるから、お金で解決しよう、と判断するのか?
意匠を一部修正するのか?
解決法はいくつかありますが、これらは全て「選んだ側」の責任において決めることなんです。
「作った側」はむしろ「選ぶときにちゃんと調べてくれよ!」と怒るべき立場かもしれません。

もちろん確信犯的に誰かのデザインがいいからそのまま持って来た、というのはクリエイティブの職業倫理的に許されることではありません。
が、万に一つ、そうであったとしても、まず責を負うべきは「選んだ側」。
「作った側」が非難されるのは盗作行為をした事実が確定してから、という順が正しいと思います。

ちなみに僕は佐野君が盗作行為をしたとは思っていません。
なぜなら、彼ほどの経験値を積んだアートディレクターなら、盗作と言われないぐらいにデザインを「離す」技術を持っているからです。
もしベルギーのデザインを従前に知っていたら、クレームが来ないような修正を加えたでしょう。

2015年6月17日
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コピーライター養成講座を引き受けたワケ

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先日、小西利行くん、佐々木圭一くんと久しぶりに3人で飲みまして。
3人で揃って飲むのはもう10年以上ぶりかなあ…。
僕は広告代理店時代に彼らのトレーナーをやっていて、彼らからすると最初の師匠と言うことになります。
小西くんはPoolを立ち上げCDとして大成功を収めているし、佐々木くんは「伝え方が9割」で大ヒットを飛ばすなど、やはり自分の関わっていた人たちが活躍しているのは嬉しいもの。
それで、当然ながら昔話に花が咲き…。
その一つとしてこんなものがありました。

佐々木くんが初ボーナスをもらったとき、それで2人に奢ると。
いつも奢ってもらってばかりだからたまには自分が、と言い張るので、じゃあそうしてもらおうかと。
誰に聞いたのか
「ここはうまいらしいですよ!」
という寿司屋をどこだったか予約して、飲み食いしてお勘定になり、
「ここは僕に任せてください!」
とカウンターに向かったものの、頭を下げながらすごすごと戻って来て、
「お金が足りませんでした・・・」
と。
いったいいくら金持って来たのよ、と聞いたら3万円だと。
「それなりの寿司屋で1人1万で足りるかよ」
ということで、そこは僕が出すことに。
「じゃあ、2軒目は僕が出しますよ!」
てことでどこだったかおネエちゃんのいる店に行ったんだけど、
「足りません・・・」
そりゃそうだわな。
そこも僕が出すことに。
まあ、毎日がそんなかんじで、この2人には通算1千万円ぐらいは奢ってるんじゃないでしょうか?
こないだ「ワイドナショー」でダウンタウン松本が
「自分は後輩たちに1億は奢ってると思う」
と言ってたけど、先輩後輩というのはそういうものじゃないかと。
僕自身も若い頃、上司やいろんな方から散々奢られましたから。

水が上から下に流れるように、お金も上から下に流すものと僕は思っていて、それはたとえ顔を知らない間柄でも同じだろうと。
だから広告学校も無料でやっているし、セミナーで言えば、社会人が会社の経費で来るようなものは引き受けるけど学生がバイトしながら参加費を捻出するような養成講座のようなセミナーはお断りして来たわけです。

ただ、今年の養成講座はカリキュラムが一新されていて、これまでとは精神的な何かが異なる気がしました。
昨年度に発売された僕の著作は、コピーライターがちゃんと食っていくためのスキルとか姿勢とかを書いてほしいという宣伝会議のオファーから生まれたものですが、その気持ちが組み込まれているように見えたのです。
で、やはり「お金をもらえるコピーとは何か」といったテーマでやってくれないか、という依頼が。
それを拒否するわけにはいかないなと…。
大人の義理のようなものもちょっとありますし…。

それで、2コースで1コマずつ持つことにしたのですが、2部構成にしてもらいました。
第1部は講義。
第2部は質疑応答会ということで、飲食しながらいろいろ受講生の疑問や質問に答える。
ただそこの飲食代は全部僕の講義料から払う。
ということに。
養成講座の初日で講演をした服部タカユキくんは、若手コピーライターの指導ということについては僕ととても近い考え方を持っていて、養成講座やTCCでがんばってる人。
彼にも講師として協力してもらうことで、講義に厚みをつけようと思案しました。

もちろん講師にはセミナーというものへの考え方がそれぞれあって、ここで言いたいのは、僕のそれが正しいとかそうあるべきとかではないです。
単に、
「あれ、やらないんじゃなかったの?」
と不思議がる方がもしいらしたら、というご報告でした。

2015年6月14日
by kossii
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えらいぞ!リッツカールトン

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先日、初めて東京ミッドタウン内にあるホテル、リッツカールトンに行きまして。
ある会社の社長さんからお仕事のご依頼があって、そのランチミーティングでロビーにある和食屋さんに入ったのですが。
そこでちょっと、というか、かなり感動したんですね。

仲居さんがですね、料理を運んで来る。
それをテーブルに並べた後、そのまま黙って立ってるんですよ。
で、社長が
「お願いします」
って促すと、初めて口を開き、
「ではお料理の説明をさせていただきます」
と言って、どれが何という魚でどういう食べ方をするのか、といった解説を始めるんですよ!
もしかすると高級店ではそれが普通で、これまで自分がそのレベルの店に行ってなかった・・・というだけかもしれませんが・・・。
じつに感じ入ったわけです。
「おれが求めていたものはこれだ!」
と。

僕がどなたかと会食するときはやはり商談と言いますか、仕事絡みになることが多いのですが、どんな店でもほぼこのような ↓ 感じです。
「じつは小霜さんね、ちょっとこういう話が出てましてね」
「どういう話でしょう」
「近々、社長が替わるんですよ」
「へえー、それは初耳です」
「それでうちの体制も大きく変わるんですけどね」
「なるほどそうでしょうね」
「でね、今日の本題なんですが・・・その新社長からの指示で新し」
「お料理のご説明をさせていただきますこちらはミズダコでして北海道で捕れたものでこちらのポン酢で召し上がっていただいてもいいですしこちらのわさび醤油でもかまいませんこちらの鰺は淡路島で捕れたものでしてこちらの生姜醤油でお召し上がりくださいこちらの鯛は明石で捕れたものでうんぬんかんぬん」
「これはポン酢で、これは生姜でね、あーハイハイ」
「これはこっちで食べるんでしたっけ」
「そうです」
「それで、新社長の指示のお話でしたよね」
「あーそうそう、それなんですけど、新し」
「お料理のご説明をさせていただきますこちらは黒豚でして黒豚と言えば鹿児島が有名ですがこれは宮崎の黒豚でして食べ方はうんぬんかんぬん」

うるさいよ!
ポン酢だろうと生姜だろうとどうでもいいよ!
タコの捕れた海が北海道だろうとモーリタニアだろうと気にしないよおれは!
と叫びたいところだが、そんなことを言葉にすると相手が
(小霜さん、心の狭い人だな…)
とか、
(小霜さん、食事へのこだわりがないのか…そんなんでクリエイティブできるのかな…)
とか思うかもしれないじゃないですか…。
だからひたすら耐えるしかない…。
なんたる理不尽な状況…。

僕は以前、ある仲居さんに聞いたことがあるんですよ。
なんで客の会話を遮って、いきなり料理の説明始めるのと。
客によっては迷惑かもしれないじゃないですかと。
そしたら彼女が言うことには、店の方から、
「たとえ客が嫌がっても料理の説明はきっちりするように」
と命じられてるんですって。

僕は全ての料理店に言いたい。
「リッツカールトンを見習いなさい」
と。
仲居さんの働く効率もあるだろうから、さすがに黙って立ってるのをそのまま見習ってくれとは言いませんよ。
でも、
「料理のご説明をしてもいいですか」
って聞いて、
「それはいいです」
と言われたら、そのまま戻るとか。
そのぐらいのホスピタリティは見せてほしいな。

今後、重要な商談はリッツカールトンの和食屋。
自分はそう心に決めました。

2015年5月24日
by kossii
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真意翻訳家という新職種

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昨晩、医師であり畏友でもある元同級生と飲みました。
彼の活躍がないと僕は今頃この世にいなかったかもしれず、また、医療関係の案件が増えてきたこともあって、情報収集のためにも定期的に飲む。
そして、医学系の話題になることが多いです。
赤ワインを注ぎながら、昨晩はこんなことを切り出しました。
「来週さあ、神戸でプレゼンするって話したじゃん、あの、iPS関連の」
「ああ、はいはい」
「そういう仕事しながらだ、その一方でオタク系同人チェーンのコンサルとかやるかもしれんのよ」
「へえー」
「それで、おれ、自分自身のスローガン考えたんだけど・・・『再生医療から同人誌まで』ってんだけど。どーよこれ。笑わない人いないんだけど」
「・・・うーん・・・どうかなあ」
「・・・あれ、ダメかねえ。ピンと来ない?」
「・・・うーん・・・『再生医療』って言葉がねえ・・・。医学的に本来の意味からズレてるんですよねえ」

そこかよ!

さすが医者というか何というか・・・いやはや、広告業界人からは絶対に出て来ない視点で突っ込んでくるのが、面白い。
彼によれば、iPSがやっているのは「再生」ではないだろうと。
普通なら1回しかできない、たとえば永久歯みたいなものをもう1回作ろうということなのだから、「再生」という表現は違うんじゃないかと。
確かにその通りだわ!
「再生」という日本語が持っている意味は、「死んでしまったもの、ダメになってしまったものを復活させる」といったニュアンスが強い。
リサイクルとかに使われる言葉。
iPSは不全を起こした臓器をリサイクルする技術ではない。

元々の英語では”regenerative medicine”となっていて、「再生医療」はたぶんそれを直訳したのでしょうが、海外でもその言葉に違和感ある医者が増えたのかどうか、すでに”tissue engineering”という言葉が主に使われるようになっているそうです。
調べたら、これは「生体組織工学」などと訳されている。
なんか違う気がする。
気になるのは「工学」。
“engineering”だから「工学」と訳したのだろうけど、英語の”engineering”には「上手に応用する」って意味もある。
“tissue engineering”という言葉を作った人の真意としては、「人間組織が持っている力をうまいこと応用することで新しい医学を開拓していこう」ってものがあったんじゃないでしょうか。
それを、「”engineering”だから『工学』でしょ」的短絡思考で訳してないか?と不安を覚えるわけです。
僕なら、そうだなあ、「生体組織応用学」とか訳すかも(医学界の人、ツッコミ歓迎です)。

周囲を見渡すと、今の日本は「短絡翻訳」だらけ。
以前もブログで言ったような気がしますが、何年か前、家族で「インディ・ジョーンズ」の最新作を観に行ったわけ。
映画の最初の方で、インディが運転する車が悪漢のトラックに突っ込んでくる。
助手席に座っているオッサンが運転手に”You don’t know him!”って叫ぶんだけど、つまり、「実はおれは昔からあいつという人間を知っている、あいつは何をしでかすかわからない無茶な男なんだぞ」と、映画冒頭でのいろんな状況説明をその一言に託してるんです。
僕はゲームや映画の脚本やったりもしてるんで、そういったシナリオの苦労と工夫がわかるんですよね。
それを縮めて言えば「あいつは何するかわからんぞ!」あるいは「あいつは無茶するぞ!」とか訳すところです。
ところがT田先生の翻訳は「気をつけろ!」ですよ・・・。
それでもう、その後映画を観る気が失せてしまいました。
一事が万事、現状の洋画の翻訳はそんなかんじで、英語が全然わからない人は、洋画を観ても50%ぐらい楽しさを損してる気がします。
僕は40%ぐらいかな・・・(それがきっかけでスピードラーニングを買ったが今は押し入れの中)。

たとえば翻訳本のタイトルも酷い。
元著者のアイデアをタイトルが無にしている。
トマ・ピケティの「21世紀の資本」が大ブームになってますが、僕はこれ、誤訳じゃないかと思ってます。
元の英語タイトルは”Capital in the Twenty-First Century”で、”capital”は「資本」という意味ですから、これで正しいとほとんどの人が思うでしょう。
でもこの写真を見てください。

 

 

 

 

 

 

 

“Des Kapital”はドイツ語ですが、英語だと”The Capital”となります。
これを当時の翻訳者は「資本」ではなく、「資本論」と訳しました。
「労使の関係、資本というものの本質を根底から論じることに挑戦したい」というカール・マルクスの真意を汲み取ったのでしょう。
そして、これがトマ・ピケティの本の表紙(英語版ですが)。

 

 

 

 

 

 

 

ピケティ氏が「資本論」を意識しているのは明白ではないでしょうか?
もし自分なら、「21世紀の資本論」「資本論・新世紀」などと訳したことでしょう。
「共産主義はすでに失敗し、世界は資本主義が独占している。しかし新世紀に入ったところで資本の本質をもう一度論じてみようじゃないか」という彼の真意を少しでも感じ取れるようにと考えるからです。
残念ながら現状のタイトルからはそこは何も伝わって来ません。

自分は今、さる大手外資系企業のブランディングに携わっていますが、本国のスローガンを見直そうということで、調査用の英文ステートメント案がいくつか届きました。
その日本語訳を見て、これで調査にかけたら大変だと思い、結局自分で訳すことにしました。
オリジナルのステートメントを書いた人の真意がほとんど無視されているように見えたからです。
そして、そこでズレが生じると、そこから何年もズレたままになってしまうからです。

これからTPP時代となって、海外の思想、ニュアンスが今まで以上にどっと舞い込むことでしょう。
そこで必要とされるのは「短絡翻訳」ではない「真意翻訳」です。
同級生の医者も憂えていたけど、明治の日本人はものすごくがんばって海外の言葉を真意で訳してきました。
たとえば明治初期、”love”に該当する日本語はなかった。
それまで「愛」という言葉は仏教用語でした。
「恋」という言葉は存在したが、ちょっとニュアンスが違う。
二葉亭四迷は”I love you”をどう解釈していいか悩み抜き、「死んでもいい」と訳した。
夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳した。
やっぱりちゃんと訳語を決めようよ、ということで、「恋愛」という言葉が誕生した。
自分が言いたいのは、真意をどう汲み取るかというそういう苦労を今の翻訳家はしているのだろうか、ということです。

僕は、これもコピーライターの新しい仕事だと思ってます。
仕事として面白くはない。
もし依頼があったら、
(えー、メンドくさいなー、しかも大した稼ぎにならないしなー)
とか思うでしょう。
でも、誰かがしっかりやらないといけないものと考えるのであります。

2015年5月17日
by kossii
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炎上チェックライターという新職種

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最近、CMやWEBムービーが、とにかく炎上します。
社会が複雑化する中で、誤解を招くメッセージを企業が思わず発してしまう、といったケースがどんどん増えて来ています。
そういう意味で僕がずーっと気になっているCMがあります。
「ガイアの夜明け」の枠でオンエアしているこの富士通のCM。
https://www.youtube.com/watch?v=x3cRGccfY-U
トンマナはとてもヒューマンで、その街の足としてずっと働いて来たタクシー運転手さんが、子どもの飛び出しを事前に察知して事故を防ぐ。
そういった経験スキルを、これからはICT技術でみんなで共有できるよ、といった主旨。
でもこれ、見方によってはとても恐ろしい内容のCMとなります。
どういうことかというと、コツコツと磨いてきた職人の技を、これからはテクノロジーで全て奪い取ってやるぞ、という宣言になっていると言うこと。
「すごーい!でも、これからは、運転手さんに代わってICTが飛び出しの多い場所だけでなく、便利でお得な情報を知らせてくれたりするそうです」と台詞で言ってますが、これでは、まさにテクノロジーによる弱者排除を加速する企業と受け取られても仕方ないです。
僕はこのCMを見た後、小さい女の子が将来データサイエンティストになり大成功を収め、そのパーティの帰り、富裕層の住む住宅地の一角でゴミ箱を漁っている元運転手と再会し、「あれ、あなたはいつも私を送ってくれたあの…」といったストーリーを妄想してしまいました。
もちろん、富士通がそんな非人間的な会社であるわけはないのに。

どこに問題があるのか?
それは、「運転手さんに代わって」です。
これが、「運転手さんを見習って」なら問題ないんです。
わかりますか?
その一言の違いで、「人間性排除」じゃなく「人間性共存」企業になれるんです。
僕がこのCMのCDなら、そこに気づいた瞬間、再編集を進言します。
あの女の子もそんな高価なタレントじゃなさそうだし、ちょっと呼んでそこだけ台詞録り直せば済むこと。
オフナレだからリップの問題もないし、2~3時間の作業。
このCMが問題にならずに済んでいる理由は、企業の真意を視聴者が理解しているから、といった性善説的なものではないと思います。
言っている内容が難しくて、CMの内容を理解できる人が少ないからです。
つまり運が良かっただけ。
これは、ほんの一例です。
「うわこのCM、大丈夫かね」とこっちがハラハラするもの、時々見ます。

こないだ、あるPR会社から僕にちょっと前例のない依頼がありました。
それは、PRの文言が炎上しないかチェックしてほしいというもの。
そのクライアントは目下社会的にかなりのバッシングを受けている最中でもあり…ほんのちょっとしたものの言い方も間違えられない、という話でした。
もちろん引き受けましたが、この依頼を僕の所に持って来たのは賢明と言えましょう。

大きな企業では、広告やPRを弁護士チェックにかけたりします。
ところがそこでどういうチェックが返ってくるかというと、
「妻という文字はもともと箒を持って家の前を掃除していたというところから来ているので差別用語とされる恐れがある」
とか、そういうのだったりします(これ、本当の話ですよ!)。
僕は、
「じゃあ、サッカーは古代に敵兵の首を転がしたところから始まったという話なので、非人道的行為に当たりますね」
と言ってやりましたが。
危ないものは全てNG、というやり方ならもちろん問題にはならないでしょう。
でもそれでは大事な真意が何も伝わらない、という本末転倒になってしまいます。
そこをうまくできるのはやはりコピーライターかなと思います。

ほんのちょっとした言葉のミスで、意図せずともそれが差別になったり、人権侵害になったりする、難しい世の中です。
コピーライターにも、炎上チェックライターという、新しい役割が生まれるかもしれません。