「明日、ママがいない」のショック

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ドラマ「明日、ママがいない」の第2話を観ました。
まず番組枠CMに何となくの違和感。ACのCMが多いからだ、と気づきました。
なんともったいない。TVの番組枠はひょいひょい降りたり乗ったりできるものではありません。あれは、お金払うけどうちのCMは流さないでくれ、ということ。3社ほどがそういう対応をしたようですね。
まあ、韓流ドラマのスポンサーをしたってだけで花王の商品レビューに「洗ったらキムチの匂いが付いた」などと書かれる時代ですから、スポンサーの苦慮も推察できるというものです。

さてこのドラマ、第1話の放送以来賛否両論、放送中止要請も寄せられていますね。児童養護施設や赤ちゃんポスト、里親制度の実態とかけ離れている、誤解される。児童養護施設で暮らす子どもたちが学校でいじめられる、偏見を持たれる。などの理由で。
それに対して局側は、「子供たちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子供たちの視点から『愛情とは何か』を描く主旨のもと、子供たちを愛する方々の想いも真摯に描いていきたいと思っております。是非、最後までご覧いただきたいと思います」というコメントを出しています。

そう。
これはドキュメンタリーではなくドラマです。舞台設定はあくまでも手段。だからそこには多少の誇張や歪曲が入って来るのは織り込み済みというものでしょう。
目的である、「子供たちの心根」を描くことが重要です。
でも。
僕はドラマを観ていてその心根の描き方が
「ちょっとペラくね?」
と感じちゃいました。

最も違和感を抱いたのは第1話の最後のくだり。
自分を捨てた親に対して、あんたが親を捨てるのよ、と「ポスト」に促されて「ドンキ」が親の住むアパートのガラスに物をぶつけて割るところ。
一見、感動的ではありますが、この発想は子どもではなく、やっぱり大人のものですよ。

子どもが生まれてきた時、目の前には親しかいません。
子どもにとって、親は、世界の全てです。
神と言ってもいい。
親の振るまいがそのまま自分の物差し、行動基準、善悪基準になるんです。
もしあなたが八つ当たりで子どもをぶつ親を目の当たりにしたら、なんてひどい親だ!と憤慨するでしょう。子どもがかわいそうだろと。
でもそれは当事者じゃない、第三者の、大人の感覚。
子どもはどう感じているか?
「自分が悪い子だからぶたれたんだ」です。
子どもを捨てるなんてひどい親だ、と憤るのも大人の感覚。
親に捨てられたら、子どもは「自分はそれだけ価値のない人間なんだ」と思い、心に刻みます。
それを「トラウマ」と呼びます。
施設では、無償の愛情を前提に、褒めるべきは褒め、叱るべきは叱り、という、自然な姿の育て方でトラウマをなくそうと努めるわけですが、なかなか難しいものがあるようです。
幼い頃のトラウマを残したまま大人になった人を「アダルト・チルドレン」などと呼びますが、親に育児放棄された、虐待親から保護された、などの児童養護施設出身の方々には、自分の全てに自信が持てず、人と交わるのが怖い、恋愛が怖い、就職が怖い、出世が怖い、そうやって社会と正常に交わることができない生涯のハンデを持つ方が少なからず存在するのです。

ドラマの「ポスト」や「ドンキ」のように、あれは悪いこれは正しい、こうするのがいいああするのがいいと、健全に育ってきた大人のような善悪基準、行動基準を持って生きていけるなら、彼女たちの将来は開けています。普通に友人を作り、就職し、結婚するでしょう。第1話からもうハッピーエンドです。チャンチャン、です。
ちなみにトラウマを背負った子どもたちの中には、「ドンキ」のように親の住む家のガラスに物をぶつけてやりたい!と思う子はいるでしょう。ナイフで刺し殺してやりたい!と思う子も。
でも、できないんです。
その刃は向かう先を見失って、自分に向かうしかなくなります。それを「リストカット」と呼びます。

第2話で初めて「トラウマ」という言葉が出て来ました。
子どもの頃、親に手を強く掴まれて引っ張っていかれたから、大人になった今でも人と手を握れません、という・・・まあ、そういうトラウマもあるのかもしれませんけど・・・。
トラウマというのは、もっともっと、恐ろしいものですよ。
トラウマは、その子の人生全てに渡って大きなハンデを背負わせますが、じつはその子どもを捨てたり虐待した親も幼少時に虐待されてきたケースが多く、世代を超えて遺伝していく傾向があるのです。
そういう意味において、育児放棄や児童虐待は「かわいそう」という同情ですむものではない社会問題です。

最近思うことですが、人は同情する側とされる側、助ける側と助けられる側、に分けられるものでしょうか。
児童養護施設で暮らす子どもたちの中には卒園したら福祉施設で働いて子どもたちを助ける仕事をしたい、と希望する人が少なくありません。助けられる人が助ける人になるわけです。
僕はずっとその支援をしてきましたが、腫瘍切除の後遺症で今年から下肢障害4級の障害者手帳を交付され、なんと映画館やタクシーを使うと割り引いてもらえるようになりました!自分はどっち側の人なのかよくわからなくなってきています…。
でも人はそもそも、もたれ合って生きて行く動物ではないですか。
健常者であってもアルコールやギャンブルやセックスに依存しないと生きていけない人もたくさんしますし。全ての人の中にある「助けてくれ」をギリギリのところで皆で用意して社会というものは成り立っている。

その前提は「理解」でしょう。
会社の同僚や恋人が理解できない行動を取る時、あのコ変わってるよねーとか、あいつ頭おかしいんじゃねーのですませるんじゃなく、あれは幼少のことが影響してるのかなと理解する。
たとえばそういうことに寄与するなら、このドラマは応援すべきものと思います。

ドラマだけでなく、小説でも漫画でも映画でも、良質のコンテンツに触れると何らかのショックを受けます。
それが「あの子たちかわいそうー」では、薄っぺらいじゃないですか。
人間への正しく新しい理解を提供することで、ショックを与えてほしいものです。

ところで日テレのコメントでは「子供」という表記になっていましたが、最近、この表記は好まれません。「物」のように感じられるからという理由です。
「子ども」と表記されることをお薦めします。