淡路さんはドラクエの台詞を全部覚えてた!

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「あなた、ゲームの仕事してるんでしょ?」
と、六本木のバーで声をかけてきたのが淡路恵子さんでした。
「プレイステーションの広告やってますけど」
と言うと、
「ねえ、ドラクエのスタッフ紹介してくれない?」。
そんないきなりの頼み事をされたのは1996年頃だったでしょうか。
当時はまだドラクエは任天堂陣営。
「プレイステーションのゲームを作ってる人じゃダメですか」
と聞くと、それじゃダメよと。
「ソニーの人ならすぐにでも紹介できるんですけど」
ドラクエのスタッフじゃないと意味ないのよと。
「なぜドラクエなんですか」
と僕は聞きました。

淡路さんのお話を聞けば聞くほど、その人生は壮絶そのものだったんだなあと胸を打たれるものがありました。当時は故・萬屋錦之介さんの残した莫大な借金と、息子さんの素行にずいぶん悩まれている様子でした。窃盗で麻布警察署に呼ばれた話など聞かされました。
「毎月50万円も渡してるのよ」
と悲痛な表情でおっしゃるので、
「僕も女房に毎月50万円も渡してますよ。困ったものですね」
と言うと、あなたおかしいこと言うわねと喜んでらっしゃいました。
悩みばかりの毎日の中で、唯一の救いがドラクエだと彼女は言いました。
ドラクエに出会って毎日が変わった。心が癒やされた。ドラクエがなかったら死んでたと思うと。
だから、ドラクエを作ってる人にお礼を言いたいのだと。
「スライムの絵を描いてる人でもいいのよ」。
とにかくドラクエに関わってる人なら誰でもいいから、お礼を言わせてほしいのよ、と。

まるで酸素のように、ドラクエをしていないと辛すぎて死んでしまいかねない彼女は、最終ダンジョンの手前でもう一度最初からゲームをやり直す。
終わらせるわけにいかないから。
それでついには台詞を全部覚えてしまった。
「どこのダンジョンの台詞は何、って聞かれたら私、こう言うのよって答えるから」
と少しドヤ顔でおっしゃいました。

僕は一計を案じて、その頃親しくしていたゲーム雑誌の編集者に、堀井雄二と淡路恵子の対談企画というものを持ち込みました。
彼はとても喜んで、実現できると思います、やりましょうと快諾してくれました。
新宿の料亭でお二人は会いました。
淡路さんは堀井さんに「もっと早く新作を出してくれないと死ぬ」とずいぶんおっしゃってました。
堀井さんも楽しまれていたようです。

その後淡路さんは僕のことを大好きになったようで、舞台に招待されて、終わってから二人で飲んだりしてました。
「あの女優は脚本の意味をぜんぜん理解してないのよ」
と主演女優をこきおろしたり、日常でもコメントは辛口でした。

僕はPSの立ち上がりからゲーム広告に携わり、それは今でも続いています。
その間、ゲームが社会悪として槍玉に挙げられることも何度かありました。
しかし「ゲームが人を救う」ことがあるんだと初めて教えてくれたのは淡路さんでした。
昨年春からPSVita「共闘先生」というキャンペーンをやらせていただいていて、おかげさまでVitaの売れ行きは好調に推移しています。
ただ僕はその中に販促的な要素だけでなく「先生と生徒が仲良く楽しむ画」をしのばせることを大事にしました。
教師と生徒の溝が社会問題になる中、もしかすると日本のどこかで、ゲームで仲良くなる先生と生徒がいるかもしれません。

淡路恵子さんのご冥福をお祈りいたします。