ヨイトマケの唄に思う

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昨年の紅白歌合戦は後半、最高の視聴率だったそうだ。注目アーチストが多数出場していたことが追い風になったのだろうが、視聴者を最も感動させたとしてネットで話題を独占したのは美輪明宏「ヨイトマケの唄」だった。ヨイトマケとは土方の蔑称。土方の子として馬鹿にされながら育った子が、大きくなって母に感謝するという唄だ。
僕はこの唄に籠められた気持ちがよくわかる。これに近い経験があるからだ。
僕の父親はもともと大手の化学会社に入社し、かなり実績を残したらしい。ただ高卒だったため大卒の後輩に出世競争で追い抜かれていくことに不満を感じ、小さな工場の引き抜きに応じてしまった。それからが転落の始まりで、仕事のやりがいはなくプライドが損なわれる日々で、酒に浸り続け、家に金を入れなかった。母親が早朝にヤクルトを配達し日中事務員をやって、家計をなんとかしていた。
中学の頃、同級生と喧嘩になった。そいつの家は父親が働く工場の目の前にあって、僕の父親が働く様子をよく見ていたらしい。そしてこう言った。「おまえなんか毎日毎日フォークリフトで汗水垂らして働く工員の息子やないか。母ちゃんもヤクルト配っとるやないか」と。今でも鮮明に覚えてる。子どもにとって親のことを罵られるのは、それはそれはキツいものだ。取っ組み合いの喧嘩になった。
やがてわずかな給金を少しずつ貯めて、母親は小さな家を買った。僕が静かに勉強できる個室を与えるためだった。
そして僕は今、両親の生活の面倒を見ている。
「ヨイトマケの唄」は土方の唄じゃない。子どもを一所懸命育ててくれる父母というものへの賛歌だ。それが、民法ではずっと放送禁止とされている。「ヨイトマケ」が差別用語だということで。
人の心に傷をつけるぐらいの強い言葉だからこそ、人の心をより良い方に変える力も持っているのだ、という発想がない。
日本からどんどん本質論が失われ、表層論の勢力が増している気がする。その正体は保身だろう。臭いものに蓋をする。事なかれ主義。社会のことを考えるふりをして、自分のことを考えている。
豊かな社会は個人主義、保身主義を生む。でも日本はいよいよヤバいらしい。
本質論で、社会のことをみんなで考え合う、そんな年になってほしい。
2013年。今年もよろしくお願いします。