「バカ」の法則

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あなたは道を歩いていた。道ばたにカップルがいて、女が男に大声を上げた。「あんたってとんでもないバカよね!」。 それを聞いたあなたはどう感じるだろうか。公道でののしり声を上げるなどゆるせん!と憤り、「お嬢さん、人に対してバカとはけしからんよ」とたしなめるだろうか。いや、あなたはそんなことするわけない。多少の知能がある人なら知っている、前後の「文脈」がわからなければ、彼女の真意、「バカ」の意味を判断しようがないことを。
僕は若い広告クリエイターにコピーライティングを教えるときに、昔から「バカの法則」という話をしてきた。言葉ば持つ意味は一つに限られない。前後の文脈や背景の時代性などによって変動する、場合によっては逆になることもある、ということだ。たとえばさっきの例で言えば、もし会話の流れがこうだったとしたら。男「じつは冬のボーナス全部使って婚約指輪買ったんだ」。女「あんたってとんでもないバカよね!」。 この場合、当然ながら「バカ」は「知能の劣る人間」という意味じゃない。「一途な人」「愛しい人」という主観のニュアンスが入ってくる。男「えっ…おまえ、おれのこと好きだったの…?」。女「あんたってとんでもないバカよね!」。この場合は「鈍感な人」「私を困らせる人」というニュアンスが入っている。男「ちょっとこのコピーの感想聞かせて?」。女「あんたってとんでもないバカよね!」。この場合は「ぶっとんだ発想のできるヤツ」。 男「じつは冬のボーナス全部競馬ですっちゃった」。女「あんたってとんでもないバカよね!」。この場合は「救いがたいヤツ」。男「じつはおれ九九がぜんぶ言えないんだよ」。女「あんたってとんでもないバカよね!」。  この場合はもともとの意味。
言葉だけじゃなく、行為についても前後の文脈でその意味や価値は変わってくる。人を殺しても、その動機が私欲によるものか正当防衛かで罪の重さは全く違ってくる。文脈はかほどに重要であるにも関わらず、最近はそこを読み取ろうとしない人が増えている気がする。ツイッターなどの普及で、短い文で話を完結させようという文化になってきているのだろうか。それまでの流れだったり、その人の思想の背景だったりを見ないで、表面の文字面だけで激昂する人が多い。先ほどの例で言えば、「バカ」という言葉を聞いただけで「バカとはけしからん」と割って入っていくようなことを平気でやる。
そしてもっと困ったことには、それをマスコミがやる。鉢呂前大臣の「放射能つけるぞ」にしても、どういう話の流れでそういう発言になったのかを全く検証することなく非難する。漏れ伝わってくる噂では、福島からトンボ返りで作業服のままだった前大臣にある記者が「放射能ついてるんじゃないか」と言ったことにカチンと来て、たしなめる意味で、だったら付けてやろうかと言ったとか。平野復興相はまさに、震災で亡くなった友人を「バカなやつ」と言ったわけだが、新聞はこれを問題だと言う。自民党は国会で追及すると言う。夫の墓の前で「あんたってとんでもないバカよね!」と泣く女に、「バカとは何事、国会で追及するぞ」と叱るようなものだ。それではもともとの意味でのバカじゃないか。