np.広告学校を受講する方たちに

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クリエイティブ作業とは、マラソンのようなものだ。そうイメージしといてほしい。肌に汗はかかないが、脳に汗をかく。身体は苦しくないがアタマが苦しい。
クリエイティブ作業がマラソンと異なるのは、ゴールを自分で見つけなきゃいけないってところだ。苦しみに耐えて走り抜いたら誰でもゴールにたどり着けるってわけじゃない。宝探し競争と表現する方が正しいかもしれない。ゴールが見えない分、どんな宝が見つかるかわからない分、精神的にしんどい。懸命に走っても何も見つけられないこともある。タフじゃないとやってられない。ものすごく才能に恵まれているのに、精神的な弱さで業界を去って行ったクリエイターは何人もいる。そんなしんどい仕事、泥にまみれた仕事だからこそクリエイティブはお金になる。決して美しい仕事じゃない。np.無料広告学校は実践的広告クリエイティブを教える場だ。だからそんなところからクリエイティブ作業というものを実感させていくのが基本スタンスだ。
課題を出すと、受講生たちが提出してくる企画案・コピー案はだいたい4パターンに分かれる。
まず、ちょっと考えただけの思いつきがそのままカタチになっている案。宝探し競争にたとえると、100メートルぐらい走ったところで「みつけたー!」と叫んでいるようなもの。これはプロとして論外。君は何かを見つけたのかもしれないが、誰でも見つけられるものに金を払う人などいない。これではそもそも商売にならないのだ。でも不思議なことに、クリエイターと肩書きのついた人のほとんどが(残念ながらnp.の社員も含め)、こういう案を堂々と提出してくる。100メートルしか走りたくない人はプロではなく生活保護を受ける人生を選ぶべきだ。
次に、走るには走ったが息切れしてそこをゴールとしてしまう。あるいはゴールだと思い込む。そういう案。クリエイティブ作業はマラソンと違って走り続ける必要はない。途中で休んだってかまわない。大事なことは、そこが本当にゴールなのか、そこに転がっているものが本当に宝物なのか、疑う姿勢だ。どうも違うんじゃないか、と思ったら、しばらく休んでまた走り出す。すると、思いもかけないものが見つかったりする。人は潜在意識でアイデアを考えるから、最初にがーっと考えて、何日か休んでからまた考え出すとパッといいアイデアがひらめいたりする。月曜に課題が出たら、まず火曜日に集中して考えてみる。そしてまた週末にもう一度考える。そういうパターンを身につけてほしい。一夜漬けで考えた企画かどうかは見ればすぐにわかる。
そして、正しい道順をたどり、価値の高い宝をみつけた案。そもそもクリエイティブの価値とは何なのか?僕は単純に、それに高いお金を払ってまでも買ってくれる企業があるかどうかだと思ってる。どんなものがただの自己満足で、どんなものなら提案する価値があるのか。そこも教えていきたい。
最後に、あえて正しい道順をたどろうとせず、わざわざ脇道へ入っていく。あるいはせっかく宝物を見つけているにもかかわらずそれをわざわざ捨てて、しょうもないものを拾ってくる、そういう案。これは広告学校やコピー塾を下手に卒業した人に多い。「ひねり」がないといけないと思い込んでいる。コピーを意図的にわかりにくくしたりする。「このコピーにはこういう意味が裏にありまして…」とか言う。パズルか!広告など誰も見たくないのだ。そういう前提に立たないといけない。だから瞬時に興味をひく、概要が理解できる、そういうものでないといけない。広告を出稿すれば誰もが時間をかけて吟味してくれる、そんな前提は学校の中にしかない。でも、間違った教えに感化された人は、なかなか治らない。一年かけても全く成長のない人がたまにいるけども、このパターンに陥ってる人が多い。
np.広告学校ではCMについては教えない。広告発想の基本を教えながら、具体的にはグラフィック広告を作っていく。日本の広告宣伝費の内訳を見ると大手広告代理店のシェアが圧倒的だけども、広告クリエイティブで生計を立てている人の大部分はCMなどには縁がないだろう。街の美容院のリーフレットを作ったり、パチンコ屋さんのチラシを作ったりして生活している人たちがほとんどだと思う。たとえば街の美容院から店内ポスターを作ってくれと頼まれた。いったいどこから考えるべきか。僕なら、まずそのポスターの目的を聞く。あるいは目的を作る。ただの装飾なのか、お客のリピーター化に寄与させるのか、口コミのネタを狙うのか、etc.。美容院の見込み客、ターゲットは誰なのかを考える。住宅街に立地しているなら付近の住民だろう。ターミナル駅の近くなら、遠くの人も狙えるかもしれない。そしてその美容院に「売り」はあるのか、なければ作れるのか。そういったことを検討した上で、表現として最後にカタチにしていく。どんな仕事でも正しく企画できる脳みそに鍛えていきたい。もちろんこういったシミュレーションはCMにだって役に立つ。広告発想、考える筋道は予算何十億の大キャンペーンも店頭ポスターも根は同じだから。
np.広告学校では受講生同士のつながりを大事にしてほしい。広告を学ぶためには、その前に、人を、世の中を学ぶ必要がある。だから受講生はできるだけいろんな職業、いろんなポジションの人をちりばめるようにしている。僕らが学校をやっている大きな理由も「はあ-、いまの若いヤツらってこんなこと考えてんだ」を実感するところにある。教えながら僕らも学んでるってわけだ。
互いにとって、毎週毎週、夜がふさがるのは時間的にかなりの負担だ。最も恐ろしいのは、1年かけたにもかかわらず受講生が何も成長しないこと。これは僕らの問題というよりは本人たちの意識の問題が大きい。驚くべきことに、マラソンの走り方について講義を受ければ走れるようになると思っている人は意外に多い。そんな馬鹿な話はない。自分で走って苦しむ以外に成長などない。そういう意識でいてほしい。1年を無駄にしないでください。