マイナンバーと悪魔の本名

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マイナンバーの議論が今後加速しそうです。

税金の取りっぱぐれがないように、とか、不正な銀行口座が作られないように、とか、政府がその効用を訴える一方で、もし誰かに知られてしまうと悪用されかねないじゃないか、といった心配の声も出始めていますね。

僕が思ったのは、マイナンバーって古代の「本名」に似てるなあ、と。

昔は、本当の名前は他人に知られてはならないものでした。
なぜなら呪いにかけられてしまうからです。
そういう「悪用」を防ぐために、普段、人々は通称で呼び合っていたんですね。

欧米人が親しくなると上下の関係であっても「ジョージと呼んでくれたまえよ、ハッハッハ」などとファーストネームで呼び合うようになるのは、あなたになら本名を知られても構わないほど信頼しているよ、と伝えているわけで、古代のそういった習慣の名残なんですね。
悪魔は本名を知られた相手には絶対に服従をする、といった話もありますが、それも古代の名残から創られたストーリーでしょう。
「デスノート」は「本名と顔が一致すれば殺せる」というルールでしたが、上記のようなところから着想を得ているのだと思います。

SNSでは、実名で投稿する人は結局、ほんの一握りですよね。
大部分の人は依然として匿名か、Read Only。
実名の人の中には仕事のPRだけして他の投稿は読まない、という人も多く、それゆえにFacebookなどは若い人が「自慢大会」と揶揄して離れて行ってます。
ただ、利害的なことだけでなく、そこには実名で自分の実態を晒すということへの本能的な恐れもあるのでは。
逆にTwitterや2チャンネル、ニコ動などによく書き込む人は、匿名による安心感を同時に確認しているような気もします。
だから匿名だと気が大きくなって、つい言い過ぎてしまう。
なり過ぎる人もいる。
名前さえ隠せば問題ない、と思って、写真をアップして悪さがバレてしまうという「バカ発見器」現象が後を絶たないのはそういう理屈ではないかと。
先日も銀行強盗でパクった金を見せびらかして捕まったカップルがニュースになってましたが…。

さてマイナンバー制度ですが、本名を知られたらもう服従するしかない哀れな悪魔のように、自分の「12桁」を知られてしまうともう全てがコントロールされてしまう。
そういった本能的な畏れに近いものがこの制度に潜んでいる気がします。
もしかすると、そのことで、人々は本来の姿に近づいたことを感じ、安心感を覚える可能性もあります。
もしかすると、そのことで、人々は心理の根源に近いところでプレッシャーを持ち、不安社会がますます醸成される可能性もあります。

経済界だけでなく、社会学者、心理学者など、他方からの知見を集めて議論を進めてほしいものです。