真意翻訳家という新職種

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昨晩、医師であり畏友でもある元同級生と飲みました。
彼の活躍がないと僕は今頃この世にいなかったかもしれず、また、医療関係の案件が増えてきたこともあって、情報収集のためにも定期的に飲む。
そして、医学系の話題になることが多いです。
赤ワインを注ぎながら、昨晩はこんなことを切り出しました。
「来週さあ、神戸でプレゼンするって話したじゃん、あの、iPS関連の」
「ああ、はいはい」
「そういう仕事しながらだ、その一方でオタク系同人チェーンのコンサルとかやるかもしれんのよ」
「へえー」
「それで、おれ、自分自身のスローガン考えたんだけど・・・『再生医療から同人誌まで』ってんだけど。どーよこれ。笑わない人いないんだけど」
「・・・うーん・・・どうかなあ」
「・・・あれ、ダメかねえ。ピンと来ない?」
「・・・うーん・・・『再生医療』って言葉がねえ・・・。医学的に本来の意味からズレてるんですよねえ」

そこかよ!

さすが医者というか何というか・・・いやはや、広告業界人からは絶対に出て来ない視点で突っ込んでくるのが、面白い。
彼によれば、iPSがやっているのは「再生」ではないだろうと。
普通なら1回しかできない、たとえば永久歯みたいなものをもう1回作ろうということなのだから、「再生」という表現は違うんじゃないかと。
確かにその通りだわ!
「再生」という日本語が持っている意味は、「死んでしまったもの、ダメになってしまったものを復活させる」といったニュアンスが強い。
リサイクルとかに使われる言葉。
iPSは不全を起こした臓器をリサイクルする技術ではない。

元々の英語では”regenerative medicine”となっていて、「再生医療」はたぶんそれを直訳したのでしょうが、海外でもその言葉に違和感ある医者が増えたのかどうか、すでに”tissue engineering”という言葉が主に使われるようになっているそうです。
調べたら、これは「生体組織工学」などと訳されている。
なんか違う気がする。
気になるのは「工学」。
“engineering”だから「工学」と訳したのだろうけど、英語の”engineering”には「上手に応用する」って意味もある。
“tissue engineering”という言葉を作った人の真意としては、「人間組織が持っている力をうまいこと応用することで新しい医学を開拓していこう」ってものがあったんじゃないでしょうか。
それを、「”engineering”だから『工学』でしょ」的短絡思考で訳してないか?と不安を覚えるわけです。
僕なら、そうだなあ、「生体組織応用学」とか訳すかも(医学界の人、ツッコミ歓迎です)。

周囲を見渡すと、今の日本は「短絡翻訳」だらけ。
以前もブログで言ったような気がしますが、何年か前、家族で「インディ・ジョーンズ」の最新作を観に行ったわけ。
映画の最初の方で、インディが運転する車が悪漢のトラックに突っ込んでくる。
助手席に座っているオッサンが運転手に”You don’t know him!”って叫ぶんだけど、つまり、「実はおれは昔からあいつという人間を知っている、あいつは何をしでかすかわからない無茶な男なんだぞ」と、映画冒頭でのいろんな状況説明をその一言に託してるんです。
僕はゲームや映画の脚本やったりもしてるんで、そういったシナリオの苦労と工夫がわかるんですよね。
それを縮めて言えば「あいつは何するかわからんぞ!」あるいは「あいつは無茶するぞ!」とか訳すところです。
ところがT田先生の翻訳は「気をつけろ!」ですよ・・・。
それでもう、その後映画を観る気が失せてしまいました。
一事が万事、現状の洋画の翻訳はそんなかんじで、英語が全然わからない人は、洋画を観ても50%ぐらい楽しさを損してる気がします。
僕は40%ぐらいかな・・・(それがきっかけでスピードラーニングを買ったが今は押し入れの中)。

たとえば翻訳本のタイトルも酷い。
元著者のアイデアをタイトルが無にしている。
トマ・ピケティの「21世紀の資本」が大ブームになってますが、僕はこれ、誤訳じゃないかと思ってます。
元の英語タイトルは”Capital in the Twenty-First Century”で、”capital”は「資本」という意味ですから、これで正しいとほとんどの人が思うでしょう。
でもこの写真を見てください。

 

 

 

 

 

 

 

“Des Kapital”はドイツ語ですが、英語だと”The Capital”となります。
これを当時の翻訳者は「資本」ではなく、「資本論」と訳しました。
「労使の関係、資本というものの本質を根底から論じることに挑戦したい」というカール・マルクスの真意を汲み取ったのでしょう。
そして、これがトマ・ピケティの本の表紙(英語版ですが)。

 

 

 

 

 

 

 

ピケティ氏が「資本論」を意識しているのは明白ではないでしょうか?
もし自分なら、「21世紀の資本論」「資本論・新世紀」などと訳したことでしょう。
「共産主義はすでに失敗し、世界は資本主義が独占している。しかし新世紀に入ったところで資本の本質をもう一度論じてみようじゃないか」という彼の真意を少しでも感じ取れるようにと考えるからです。
残念ながら現状のタイトルからはそこは何も伝わって来ません。

自分は今、さる大手外資系企業のブランディングに携わっていますが、本国のスローガンを見直そうということで、調査用の英文ステートメント案がいくつか届きました。
その日本語訳を見て、これで調査にかけたら大変だと思い、結局自分で訳すことにしました。
オリジナルのステートメントを書いた人の真意がほとんど無視されているように見えたからです。
そして、そこでズレが生じると、そこから何年もズレたままになってしまうからです。

これからTPP時代となって、海外の思想、ニュアンスが今まで以上にどっと舞い込むことでしょう。
そこで必要とされるのは「短絡翻訳」ではない「真意翻訳」です。
同級生の医者も憂えていたけど、明治の日本人はものすごくがんばって海外の言葉を真意で訳してきました。
たとえば明治初期、”love”に該当する日本語はなかった。
それまで「愛」という言葉は仏教用語でした。
「恋」という言葉は存在したが、ちょっとニュアンスが違う。
二葉亭四迷は”I love you”をどう解釈していいか悩み抜き、「死んでもいい」と訳した。
夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳した。
やっぱりちゃんと訳語を決めようよ、ということで、「恋愛」という言葉が誕生した。
自分が言いたいのは、真意をどう汲み取るかというそういう苦労を今の翻訳家はしているのだろうか、ということです。

僕は、これもコピーライターの新しい仕事だと思ってます。
仕事として面白くはない。
もし依頼があったら、
(えー、メンドくさいなー、しかも大した稼ぎにならないしなー)
とか思うでしょう。
でも、誰かがしっかりやらないといけないものと考えるのであります。