CREATIVE ALLIANCE

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いま、自分はプチバブル状態にいます。
毎日のように新規案件の依頼が来ていて、基本的に仕事を選ぶことをしない自分ですが、そろそろそうも言っていられなくなりそうです。
依頼内容は非常に多彩で、通常の広告企画制作以外にも、若手クリエイターの育成、公募広告賞のアドバイス、社内ブランディング、エンタメコンテンツの監修、等々、クリエイティブディレクションとかコピーライティングとかいった幅で収まらない、いわば行間を埋めるようなものも多く「小霜さん以外に頼める人が考えつかなかった」とよく言われます。
「クリエイティブ・コンサルティング」を標榜しそこに軸足を移した作戦が当たった、と言えそうです。

1年前の今頃はこうではありませんでした。
長い入院から解放されたばかりで案件は2,3に激減し、身体も思うように動かず現場CDとしてやっていけるか不安を抱え、会社は赤字転落し銀行から多額の融資を受けていました。
業界内では「あの人はもう車椅子らしい」「もう仕事してないらしい」という噂も蔓延。
そこに来て経営パートナーから半年後に古巣の代理店に戻りたいと告げられました。
そうなると半年間は他代理店の受注を受けられないし、さらに血を流し続けることは明らか、そういった負債は自分が背負うことになるわけで、交換条件で支援策はないのかとその代理店に打診させたら「それはそっちの問題だろう」という伝言が戻って来ただけでした。

自分に残された選択肢は2つしかありませんでした。
1つは、引退。
渋谷の自宅を売っ払って会社も清算し、どこか郊外にでも引っ越して、広告業界とはオサラバしてのんびり暮らす。
もう1つは、新しいビジネスモデルで再チャレンジする。

2つめを選んだ僕が最初に相談した人がAOI Pro.の故藤原社長でした。
これからは自分が前面にガンガン出るんじゃなく、若い人を押し出す、スターにする手伝いをする、そんなポジションがいいんじゃないかと思ったんだけど、需要ありますかねえ、と聞いたら、それさ~、すっごくあると思いますよ~と、前のめりになってくれました。
そして思いがけず、
「じゃあさ~、うちと契約しようよ!」
と。
僕はこれで「いけそうだ」という自信を持った。
もしこの時「いや~どうかな~」と言われていたら、今頃僕は静岡の漁港あたりでぼんやり海を眺めていたかもしれません。

大手広告代理店が制作をインハウス化する中で、CMプロダクションは下請け発想だけでは今後縮むばかり。
広告主からの直発注も含め、自ら市場を開拓していかなければいけない。
そこに僕のような「手練れ」がいると、いろいろやりやすい、というのはあったでしょう。
ただ、彼は理屈できっちりとは考えてなかったでしょうね。
直感的に「とりあえずこれは押さえとこう」と思ったんじゃないでしょうか。

プロデューサー時代、彼は思いきったやり方で扱いを一気に増やし、社長に就任するや、誰もが驚く経営手腕でグループ全体を勢いづかせました。
いろんな人と会い、いろんな人を味方に引き入れ、その中に僕もいたわけです。

対談記事の打合せで年末に会ったのが藤原さんと会話した最後になりました。
正直言うと、僕はその時軽い嫉妬のようなものを感じていました。
なにしろ彼は全てを持っているのですよ。
あらゆる業界人からリスペクトされ、心身が気力にあふれていて、次の日の名古屋でのゴルフを楽しみにしてました。
「そういう人もいるんだよなあ」と。
僕は大病を乗り越えたものの、脚を少し不自由にするなど失ったものもありましたから。
次の日のゴルフで藤原さんはイーグルを出し、その次の日に身体が不調となり、病院でそのまま意識を失いました。

人生は不条理に満ちていて、時に人の理解を軽く超えてしまいます。
藤原さんの不幸をどう理解すればいいか、僕は医学上の意見も聞いたし、宗教上の意見も聞いたけど納得できる答えは得られていません。

この3月から中江さんの新体制が始まりました。
中江さんは藤原さんの直感経営を縁の下の力持ち的に実現化して来た人で、僕から見るとむしろこの人の方が経営者的ではあり、AOI Pro.の将来はしばらく安泰と思えます。
その新しい企業スローガンとステートメントを依頼されました。
企業スローガンは、企業の「動き」を生み出すものでなければならない、というのが僕の持論です。
AOI Pro.は、M&Aも含め多様な企業と合従連衡していくことで、新たなクリエイティブ市場を切り拓いていく、その方針、新ビジネスモデルを
「CREATIVE ALLIANCE」
という言葉で表現しました。
世界の広告会社のスローガンを100社ほどマッピングして俯瞰視したところ、この、連携を模索しながら新しいクリエイティブを生み出していく、という象限はポッカリ空いてたんですね。
時代を先取りできて、投資家に対しても有効だろうとと考えました。
飾りにせず、前に出していく言葉にするために、名刺でもかなり大きめに配置されています。
実際にビジネスシーンで役に立っているそうで、嬉しい限りです。
藤原さんは「クリエーティブ」に思いをすごく持っていて、「Creative Native」というスローガンを唱えていました。
その思いを引き継ぎ、発展させていく、という意もあります。
そこについてAOI Pro.側に否やのあるはずもありませんでした。

今日、藤原さん「お別れの会」に参列しました。
新高輪プリンスのその会場は、18年ほど前に僕らが結婚式を挙げたのと同じ崑崙でした。
「ありがとうございました」と頭を下げて来ました。