戦車マニアの「FURY」評。

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僕が戦車に興味を持ったのは小学生の時。
戦車の歴史のような本を読んだのがきっかけでした。

戦車というのは矛盾の塊なんですね。
こいつの本領は防御陣を突破する機動力にあるのですが、装甲を固くしたり装備する砲を大きくしたりすると重量で走れなくなる。
このバランスが難しいわけです。
なので、そこを解決するために、鉄板を斜めにしてみたり、丸くしてみたり、いろんなことをやって来た。
僕は子どもの頃、将来は三菱重工に入社して戦車を開発しようと夢見ながら田宮の模型を造っていたのです。
ちなみに今の戦車はどの国のものも同じような箱形ですが、これは鉄板と鉄板の間にクッションを挟むと貫通しにくいという、新しい装甲技術が普及したためです。

さてそんな私がブラピの戦車映画「FURY」を観て感じたことを述べます(注 ネタバレ)。
ちょっとこれは、いわゆる映画評とは異なりますよ。
戦車マニアのFURY評ですよ。

まず、細部へのこだわりは凄いものがあります。
脱帽です。
米軍戦車兵には護身用にグリースガンと呼ばれる折りたたみのサブマシンガンが配給されたのですが、ブラピだけがアサルトライフルを使ってました。
これは独軍のMP42という銃で、戦時中の最優秀と呼び声高いものです。
今世界に最も普及しているアサルトライフルはロシア製のAK47というものですが、これはもともとMP42のコピーです。
おそらくどこかで独兵の死体から手に入れたものを気に入って使っているという設定なのでしょうが、こういった、特に説明はしないがわかる人にはわかる、といったものが散りばめられてました。

「FURY」とは「怒り」という意味ですが、ブラピはなぜドイツ語がしゃべれて、なぜナチスに対してあれほどまでに激おこプンプン丸なのか?
おそらく元はドイツに住んでいて、ナチスに家族を殺されて、今は戦車が自分の家だ、ということなのでしょうが、そういったところを語らずに観客の想像に任せる、というのも気が利いていると感じました。

ただ、首をかしげる設定も多数。
そもそも、1945年4月、西部戦線であれほどの抵抗があったのか?
ソ連軍の乱暴狼藉がとんでもない、ということで、東部では決死の抵抗もあったようですが、降伏するなら米英軍にと、その頃西部では雪崩を打って投降してたはず。

これは絶対にあり得ない、という部分も。
映画の前半で防御ラインを攻撃するシーンがありましたけど、支援もなしに攻撃するのはどう考えてもあり得ません。
これでは旧日本軍のバンザイ突撃と変わらない。
西部戦線では空の支配権で連合軍が圧倒していたので、まず、空爆、あるいは砲撃で、敵陣地をボコボコの穴だらけにしてから戦車が進む、というやり方を普通にしていたはずです。

ティーガーに遭遇するシーンも同じですね。
いったん後退したら、まず無線で空軍の支援を要請しないと。
そしたらP47が雲霞のごとく群がってきて、ティーガー一巻の終わり。
逆の言い方をすれば、これができたから米軍戦車は装甲をさほど気にしなくてもよかったわけです。
ブラピ、焦って支援要請を忘れてしまったのでしょうか。

ティーガーの車長もかなりダメ指揮官ですね。
ミハエル・ヴィットマンの真似をして自分も勲章をもらおうと思ったのかもしれませんが、不意打ちするときは、指揮官車、あるいは長砲身車から狙うのがセオリーです。
なぜ短砲身のM4A3から先に撃つのか?

それと、あの近距離ならいかにティーガーと言えど真後ろまで回り込まなくても、側面からでもじゅうぶん貫通できると思いますよ。
ヴィットマンのティーガーもそれで撃破されてます。

また、戦車は防御に最も向かない兵器です。
「コンバット」ではサンダース軍曹、一人で独軍戦車をやっつけますからw
防御のために歩兵の随伴もなしに戦車だけを向かわせるというのはあり得ない。
歩兵だけで守ってるところに行かせたらとっくにいなくなってた…という設定ならまだわかるのですけど。
ブラピも、歩兵付けてくれよ!って言わなきゃ。

戦車マニアから言わせれば、この映画の結末は、支援要請は忘れるわ、歩兵は連れて行かないわ、というおバカなブラピの自爆、ということになりますが、戦争の凄惨さはじゅうぶんに伝わってくる内容でした。
アカデミー賞かどうかはわかりませんが、ノミネートはされるのでは。

客席はカップル多かったですね…。
女性は戦車好きの彼氏に付き合ってあげてるのでしょうか。
我が家では息子を誘うもブラピにも戦車にも興味ないと断られ、一人で観に行きましたが、ちょっとうらやましかったです。

映画館から出てイベント会場に直行。
200人のお客さん相手に出版記念セミナーしましたが、映画と現実のギャップたるや。
やっぱり平和っていいよなと、しみじみ。