2012年7月27日
by kossii
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「土用丑の日」というマーケティング

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鰻の旬は冬である。 冬眠に備えて秋から冬にかけて栄養を蓄えるから、鰻はその頃がうまく、夏はやせてしまって味も落ちる。 だから江戸時代まで、鰻は冬の食材であった。 その習慣を変えてしまったのが平賀源内だ。 あまりにも夏場に売れなくて困っているという鰻屋の悩みを聞いて、「夏こそ鰻」キャンペーンを展開した。 そのやり方は、マーケティングの基本に忠実だ。 USPとターゲットインサイトを結びつけた。 鰻のUSPは「栄養に富んでいる」。 ターゲットインサイトは、「夏バテしないものを食べたい」。 当時、「夏は『う』のつくものを食べるのが良い」という言い伝えがあり、夏場は梅干しや瓜がよく売れていたらしい。 彼はそこに乗っかるカタチで「丑の日にうなぎ」というコピーを書いた。 クリエイティブ・ジャンプをしたわけだ。 海外のマーケティング教科書で、「靴をはかないアフリカ原住民にどうやって靴を売るか」といったものがあるけども、それと同じことを、とっくの昔に実践してた人がいたってことだ。 僕が無料広告学校で教えていることも、つまりはこういうこと。 ところで鰻の値段が高騰していると報道されているけども、それは春までの話で、今は仕入れ値が下がって安くなっているらしい。

2012年6月29日
by kossii
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カンヌの妖力

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今年のカンヌの受賞作品をあらかた見た。日本勢で圧倒的に印象的だったのはProjectorの”Museum of me”かなあ。もしかすると僕の視点はズレてるかもしれないが。マスとネットの連携CMはどこに評価ポイントがあるのかわからない場合が多くて、悩ましい。 CM表現イッパツ的な、オールドスタイルで僕が最も楽しめたのは”Dads in briefs”だ。これはもう大好き。愛のレベル。嫉妬すら覚える。 http://www.youtube.com/watch?v=FwrZzk-45Jk カンヌとか、海外賞のCMを観て、俺もああいう長尺の面白いのがやりたいやりたいやりたいと、セックスにあこがれる男子高校生みたいなフンガー状態になっているクリエイターは無数にいると思う。でも”Dads in briefs”のようなCMに本当に商品を売る力があるか、そこは計算できているのだろうか。僕らは観客ではなくプレイヤーなのだ。カンヌはプレイヤーをただの観客にしてしまう妖力がある。魔女サッキュバスのように、プロをセックス妄想やりたいやりたい男子にしてしまう。だからカンヌには用心しないといけない。 いわゆる面白CMは、商品の差別点を表現していない場合が多い。CMの中で、この商品は競合に比べてこの点が違っていて…と言い出すと、観る方はとたんにシラケてしまう。エアコンの広告なら、暑い夏にはこれ!ぐらいのところで表現を作った方が、シンプルで強いものになるわけだ。”Dads in briefs”も、商品の内容は何一つ語っていない。ここにCMの大いなる矛盾がある。 “Dads in briefs”のようなCMが成立するには、唯一の条件が必要だ。それは、その商品が、「競合よりも店頭販売力がある」ってこと。ここは重要なポイントなので若手クリエイターはぜひ覚えていてほしい。つまり他よりも安いってことだ。ほっといても店頭で勝てるのなら、差別点無視の面白CMは成立する。もしも商品が高ければ、結局、店頭で競合にひっくり返されてしまう。CMは無駄になる。 残念ながら、僕らが扱うのはメイド・イン・ジャパン製品ばかりで、高いのだ。日本製品はグローバルでも、もはや日本国内でも店頭で負け始めている。ロス市内の家電店でソニーのTVを置いているところはほとんどなく、マニア向けの店に限られるという。そのうち国内の量販店も中韓製品ばかりであふれかえるかもしれない。 コモディティ化が進みきった製品群の、僅かしかない差別点を最大に魅力化するという、野暮で理屈っぽい作業から僕らは当面逃げることはできないだろう。今のところ日本メーカーが生き残る道はそこしかないからだ。それでいてCMは強く、明るく、できるだけクレーマーの標的にならないように!という、ぜんぜん面白くない姿勢で臨まないといけない。でもそれがプロということだし、海外のクリエイターにはできないことだと思う。

2012年6月27日
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「獲ったもん勝ち」禁止。

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政局報道を観てていつも感じるのが、広告代理店と政党って似てるな-ってこと。競合プレゼンの際に広告代理店が提案するのは「クライアントにとって良いと信じる案」でない場合が多い。ほとんどが、「クライアントが選びやすい案」だ。獲ること優先。その案で本当に商品が売れるかどうか、キャンペーンが成功するかどうかは二の次となっていたりする。仕方のない話ではある。広告業界もサバイバル時代に突入していて、まず競合に勝たなければ生き残っていけない。悲しいがそれが現実としてある。それに、ゼロベースで耳を傾けるクライアントはどんどん少なくなって、だいたいが競合にした時点ですでにこうと思い込んでしまっている。だから自ずと情報を聞き出して「合わせる」プレゼンになってしまう。まあ、全部が全部そうではないし、素直に商品のヒットを目指して提案したものがスルッと選ばれる場合もある。僕みたいなフリーのCDは、代理店のために競合を獲らないといけないし、クライアントのために商品をヒットさせないといけないしと、ダブルの責を負わされていて、そのあたりのバランス取りがなかなか難しい。いろんな事情が絡み合って、勝ったり負けたりしている中で、なんであんなのが選ばれるんだ?とがっくり来ることは多々あるが、皆必死でやっていることだから文句は言うまいと思っている。 ただ、「獲り方」にも越えてはいけない一線はあるはずだ。明らかなウソをついて獲る、というのは業界に不信の種をまく御法度のやり方だろう。以前、こんなケースがあった。新規のクライアントなのに、予算がでかい。数十億のキャンペーン。僕はかなりいいプレゼンをしたつもりだが、クライアント内で投票となり、1票差で破れた。後日、勝った他店の提案物を見せてもらう機会があって、びっくりした。ちょっと広告をやっていたらこんなのありえないってわかるだろ、という提案のオンパレード。米国のビッグアーチストがその商品のベタベタ応援ソングを作って歌ってたり、石原都知事が新聞紙上で応援演説をしたりしていた。クライアントの中でも、こんなことできるのか、と訝しんだ人はいたらしいが、あの代理店ができると言うんだからできるんじゃないか、ということで決まったそうだ。もちろん、そんなもの不可能に決まっている。しかし、だまされたと気づいたとしても、競合プレゼンやり直しとはならないのだ…。 こんな「獲ったもん勝ち」がまかり通っちゃう広告業界。でもこれを咎めるにも難しいものがあるだろう。だって、お上だって同じことをやってるからだ。 昨日の消費増税はいったい何だろうか。増税しない、埋蔵金でオッケー、と約束して民主党は選挙に勝ったはず。「国民にとって良いと信じる案」ではなく「国民が選びやすい案」を提案して与党を獲り、後からやっぱり無理でした、がきっちりまかり通っている。マニフェストとは何だったのか。比例代表制の意味はどこにあるんだろうか。まさに獲ったもの勝ち、そのもの。 獲った者には獲ったことの責任が生じるはず。約束した内容は、4年間ギリギリまで守り続けないとダメだろう。それでうまくいかなければ、無理なマニフェストを選んだ国民の責任ということにもなる。政治を見る目も育って、重ねるごとに意味のある選挙になっていくだろう。約束したことができないのなら、もう一度マニフェストを作り直して解散総選挙だ。当たり前だ。都知事を広告に引っ張り出す約束を果たせなかった代理店は辞退すべきだろう。当たり前だ。日本の最高意思決定機関がでたらめをやるから、民間もでたらめを見ならうんじゃあないのか。

2012年6月17日
by kossii
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コピーライターにお薦めの本

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コピーライター志望の若い人たちから「どういう本を読んだらいいか」と訊かれることが多いので、いくつか推薦しようと思う。 最近の僕の実感では、「キャッチコピーしか書けない」若い人がとにかく多い。前回のブログでも書いたけど、商品の価値をしっかり表現し、ターゲットの気持ちにきちんと届ける「商品コピー」をどう書くか、ということがわからない。コピーライターは、まず、チラシ、パンフレット、商品POPなど、売りの現場に最も近いところにあるコピーを書けないといけない。マス広告のキャッチコピーは文字通り、ただの掴みでしかない。購入というアクションにどうつなげるか、そっちのコピーを書けることこそがコピーライターの力量であって、それができないと仕事は来ないと考えておいた方がいい。そこで僕が若い人たちにお勧めしたいのが、 「ザ・コピーライティング」(ジョン・ケーブル)http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E2%80%95%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%B4%E7%B7%9A%E3%81%AB%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%82%8B%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%BA/dp/4478004536/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1339900568&sr=1-1 通販コピーの神様のような人がコピーの書き方についてまとめた本。初版は80年前に出版されたもので内容は相当古いが、今でも勉強になる部分はかなりある。日本のコピーを集めたいわゆる「ベストコピー集」のような本は、単にレトリックが面白いというだけのものもかなり混ざっている。「コピーで売る」ということの本質が知りたいのなら、こういう本の方がはるかに役立つと思う。 それから、 「新・名作コピー読本」(鈴木康之)http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%83%BB%E5%90%8D%E4%BD%9C%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E8%AA%AD%E6%9C%AC-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E5%BA%B7%E4%B9%8B/dp/4416787537/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1339901693&sr=1-1 コピーライターの実力はボディコピーに現れると言われるが、この本は過去の優れたボディコピーを集めたもの。僕は、うまいボディコピーは音楽に似たところがあると思っている。イントロがあって、AメロBメロがあって、サビがある。全体を通じた心地よいリズム感で読者を気持ちよく、その世界に浸らせる。TVCMも新聞広告でも何でもそうだけど、広告はそれを観たり読んだりする人がしんどいと思うようなものであってはいけない。読者を広告に心地よく引き入れる技術とはどういうものなのかがよくわかると思う。 ちょっと毛色が違うけども、じっさいにコピーを書く時のネタ本として、 「売るコピー39の型」(有田憲史)http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%A3%B2%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC39%E3%81%AE%E5%9E%8B-%E6%9C%89%E7%94%B0-%E6%86%B2%E5%8F%B2/dp/4798116696/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1339902243&sr=1-1 「バカ売れキーワード1000」(堀田博和)http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%82%AB%E5%A3%B2%E3%82%8C%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%891000-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%8D%9A%E5%92%8C/dp/4806133809/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1339903627&sr=1-1 これらはマス広告と言うよりも販促コピーのネタ集。こういった本はプロではなくお店の人や中小企業の販促部など、素人をターゲットに想定しているのだろうが馬鹿にしたものでもない。そのまま引用するだけでもコピーとしてカタチになるし、発想の刺激にもなる。自分の狭い引き出しでちょろっと考えてすぐ降参、みたいなコピーライターよりも、こういう本からのパクリでも何でもあらゆる可能性を試してくるコピーライターの方が使えるし実力も上がっていくと思う。 コピーを書く時に直接参考になるわけではないけども、この本は読んでおいて損はない。 「影響力の武器」(ロバート・B・チャルディーニ)http://www.amazon.co.jp/%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E5%8A%9B%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%99%A8-%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%89%88-%E2%80%95%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%81%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBB%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8B/dp/4414304164 僕は10年ほど前にこの本に出会って、仕事観が変わるほどの衝撃を受けた。人は、無意識に影響を与えたり受けたりしている。たとえばギフトを贈る時、それが純粋な好意からのものだったとしても、相手はそれに影響を受け、心は拘束されてしまう。セールスも、宗教勧誘も、詐欺も、そういう無意識の影響を意識化して手法にしたものだ。広告もしかり。ただ、広告は、商品でターゲットを幸福にできると信じられるから悪徳業者と(ギリギリのところで)いっしょにならずにすんでいるのだろうと思う。 そして、もう言わずもがなだけど、マストバイの一冊。 「欲しいほしいホシイ」(小霜和也)http://www.amazon.co.jp/%E6%AC%B2%E3%81%97%E3%81%84-%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84-%E3%83%9B%E3%82%B7%E3%82%A4%E2%94%80%E2%94%80-%E3%83%92%E3%83%88%E3%81%AE%E6%9C%AC%E8%83%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E5%BA%83%E5%91%8A%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F%E3%81%A8-%E5%B0%8F%E9%9C%9C%E5%92%8C%E4%B9%9F/dp/4844328719/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1339904948&sr=1-1 「影響力の武器」以降、ノーベル賞を獲った行動経済学など、人の不合理な経済活動に焦点を当てることがブームになった。が、それらはある種の統計学であって、なぜ人は不合理なのかまでは解き明かしていなかった。その鍵となるのが進化心理学だ。人の心理はサバンナで暮らしていた狩猟採集時代に作られている。それが今も残っているから、現代社会との歪みが起きてしまう。そこを押さえていれば自分たちが何者なのか、広告で人を動かすとはどういうことなのかが根っこの部分からわかると思い、本にまとめてみた。

2012年6月11日
by kossii
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コピーを書く態度

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np.無料広告学校の第五期が始まった。今期は過去の講義録を読み、その厳しさをわかった上で応募して来ている人たちばかりだから例年より質が高い気がする。しかし広告の基本的なストラテジーを考えさせてみると、詳しく解説していたにもかかわらず、ほとんどが腰砕け状態。うちの事務所の新人にしてもほぼ例外なくそうだけど、巷のコピー塾や広告学校出身でちょっと広告の匂いをかいだ人ほど、広告について間違った認識を持っている。商品USPやターゲットインサイトという言葉すら知らない、ぐらいではもう驚かなくなったが、広告表現に臨む姿勢についても変な理解をしている。ゴルフを始める時はちゃんとしたプロに習えという話を聞いた。いいかげんな人に教わると、まちがった癖がついてしまって後から大変なことになると。それに近い印象がある。さらにどうしようもないのは、就職してから上司の指示を馬鹿にする人。あるエージェンシーのコピーライターが嘆いてたけど、「あなたはコピーを見る目がない。僕のコピーは○○学校で○○さんにほめられたんですからね」と啖呵を切ってやめていった部下がいたそうだ。ほんとうに愚かとしか言いようがない。まあそういう勘違いな人は置いといて。ここはひとつ、np.広告学校の受講生、np.の新人、実践的な広告クリエイティブ力をちゃんと身につけたいと思っている若者たちのために、広告コピーや企画を考える時にどういう態度であるべきかを書いてみようと思う。 ・商品コピーを書け。 と言うと、は?そんなんあたりまえじゃないか、と思うかもしれない。しかし君たちのほとんどは商品コピーが書けない。仮にドコモXperiaのコピーを書く、という仕事があったとしよう。僕が若いコピーライターにそういう仕事を振ったとすると、だいたいは「ケータイ」、良くて「スマホ」のコピーを書いてくる。「ケータイ」「スマホ」は商品じゃない。商品「カテゴリー」だ。巷のコピー塾では「ケータイのコピーを書け」などといった課題を出すようだが、実践ではカテゴリーのコピーを書く仕事などない。そんなふうに教わり、それがコピーというものと誤解している人たちは商品コピーがさっぱり書けない。何をどう考えればいいかわからず、ぽかーんなのである。可哀想でもある。僕が博報堂に入社してすぐにやらされた仕事の一つは、カタログだった。オリンパスのピカソというコンパクトカメラのシリーズがあって、そのカタログのコピーを全部書いた。機能を全部洗い出して、どれが重要か順位を付けて、それぞれの機能がわかりやすく楽しく伝わるようにボディコピーを書く。今、こういう仕事はクリエイティブがやらなくなった。だから商品をきちんと見るということをコピーライターができなくなっている。XperiaもiPhoneも同じ「スマホ」でしょ、オリンパスもニコンも同じ「カメラ」でしょ、と言った態度はクライアントの想いを無下にしているにも等しい。カテゴリーではなく商品に敬意を払い、その魅力をきちんとつかむことが第一歩だ。 ・先に競合商品を調べろ。 USP(Unique Selling Proposition)を考えるように、と言うと、単にその商品の「特徴」を書いてくる人が多い。たとえばXperiaのUSPは、「通話ができること」や「メールできること」ではない。USPはその商品の「売りポイント」であるとよく言われるが、「Unique」の意味はあくまで競合商品に対しての独自性ということだ。だから、その商品のUSPを考える前にやるべきことは、「競合商品の魅力を調べる」ことだ。これがわかっていないコピーライターも実に多い。iPhoneを競合と考えるならば、まずその魅力を調べる。いったいどのポイントで売れているのか。そしてそれに比べてどういう優位性があるのかを考えながら、Xperiaの機能を理解する。そういう順番だ。また、その競合が強いのか弱いのか、今の勢力図を把握する。そして競合は同じカテゴリーのものだけとは限らない。意外なものが敵になっている可能性もあるだろう。今、真の敵と考えるべきはいったい何なのか。それによってUSPも変わってくる。まず競合の魅力や勢力図を把握しておくことによって、自分が扱っている商品の本当の価値が見えてくるわけだ。 ・ターゲットになりきる。 たとえばアンチエイジング化粧品のコピーを書いたとして、20代女性に「おもしろいじゃん」と褒められても、50代女性から「よくわからない」と言われるのではそれは全く無価値だ。あたりまえのことだけど、そのあたりまえが理解できないコピーライターも多い。さっきUSPの話をしたけども、その優位性は、あるターゲットが自分にとって価値があると感じてくれなければ成立しない。コピーを書く時に、自分が面白い、あるいはコピー塾の先生に面白いと言ってもらえそう、などといった基準は一切捨てることだ。50代女性に向けたコピーを書くならば、今のその年代の女性がどういうことを感じ、考えているのか、そこにまず浸ってみる。ネットの書き込みを読んでみる、知り合いにいるのならば直接話してみる。僕は座談会を設けてもらったりすることもある。そして、その人になりきってみる。役者のように。優れた役者はその役に人格ごとなりきると言う。その役に没頭している最中は日常の人格も変わったりするらしい。沢尻エリカはへルタースケルターでおかしくなっちゃったそうだが、頷ける話だ。コピーライターも、ターゲットになりきってコピーを書いてみる。その人が朝、旦那を送り出した後、さてスーパーのお買い得は何かなとか思いながら新聞を開いてチラシを取り出す。パラパラめくっていくと、そこに化粧品のコピーがある。なぜかふと目が止まる。新しいアンチエイジングか。今まで使ってたのはいまいちだったけど、これは試す価値があるかも、と一瞬で感じる。そういう状景を頭の中に思い描け。そして、そのためにコピーはどうあればいいかという基準を持つことだ。 ・すぐカタチにしない。 人は「わからない」という状況に耐えられない。江戸時代、地震がなぜ起こるのかわからなかった。誰かが「でっかいナマズが地面の下で暴れてるんだ」と言い出して、それにちがいない、という話になった。人はそんなふうに、わからないことを何でもいいからすぐカタチにしたがる。苦しいからだ。そしていったんカタチになってしまうと、それを否定したり壊すのは難しい。すぐにコピーを書く、すぐにCMコンテを書く、そしてこれでいいやと安心している。そんなことではプロとしてお金をもらう資格がない。わからない苦しさに果敢に立ち向かっていくことに広告クリエイターとしての価値と矜持がある。できる限り頭の中でもやもやさせて、なるべく決めないで、最後のぎりぎりにカタチにするのがいい。コピーの場合、理解あるクライアントならCMなら仮編集、刷り物なら入稿まで待ってくれるだろう。僕の場合プレイステーションがそうだった。それに、いいアイデアを生み出すのは意識ではなく無意識だ。だから、基本的には2回考えること。最初に考えて、あと数日間はちょっと気にしながら放っておく。そうすると意識の奥でアイデアが醸成される。もう一度考えると、自分でも予想していなかった斬新なアイデアが出て来たりする。 ・机で考えない。 机から全く動かずその場だけで考えるコピーライターがいるが、話にならない。僕の事務所ではあえてコピーライターに机を与えていない。頭でいくらストラテ ジーや表現を考えても、それは小手先、無力な空理空論だ。まず売り場に行くこと。コンビニ商品なら棚落ちしているのか、何列もフェースを取っているのかで その店のプッシュ度がわかる。デバイスな ら量販の売り場に行くと何が売れているのか一目瞭然だ。新発売前でも売り場に行く意味はある。その棚に商品が入ったらどう見えるかがイメージできるから だ。店員にその商品のことを聞いてみるのもいいだろう。そこには思ってもいなかった発見があったりする。そして、飲料なら飲んでみる、デバイスなら使って みる、クルマなら試乗してみる。味、手触り、重量感、時代の後押し感、そういったものを自分の体内に取り入れないといけない。そして、みんながいろんな商 品を使っている街の空気の中でコピーを考えるのだ。クリエイティブの最後は直感がモノを言う。脳内シミュレーションだけではその直感は確信に至らず妄想や ご都合にとどまってしまう。 ・クライアントに敬意を。 クライアントのオリエンが終わるや「こんなの売れないですよねー」と、小馬鹿にしたような言い方をする人がいる。君に何がわかる?「自分が広告のことを教えてあげよう」という態度でクライアントに臨む若造。何様だ。「教えてください」だろ。クライアントはその商品について僕らより何倍も知見がある。その専門性において僕らは足下にも及ばないのだ。彼らの辿り着いた結論がそのオリエンならば、敬意を持って受け取らないといけない。それは言われた通りにやる、ということじゃない。売れれば何でもいいという態度でもいけない。企業努力を無にするなということ。オリエンに対して、予想外の案を提出するというのは構わないと思う。でもそれは、彼らの努力が生きるものでないといけない。そして僕らはクライアントに対して、スペシャリストでなくゼネラリストであるべきだ。いまの社会について幅広い知識や問題意識を持っていること。ユニクロの柳井さんは「CDは今の時代のことを教えてくれればいい」とおっしゃったとか。クライアントの持っていない、違う視点を提供してあげるのが僕らの大事な役割の一つだ。

2012年5月31日
by kossii
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CMって。

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つい一昨日広告電通賞の発表があり、リーボックZIG-TECHのCMがファッション・流通部門の最優秀賞をいただいた。早朝にゴミ出しをしようと出て来た伊藤英明に悪ガキどもの蹴った缶が当たりそうになる。笑われた伊藤英明は怒って追いかけるが、たまたまZIG-TECHをはいていたために走るのが気持ちよくなって、そのまま恍惚の表情で追い越していく。そういうストーリー。興味のある方はリーボックジャパンの公式サイトで観てほしい。 このCM、じつは撮影の前日にかなりのドタバタがあった。その話をちょっとしてみよう。問題はないだろう。もともとの企画は、日中、小学生の悪ガキが家の塀に落書きをしているのを見つけた家人の伊藤英明が見つけて追いかける、というものだった。しかし、そんなことで子どもを追いかけるのでは伊藤英明が大人げなく見え過ぎるんじゃないかという監督の意見で、不良たちがシャッターにスプレーで落書きしているという内容に変更することになった。僕はいったん納得したものの、オールスタッフミーティングでロケハンの画像などを見ているうちに、「ちょっとこれはヤバいぞ」と感じだした。あまりにも社会悪が生々しく描かれすぎていて、不快感の残るCMになるんじゃないかと。リーボックにクレームが入ったりすると迷惑がかかってしまう。それは絶対に避けたい。それで僕はCDとして内容をさらに変更することにした。故意ではなくアクシデントでクルマを壊してしまうとか、ソフトクリームがくっついてしまうとか、嫌な感じのし過ぎないシチュエーションをみんなであれこれ考えた。だが、どれも怒って追いかけるほどの理由にならない。納得性が弱い。また、設定に秒数が取られすぎてもいけない。朝まで考えて、結局、スプレーで落書きしようとしているところを伊藤英明に見つけられた、ということにした。それならまだ犯行前だから許されるだろうと。 ところが撮影日前日の夕方、突然「局考査に通らない」という連絡が来た。撮影日前日の夕方に!「じっさいに落書きをしてなくても十分に社会悪を想起させる」というのが理由だった。通常、局考査の結果がこんなタイミングで来ることはない。遅くとも撮影の一週間ぐらい前から「危なそうだ」といった連絡は来るはずで、なぜこんなことになったかは不明だ。大ピンチ。真っ青。しかしここで奇跡が起きる。天気予報が変わって次の日が雨、その次の日の天気予備日が晴れる可能性が高くなり、撮影が一日延びたのだ。企画を修正して、局とタレント事務所に確認を取るための貴重な一日を神様が与えてくれた。リーボックからは「とにかくまかせる」と。「何とかします」とだけ伝えた。 その日の夜スタッフを収集し、すぐに新しいコンテを作った。僕が考えたのは、居酒屋で酔っ払った女性客たちがケータイを忘れたのに気づいた店員の伊藤英明が、「忘れ物ですよー!」と言って追いかけるのだが、そのまま追い越してしまうというもの。夜中だったがロケ現場付近まで葵プロモーションのPMにタクシーで走ってもらい、協力してくれる居酒屋を見つけた。 次の日の朝、リーボックの了解も取り付けこれで一安心と思ったのもつかの間、まさかのタレント事務所NG。キャスティング担当者の伝え方が雑だったりヘタだったりした場合、タレントのマネージャーがへそを曲げるということはよくある。最初はそれを疑った。リーボックの担当者に僕らの事務所までご足労願って、企画変更の理由を書いたお手紙を送り、その場からキャスティングの担当者を介してリアルタイムでタレント事務所と交渉することにした。が、NGの理由は納得のいくものだった。伊藤英明は数日前から役作りをしている。怒りが恍惚の表情に変わる練習をしている。新しい企画だと、焦りから恍惚に変わるわけだが、その表情の練習をするには彼にとってはさらに数日の時間が必要で、明日の撮影には間に合わないのだと。なるほど!確かにそれが役者というものだろう。非常に失礼なことをしていたと反省した。僕は30分時間くださいと言って近所のカフェに行き、ノートPCで字コンテを3つ書いた。それを送って、1つを選んでもらった。その企画が悪ガキが缶を蹴っ飛ばすというものだ。すでに午後になっていたがそれからすぐ局考査にかけてもらい、夕方にOKをもらう。夜、監督以下のスタッフを招集し、演出プランを詰める。そして撮影に臨んだ。ラストカットから先に撮ったが、伊藤さんは一発で最高の表情を決めてくれた。 CMのオンエアを開始するとあちこちで評判になり、CMデータバンクの人によれば歴代CMの好感度50位に入っているとか。しかし、もしかすると、と思う。あのタイミングで局考査に引っかからず、元の企画のまま進んでいたらどうだったろうか?次に考えた企画でもしタレントサイドのOKが出ていたら?もっと面白いものになっていただろうか。リーボックの方々がゆったり構えていてくださったことにも大いに助けられたが、そんなクライアントは少ないだろう。CMは、いろんな偶然が重なってできていく。自信満々で撮影に臨んだのが編集室で絶望に陥ることもあれば、撮影前日はもうダメだ…とスタッフ皆で途方に暮れていたのが賞をいただいたりする。 一つ言えるのは、監督の佐藤涉君は何かを「持っている」と思う。これからさらにメジャーになること間違いなしだ。

2012年5月8日
by kossii
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np.広告学校を受講する方たちに

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クリエイティブ作業とは、マラソンのようなものだ。そうイメージしといてほしい。肌に汗はかかないが、脳に汗をかく。身体は苦しくないがアタマが苦しい。 クリエイティブ作業がマラソンと異なるのは、ゴールを自分で見つけなきゃいけないってところだ。苦しみに耐えて走り抜いたら誰でもゴールにたどり着けるってわけじゃない。宝探し競争と表現する方が正しいかもしれない。ゴールが見えない分、どんな宝が見つかるかわからない分、精神的にしんどい。懸命に走っても何も見つけられないこともある。タフじゃないとやってられない。ものすごく才能に恵まれているのに、精神的な弱さで業界を去って行ったクリエイターは何人もいる。そんなしんどい仕事、泥にまみれた仕事だからこそクリエイティブはお金になる。決して美しい仕事じゃない。np.無料広告学校は実践的広告クリエイティブを教える場だ。だからそんなところからクリエイティブ作業というものを実感させていくのが基本スタンスだ。 課題を出すと、受講生たちが提出してくる企画案・コピー案はだいたい4パターンに分かれる。 まず、ちょっと考えただけの思いつきがそのままカタチになっている案。宝探し競争にたとえると、100メートルぐらい走ったところで「みつけたー!」と叫んでいるようなもの。これはプロとして論外。君は何かを見つけたのかもしれないが、誰でも見つけられるものに金を払う人などいない。これではそもそも商売にならないのだ。でも不思議なことに、クリエイターと肩書きのついた人のほとんどが(残念ながらnp.の社員も含め)、こういう案を堂々と提出してくる。100メートルしか走りたくない人はプロではなく生活保護を受ける人生を選ぶべきだ。 次に、走るには走ったが息切れしてそこをゴールとしてしまう。あるいはゴールだと思い込む。そういう案。クリエイティブ作業はマラソンと違って走り続ける必要はない。途中で休んだってかまわない。大事なことは、そこが本当にゴールなのか、そこに転がっているものが本当に宝物なのか、疑う姿勢だ。どうも違うんじゃないか、と思ったら、しばらく休んでまた走り出す。すると、思いもかけないものが見つかったりする。人は潜在意識でアイデアを考えるから、最初にがーっと考えて、何日か休んでからまた考え出すとパッといいアイデアがひらめいたりする。月曜に課題が出たら、まず火曜日に集中して考えてみる。そしてまた週末にもう一度考える。そういうパターンを身につけてほしい。一夜漬けで考えた企画かどうかは見ればすぐにわかる。 そして、正しい道順をたどり、価値の高い宝をみつけた案。そもそもクリエイティブの価値とは何なのか?僕は単純に、それに高いお金を払ってまでも買ってくれる企業があるかどうかだと思ってる。どんなものがただの自己満足で、どんなものなら提案する価値があるのか。そこも教えていきたい。 最後に、あえて正しい道順をたどろうとせず、わざわざ脇道へ入っていく。あるいはせっかく宝物を見つけているにもかかわらずそれをわざわざ捨てて、しょうもないものを拾ってくる、そういう案。これは広告学校やコピー塾を下手に卒業した人に多い。「ひねり」がないといけないと思い込んでいる。コピーを意図的にわかりにくくしたりする。「このコピーにはこういう意味が裏にありまして…」とか言う。パズルか!広告など誰も見たくないのだ。そういう前提に立たないといけない。だから瞬時に興味をひく、概要が理解できる、そういうものでないといけない。広告を出稿すれば誰もが時間をかけて吟味してくれる、そんな前提は学校の中にしかない。でも、間違った教えに感化された人は、なかなか治らない。一年かけても全く成長のない人がたまにいるけども、このパターンに陥ってる人が多い。 np.広告学校ではCMについては教えない。広告発想の基本を教えながら、具体的にはグラフィック広告を作っていく。日本の広告宣伝費の内訳を見ると大手広告代理店のシェアが圧倒的だけども、広告クリエイティブで生計を立てている人の大部分はCMなどには縁がないだろう。街の美容院のリーフレットを作ったり、パチンコ屋さんのチラシを作ったりして生活している人たちがほとんどだと思う。たとえば街の美容院から店内ポスターを作ってくれと頼まれた。いったいどこから考えるべきか。僕なら、まずそのポスターの目的を聞く。あるいは目的を作る。ただの装飾なのか、お客のリピーター化に寄与させるのか、口コミのネタを狙うのか、etc.。美容院の見込み客、ターゲットは誰なのかを考える。住宅街に立地しているなら付近の住民だろう。ターミナル駅の近くなら、遠くの人も狙えるかもしれない。そしてその美容院に「売り」はあるのか、なければ作れるのか。そういったことを検討した上で、表現として最後にカタチにしていく。どんな仕事でも正しく企画できる脳みそに鍛えていきたい。もちろんこういったシミュレーションはCMにだって役に立つ。広告発想、考える筋道は予算何十億の大キャンペーンも店頭ポスターも根は同じだから。 np.広告学校では受講生同士のつながりを大事にしてほしい。広告を学ぶためには、その前に、人を、世の中を学ぶ必要がある。だから受講生はできるだけいろんな職業、いろんなポジションの人をちりばめるようにしている。僕らが学校をやっている大きな理由も「はあ-、いまの若いヤツらってこんなこと考えてんだ」を実感するところにある。教えながら僕らも学んでるってわけだ。 互いにとって、毎週毎週、夜がふさがるのは時間的にかなりの負担だ。最も恐ろしいのは、1年かけたにもかかわらず受講生が何も成長しないこと。これは僕らの問題というよりは本人たちの意識の問題が大きい。驚くべきことに、マラソンの走り方について講義を受ければ走れるようになると思っている人は意外に多い。そんな馬鹿な話はない。自分で走って苦しむ以外に成長などない。そういう意識でいてほしい。1年を無駄にしないでください。

2012年4月22日
by kossii
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仕事を選ぶな人を選べ

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もうずいぶん前、博報堂でコピーライターをしてた頃、ある営業さんが新しい仕事を持ってきた。それは「はがき」だった。化粧品会社のエスティローダーが顧客に送るはがきのコピーを書いてくれというもの。仕掛けのある凝ったDMとかそういうものでもない、ただの官製はがき。当時博報堂はエスティローダーの扱いが全くなく、その営業さんが個人的なつてを利用してようやくそのはがきの仕事をもらってきた。僕はなんじゃその仕事はとやや呆れながらも受けることにした。周囲には「そんなの適当にやれよー」という人もいたが、受けたからにははがきであれ新聞15段であれ頭の使い方は変わらない。先輩ADといっしょに3案ほどラフを作った。それをボード張りしてプレゼンした。手のひらサイズのちっこいボードを並べながら「A、B、C、3案ございまして…」というプレゼンはなんだかギャグのようだったが、得意先は感激したらしい。それがきっかけで大きな競合プレゼンに参加することになった。「Fruition」という画期的な美容液。新聞を中心としたキャンペーンで100万個のサンプルを配りたいと言う。「このクーポンであなたの肌を新品に取り替えよう」というコンセプトでプレゼンしたら、それもたいへん感激されたようで、博報堂は初めて大きな扱いを獲れた。「Fruition」は爆発的に売れ、その後、僕は「Advanced night repair」「Beginner’s kit」はじめエスティローダーの主力商品のほとんどを任されるようになった。当時のマーケティング本部長の素敵なオバサン(失礼)とは今も親しく友人づきあいをさせていただいている。 大きなキャンペーンを任された時、TVCMばかり力を入れて販促物などは外部にぶん投げ、といったやり方をするCDは多い。僕は逆に店頭のPOPとか、そういう小さいものほど力を入れる。空中戦・地上戦などという言い方もあるが、商品によってはTVよりも店頭やチラシの方が重要なものも多いからだ。それに、そういう仕事をきちんとやることが信用になる。 ネットで若い人たちに対して「仕事は選べ、やりたい仕事だけやれ」という人がいる。その真意は僕にはよくわからないが、誰かから頼まれた仕事を選んではいけない。いや、選びようがない。ある人が重要な仕事を持っていたとして、それを見も知らぬ若造に託すだろうか?仕事は定食屋で食べたいメニューだけ選ぶようなわけにはいかない。新人はもちろん、僕のようなロートルであろうと、むしろ誰もやりたくないような仕事を進んでやるべきだ。発注主はそこのところがよくわかっているし、よく見ている。小さな仕事、嫌な仕事を手を抜かずにやってくれる人ほど大事にしてくれる。それが次の大きな仕事、魅力的な仕事につながっていく。つまり信用ができる。 「仕事を選ぶ」という意味が、発注主に迷惑をかけないよう自信の持てる仕事だけやる、などという意味ならまだわかる。もし楽しい楽しくない、あるいは仕事が重要かそうでないか、などという自分目線で仕事を選ぶのなら、そんな人を誰が信用するだろうか。特に僕らのようなクライアント商売の業界は「信用」が非常に重要だ。エージェンシーは決められた納期とクオリティを死んでも守らないといけない。だから広告はTV番組や雑誌編集よりも費用と時間のかかるコンテンツなのだ。途中で仕事に文句を言い出して降りてしまうとか、いい加減な仕事しかしないとか、自分でやると言っておきながら誰かに任せるとか、そういう人にエージェンシーは仕事出さない。普段から仕事してたり、紹介されたり、ある程度名前が売れていたりなど、信用のおける人間にしか仕事はなかなか発注されない。 もちろん発注主によっては、小さい仕事、安い仕事、嫌な仕事をにこにこやっていると、これは都合いいとばかりになめてかかってくる人もいるだろう。そういう人物とは縁を切れば良い。残念ながら、こちらの信用を平気で裏切るような人物はいる。そういう人と付き合いを続けてもろくなことにはならない。でもエスティローダーはそうじゃなかった。そして、たいていの発注主もそうじゃない。相手の心意気を高く評価する。 若い人、フリーの人、これからの人たちは、仕事を選ぶんじゃなく、人を選ぶ姿勢であるべきだ。この人にくっついていれば自分は成長できる、いろんな人脈ができる、夢が見られる、そういう人の仕事ならどんだけひどい仕事でも笑顔で引き受けるべきだと思う。

2012年4月19日
by kossii
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「板」か「テーブル」か

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いま、あなたは自宅の、あるいはオフィスのPCでこのブログを見ているだろうか。あるいはカフェでスマホやタブレットで見ているだろうか。だとしたら、目の前に木やガラス、ステンレスの「板」があると思う。それは一般的には「テーブル」あるいは「デスク」などと呼ばれたりもするはずだ。その、「板」と「テーブル」の違いは何だろうか。 その違いは、価値だ。板は売れない。たいした価値がない。しかし、誰かがそれを「テーブル」と呼んだ瞬間、1万円になったり10万円になったりする。人間が、「テーブル」という意味づけをすることで初めて、ただの板は価値を持つようになるわけだ。 価値というものは、人間がどういう意味づけをするかによって決まる。たとえば宝石。こんなものは何の実用性もない。ただ光の透過性が高くて数が少ないというだけのものだ。でも、それを身につけることでその人のステータスがわかる、という意味を持ったり、女性に贈る時に男性の愛情を測ることができる、という意味を持つことによって、何万円、何億円という価値が付加されるわけだ。 そして広告がやっているのは、まさにその意味づけによってモノに価値を付加しようということ。コンビニに行くと、いろんな種類の飲料が並んでいる。のどを潤すだけなら水道水で十分なのに、お茶だけでもいろんな銘柄を取り揃えている。なぜか?それは、僕らが飲料を飲む時、その飲料が持つ「気分」もいっしょにカラダに入れているからだ。チャレンジングな気分、ホッとする気分、本物の気分、馬鹿げた気分、未来的な気分、子供っぽい気分、天然な気分、コンビニにはいろんな種類の気分が並んでいるというわけだ。飲料という商品は、液体+気分で成り立っている。その気分という価値をくっつけているのは広告なのだ。自動車もそう。自動車のラインナップは、その自動車に乗ることの意味のラインナップだ。そして、その意味を作っているのは広告だ。 ツイッターで僕の広告学校の卒業生が、「広告やってても商品変えることはできないし」みたいな愚痴を言っていた。言いたいことはわかる。しかし、広告と商品が別物と思っているとしたら、その考え方は間違っている。広告は商品の一部なのである。飲料で言えば、ぶっちゃけどのメーカーのものも味に決定的な違いはない。だから、広告でどんな気分をくっつけるかによって価値が大きく変わってくる。むしろ広告が商品の大部分であると言っても過言ではないかもしれない。CMがヒットして商品が売れた、というのはCMによってそのモノの意味づけに成功したということだ。 広告というものの役割について一般的な人たちの認識はほぼ間違っている。広告業界自身の認識も不足していると思う。この商品はこれこれこうですよ、と解説するだけが広告ではない。馬鹿げたコントや情緒的なストーリーで生活者をいい気にさせるのが広告の本質でもない。過去に僕がやらせてもらったプレイステーションは広告で機能やスペックを語ったことがただの一度もない。いろんな人が楽しくプレイしている様を描くことで、ただのゲームマシンではない家族や仲間のコミュニケーションマシンなのだ、という意味づけをした。それが、ある人たちには大きな価値として感じられたわけだ。だから売れた。 ツイッターをやっていると、見も知らぬ人からいきなり「アホな広告屋」呼ばわりされることがしばしばある。おそらく、価値のないものを口八丁手八丁で売りつける詐欺師のような者と思われているのだろう。まあそう思われても仕方ない部分はある。しかし、広告は売れないモノをうまいこと売る詐話じゃない。意味づけによって売れる商品を作り出す科学だ。せめて広告に携わっている人はそのぐらいの矜恃を持っておくべきだと思う。

2012年4月9日
by kossii
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発明とマーケティング

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ちょうど18歳で大学に入った頃、「パソコン」というものが世の中に登場した。生協でそれを見かけた僕は、なんだかとても欲しくなってしまった。自分にとっていったい何の役に立つのかさっぱりわからなかったが、どうにも欲しくなってしまって、何十万円も学生ローンを組んで買ってしまった。NECのPC-8001という機種であった。買ってから、さてこれをどうしたものかと悩んでしまった。とりあえずゲームを買ってやってみたら、ハマった。当時のゲームはカセットテープから読み込むタイプで、その卸をやっていたのがソフトバンクだ。プログラムも今のように複雑高度なものでなかったので、自分で作ってみたくなって、さらになけなしの金をはたいてPC-9801というさらに高価な機種を買った。ベーシックとマシン語を独学で覚えてシミュレーションゲームをプログラムし、電気屋で販売してもらったりしてた。その頃、業務に使うコンピュータと言えばUNIXのワークステーションが主流であって、「パーソナル」にコンピュータが役立つことって何なのか、自分にはゲームとワープロ、家計簿計算、住所録ぐらいしか想像がつかなかった。当時、パソコンを端末として世界中の人々がネットワークでつながり、SNSで会話する未来を思い描いていた人なんていただろうか?そもそもパソコンの始まりは技術者の練習キットだし、コンピュータも暗号解読器として大きく開発された。コンピュータを発明した偉人たちは今のような使われ方を想像しただろうか。 蓄音機を発明したエジソンも、自分の発明の用途に困っていたようだ。使い道として「遺言の記録」などと書き残している。蓄音機が音楽視聴に利用され始めたのは発明されて20年以上経ってからのことらしい。どうも、偉大な発明というのはすべからく最初は何に使っていいかイマイチ見当がつかない、というもののようだ。ワットが発明した蒸気機関はもともと炭鉱の水をくみ出す装置としてしか使われていなかった。作った本人も機関車に載せるなどという発想は持っていなかった。iPhoneだって、最初の市場導入時からその未来を確信していた人は少なかったんじゃないだろうか。 近頃のニュースでは日本の家電メーカーが青息吐息になっていると聞くが、思うに、根っこの問題はこの「発明の法則」に反したことをやり過ぎているからではなかろうか。つまり「マーケティング」だ。 マーケティングというのは、市場導入のリスクを少しでも回避しようという技術だ。ニーズを先読みすることで、ハズレをなくそうということ。しかし、そこから誕生するものは発明ではない。発明というものは可能性の塊、原石のようなものだろう。それを時代や社会が研磨していくことで、思いがけない宝になっていく、そういったものと言える。日本のメーカーは可能性の原石を世の中に投げ込む、という試みをやって来た。その筆頭がソニーだろう。最近、その意識を忘れてしまっているのが衰退につながっているんじゃないだろうか。 ここ数年、いろんな企業の「宣伝部」が「マーケティング部」に名称を変更している。自分たちで市場を把握して科学的合理的に商品を売るんだ、という意思の表れだ。でも僕は、発明家にはピュアであってほしい。そうじゃないと偉大な発明はできない気がするから。マーケティングはピュアの対極だ。ターゲット、キャンペーン、リサーチといったマーケティング用語が軍事用語であることからも推察できるとおり、軍事戦略を軍事家が民間に応用したのがマーケティングなのである。 そういった汚れ仕事は広告屋に任せればいいと思う。「蓄音機を発明したものの何に使えばいいかわからんのじゃ」と言ってくれれば、「うーん、こいつのターゲットは相続で困ってる金持ちより音楽愛好家と考えるべきじゃないでしょうか。オーケストラの公演を聴く金のない人たちが集う音楽パブに置いておけば…」といった提案をしてあげますから。