2015年8月18日
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なぜ東京オリンピックはトラブル続出なのか

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こないだ、夜、プレゼン用Vコンの音楽録りでスタジオに入ったんです。 収録終えてプレゼン作業の続きをやるためにプロダクションに戻ろうとしたら、なんとそのタイミングでスタジオのエレベーターが故障。 復旧がいつになるかわからないので、仕方なく階段を下りることに。 ところがその階段、手すりがないんですよ。 自分、2年ほど前から下肢障害者4級で外出時は杖を使って歩いてるんですけど、階段を下りるときが一番こわいというか、リスク高いんです。 右脚の一部が人工骨頭なので、股関節が脱臼しやすいと言われてまして、ころげたらけっこう大変なことになるかもしれない。 まあそのスタジオはビルの5階だったんで何とか下りましたけども、10階とかだったらちょっとお手上げだったかも。 健常者は気付かないと思うんですけど、日本、手すりのない階段たくさんあります。 階段ならまだしも、路面店の入り口とかの「段」にはほとんど付いてないです。 なぜなのかはわかりませんが、日本ではほぼ必ず、どんな店でも入り口に「段」があります。 僕はまだいいんですけど、車椅子の人はこの段一つためにその中には入れません。 2020年、パラリンピックで世界中からたくさんの障害者が東京にいらっしゃるわけですが、来てもらっても、現状のままでは街のどこにも行けません。 「オ・モ・テ・ナ・シ」は、どうなるのでしょうか。 石原都政の時期、東京オリンピックは国民の半分以上が「反対」してました。 その主な理由は 「そんな金がどこにあるんだ」 でした。 都は多数のタレントを起用したキャンペーンも展開してましたよね。 テリー伊藤さんは「東京オリンピックが実現したら胸毛を移植する」とか約束してました(ぜひ実行していただきたいものです)。 ところが今回、掌を返すかのように国民はこぞってオリンピック大歓迎。 その主な理由は 「日本にお金がたくさん落ちる」 ですよね。 僕の周囲でもそうですが、オリンピック絡みの話はとにかく金、金、金。 メダルじゃない方の。 オリンピックについて、ネットで言われてること、マスコミが言っていることの大半は、 「2020年に向けて日本は成長する」 です。 オリンピックを開催することで日本は赤字になるのか黒字になるのか、どっちが本当なんだろう? おそらく今の経済環境においては黒字になるんでしょう。 実際2020年をターゲットにいろんなプロジェクトやいろんな再開発が進行していて、なるほど、やっぱり特需なんだなという気がします。 僕は渋谷区東に住んでますが、渋谷駅の東から南にかけてこれから大規模な再開発が行われ、地価も上がっていくそうです。 オリンピックの直前頃には子どもたちの上の2人はもう大学生だし、そのタイミングで家を売って賃貸マンションにでも越すべきか?などと考えたりもします。 でも何か間違ってる気がしませんか。 オリンピックの新エンブレム、好きか、と聞かれれば正直僕はあまり好きではないです。 理由は、そこには「東京」と「日本」しかないから。 リオも、ロンドンも、北京も、シドニーも、エンブレムで表現していたのは「人のパワー」です。 オリンピックの本質はそこにこそあるからで、どれも、人のパワーをその都市なりのカルチャーで表現するとこうなる、というデザインなわけです。 多くの生活者に新エンブレムが不評なのは無意識に本質欠如を感じ取っているからではないか、という気がします(言っておきますが、それを提案したADを批判しているわけではないですよ)。 新国立競技場もそうですが、東京オリンピック周辺にトラブルが絶えないのは、オリンピックというものの本質を皆が見失っているからではないでしょうか。 … Continue reading

2015年8月17日
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「元ネタ」と「コピペ」の線引き

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たとえばクリエイターが、このような商品、あるいはその画像をどこかで見たとします。           それで、何かビビッと来るものがあった。 おそらくそれは、 「生き物とか何か物体の、端っこと端っこだけが見えてるのって可愛いな」 ってことでしょう。 これを「元ネタ」としてデザインするとしたら、どこまでが「パクリ」「コピペ」で許されず、どこからが「モチーフ」「オマージュ」として許されるのでしょうか。 たとえば黒い猫を白い犬に入れ替えたら? 「別のもの」として権利関係の問題はクリアできるかもしれません。 でもクリエイターとしては恥ずかしい。 上記の写真は「La merise」という実在するブランド商品のものであり、その販売を妨害するおそれがあるわけで、確信犯としてやるのは職業倫理的に許されません。 では、ドラゴンだったら? ファンタジーの生物であり、魅力的に感じる人たちの層も違って来そう。 犬よりはずいぶんいい。 でも、まだギリギリ気になるところ。 じゃあホースならどうだ。 たとえばホースで水巻きしようとしている画があって、もう一つの画はホースの元が蛇口から抜けてるとか。 それなら問題ないような。 もしそのデザインが人気になったとして、「元ネタはこの黒猫なんです」と明かしたところで「パクリ」の誹りは受けないはず。 元の作者も「まさかあれの元ネタが自分のものだったとは」となるのでは。 許される「元ネタ」か許されない「コピペ」かの線引きはそのようなものかと思います。 で、やはり↓これはアウトではと・・・。             このNo.25はサントリーが取り下げたトートバッグ8種の中には入ってませんが、実在する商品の販売妨害につながる恐れがあるので、実は最もヤバいものかもしれません。 元ネタの作者に使用料を払うなど検討されてもよいのではという気がします。 デザイナーのオリジナルかどうかは関係なく、結果的にコンセプトが同じですから。 オリンピックエンブレムに端を発する騒動で驚いたのはネット民の元ネタ発見力。 テクノロジーの進歩で、コピペ、元ネタがこんなに簡単に見つかるようになったのだなあと。 「わからないだろう」「大丈夫だろう」といった甘い考えではもうやっていけなくなりました。 ただ、コピペされることで元ネタ権利者がトクをするケースも多いのです。 … Continue reading

2015年8月9日
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いつの間にか本を書いていた夏

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今年の7月は人生で最高に大変な7月でした。 気を失った日も何日か。 夕方デスクの前に座りながら、気がついたら朝、みたいな。 競合プレゼンやら何やら、いろんな要因が重なってそうなるわけですが、最もヘビーだった要因はおそらくセミナー。 7月はセミナー・講演を、数えたら5つやってました。 そのテーマは全てバラバラ。 「お金をもらえるコピーライティングとは」 「そもそも広告とは何か」 「クラスター・マーケティング」(「おたく」とか「鉄女」とかある特定の趣味・性癖層にアプローチするマーケティング。小霜の造語) 「ネーミングのストラテジー」 「心理的本能を広告コミュニケーションにどう活かすか」 といった。 これらは誰でも参加できるパブリックなものですが、これ以外に企業研修などクローズドなものもやりました。 僕がセミナー・講演・企業研修を行うときに決めているルールがいくつかあります。 たとえば・・・ ・本の内容を繰り替えさない。 千数百円で読んだことを数万円の参加費払って繰り返されたんじゃ、たまったものではないでしょう。 ・受講者の求めるものに最大限答える。 特に企業研修などでは必ず取材して、その会社の課題に対して自分なりの提案を含めるようにします。 ・常にコンセプトが新しいものであること。 じつは、これは僕がセミナーや講演を引き受ける一番の理由でもあります。 内容が斬新なものであるためにはいろんな本を読み直したり調べたり従前の準備が必要で、それが自分自身の勉強にもなるんですね。 でも、だから準備が大変なんですが・・・。 セミナーのスタイルは講師によっていろんなものがあると思いますが、僕はアドリブだと不安なので言いたいことのほとんどをスライドに書いてしまいます。 そうするとだいたい1分1枚ぐらいのペースになります。 ワークショップなどがなければ、1時間だと60枚、2時間だと120枚ぐらいがちょうどいい。 7月最後のセミナーは2時間で、140枚以上書いたらやはり時間が足りませんでした。 そして、そのセミナーが終わった後でマネージャーに言われたんですが、 「それって、もう本ですよね」 と。 確かにそうだ・・・。 140ページの本を書いたのと、ほとんど変わらんじゃないか! 長短はあるにせよ、1ヶ月で5冊の本を書いたようなもの。 そりゃ気を失うわな。 セミナーや企業研修には受講者のアンケートがありますが、おかげさまで、過去最高スコアと言われることも多く、好評のようです。 が、僕はアンケートで書かれたものは読まないことにしています。 常に新しいコンセプトでやるようにしているので、読んでも次の参考にならないからです。 それにアンケートは主催者が客寄せ戦略の資料とするためのものであって、自分はセミナーで食べているわけではありませんので。 ちなみにパブリックのセミナーは経済的には全く割に合いません。 知らない方は驚かれると思いますが、講義料は受講料一人分とほぼ変わりません。 … Continue reading

2015年8月2日
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なぜ「戦争特集」は8月なの?

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今年は戦後70周年。 ということもあり、この8月はTVでも戦争をテーマにした特番やドラマが目白押しです。 でも僕はどうも毎年、8月の戦争特集に違和感を覚えます。 「もう戦争はしてなるまいぞ」 という決意を固めるためにそういう特集期間を設けることじたいはとてもいいことと思うのですが、なぜそれが「終戦日」周辺の月なのかと。 なぜ「開戦日」周辺の月じゃないのか?と。 だいたい戦争特集で描かれるものは特攻隊、空襲、原爆、といった悲劇ですが、「酷い目に遭った」ことなんですよね。 「酷い目に遭わせた」ことではない。 それはやはり「終戦」に近いところを描くからそうなるのであって、結果的に皆の心に残るのは、酷い目に遭ったからよくない、負けた戦争だったから反省する、ということにしかなってないんじゃないかと感じるわけです。 僕は、南京の30万人虐殺とかは信じてませんが(証拠がないし、混血児がいないなど理屈に合わないことが多すぎるので)、程度はともかく旧日本軍がアジア各地で非道なことをやったのは否めないでしょう。 そこのところを国民皆で反省するなら8月はさほどふさわしくないのでは。 戦争は酷い目にも遭うけど、相手を酷い目にも合わせる、そこを思い出すにはむしろ「開戦日」周辺に特集をやるのが合理的な考えなのでは、ということです。 では12月8日なのか。 それも違う気がする。 1942年12月の時点で、日本はアジアをすでに蹂躙し始めていますので。 日本の戦争拡大はどこから始まったか、には諸説あると思いますが、日本という国がおかしくなった最大の契機は何と言っても満州事変でしょう。 軍部が勝手に仕掛けたことなのに、政府はそれを追認してしまった。 もしここで首謀者が裁かれていたら、盧溝橋も大東亜戦争もなかっただろうと僕は推察します。 ところが軍が現地判断で何を仕掛けても許されるという既成事実ができてしまったために、軍部、特に陸軍の独走を抑えられなくなり、マスコミや国民もバンザイバンザイで盧溝橋事変、上海事変、インドシナ進駐、そしてパールハーバーへと突き進んでいく。 要するに日本は調子に乗ったわけで、戦争を反省するということは、「調子に乗っちゃいかんぞ」という戒めでしょうが、それを皆で思い出すなら満州事変の起きた9月18日がふさわしいのではないか、などと思うわけです。 そうすれば中国も悪い気はしないでしょう。 韓国はわかりませんが・・・。 僕は日露戦争までは防衛戦争であった気がしますが、ここについても諸説あることは認めています。 いま、日本は安保法案問題で揺れていますけど、皆で考えるべきは「開戦」のありようについてですよね。 「終戦」にばかり思いを馳せていては、案外と将来の役には立たないのではないかと。 そんなことを思ったりします。

2015年8月1日
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責任は常に、「選ぶ側」にあるのです。

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東京オリンピックエンブレムの件で佐野君を非難している人が多いようだが、これは完全に的外れと言うものです。 なぜならば、クリエイティブの責任は「作る側」ではなく「選ぶ側」が負うものだからです。 今回、100以上のデザイン案が提出されたと聞いていますが、その中には見たこともないような斬新なものもあったでしょう。 おそらくそういったものと比すと、佐野君の案は「わりと普通」のデザインだったと思います。 では選考委員会がなぜ「わりと普通」のものを選んだかというと、斬新なデザインは「先鋭的」「独創的」な印象を与える半面「マイナー感」「小ささ」を与えがちですが、「わりと普通」なデザインは「メジャー感」「大きさ」を与えがちで、後者の方がこれから日本が目指す方向性、世界から期待される日本のイメージに合致していると考えたからでしょう。 そして、そのメジャー感を出しつつも、ある程度の独創性も欲しい、という中でのベストバランスがこのデザイン案、ということになったのだろうと推察できます。 ただ、そういった「わりと普通」のクリエイティブは、似たものがどこかに存在するわけで、誰かの権利を侵害するリスクは高いです。 そしてそのリスクに関して、作る側が負うことは現実的に不可能ですし、作る側が負うという発想がナンセンスです。 たとえば商品のネーミングをする際、僕は自分で商標チェックをしません。 そこの責任は負えないからです。 僕は広告クリエイターであって商標権の専門家ではなく、日本中、あるいは世界中の商標権抵触を回避するための知見を持ち合わせていません。 これは必ずクライアント、あるいはエージェンシーにしていただきます。 そしてチェックの結果、もし似たもの、あるいは同じものがあったらどうするか? 権利抵触しない別のものを選ぶ、という選択肢もあれば、「買う」という選択肢もあります。 それを決めるのはクライアントです。 たとえば「iPhone」という商標は、日本においては「アイホン」株式会社が保持しており、おそらくアップルはアイホンに使用料を払っているのだと思います。 もし僕が「iPhone」というネーミングをアップルに提案したとして、「日本に似たようなのがあるじゃないか!」と僕が非難されるのはナンセンスなわけです。 言ってること、おわかりになるでしょうか。 オリンピックエンブレムについても、チェックする責任はクリエイターでなくクライアントにあります。 今回、そのチェック漏れが見つかったわけですが、 いやこれは似てないだろう、いいがかりレベルだろう、と判断するのか? 確かに酷似してるから、お金で解決しよう、と判断するのか? 意匠を一部修正するのか? 解決法はいくつかありますが、これらは全て「選んだ側」の責任において決めることなんです。 「作った側」はむしろ「選ぶときにちゃんと調べてくれよ!」と怒るべき立場かもしれません。 もちろん確信犯的に誰かのデザインがいいからそのまま持って来た、というのはクリエイティブの職業倫理的に許されることではありません。 が、万に一つ、そうであったとしても、まず責を負うべきは「選んだ側」。 「作った側」が非難されるのは盗作行為をした事実が確定してから、という順が正しいと思います。 ちなみに僕は佐野君が盗作行為をしたとは思っていません。 なぜなら、彼ほどの経験値を積んだアートディレクターなら、盗作と言われないぐらいにデザインを「離す」技術を持っているからです。 もしベルギーのデザインを従前に知っていたら、クレームが来ないような修正を加えたでしょう。

2015年5月24日
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真意翻訳家という新職種

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昨晩、医師であり畏友でもある元同級生と飲みました。 彼の活躍がないと僕は今頃この世にいなかったかもしれず、また、医療関係の案件が増えてきたこともあって、情報収集のためにも定期的に飲む。 そして、医学系の話題になることが多いです。 赤ワインを注ぎながら、昨晩はこんなことを切り出しました。 「来週さあ、神戸でプレゼンするって話したじゃん、あの、iPS関連の」 「ああ、はいはい」 「そういう仕事しながらだ、その一方でオタク系同人チェーンのコンサルとかやるかもしれんのよ」 「へえー」 「それで、おれ、自分自身のスローガン考えたんだけど・・・『再生医療から同人誌まで』ってんだけど。どーよこれ。笑わない人いないんだけど」 「・・・うーん・・・どうかなあ」 「・・・あれ、ダメかねえ。ピンと来ない?」 「・・・うーん・・・『再生医療』って言葉がねえ・・・。医学的に本来の意味からズレてるんですよねえ」 そこかよ! さすが医者というか何というか・・・いやはや、広告業界人からは絶対に出て来ない視点で突っ込んでくるのが、面白い。 彼によれば、iPSがやっているのは「再生」ではないだろうと。 普通なら1回しかできない、たとえば永久歯みたいなものをもう1回作ろうということなのだから、「再生」という表現は違うんじゃないかと。 確かにその通りだわ! 「再生」という日本語が持っている意味は、「死んでしまったもの、ダメになってしまったものを復活させる」といったニュアンスが強い。 リサイクルとかに使われる言葉。 iPSは不全を起こした臓器をリサイクルする技術ではない。 元々の英語では”regenerative medicine”となっていて、「再生医療」はたぶんそれを直訳したのでしょうが、海外でもその言葉に違和感ある医者が増えたのかどうか、すでに”tissue engineering”という言葉が主に使われるようになっているそうです。 調べたら、これは「生体組織工学」などと訳されている。 なんか違う気がする。 気になるのは「工学」。 “engineering”だから「工学」と訳したのだろうけど、英語の”engineering”には「上手に応用する」って意味もある。 “tissue engineering”という言葉を作った人の真意としては、「人間組織が持っている力をうまいこと応用することで新しい医学を開拓していこう」ってものがあったんじゃないでしょうか。 それを、「”engineering”だから『工学』でしょ」的短絡思考で訳してないか?と不安を覚えるわけです。 僕なら、そうだなあ、「生体組織応用学」とか訳すかも(医学界の人、ツッコミ歓迎です)。 周囲を見渡すと、今の日本は「短絡翻訳」だらけ。 以前もブログで言ったような気がしますが、何年か前、家族で「インディ・ジョーンズ」の最新作を観に行ったわけ。 映画の最初の方で、インディが運転する車が悪漢のトラックに突っ込んでくる。 助手席に座っているオッサンが運転手に”You don’t know him!”って叫ぶんだけど、つまり、「実はおれは昔からあいつという人間を知っている、あいつは何をしでかすかわからない無茶な男なんだぞ」と、映画冒頭でのいろんな状況説明をその一言に託してるんです。 僕はゲームや映画の脚本やったりもしてるんで、そういったシナリオの苦労と工夫がわかるんですよね。 それを縮めて言えば「あいつは何するかわからんぞ!」あるいは「あいつは無茶するぞ!」とか訳すところです。 … Continue reading

2015年4月4日
by kossii
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np.広告学校に来てほしくない人。

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np.無料広告学校第8期の募集が始まりました。 毎年十数名の枠に対してだいたい百名前後の応募があります。 今期はすでに問合せもかなり来ていることから見て、さらに狭い門になることは間違いないでしょう。 そこで、適切な人のチャンスが奪われないように、ここで少し「ふるい」にかけておきたいと思いました。 僕が「来てほしくない」人はどういう人か、以下に書きます。 まず、宣伝会議賞コピーが広告コピーだと思ってる人。 その手のコピーを書けるようになろうとして入校しても、間違いなく役に立ちません。 そういうコピーの書き方は教えません。 宣伝会議賞はもともと真木準さんが始めたものだったように思いますが、一般人向けにおもしろコピーを募集することで広くコピーというものの存在を知ってもらおう、というところに主眼があったはずです。 サラリーマン川柳を募集することで川柳になじんでもらい、その中から人によっては俳句の世界に進んでいく、そういったものに近く、川柳と俳句が違うものであるように、ああいった公募のコピーとプロの書く広告コピーは全く違うものなのです。 そこを混同して、素人コピーがコピーの頂点と誤解して、それを求めて入校し、勝手に不満を言って辞めていく、そういう人は迷惑以外の何物でもないです。 np.広告学校は実践的クリエイティブ能力を鍛える場ですので、そういう人はとにかく応募しないでいただきたい。 次に、努力できない人。 考える力が伸びるのは、考える時です。 講師の発言を聞いている時ではありません。 課題を一所懸命考える。 コピーをいろんな方向で50案ほど書いて、その中からこれぞというものを選ぶ。 そういう時に能力が伸びているのであって、講義は答え合わせのようなものです。 ちょっと思いついたものをそのまま表現案にして持って来て、講師の言うことをチャカチャカとメモって、「どういうコピー書けばいいんですか?」「ここをこうすればいいんですか?」と、インスタントの結果ばかり求める、そういう人は10年通ったって能力伸びません。 10kmとか20kmとか自分の限界まで走ることで肺活量とか持久力のある肉体になっていくわけで、100mぐらい走ったらコーチの方向いて「どう走ればいいんですか?」とメモを取り出す、そんな人がマラソン選手になれるわけがない。 努力できないちゃっかりさんは通うだけ無駄です。 あと、休む人。 今年、骨折で入院した時も僕は退院した日に講義しました。 両松葉杖で階段登って。 体調などの理由で休講にしたことは一度もないです。 受講生の中にはちょっとしたことで休む人がいます。 これは厳しさの差です。 僕は仕事に厳しいんです。 そうじゃない人は辛いことからすぐに逃げてしまうし、クリエイティブのように自分を追い込む仕事は向かないと思います。 能力の高い人を求めているわけではありません。 求人ではないので。 能力の伸びしろのある人を求めているのです。 その伸びしろを作るのは自分自身であって、僕らがしているのは、そこに少し補助をしてあげる、ぐらいのことなのです。 コピー!コピー!と眼を血走らせる人がコピーライターに向いているとも思いません。 広告なんてどう考えればわからない、と頓珍漢だった人が、1年で大いに成長することもあります。 さっき50案書けと言ったけど、やり始めれば案外と楽しい作業です。 僕はコピー書いている時いつもニヤニヤしているそうです。 (うわ、くっだらないこと思いついたな…)とか、緊張と弛緩を繰り返しながら書いてます。 苦しいことをさせたいわけではなく、楽しいことは努力の先にあるのだ、という経験をさせたいのです。 卒業してからコピーライターになる必要もないと思っています。 … Continue reading

2015年3月14日
by kossii
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こうしましょう。TECDIA

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これは本にも書いたことだけど、CIというものについて実に多くの人が誤解しています。 CIとは、企業アイデンティティがその時代に合ってるかどうかを点検する作業。 もっと具体的に言うと、将来に向かってもっと効率的なビジネスモデルを構築し、それを社内外に知らしめる作業ということです。 CIコンサル会社ですらほとんどがそれをわかっていない気がします。 半年とか1年とかかけて、調査や会議を重ね、昔の電話帳みたいなレポートを提出して、企業はそれに何千万円も支払ったあげく、出て来たアウトプットは「僕らってこうだよね。世の中を良くするためにがんばってるよね」的な自己肯定スローガン。 企業側もそれで「やった感」を持っちゃうのが何とも、ハア、というかんじなのですが。 「僕らはこうだ」的企業スローガンを決めちゃうと、その企業はそこから一歩も動くことができません。 そんなスローガンはむしろ害にしかなりません。 企業スローガンをだーっと見ていくと、9割以上は害です。 企業スローガンというものは、全従業員の動きを決めるための補助線のようなもの。 「あっちに走れ」と、方向を示す旗印、ベクトルワードじゃないといけないのです。 だから、その後の活動を評価する「物差し」になれるし、従業員の「評価」に落とし込むこともできるのです。 「僕らはこうだ」スローガンでは動きも、規準も、評価も生まれません。 僕がそういったスローガンで大きく成功したのは20年前の「全てのゲームはここに集まる。PlayStation」で、これによって全ステークホルダーが自分たちはどう動くべきなのかをはっきりと認識しました。 今でも自分はCI、BIのお仕事をさせていただいてますが、やはりそれによって企業やブランドに動きが出て、成果が出る時、非常に醍醐味を感じます。 以前、TECDIAという半導体系企業のCIをやらせていただきました。 僕が提案した企業スローガンは、「こうしましょう。TECDIA」。 TECDIAはNASAやAppleにも納品している超優良企業なのですが、メーカーからの受注をこなすだけではどうしても価格競争に陥ってしまうわけで、そこから脱して付加価値を生み出すためには「こうした方がもっといいですよ」という逆提案が必須。 今後はそこを軸としたビジネスモデルに切り替えるべきであり、従業員の体質からそのようにしていこう。 そんな考えでした。 それが採用されてから1年以上経ち、どうなったかな?と気にしていたのですが、社内外に好評で、みごとに浸透しているとのこと。 社内では「おまえの『こうしましょう』を見せてくれよ」的に使われてるとか。 「おまえにアイデアはないのか」よりも言い方がマイルドで、従業員を提案体質に教育するのに役立ってるそうです。 こういう話を聞くと、非常にコピーライター冥利に尽きます。 先日、就活学生向けのイベントがあって、そこで小山社長が学生たちに話した内容を、社長の了解を得て、紹介してみたいと思います。 ******************** こんにちは。テクダイヤの小山です。簡単ですが挨拶をさせていただきます。 今年の就職活動についての報道は、皆さんも目にしていると思いますが、「大企業狙いの安定志向」と言われています。本当かよ、とは思い皆さんの顔を見れば、そんなわけはない、という顔を見て安心しています。一生懸命勉強してきて、やっと社会に出るというときに、安定志向なんて冗談じゃない、と思っていることでしょう(うん、うん、と何人か頷く)。 こうやって皆さんの顔を見ていると、じゃぁあの報道はなんだったのか?と思います。大企業側のプロパガンダか、と(笑。ただもっとよく考えると、それは学生側に興味深い企業がない、選択肢がないということだと思うのです。もし日本にイーロン・マスクのテスラモータースが、ジャック・マーのアリババが、アマゾンが、アップルが、シャオミがあったらどうなっていたか、誰もが大手企業を目指すわけではないでしょう。つまりあの報道の真相は、日本の産業界の衰退を学生が察知しているのかと思ったわけです。もしこの推測が正しいなら、ちょっと待てといいたい。中にはちゃんとやってる企業もあるぜ、とそれが言いたくて、私は今日ここに来たわけです。 さてテクダイヤはどんな会社か。それは10分の時間では語りつくせない、だからお配りした会社パンフを持ちかえって、どうか帰りの電車や家で読み返してください。この中にはわたしの考えを出来るだけ詰め込みましたから。 たとえばこのシンプルな表紙にも意味はあります。「あなたのこうしましょうを聞かせて。」と書いてあります。もちろん求める人材像なのですが、「こうしましょう」とはどういう意味か。これはつまり、自分で考えて提案する人ということです。だからその対極は「わかりました」の人。学校で先生から、「この作業をこのようにまとめて、いつまでにレポートにして提出しなさい。」と言われるでしょう、そのときに「わかりました」といって先生の教えに従順に正確にやる人が「わかりました」の人。これだとA評価、または100点狙いの作業。作業内容はイメージできているから、100点取れずとも90点以上は固いわけです。 で、一方「こうしましょう」の人は、言われたとおりやるのじゃ面白くない、どうせやるなら自分のアイデアを盛り込んで、オリジナリティ溢れるレポートを作成しようとする人。いってみれば100点超えの130点狙い、あるいはナンバー1、オンリー1。でもリスクも背負うから、成功すれば130点獲得だけど失敗すれば60点、落第する。先生からは「おまえ、何聞いてたんだ」と頭を小突かれるかもしれない。 テクダイヤは、「こうしましょう」の人の60点は、「ナイストライ」「ナイスチャレンジ」とする。怒らない、叱るけれども未来に繋げるための説教をするわけです。そして90点じゃダメ、130点を狙いにいく事を推奨するわけです。だから「こうしましょう」の人が欲しい。 表紙の下にはTECDIAのロゴがある。その上に「こうしましょう」と書いてあります。 この垂れ幕にも「こうしましょう」が入ってる。WEBにも入ってる。余程の理由がない限り、TECDIAの社名には「こうしましょう」がくっついている。つまり「こうしましょう」は、就活生の皆さんを引っ掛けるためだけのスケベなコピーじゃなく、わたしたちも社会に対して130点狙いの「こうしましょう」をしていきますというコミットメントなわけです。 では何故リスク背負った130点を狙わねばいけないか?答えはそれがグローバル競争の勝ち方だからです。たとえばアップルが「この作業をこのようにまとめて、いつまでにサンプルを提出しなさい。」と言います。それに応えようとするのは、日本企業だけじゃなく、台湾も韓国も中国も、タイもベトナムも世界中の企業がそこにこぞってきます。そして選ばれるのは1社、たった1社だけです。95点はおろか、100点でも採用されない。そこに採用されるのは130点の企業1社だけだからです。ならば60点も100点も一緒、同じ落第。だから100点狙いの99点A評価よりも、130点狙いの60点落第のほうが賞賛されるのです。学校とは違った世界で戦うときには、「わかりました」ではなく、「こうしましょう」が推奨されるのです。その行動指針をわたしたちは社会に約束、コミットしています。 中面を開いて最初。「社長にズケズケとモノを言う・・・」と書いてありますよね。 「こうしましょう」は、あなた方学生や社会に対してだけでなく、当然社内にも推奨されています。だから帰ってからよく読んでください。 また最後のほうには、「こうしましょうの人には、人と情報がついてくる・・・」が書いてあります。この意味は、あなたたちの子どもの頃を思い返してみてください・・・・、「今度の日曜に映画に観に行かない?」「何観る?」「○○を観ようよ。」という、「こうしましょう」。他にも「次の休み時間何して遊ぶ?」「ドッヂボールにしようよ。」という、「こうしましょう」。こういう些細な「こうしましょう。」があったと思うけど、その人には仲間が集まっていませんでしたか?そして仲間が集まるから、情報が集まってませんでしたか? そう、「こうしましょう。」を言える人には、仲間と情報が集まるんです。この仲間と情報、社会に出て成功するために絶対に必要なモノですよ。あなたたちは理系として、社会に出て何らかの社会に影響を与えるモノをプロデュースしようとしているでしょう、それって独りぼっちでやってもダメですよ、外界を一切遮断して作って、「出来た!」って穴ぐらから出てきても、そのときは他の誰かがすでに作っていたり、時代が変わっていたり。だから仲間と情報が大事なんです。テクダイヤは、「こうしましょう」をいえるようになるための、組織風土と研修がありますから。そして会社だけじゃなくて、オフ、つまりプライベートも充実するような考えがありますから。人生を最良のものにして、ワークライフバランスを大切にして欲しいと思っている会社です。 … Continue reading

2014年7月31日
by kossii
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「危険ドラッグ」プロの仕事説

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「危険ドラッグ」ネーミングがバッシングされてますね。 僕も最初は「まんまじゃないか」と思いました。そこに知恵とか工夫を感じ取れなかったので、また安易にネーミングしちゃったな、一般募集する意味なかったんじゃないのと。 でもよくよく考えてみると、これはけっこうなプロの仕事じゃないかと思い直すようになりました。 ドラッグには「合法ドラッグ」があって、「違法ドラッグ」がある。そして「違法ドラッグ」の分子構造をちょこっとだけ変えた、その中間に位置するドラッグがある。そのドラッグをどう呼ぶかってことですよね。 その「ちょこっとだけ変えた」が悩ましいところで、「全く無害」のものも存在するってこと。それをどう考えるかが最大のポイントです。 著名人もこれに関してはネガな意見一色で、有吉弘行は「殺虫剤入りのお薬」とかがいい、と言っています。でももし本当にそうしたら、国民の1千万人ぐらいはそのまま受け取るでしょう。「えっ、殺虫剤入ってんの?何それ」とか「殺虫剤って飲めるんだ」とか。もう大混乱です。 「もっと害があるってことがわかる名前がいい」「もっと恥ずかしい名前がいい」という意見も多いですね。でも害があるってわかっているのなら、「中間」を認めないでいっそ「違法」にしてしまえばいいのです。 「危険ドラッグ」は危険に憧れる若者をむしろ魅了するのでは、という意見も多いようです。が、ラリッて車で突っ込むヤツらは普通の会社員だったり、中年男じゃないですか。ドラッグに溺れる人は、ASKAもそうですけど、年配層が多数。普通の会社員や普通の主婦がストレス発散で始める例も多い。六本木のクラブでちゃらちゃらしてる若者がそういうものに手を出すのだ、というイメージはかなり古いように思います(もちろんそういうケースもあるでしょうが)。それにここのところ、危険に憧れる若者なんて僕は見たことがありません。プロ野球選手だって今の若いのは将来に備えて地味に貯金するんだよって清原和博が嘆いてました。 「危険ドラッグ」の「危険」とは「危険性がある」ってことでしょう。全く無害のもあるよ。でも、害があるのもあるよ。危険性があるんだよと。 そのコンセプトを表現したネーミングとして、非常に正しいと思います。ちょっと考えてみたんですが、これ以上正しい名前を思いつきませんでした。 プロの仕事とは、こういうものを指すのです。 厚生省は「危険」と「ドラッグ」の単語が最も応募数が多かったので組み合わせたって言ってますけど、役所的にはそういう言い方が最もお歴々や周囲を納得させられるということでしょう。 まあ、面白味はないので、世間ががっかりする気持ちも僕は十分わかります。

2014年6月26日
by kossii
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ザックよローマ人に見習ってくれ

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塩野七生「ローマ人の物語」が大好きです。特に初期の頃の話が。 文化力でギリシャ人に劣り、身体力でガリア人に劣り、経済力でカルタゴ人に劣った、ないない尽くしのローマ人がなぜどこよりも強大な国家を建設できたのか? それには彼らが固持した、優れた「制度」がありました。 その一つが、「失敗を咎めない」というものです。 軍団を率いて合戦に負けた指揮官は、その責を負わされて処罰される、あるいは解任されるということはなく、逆に「負けた理由が最もわかっているはずだ」ということでもう一度挑戦できるのです。 ザッケローニ氏がワールドカップでの惨敗の責を取って退任すると発表しましたが、彼はどうも日本人的感覚に染まりすぎてないでしょうか。 半分の敵を相手に、8万の将兵のうち6万の死傷者と1万の捕虜を出したカンナエの戦いに比べれば、ワールドカップの負け方など軽いものです。 ローマ人の末裔として、ローマの古き良きしきたりに従って、再チャレンジしてほしいところ。 負けるたびに監督を交代しているようでは、知見も積み上がらないし、次に勝てる確率は下がるでしょう。 ローマ人は厳しい生存競争を勝ち抜くために、実に合理的な考えを貫いていたようです。 現代の日本人も見習う点は非常に多いと思います。