2017年3月11日
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肺気胸になりまして

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2月は、どうも、よくないことが起きるのです。 一昨年の2月も末になって右脚を骨折しました。 今年は無事に過ぎてくれよ…と念じていたら、やはりと言いますか、末になって肺気胸が見つかりまして。 なんだか咳がひどく、花粉症か何かだろうと思って抗アレルギーの薬をもらって飲んでも治らない。 おかしいなということでレントゲン撮ったら 「コレ肺気胸になってますよ」。 肺気胸というのは何らかの弾みで肺に僅かな穴が開き、そこから漏れた空気が肺と胸膜の間に溜まっている状態のこと。 それで本来の肺が縮んでしまうんです。 僕の場合は右肺が3分の2ぐらいになっていて、症状としては、 時々ひどく咳こむ 寝るとゼーゼー言う 100mぐらい歩くとちょっと息苦しくなる カラオケがうまく歌えない といったところです。 治療は難しいものではなく、胸膜にチューブを刺して溜まった空気を抜き、そのまま数日入院すれば穴が塞がると。 ところがその数日が取れないんですねえ。 打合せならまだリスケできても、3月は撮影日が8日あって編集日はもっとあって、それらがゴチャゴチャに入り組んじゃってる。 どーにもお手上げ。 撮影や編集を誰かに任せるか? そういうわけにはいきません。 つか、某エージェンシーの人たちが22時に帰ってから僕だけスタジオに残ってのど飴なめながらコピー書いたりしてるんですよ! 肺気胸が見つかった次の日、 「取りあえず一回抜いてみよう」 ということで、空気抜いて、その日はそのまま編集室に直行しました。 残念ながら、数日でまた元の大きさに縮みました…(胸に開けた穴の痕、結構痛い)。 ただこのままいつまでも放っておくと、肺が縮んだまま元に戻りにくくなるそうです。 なのでこうすることになりました。 24日(金)にまたチューブ入れて空気抜きます。 土日だけ様子を見た後、チューブ挿しっぱなしで、機械をくっつけたまま帰宅。 その状態で一週間仕事します。 31日(金)に検査して、治っていることが確認できたら2泊ぐらいで退院。 もし治ってなかったら最長1週間入院。 てなスケジュールです。 関係各所の方々にあまり気遣いされるのもイヤなので黙ってたのですが、そろそろオープンにしないといろいろご迷惑かけるかなと。 呼吸困難で緊急搬送、といった可能性もゼロではないそうですし。 チューブをつけている間は風呂は禁止なので、その期間はたぶん臭い的にもご迷惑かもですがご寛恕ください。 4月頭の入院が終われば通常運転に戻ります。 よろしくお願いします。

2016年11月28日
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この業界の片隅に

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「この世界の片隅に」を観ました。 ショックを受けました。 観終わってから妻とランチしながら映画について少し話をしたのだけど、自分が受けた衝撃、自分の中に澱のように残っているもの、その時にはうまく言葉にできませんでした。 それで、原作のコミックを買うことにしました(紙はすでに廃版になっていたので仕方なく電子書籍を。双葉社には「このビジネスチャンスをどう考えとんの!」と問うてみたい)。 コミックを読み終えて、自分の中でやっとこさ整理がつきました。 この映画・コミックのテーマは、 「普通でいられることの貴さ」 なんですね。 映画もコミックも、僕が最も好きなのは冒頭のシーンです。 主人公がまだ子どもの頃、お使いを頼まれて海苔を届けに行く。 乗せてもらった川船の船頭に、兄の代わりに中島本町まで海苔を届けに行くのです、届けたらお土産を買うて帰るのです、と律儀に、照れながら嬉しそうに話す。 ここに主人公の魅力が全て詰まっていて、映画が始まって数分、タイトルが乗る前のこのシーンですでに僕はうるうる来ていました。 この映画ではとにかく主人公に魅せられてしまいます。 特殊な能力としては、絵を描くのがうまい、ぐらいで、普通に礼儀正しく、普通に律儀で、普通に働き者で、普通にドジで、普通に照れて、普通に笑います。 彼女の一家も、嫁ぎ先の一家も、普通です。 いつもゲラゲラと笑っています。 食糧難、物資難が厳しくなっていってもそれを知恵で乗り越えようとして、失敗しては笑います。 彼らの普通がとてもまぶしく見えるのは、彼らの住む異常な時代とのコントラストでしょう。 出征していた主人公の兄の遺骨箱に入っていたのは石ころが1コ。 それを脳味噌かと思ったと言って笑いますが、異常の中で普通であろうとすることが、主人公たちの戦いだったのかもしれません。 もしこれが70年代の話だったら。 ただ平凡で退屈なだけのストーリーになっていたろうと思います。 この映画について、冗長で退屈だ、と言う人もいます。 そう感じるのも逆説的に正しく、そこには理由があります。 原作のコミックは物語上の1ヶ月が1回、を基本として連載していたようです。 何年何月に呉でどういう事件が起きたかを調べ、それにからめてエピソードを創っているのです。 そうすることで、彼らと同じ時代を同じペースで生きる感覚を共有できるように、という狙いがあったんでしょう。 映画は原作にできる限り忠実に作られており、毎日を淡々と、なるべく過度な表現をしないで普通に描いていく、というペースもまた原作に忠実なのです。 この映画は反戦映画のカテゴリーには入らない、というか、入れにくいです。 憎しみの対象となる固有名詞が極力排除されているからです。 「鬼畜米英」どころか、「アメリカ」「イギリス」という単語すらほとんど出て来なかったのではないでしょうか(僕の記憶では)。 原作では教科書の落書きで東条英機をからかった替え歌の「トージョー」をわざわざ「センセー」に書き換えています。 つまり、戦争を起こしたのは誰だ?戦争が起きる原因は何だ?という、観客/読者の心の矛先がどこにも向かわないようにしているわけです。 悪いのは戦争だ、という短絡的な結論ではなく、異常な世界の一例として戦中があって、そこで生きる普通の人たちのまぶしさに観客/読者の意識を向かわせるという、前代未聞の工夫がなされているんです。 原作者のこうの史代は「夕凪の街 桜の国」でいろんな漫画賞を授賞しこれが代表作となりました。 原爆被災者の投下10年後を描いたもので、「このセカ」よりもシリアスで救いのない話ですが、それまでの彼女の作品はショートコメディばかりです。 気になってそれらもいくつか読んでみたのですけど、やはりテーマは一貫してるんですね。 「普通でいられることの貴さ」 です。 結婚した女性の元へ、彼女が昔好きだった男性から結婚報告のハガキが届く。 … Continue reading

2016年2月13日
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清原和博と仕事した時の話

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もうずいぶん前、10年以上前になりますが、広告の仕事で清原さんと会ったことが一度だけあります。 それはポッカの缶コーヒーのキャンペーンだったのですけど、当時まだ彼は現役選手で、シーズン中は撮影の時間を取るのが難しいということになり、彼の過去の映像とTVのインタビューで話した台詞などを映画監督の行定さんにうまく編集してもらってTVCMを作りました。 ただ、ラジオCMはさすがに肉声がほしく、そのぐらいなら時間取れるということになったので音声の編集室でお会いしたわけです。 夕方から台詞録りが始まったんですが、彼が着いたとき、トレーニング帰りだったのか、でっかい全身から湯気がもうもうと立ち上がってました。 そんな人間をかつて見たことがなかったのでかなり面食らったんですけど、その時の彼は不機嫌そのもの。 ドカーッとソファに座って、 「で?何したらええねん」。 原稿を渡し、ちょっとこれだけ分量あって長いんですが、と頼むと、それを手に無言で録音ブースの中へ。 で、最初のブロックを読んでくれて、 「清原さん、すごくよかったです。いただきました。OKです」 と言うと、 「え?OKなんですか?」 と聞き返してくるんですね。 「ええ、OKですけど」 「OKってどういうことですか?なんでOKなんですか?」 「いや、なんでって聞かれても…OKじゃダメですか?」 といった不思議なやり取りが。 そこで彼がマイク越しに滔々と話し出したのは、以前、缶チューハイだかなんだかのTVCMを撮ったとき、演技がうまくできなくて何度も何度も撮り直しさせられたこと。 何回やっても監督が納得せずに、時間もかかってすごくイヤな思いをして、「演技ベタ」が自分の中でコンプレックスになってしまってるんだと。 で、僕はこう言いました。 「いやあのね、清原さん役者じゃないでしょ?僕らは清原和博としての言葉が欲しかったんで、多少たどたどしくてもそれも含めて清原さんなわけだから、自然にしゃべってもらったらそれでOKなんですよ。聴き取りにくいとかそういうところがあれば録り直させてもらいますけども」。 そしたら、 「えっ…ホンマですか?いやーなるほどねえ…。そうですかー!!」 と叫んで、それまでの不機嫌が一転、超上機嫌に。 「じゃあ、缶コーヒーはポッカ、お願いします」 「わかりました。缶コーヒーはジョージア。あ、間違えてもーた!」 みたいなかんじで。 今思うと、TVCMの撮影を嫌がったのは時間がない、ということではなかったのかもしれません。 収録終わって編集室から出て来て、そのまま帰るかなと思ったらまたドカーッとソファに座って、よもやま話を延々と語り始めました。 で、いつまで経っても全然席を立つ気配がなく、1時間ぐらいしてからだったか、 「皆さんまだ帰らないんですか…?」 と聞いてくるんですね。 「いや、僕らはこれから、今録ったのを編集しないといけないんで」 と言うと、 「あ、そうですね、そりゃそうですよね、いやーすいません!じゃあ自分お先に失礼しますわー」 と、そそくさと去って行かれました。 おそらく、あまりに気分良くなりすぎて、スタッフにメシでも奢ろうとしてくれてたのだろうと思います。 まあ、その程度の時間を共有しただけで全てがわかるわけはないんですが、「大きな子ども」みたいな人だなあ、という印象を強く受けました。 いろんな意味で純というか。 嫌いになるのが難しい人。 … Continue reading

2015年12月29日
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本年のお礼とおまけ

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本年、2015年は自分にとって非常に良い年でありました。 2月に骨折、入院と、最初の躓きはありましたが・・・後半は見事に盛り返しました。 素晴らしい出会いがたくさんあり、新年への地固めができましたし、自分がCDを担わせていただいた広告はほぼ全てが驚くべきスコアを出しました。 当然ながら、自分ひとりの力では何もなし得ないわけで、これもひとえに皆さんのご支援の賜物とホント感謝しています。 改めてお礼を申し述べます。 と、共に・・・。 自分、仕事以外の趣味は「マンガ」でありまして、自宅には8畳ぐらいの書庫が2つあるのですが、棚が埋まって床に平積みしている状態です。 そんな私が今年出逢ったマンガのうち、「これは」と感じたものをご紹介してみたいと思います。 本業とは全く関係ないですが、まあ、お礼の「おまけ」みたいなものです。 順不同で、ランキングとかにはなっていません。 カテゴリーもバラバラですし、順位を付けられるようなものではないからです。 さて・・・ 主人公は高校教師。 赴任した学校になぜか珍しい亜人がいろいろいる。 頭が身体から離れて困ってるデュラハンとか、男に触れただけでイカセてしまうので地味な生活を送っているサッキュバスとか。 彼が彼女たちの人生の悩みを聞いてあげるというだけの話なんだけど、なんかモヤモヤする。 コミカルなタッチの中に、障害とか差別とかの奥深い本質が潜んでるような気がする。 まあ、難しく考えずとも、単純にキャラがイキイキしてて楽しいです。 これまでいろんな医療系マンガを読んできたけど、今のところこれが最高かな。 主人公は偏屈で、自分の判断に間違いは絶対にないと言い切る病理医。 病理医とは採取した細胞を鑑別したりして、患者の病気が何なのか突き止める医師のことですね。 裏方ではあるんだけど、その判断に基づいて医師たちは治療方針を立てる、非常に重要なポジション。 その彼が、大学病院の医師たちの甘っちょろい診断をバッサバッサと切り捨てていく。 カンファレンスを荒らしまくる。 その痛快さがたまりません。 問題ばかり起こすウエイトレスがひょんなことから札幌のラジオDJになる、という話なんだけど、トークがすごく考えられてる。 良くできてると感心する。 この作者ってこういう話作れる人だったんだ、と驚き。 「バクマン。」とか「べしゃり暮らし」とか、クリエイティブの中にクリエイティブがある、マトリョーシカ的コミックを僕はかなりリスペクトしちゃうんですけども(だってダブルのアイデア出しが必要なんですから)、これはストーリーのテンポもいいし、キャラも魅力的だし、期待度高です。 最近また、世界滅亡系マンガが増えて来たなという感があって、これもその1つなんですけど、発想がメチャメチャ過ぎて目が離せない。 そういう意味では浅野いにおの「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」も同じカテゴリーだが、こっちも別方向のメチャメチャ発想で目が離せない。 僕はもう世界滅亡系でありきたりのストーリーでは物足りない身体にされてしまった。 「インデペンデンス・デイ」の新作が公開されるらしいけど、こういったマンガを読んじゃった後だと、もはやどんなすごい映像を観たって退屈に感じてしまうんじゃないだろうか。 島原の乱を描いた歴史モノ。 どうしようもない絶望感の中にとことん落ち込んでみたい、という時にオススメです(そういう時、ありません?)。 最初からもう救いようのなさがムンムンしてて、おそらくハッピーエンドはあり得ません。 「狼の口」が好きな人はこれも必ず気に入るでしょう。 上杉謙信が実は女性だった、という様々な根拠を元に創った戦国マンガ。 まさかこの作者が歴史モノをやるとは想像もせず、独特のタッチへのアレルギーからかアマゾンのレビューでは低評価も見えるんだけど、僕はこれはこれでアリじゃないかと。 歴史群像劇として、案外にちゃんと面白いですよ。 … Continue reading

2015年6月14日
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えらいぞ!リッツカールトン

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先日、初めて東京ミッドタウン内にあるホテル、リッツカールトンに行きまして。 ある会社の社長さんからお仕事のご依頼があって、そのランチミーティングでロビーにある和食屋さんに入ったのですが。 そこでちょっと、というか、かなり感動したんですね。 仲居さんがですね、料理を運んで来る。 それをテーブルに並べた後、そのまま黙って立ってるんですよ。 で、社長が 「お願いします」 って促すと、初めて口を開き、 「ではお料理の説明をさせていただきます」 と言って、どれが何という魚でどういう食べ方をするのか、といった解説を始めるんですよ! もしかすると高級店ではそれが普通で、これまで自分がそのレベルの店に行ってなかった・・・というだけかもしれませんが・・・。 じつに感じ入ったわけです。 「おれが求めていたものはこれだ!」 と。 僕がどなたかと会食するときはやはり商談と言いますか、仕事絡みになることが多いのですが、どんな店でもほぼこのような ↓ 感じです。 「じつは小霜さんね、ちょっとこういう話が出てましてね」 「どういう話でしょう」 「近々、社長が替わるんですよ」 「へえー、それは初耳です」 「それでうちの体制も大きく変わるんですけどね」 「なるほどそうでしょうね」 「でね、今日の本題なんですが・・・その新社長からの指示で新し」 「お料理のご説明をさせていただきますこちらはミズダコでして北海道で捕れたものでこちらのポン酢で召し上がっていただいてもいいですしこちらのわさび醤油でもかまいませんこちらの鰺は淡路島で捕れたものでしてこちらの生姜醤油でお召し上がりくださいこちらの鯛は明石で捕れたものでうんぬんかんぬん」 「これはポン酢で、これは生姜でね、あーハイハイ」 「これはこっちで食べるんでしたっけ」 「そうです」 「それで、新社長の指示のお話でしたよね」 「あーそうそう、それなんですけど、新し」 「お料理のご説明をさせていただきますこちらは黒豚でして黒豚と言えば鹿児島が有名ですがこれは宮崎の黒豚でして食べ方はうんぬんかんぬん」 うるさいよ! ポン酢だろうと生姜だろうとどうでもいいよ! タコの捕れた海が北海道だろうとモーリタニアだろうと気にしないよおれは! と叫びたいところだが、そんなことを言葉にすると相手が (小霜さん、心の狭い人だな…) とか、 (小霜さん、食事へのこだわりがないのか…そんなんでクリエイティブできるのかな…) とか思うかもしれないじゃないですか…。 だからひたすら耐えるしかない…。 … Continue reading

2014年12月7日
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戦車マニアの「FURY」評。

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僕が戦車に興味を持ったのは小学生の時。 戦車の歴史のような本を読んだのがきっかけでした。 戦車というのは矛盾の塊なんですね。 こいつの本領は防御陣を突破する機動力にあるのですが、装甲を固くしたり装備する砲を大きくしたりすると重量で走れなくなる。 このバランスが難しいわけです。 なので、そこを解決するために、鉄板を斜めにしてみたり、丸くしてみたり、いろんなことをやって来た。 僕は子どもの頃、将来は三菱重工に入社して戦車を開発しようと夢見ながら田宮の模型を造っていたのです。 ちなみに今の戦車はどの国のものも同じような箱形ですが、これは鉄板と鉄板の間にクッションを挟むと貫通しにくいという、新しい装甲技術が普及したためです。 さてそんな私がブラピの戦車映画「FURY」を観て感じたことを述べます(注 ネタバレ)。 ちょっとこれは、いわゆる映画評とは異なりますよ。 戦車マニアのFURY評ですよ。 まず、細部へのこだわりは凄いものがあります。 脱帽です。 米軍戦車兵には護身用にグリースガンと呼ばれる折りたたみのサブマシンガンが配給されたのですが、ブラピだけがアサルトライフルを使ってました。 これは独軍のMP42という銃で、戦時中の最優秀と呼び声高いものです。 今世界に最も普及しているアサルトライフルはロシア製のAK47というものですが、これはもともとMP42のコピーです。 おそらくどこかで独兵の死体から手に入れたものを気に入って使っているという設定なのでしょうが、こういった、特に説明はしないがわかる人にはわかる、といったものが散りばめられてました。 「FURY」とは「怒り」という意味ですが、ブラピはなぜドイツ語がしゃべれて、なぜナチスに対してあれほどまでに激おこプンプン丸なのか? おそらく元はドイツに住んでいて、ナチスに家族を殺されて、今は戦車が自分の家だ、ということなのでしょうが、そういったところを語らずに観客の想像に任せる、というのも気が利いていると感じました。 ただ、首をかしげる設定も多数。 そもそも、1945年4月、西部戦線であれほどの抵抗があったのか? ソ連軍の乱暴狼藉がとんでもない、ということで、東部では決死の抵抗もあったようですが、降伏するなら米英軍にと、その頃西部では雪崩を打って投降してたはず。 これは絶対にあり得ない、という部分も。 映画の前半で防御ラインを攻撃するシーンがありましたけど、支援もなしに攻撃するのはどう考えてもあり得ません。 これでは旧日本軍のバンザイ突撃と変わらない。 西部戦線では空の支配権で連合軍が圧倒していたので、まず、空爆、あるいは砲撃で、敵陣地をボコボコの穴だらけにしてから戦車が進む、というやり方を普通にしていたはずです。 ティーガーに遭遇するシーンも同じですね。 いったん後退したら、まず無線で空軍の支援を要請しないと。 そしたらP47が雲霞のごとく群がってきて、ティーガー一巻の終わり。 逆の言い方をすれば、これができたから米軍戦車は装甲をさほど気にしなくてもよかったわけです。 ブラピ、焦って支援要請を忘れてしまったのでしょうか。 ティーガーの車長もかなりダメ指揮官ですね。 ミハエル・ヴィットマンの真似をして自分も勲章をもらおうと思ったのかもしれませんが、不意打ちするときは、指揮官車、あるいは長砲身車から狙うのがセオリーです。 なぜ短砲身のM4A3から先に撃つのか? それと、あの近距離ならいかにティーガーと言えど真後ろまで回り込まなくても、側面からでもじゅうぶん貫通できると思いますよ。 ヴィットマンのティーガーもそれで撃破されてます。 また、戦車は防御に最も向かない兵器です。 「コンバット」ではサンダース軍曹、一人で独軍戦車をやっつけますからw 防御のために歩兵の随伴もなしに戦車だけを向かわせるというのはあり得ない。 … Continue reading

2014年10月22日
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52歳。奇跡とは何だろうか。

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去年の、51歳の誕生日は病院の食堂で家族と祝いました。 あれから1年。 プライベートに、仕事に、いろんなことがありました。 おそらく、人生で最も長い1年でした。 最近、同世代の方が急逝する報に触れることが増えて来ました。 自分がここにいることが不思議に感じられたりもします。 この1年は、僕の頭上で、死神と守護天使がずっと相撲を取ってました。 死神の怒濤のつっぱりに、もうダメだ、と観念したことも何度かありましたが、わが守護天使、土俵際の粘りがすごいんです。 何度も押し返して、今では五分の位置まで戻しちゃいましたから。 それにしても加護とか奇跡とかって何なんでしょう。 この1年で、僕は幾度も目の当たりにしましたが。 つい2ヶ月ほど前も、こんなことありました。 クルマのブレーキを踏むとふくらはぎに激痛が走るようになったんです。 歩くと、ほんの100メートルでもじわじわ痛み出す。 筋肉が衰えたんだろうか…ぐらいに思っていたのですが、たまたまレンタルで読んだコミック「ゴッドハンド輝」(笑)に、歩くと脚が痛み出すオヤジが出て来て、主人公の輝が「それは間欠性跛行です!」とか言うんです。 「動脈に血栓ができてますね」と。 あ、おれの症状に似てるじゃないかって。 それで主治医に相談したら、やはり右太ももの人工血管に血栓ができてることが判明。 ゴッドハンド輝は70巻ぐらい出ていて、いつもは心臓移植だの「未だ世界でこの手術ができた者はいない!」的症例がテーマなのに、たまたま読んだのが間欠性跛行というショボい話…。 でも脚の大動脈が詰まるのは本当はかなりヤバいことで、普通は足先から壊死するらしいです。 僕はなぜか大動脈以外の血管が発達して栄養を補ってくれてたので、痛むだけですんだそうな。 名医を紹介してもらい、オペしてもらって今は元に戻ってます。 ギリギリでしょ? まあそれは命に関わることではなかったけど(足を失う可能性はあったけど)、それ以上の、命に関わることをギリギリ回避できた奇跡はこの1年、いくつかありました。 看護師さんたちが「小霜さんは何か持ってる気がする」と口々に言うので、僕もだんだんそんな気になってきて、考えました。 いったいおれは何を持ってるんだろうかと。 その中でわかってきたこととしては、人を救うのは結局「人」なんですよね。 どんな人と出会うか、どんなタイミングで出会うか。 加護とか奇跡とかというのは、つまりはそういうことなのだろうと。 自分が何を持っているかは知りませんが、何か持ってるとしたら、やはり「人」なんだろうなあ。 僕は先祖供養のために法華経の日蓮正宗に入ってるんですが、ここが難病を克服するためのパンフレットを出してます。 その中に書いてあることを要約すると、病気を治すのは仏のスーパーパワーではなく、適切な人との出会いによるものだと。 仏がやることは出会いのアレンジメントなのだと、そう言うんですね。 何となく納得できるところがあります。 この1年はそんなこんなで、たいして仕事もできませんでした。 本は一冊書きましたけど。(買ってくれ!) で、11月から新しいビジネスを始めます。 水面下ではもう動いているのですが、おかげさまで思った以上に盛況です。 人の有り難いつながりを最大限活かして、再スタートを切ったところです。

2014年2月25日
by kossii
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真央ちゃんに金を!

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ここ数日は、いかに日本国民が浅田真央を愛しているかを思い知らされる数日でありました。 うかつに彼女の批判でもしようものなら、十字架にかけられて火あぶりにでもされそうです。 逆に森元首相の嫌われぶりもすごいですね。 こちらも少し擁護するやボコボコにされてしまいます。 「空気」というものは誠に恐ろしい。 昨日、広告学校で「いじめを減らすポスター」の課題をやって、うちの中3の娘を審査委員長にして論評をさせたのですが、娘いわく、いじめを生むのは学校独特の「空気」であると。 強い者が弱い者をいたぶることで自分の強さを誇示し、それがカッコいい、楽しい、という空気が作り上げられてしまうと、もうそれを壊すことは無理であると。 我が娘はなかなか本質を見る力を持っているなあと感心しました。ヘタな教育評論家よりよほどわかってるんじゃないだろうか。 まあ、その話はここではこれ以上突っ込みませんが。 僕は生来のへそ曲がりなゆえか、どうも「空気」に乗っかるのが居心地悪いのです。 「真央ちゃん感動ありがとー!」って言ってるだけではいられない。 どこか不満です。 皆さんそんなに彼女を愛してるならば、彼女にちゃんと金を獲らせてあげたらどうですか? 平昌で。 そういう提案をしたい。 僕はフィギュアのことはほとんど何も知らないんですけど、浅田選手は、技術力はスゴいんですよね? トリプルアクセルできるのは彼女だけなんでしょ。 たしかキムヨナ選手はこれに挑んだが挫折したとか。 なのにスコアで勝てないのは、はっきりとした原因が他にあるからですよ。 それは表現力でしょう。 ソチのフリーで浅田選手は自己ベストを更新しましたが、それでも3位。 もしSPで失敗しなくても、銅メダルがせいぜいだったんじゃないでしょうか。 彼女の芸術点の低さは前々からの課題だったはず。 バンクーバーでは、「北米の舞台でなぜロシアの曲を?」といった疑問の声も上がってました。 ここが放置されていた印象があります。 僕はやっぱりこのあたりに問題の根本を感じます。 自己ベストでも銅レベルなのに、金を期待される重圧。 そのあたりの矛盾が彼女を苦しめ、ミスを引き出し、そこからの解放感で涙したんじゃないのでしょうか。 だとしたら、しっかりと、金を獲れるストラテジーと環境を作った上で、もう一回チャレンジさせてあげるというのはダメなんでしょうか。 今、フィギュアで選手の表現力を引き出す世界一は、ブライアン・オーサーのチームでしょう。 彼らはバンクーバー後にキムヨナ(のお母さん?)とケンカして、ソチでは羽生結弦に金をもたらしてくれましたね。 羽生サイドから、彼らを浅田選手に譲ってもらったらどうでしょう。 プルシェンコが羽生の次期コーチ、なんて話も出てるようですけど、これはブライアン、面白くないですよ。 僕が苦労して売上げ倍増させたのに、「来期から糸井さんがやってくれるそうなので」と言われるようなものですからね。義理も恩義もないのかあんたらは!と思いますよね。 だからここは汚名挽回とばかりに森元首相が動いて、 「おれ、大事なところで必ず舌が滑っちゃうんで…。真央ちゃんに金を獲らせてお詫びしたいんだよね」 とか言ってブライアンチームと羽生サイドを口説いたらどうでしょう。 ご本人の気持ち優先であることはもちろんですが。 次の舞台は完全なアウェーですしね。

2013年7月21日
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ポリグリップの企画できました

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義母の見舞いに行った。その時聞いた数日前のエピソード。 誰かが見舞い品ででかい大福を持って来ていて、それを義母がひとかじりした。全部は食べきれないと思ったのか、「半分食べる?」と僕の末娘に渡した。4歳の幼稚園児、それを受け取って、「ばあちゃん、歯がついてる!」。大福に入れ歯がくっついて来ていた。 その話を聞いて真っ先に僕の心に浮かんだのは、「ポリグリップなら少量で入れ歯が安定!」というナレーション。ポリグリップの企画できました。絶対採用されないと思うけど。

2012年12月1日
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政党ネーミング評

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政党の離合集散が激しい。新しい党名も発表したり消えたりしている。プロ・コピーライターの端くれとして、ちょっと各政党のネーミングを評してみたい。もしかするとネーミングの向こうに党首のセンスなど、何か垣間見えるものもあるかも知れない。 まず自由民主党。このネーミングはいい。みんな「自由」という言葉が大好きだから。本来「自由」とは厳しいものだと僕は思うのだけど、解放感や奔放さがくっついてくるから、この言葉を聞くと日本人は単純に気持ちがアガる。「民主」という言葉はそうでもないだろうけど。政治臭が強すぎ、生活者が自分の言葉にできないからだ。ハリウッド映画はフリーダムフリーダムうるさいが、デモクラシーデモクラシーとは叫ばない。「朝鮮民主主義人民共和国」みたいな国もあるし、少しだけ胡散臭さを伴う。でもいちおうおれたちのベースは民主主義だよ、と押さえておく意味では必要なワード。そういう意味ではバランスがいい。「自民党」と略されると「自由」が隠れてしまう。なるべく略さないでくれとメディアに言うべきだと思う。 次に民主党。これはいただけない。党名を決めた時点で失敗が見えていた、とまでは言い過ぎかもしれないが。政党のネーミングはやはり自由民主党がベンチマークになる。自由民主党と比べて民主党、というのは、何か欠けた印象を与える。本来のものから何か足りないぞ。えっ、自由がないの?と。また、オリジナルの言葉ではないから、オリジナルのアイデアが考えられない人たち、という印象も与えてしまう。過去の政党の亜流だろと。もしこの党が「未来の党」といった名前だったなら、無理なチャレンジも国民はもっと寛容に受け入れたかも知れない。 日本維新の会。これは悪くないと思う。維新は日本人にとって憧憬であり、敬意がわき上がるワードだ。音的にも「一新」に通じるから、改革を求める人たちの気持 ちを取り込みやすい。ただ坂本龍馬や明治の元勲達は偉大な存在過ぎて、そこに自分たちをなぞらえる態度を不遜と感じる人も多いだろう。 日本未来の党。いいと思う。「自由」と同様、「未来」は単純に響きのいい言葉で、気持ちをアゲてくれる。こわい未来もあるけども、日本人にとって未来とはアトムでありドラえもんであろう。また、「自由」「民主」という文脈から外れていることが、自民党の対抗馬としてのポジションを明確にし、新しいビジョンに期待を持たせる。 みんなの党。生活者が政党に期待するのは「プロとして何かやってくれそう」感だと思う。渡辺代表はそんな期待感に応えてくれそうな実力キャラなのに、ネーミングに反映されていないのがもったいない。これではむしろ大言壮語的な無理を感じ取ってしまう。それにひらがな使いはいい意味でも悪い意味でも幼稚に感じる。そこから来る素人集団的印象も実体との乖離がある。 公明党。「公明」とはどういう意味なんだろう。公明正大が由来なのかな。よくわからないが、学会員ならピンと来るのだろうか。仲間言葉は仲間のつながりを強めてくれる。そういう意味では悪くないネーミングと言える。 国民新党。これはいただけない。歴史をかじっている人なら蒋介石の国民党を連想してしまう。それに「国民」はそれほど気持ちをアゲてくれるワードではない。ただ「日本国に住んでいる人」という、仕組み上の存在としか感じられないからだ。「日本」というワードはいい。血のつながり、文化の継承を感じる時、人は結束しようという本能が働く。今週号のAERAによれば今は女性も右傾化傾向が強まっているらしく、このナショナリズムの高まりに乗らない手はないだろう。日本維新の会、日本未来の党は抜け目なく「日本」を頭に置いている。 新党大地。これはどうだろう。「大地」というワードは農業シズルが強すぎる。北海道の大地から生まれた政党、と言いたいのだろうが生活者に対して何を提案しようとしているのか見えない。しかし、北海道の票田さえ確保すればいいのだ、というところに目標を割り切るならしっかり寄与するネーミングと言えるだろう。 日本共産党。共産主義が人類に災禍をもたらすトンデモ主義だったということがバレバレになってしまってから、「共産党」という名前を掲げ続ける決断には勇気が必要だっただろう。しかしだからこそそのブレなさがあるリスペクトを獲得している。もし党名を変えていたら今頃は消滅していたかも知れない。政権を獲る見込みは果てしなくゼロだと思うが、野党としてはしぶとく生き残ると思う。 社会民主党。ゆるやかな社会主義を標榜するイメージとポジションが、過去には大きな価値を持った。しかし今や「社会」というワードは時代に取り残されている感をもたらしてしまう。福島代表のお花畑な発言もそれに加速をかけている。真面目な話、無邪気に言いたいことだけ言う党、というコンセプトで党名を変更するといいと思う。 以下、なくなった政党。 国民の生活が第一。最初にこの党名を聞いた時、新人コピーライターが浅知恵で書いたようなネーミングだと感じた。何か変わったことをやらかそうと思って、滑っている。これでは、きっと実務上も何か無理なことをやろうとして滑るんだろうな、という印象に結びついてしまう。 太陽の党。これは微妙なネーミング。「太陽」にネガはない。生きるための活力を感じるいいワードだ。しかし由来が「太陽の季節」ということで、石原代表の独裁印象を強めてしまう(逆にそれが有利に働くかもしれないが)。また、太陽の塔の洒落になっているのが、軽々な印象を与える。しかも岡村太郎という、政策と何も関係ないキャラを先に連想させてしまう。 たちあがれ日本。「立ち上がる日本」なら良かったと思う。「たちあげれ」はめんどくさい。えっ、おれがやるわけ?となる。生活者はやりたいのではなく、やってほしいのだから。「立ち上がる」ならネガはなかった。 減税日本。これはよくない。理由は三つ。一つは、人は嫌なものから目を背けるから。「税」のことなど考えたくもないのだ。「減」が付いてればいい、ということにはならない。「糞」は見たくないが「減糞」なら見たい、ということにはならない。もう一つは、減税以外何も考えていない政党なのかと、視野が狭すぎるイメージを与える。もう一つは、生活者にとってお得な言葉を掲げる姿勢が商売的、チラシ的な品の低さを印象づける。河村代表のキャラも相まって、維新はそのあたりの品のないイメージを嫌ったのではないか。 商品にとってネーミングが非常に重要であることは、常識だと思う。政党もネーミングが寄与したり足を引っ張ったりする。僕はそこに広告的プロフェッショナリズムを持ち込むことにはあまり賛成じゃない。自分たちの理想とすることを奇をてらわず、素直に言葉化すればいいと思う。ネーミングの素人が妙にウケを狙おうとすると滑ってしまうので注意していただきたい。