2019年1月8日
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新年の当たり前⑤ 今年も現場行きますよ!

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ここのところ、すっかりデジタルの人間と見做されている自分ですが、そんなことはありません。

クライアントさまの課題解決のためにはデジタルも採り入れなきゃというだけのことでして、「TVCMの企画制作して」「コピー書いて」というレガシーなお仕事もフツーにやっております。
そんな中、最近びっくりするようなことを言われるようになってきました。
「えっ、小霜さん、撮影立ち会うんですか?」

ちょっと意味わからない。
サンドイッチマン状態となること多し。
CDなんだから撮影に立ち会うのは当たり前じゃん?
気になって調べてみると、クライアントのエラい人がいるところにしか現れない、つまりプレゼンと試写しか来ないCDが非常に多いらしい。
以前、エージェンシーのCMプランナーたちが勝手に打ち合わせして「確認してください」って企画を送って来たことがありました。
なんで勝手に進めてるんだ、って怒ったのだけど、彼らからするとCDは打合せに参加しないのが当たり前だったのでしょうね。
何たることか。

クリエイティブディレクターとは、クライアントに対してクリエイティブ・クオリティの保証をするのが役割。
それが、企画もしなければ撮影にも行かない、編集にも行かないではいったいどこに存在理由があるのでしょうか。
撮影で気づくことは非常に多い。
その場の閃きでいいカットが撮れることもあるし、逆に、その場の発見で炎上が防がれることもある。
そして撮影現場にいれば、どんなカットを撮っていたかわかる。
編集では監督がまず繋いだのをチェックするのだけど、うわーこれじゃなー、となることもある。
このままクライアントに見せたら揉めるの必至、大改造必要、という。
そういった時、「こんなカット撮らなかったっけ?」とCDが気づくかどうかで全然違ってくる。
だから僕は、企画打合せは自分で主導し、撮影も編集も最後までチェックします。

最近はコンサルティング的な業務も多くなってきましたが、やはり現場プレイヤーでなければ、机上論しか提言できなくなってしまいます。
僕は評論家になるつもりはありません。
そういう意味でもこれまで通り、いわゆるCM、コピーライティングといったレガシークリエイティブもしっかりやり続けなければと思う次第です。
たいへんだけど仕方ないです。
基本大阪人なので、アホなものばかり作っていたいというどうしょうもない性根もあるのですが…。

振り返れば、2018年はコンテンツの年でした。
ドラマでも映画でも主役〇〇頼みではなく、内容の優れたコンテンツがヒットしました。
これは生活者の視聴態度が全体的にLean BackからLean Forwardに変化して来ているということでしょう。
いいものは自分で見つける時代ということです。
広告においても、これからはコンテンツ=クリエイティブ主導が加速すると予測しています。
まだまだクリエイティブの現場から離れるわけにはいかないなと気を引き締めております。

ということで、新年の野心から新年の当たり前まで①~⑤を一気に書いてしまいましたが、これらを実現するためには自分一人の力では到底無理でして、皆さまのご支援ご助力をいっそう賜りたい次第です。

改めて、本年も何卒よろしくお願いいたします。

欲しい ほしい ホシイ── ヒトの本能から広告を読み解くと(インプレス・ジャパン)>Amazon

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心④ コピーライティングの新しい仕組みづくり

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今年からコピーライティングの新しい「仕組み」を作っていこうと思います。

「コピー」というものの役割がどんどん拡大している、というのが根っこの理由です。
僕は数年前に上梓した自著で、コピーはキャッチフレーズよりもタグラインに価値がある、などと書きました。
その原則は今でも変わっていないと思いますが、キャッチフレーズとタグラインを書くのがコピーライターの役割かというと、それではもう全く足りません。
一例を挙げれば、「検索ワード」は「ハッシュタグワード」に変わって来ていますね。
商品やサービスがSNS内でどのように検索されるか、拡散されるか、そういったコピー作りは旧来のレトリック型キャッチフレーズ作りとは全く頭の使い方が異なります。
Web広告(特にバナー)ではクラスター分けされたターゲットに精緻に刺さるコピーが必要ですが、これも属性でセグメントするのか、興味関心でセグメントするのか、そういったことでコピーの作り方は変わって来ます。
これまでの職人的やり方では対応できないのです。

また、広告主は押し付けを嫌がるようになって来ています。
コピーライターが、これが絶対にいい、といって1案、あるいは2、3案しか持っていかないと「もっと他にも見たい」と言われます。
「①」でも触れましたが、マーケティング担当者がアカウンタビリティ(説明責任)を果たすためには、全方位的に俯瞰した上で、これならコミュニケーション投資で失敗しないという強い確信を持たなければ進めないのです。
僕がコピーやネーミングをプレゼンするやり方は、まず切り口違いの50案ほどをテーブルの上に並べます。
それを広告主が見ていると、無意識に秘めていた思いが顕在化してきて、「自分たちが本当に伝えたかったのはこれだ」とわかってくるんですね。
そこからさらに拡げたり掘ったりをして、最終的な確信まで持っていきます。

ただそのやり方には馬力が必要です。
切り口違いの50案を並べるためには元となる数百案から絞り込まないといけません。
自分一人で360°の切り口を数百出すのはキャパ的に無理があるので、「クラウド」を活用します。
僕の「クラウド」とは、副業コピーライターたちです。
無料広告学校の元受講生に、副業でコピーを書きたいという人たちがいます。
本業としてコピーライターを目指す人もいますが、ほとんどは企画脳を育てることで自分の実務に役立つだろう、また人生の次のステージへの体力づくりになるだろう、と考える人たちです。
コピーライティングはクリエイティブ作業の中で最もストラテジー立案に隣接していますから。
そしてその中には、非常に「使える」人たちがいるんです。
案件によって適した人を数人集めてオリエンし、ガーッと書いてもらいます。
それを僕がディレクションし、また書き直し、50案に絞り込んでいきます。
活躍度合いによってきちんと報酬は払いますし、もちろん手柄を自分のものにしたりはしません。
採用されたらそれを書いた人の名前をコピーライターとしてクレジットします。
このやり方はクライアントさまに大好評で、これまで喜んでもらえなかったことがありません。
エージェンシーやプロダクションにもなかなかできないことで、言葉ひとつひとつのレベルも凌駕していると思います。
僕が商品開発に携わらせてもらったキリンノンアルコールビール「零ICHI」のネーミングは主婦のアイデアでした。

最近、そのやり方を聞きつけた外部クリエイティブディレクターやアートディレクターから彼らを貸し出してほしいという話が来るようになりました。
彼らのモチベーションは企画脳を鍛えることですから、他流試合をしてみたいという意欲も旺盛です。
もし誰かのコピーやネーミングが採用されたらクレジットに名前をしっかり入れる(手柄を横取りしない)ことを条件に開放することとしました。
これは一部のコピーライターたちから反発を招くかもしれません。
しかし自分はもう20年以上前から旧来のコピーライティングではやっていけない時代が来ると警鐘を鳴らしています。
自分のスタンスはあくまでクライアントファーストであり、クライアントのためにどういうやり方がベストかを常に考え続けてきました。
コピーライティング、ネーミング開発についてはこのCD&Crowd体制が現状ではベストと思っており、また、これは国が奨励する第2の人生設計に向けた副業・兼業の流れに完全に合致するものであります。
「量産の元が大事ならAI&CDでもいいんじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、AIは発注主の真意を理解して書き始める、ということをしません。
ただワードを並べ替える作業を高速でするだけ、と言って過言ではないでしょう。
アルゴリズムはほぼ同じでしょうから、AIコピーが普及すると表現の差別性が感じられなくなっていく、というパラドックスも待っているはずです。
まだまだA/Bテストぐらいにしか使えないんじゃないか(逆にA/Bテストになら非常に使える)と思っています。

ちなみにスペシャリストが一人で書く、というやり方じゃないとできないコピーライティングもあります。
企業の経営ビジョンを言葉化するとか、そういうものですね。
ミッション、ビジョン、バリュー、ステートメントといったいわば「CIセット」などは、経営者に寄り添わないととても書けないものなので、これは僕が一人でゼロスクラッチでライティングします。
ところでコピー、スローガン、ネーミング、自分は全てバイアウトします。
これらは発注主のものであり、自分はそれらを作るお手伝いをしているに過ぎないという認識なので、権利を一切持ちません。

ここらで広告コピーの本当の話をします。 (宣伝会議)>Amazon

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心③ イノベーション支援の支援

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社会的な視点でもビジネス的な視点でも、今後のキーワードがイノベーションであることに異論はないと思われます。

ニーチェは「現在に影響を与えているのは未来」と言いました。
調査によれば日本では未来へ悲観的な人が9割です。
となると、明るい未来を切り拓くために、イノベーションを続々と生み出そうという現在の流れは必然ということです。
大企業もオープンイノベーションに頼る時代に突入しています。

ただ、日本はイノベーションアイデアを持ったスタートアップ企業にとって必ずしも良い環境とは言えません。
ラトヴィアがスタートアップ天国となっているのは国自体がテストマーケティングサイズだからです。
日本では大企業や大資本と提携しないとなかなか難しい実状があります。
だから皆で他国に負けないぐらいスタートアップ企業を支援しないといけないわけで、じっさい様々な支援サービスが立ち上がっています。
投資家へのプレゼンの仕方を指導したりとかですね。

ところが、その投資家に悪質な人たちがいるんです。
ただアイデアを食い物にするというだけでなく、低レベルの話では女性起業家の20%が投資家からセクハラを受けたというデータも存在します。
そういった投資家からどう保護し正しい成長軌道に乗ってもらうか、という課題があります。
また、スタートアップ企業のマーケティングの受け皿をどうするか、という課題もあります。
適切なマーケティング支援をしてくれるプレイヤーが、少なくともスタートアップ側からはほぼ見えていません。
人脈を辿って個人レベルで依頼、というのが実状です。

しかし、これらをサポートする新しい仕組みがいくつか立ち上がろうとしています。
自分はそのサポートの仕組みをサポートします。
無料広告学校もそうですが、もともと僕は若者支援をずっとやっていまして、これもその延長として捉えています。
近々公表します。

社会課題解決サポートも、今まで通り注力します。
これまで、iPSを初めて実用化したことで著名な高橋政代先生が主導する神戸アイセンター構想、視覚障害者の社会復帰を後押しするiSEE!運動などをサポートしてきました。
昨年からそれらに加え、障害者の社会復帰を実現していく他の取り組みにも参加しています。
これも大きな事例がひとつ成立しましたので近々公表できると思います。

社会課題解決と言えば、内閣府のお仕事もほとんどがそれに該当します。
ここもエージェンシーとのコネクティング的な示唆をさせていただくことが多く、コミュニケーションロスの防止やメディア費効率化などによって、かなり税金を有効活用できているはずです。
いちおう報酬は出ますが、まあボランティアに近いかなと…。
2018年度の日本のベストバイヤーは僕を買った内閣府で間違いないと思っております。

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心② クリエイティブ・コネクションという新たな役割

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昨年はいろんな、有り難いご縁に恵まれた年でした。

2019年1月現在、内閣府、日本テレビ、電通デジタル、サイバーエージェント、Jeki、AOI Pro.、そして多数の広告主さまと顧問/アドバイザー/ECD契約を結ばせていただいています。
各界のトッププレイヤーとお付き合いしていると、その課題感を得るだけでも自分にとって大きな知見となります。
メディアの記事ではない、ナマの実態を肌で感じられるのは非常に強いことだからです。
それも行政の大所高所からアウトプットの現場までを見られることは自分に立体的な視座を与えてくれ、そこからクライアントさまへ机上論ではない実効性の高いフィードバックをすることができます。
おそらくこのようなポジションにいる人間は日本で自分一人だけでしょう。
今年は、このポジションをさらに拡げます。

そして、広告主直でのご依頼内容、お付き合いの仕方も変化してきています。
自分はずっとクリエイティブディレクターをやって来て、クリエイティブは自ら請け負うのが当たり前でしたし、広告主やエージェンシーの方々もそう思っていたはずです。
でも、僕はあくまで広告主側にいて、エージェンシーがクリエイティブの企画制作をするのをサポートしてほしい、というご依頼が増えて来ているんです。
いろんな事情(契約関係とか権利関係とか)で、クリエイティブはこのエージェンシーに任せることが決まっている、といったケースってけっこうあるんですよね。
でも、なんだかうまくいかない。
そこに自分が入ると、瓦解寸前だったのがうまく回り始めるんです。
「うまくいかない」というのは、表面的には、マス・Web統合があります。
なかなかワンストップで任せられるエージェンシーがいない、また、広告主側のリテラシーが高くないと、エージェンシーも低めに合わせてくる。
こんなことでいいのか?と経営層から叱咤されるのだけど、現場がなかなか期待以上に答えられない。

デジタルは本当に日進月歩です。
たとえば昨年9月、TrueViewのデータをGDNで使うことができなくなり、TrueViewによるファネル設計が難しくなりました(おそらくそのことすら知らないデジタル系の人もまだいるはず)。
YouTubeの広告収入を減少させるようなことをなぜGoogleはやったのか?
この疑問に答えてくれる人はいませんでした。
やや話は逸れますが、日本ではWebCMは短いほどよく観られる、が常識です。
が、米国では一昨年ほど前から逆転現象が始まっているんです。
YouTubeコンテンツは長い方が見られる傾向にあり、Googleは長時間動画をリコメンドするアルゴリズムに変えたようです。
長い動画に広告を入れ込む方がGoogleとクリエイターはWin-Winの関係が築けるというわけです。
つまり、米国ではYouTubeのTV化がいよいよ始まっていて、日本はそれに振り回されている状況。
そこまで仮説立てられていて初めて、じゃあ日本ではどうするべきかという打ち手が考えられるわけですが、広告主もエージェンシーの担当者もほとんど追いついていない実状があります。
いろんな間違った知識や憶測が乱れ飛んでいる中で、成果の出にくいデジタル施策が氾濫しているので、僕のような運用発でコンテンツを評価できる人間が歓迎されるのです。

ただこれはけっこう根の深い話でして、広告主とエージェンシーのいろんな「ズレ」が年々大きくなっているように感じます。
いくら念を入れてオリエンをしても、経営層の真意を掴んでいないプレゼンがなされる、ということは往々にしてあります。
いろんな企業とお付き合いして感じるのは、最も勉強しているのは社長、専務、常務、といった代表取締役なんですよね。
できる人、わかってる人がデジタルマーケティングに長けた他社から横滑りでそこに入ってくると、部長レベルでもう付いていけなかったりします。
でも社長がいちいち現場に顔を出すのも限度がある。
僕はマス・Web統合のご依頼を受けて入ることが多いのですが、元エージェンシーの人間なのでエージェンシーのインサイトもわかります。
ああここを取り違えたのだな、ということで、経営層の言葉を翻訳してあげるとか、それでもダメなら具体的にこういう企画がいいんじゃない、と見せてあげたりとか。
そうすると非常にスムーズに流れ始めるんですね。
撮影や編集も極力立ち会います。
やはり末端まで真意が伝わっていないということはありますし、その場で口を出すことは必ずあります。
さらに言えば、エージェンシーからの見積もりを見てほしいとか、契約内容を見てほしいとか、そんなことを頼まれたりもします。
そうすると、「ここは内制でいいんじゃないですか?」「ここの美術は必要ないんじゃないですか?」とか言うだけで、何千万円と制作費が下がったりするんですよ。
ただそれだけのことで、僕の契約料の何倍もペイします。
何といいますか、自分がやっていることはコンサルティングというよりも、「コネクティング」じゃないかなーと感じること増えました。
単にコストカットを迫って泣かせるのではなく、エージェンシーのモチベーションも上がるようにベストな落としどころを見つけてあげる、そんな役割が期待されるようになって来ていて、経営層大喜びなんです。
今年はそういう仕事の仕方ももうちょっと増やしてみようかなと思っています。
何しろクライアントさまにメチャ喜ばれるものですから。

じつはその先には、「内制化サポート」というものが待ち受けている気がしています。
コミュニケーション施策全てをワンストップで引き受けられるエージェンシーが、現実的にはいないと言ってもいいぐらいの状況の中で、一部の広告主はコンテンツの企画制作でも、メディア運用体制でも、内制化に舵を切り始めています。
お正月の討論番組で、どなたかが「知の再武装」という言葉を発してました。
AIが人間の「知」の一部を引き受けるのだとすると、人間としてAIにはできない領域の知を見直し再強化しなければいけない、といった意です。
マーケティングの内制化に置き換えるならば、それは単にエージェンシーに払うマージンが浮くよね、とか、そういうセコい目的ではなく、デジタルテクノロジーが加速し、企業全体としてデジタルディスラプション(創造的破壊)からどう防衛するのか、あるいはディスラプター側になることはできるのか、そういった「再武装」を伴わなければ意義は浅いでしょう。
いずれそういったサポートもしていきたいと思っています。

2019年1月8日
by kossii
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新年の野心① 「マス・Web統合」さらに「広告・販促統合」へ

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皆さま、明けまして。
(昨年父が他界したものでこれ以上は口に出せませんが・・・)
本年もよろしくお願いいたします!

旧年は自分にとってまた一段ステージを登る年となりました。
これもひとえに皆さまのご支援によるものと感謝しております。

最近、自分の使命は広告業界をもっとより良い世界とすることではないか(シリコンバレーあたりでよく使われそうな言い方ですが…)と感じるようになり、そのような期待を向けられることも多くなってきました。
そのために、今年はこれまでに増して様々な抱負(あるいは野心)を持つこととしました。

まずは、「マス・Web統合」も超えた「広告・販促統合」へのクリエイティブ・ディレクター活動領域拡大です。

クリエイティブのマス・Web統合を自著で提唱したのは1年半ほど前。
これは今や当たり前で、言うまでもないものとなって来たように思います。
ただクリエイティブを統合しても、マス・Webの垣根を越えたアロケーション(=予算配分)をどうするかという課題がくっついて来ることに気づきました。
コミュニケーションの「最適化」とは、コンテンツの最適化を縦軸、予算配分の最適化を横軸とすると、その面積をどれだけ拡げるかということです。
どちらかだけでも成り立たない、両輪のようなものです。

今後、TVのWeb同時配信が始まることとなるでしょう。
そうするとTVとWebの一体化が本格的に始まることとなり、データの相互活用もできるようになっていくと思われます。
ただ、そこに至る道は険しいものがあります。
クリアすべき権利関係が山積みであるのと、ワンセグでの視聴がションボリな体験もあり、民放は腰が引けているからです。
なので、まだしばらくはオン・オフをまたいで分析するメソッドに頼る必要があります。

この課題を克服するために僕は昨年ハートラス社と業務提携し、予算配分最適化メソッドの開発・普及促進を始めました。
Fig.A(Figures for Allocation フィーガー)という名前です(仮 公表前)。
ネーミングが表すとおり、広告主さまからいただく数字データだけで各コミュニケーション施策が何にどれだけ寄与したかを分析、今後の最適配分案を提示します。
現状、再現性は約8割。
「再現性」とは、簡単に言えばTVCMのGRPを1上げると商品が10個売れる、というシミュレーション結果が出たとして、実際にやってみると8個~12個の幅で変動するという意味です。
これは他の類似ツールと比して劣るものではなく、また、回を重ねると約9割まで上がっていきます。

統計学で用いられる重回帰分析という手法があり、やや難しく言うと1つの目的変数を複数の説明変数で予測しようというものです。
ビジネス分野では営業予測や店舗の売上げ予測に使われることがありましたが、変数は品数や値引率、店の面積など。
Fig.Aはこれをコミュニケーション施策の様々な変数に応用できないかと考えたメソッドです。
ツール導入の必要がないので、初期投資にお金がかからず、驚くほど廉価でサービス提供ができます。
また、ツールを使うための人的リソースを割いていただくこともありません。
さらにはスピーディで、2週間以内に分析・提案が可能。
その日の天候など施策外で影響を与えそうなものを変数に組み込むこともできます。
バナーを増やすとコンバージョンが増えるね、といった表層的な分析に留まらず、どの施策がどの施策に影響を与えているのかというアトリビューション(貢献度)も可視化できます。
この技術を持っているのは僕の知る限りでは我々だけで、紹介させていただいた自分のクライアントさまからはとても好評です。

近年マーケティング部署から経営層へのアカウンタビリティ(説明責任)が大きな課題として浮上しています。
つまりコンテンツ制作費、メディア費含め、コミュニケーション投資の対効果がブラックボックス化しているのをなんとかせよと。
「そこはどうしようもないよね」「そのうち誰かがやるよね」と放っておける性分ではないので、自分がその課題解決をしようと意を決した次第です。

また、これまで僕が悩んでいたのは、KPIの設定でした。
たとえばWebCMを流したとします。
動画は静止画よりもクリック率が劣りますから、そこでのコンバージョンはさほど期待しません。
リターゲティングバナーにつなげるためのデータ取得を主目的とします。
しかし、このWebCMの何をもって「うまくいった」と言えるのか?
KPIを完全視聴率と設定したとしても、それが高ければCMとして出来のいいクリエイティブと考えられるのか?
Googleはアルゴリズムを変えて「完全視聴しやすい人」に露出させるようになり、TrueViewの平均完全視聴率は数年前の倍ぐらいになっています。
それは広告が届いたと考えていいのだろうか?
しかし、このWebCMのこのバージョンをこれだけ露出すればこういう効果に繋がる、といったことが可視化できれば、それこそがクリエイティブの評価になるし、メディア運用においてKPIという考え方すら必要なくなるかもしれません。

そして、さらに重要なこと。
Fig.Aはマス・Webにとどまらず、チラシであったり営業マンの数であったり、販促施策や営業施策まで対象とすることができます。
たとえば僕のあるクライアントさんは集客を折り込みチラシに頼っていましたが、このメソッドによって初めてTVCM・Web・チラシ全体の最適アロケーションをすることができました。
また、ある家電メーカーでは売上げ向上のために「広告予算を減らして量販店の派遣店員を増やすべきではないか?」といった議論がなされています。
こうなると、「マス・Web」の領域すら閉じこもった感があります。
デジタル時代に入り、クリエイティブディレクターはコンテンツ発でなく、メディア設計発でコンテンツを企画することが求められていますが、自分はさらに、これを販促領域まで拡げる必要があると考えています。
それによって販促・営業まで含むコミュニケーション投資をさらに柔軟なものとし、ROIをトータルで高めることができます。

自分で提唱しておきながらですが、「マス・Web統合」という課題ですら今や周回遅れの感を抱きます。
繰り返しになりますがマス・Web統合などは当たり前、販促から営業活動まで全てを俯瞰視して、どこにどういうコンテンツを配置してどういうアプローチをするのか、そこまで役割を拡張することで広告クリエイティブディレクターは来たるべき時代に機能すると考えています。

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2018年11月19日
by kossii
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AIはアルヒーポプになれるか

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人類が最も破滅に近づいた日は、1962年10月27日(僕が生まれた5日後)です。
キューバ危機の最中、核ミサイルを搭載したソ連潜水艦が米海軍の封鎖線を突破しようとして駆逐艦から爆雷攻撃を受けた。
これは冷戦が終結してから明らかになったことなんですけど、彼らはもし米軍から攻撃を受けたら核ミサイルを発射するよう命令されてたんですね。
当然、乗組員は発射しようとしたわけですが、そこに乗り合わせていたヴァシーリイ・アルヒーポプという政治将校が猛反対したんです。
それで潜水艦は浮上してソ連に引き返した。
もしその潜水艦に彼が乗っていなかったり、傍観していたら核戦争は起きていました。
政治将校とは共産党の命令を現場に周知させる立場にあるので、やっていることはあべこべだし、ソ連に帰ってから処刑されることも考えられます。
でも彼は、それでも命令に従うべきではないと主張した。
その真の理由はわかりません。
人間的な、世界を破滅に至らせる恐怖によるものだったのかもしれないし、当時のソ連の国力では勝てないという彼なりの計算や愛国心によるものかもしれません。
ただ、その時の彼一個人の判断で僕らはここに生きています。

一方、先制核攻撃を主張し続けたのがアメリカのカーチス・ルメイ。
この人は焼夷弾で日本を焼き払った人なんですが、実は原爆も彼が勝手に投下したことがわかってきてます。
当時の大統領トルーマンは原爆投下をずっとためらっていたようなんですが、何も言ってこないのは承諾したということだ、なんて理由をつけて投下して、それを後で知らされたトルーマンは激高したそうです。
投下しちゃったからにはということで、日本を降伏させるためにやむを得なかったとTVで言ったものだから、トルーマンは人類で初めて原爆を投下させた大統領という汚名に甘んじることとなりました。
結果的に日本は降伏しましたし、冷戦時代は相手に勝つためには先制核攻撃しかないと信じられていましたから、もしかすると、ソ連に勝つという一点においてはルメイの主張が正しかったと言えるかもしれません。
ただケネディ始め、誰も彼の主張を受け容れなかった。
これは人間の本能によるものだと僕は思うんです。
「相手を殺してまで自分が助かりたい」という本能は、人間には備わってないんです。
動物も同じですよ。
縄張り争いで勝っても、相手を殺すまではしないんです。
去って行けば、それ以上はしない。
「自分だけ」という考えは、結果的には自分のためにならないからです。
利他と利己のバランスをどううまく取るかが最終的には自分のためになる、ということを人間も動物も本能でわかっているんです。
孫子も「八部の勝ちが最善」と言ってます。

もしもAIにキューバ危機の判断を委ねたらどうなっただろうか?と思います。
おそらく、かなり高度に発達したAIなら、アルヒーポプと同じ判断をするんじゃないでしょうか。
でも、「自分だけ」にとどまったAIなら、ルメイと同じ判断をするんじゃないでしょうか。

僕はクライアントビジネスをしていますから、クライアントを勝たせるために知恵を絞ります。
かたや、競合相手もまた知恵を絞っているわけで、そこには何らかの敬意のようなものもあるし、仕事の楽しさもその丁々発止から生まれてくると思っています。
ただ、相手を殺そうとまでは思わない。
相手を殺して楽しく感じるのは異常者なんですよ。
遺伝子のエラーです。
昔PlayStationに携わっているとき、セガがハードから撤退しました(これは僕らが殺したと言うよりもセガのオウンゴールだと思います)。
ゲーム業界は一気に冷めました。
ソニーとセガが丁々発止でやり合っている、それが面白くて、自分はソニー側、自分はセガ側、みたいに盛り上がっていたのが、一瞬で殺伐とした空気に包まれ、それ以降PlayStationも当時の元気を取り戻せずにいます。
「自分だけ」は自分のためにもならないとはそういうことでもあります。

株価のボラティリティ(変動の大きさ)は増加するばかりで、日経平均も800円ぐらい普通に下げるようになっています。
これは株の売買にAI技術を導入したことが理由と言われています。
「自分だけ」AIですね。
共存共栄ではなく、自分だけ得をする、自分だけ損をしない、という冷徹な計算に皆が徹すると、世界がぶっ壊れようとどうなろうとお構いなし。
その先に待っているのは経済崩壊であるような気がします。
株というのはそもそも、ある素晴らしいビジネスをカタチにするために、資金を皆で出し合うシステムです。
そこに「自分だけ」が紛れ込むと、そのビジネスがどんなに素晴らしかろうと、ざーっと資金が引いていって終わり、あるいはくだらないビジネスに資金が殺到して創業者に意味のない金を渡すだけ、みたいな世界になるわけです。

広告業界においても、現在のAI技術はまだ「自分だけ」技術です。
これを全ての広告主がそのまんま導入すればどうなるか。
極端に言えば、単なる殺し合いの世界になるでしょうね。
最後に立っているのは誰だ?と。
確かに今も、もはやビジネス界はどうしようもないぐらい殺伐としています。
えっ、あそこが…と、栄華を極めた企業がいつの間にか倒産してたり。
しかし戦いでも堂々と名乗り合う武士の世界もあれば、無人機によるゲーム感覚でミサイルを放つ世界もあります。
「自分だけ」AI技術に判断を委ねるとその世界で生きることじたい嫌になってくるでしょう。
どうやって人間がそれを取り込むのか、制御するのか、広告業界も次に問われるのはそこになるように感じます。

2018年11月10日
by kossii
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「生きた言葉」を書けない人に

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無料広告学校をやっていると、広告クリエイターを目指す人の中にも、どうも、「遊ぶ」表現と「外す」表現の違いがわからない人が増えて来ているように感じます。

「外す」というのは、間違えているということです。
クライアントの課題感を間違えて掴んでいたり、ターゲットインサイトを間違えて捉えていたり、商品優位性の伝え方が曖昧だったり、そういうことを指します。
「遊ぶ」のは、大いに結構なこと。
これは、ターゲットのノリのようなものと波長を合わせ、彼らの関心をグッとこちらに引き寄せることなので、忌避すべきではなくやるべきことなんです。
「遊ぶ」と「外す」をごっちゃにして、表現は硬くて全く気持ちをアゲてくれないのに伝えるべき内容は間違えている、みたいなケースが多いんですよね。

特にキャッチコピーがそうで、教科書みたいな言葉使いをしているわりには言ってることが意味不明だったり。
たとえば昔、僕は毎年PlayStationのブランドスローガンを書いていたのだけど、
「今年は待望のソフトばかり。PlayStation」
なんて言葉よりも、
「キタ、キタ、キタ!PlayStation」
の方がゲーマーの気持ちをグッとつかめる、ということはわかりますよね。
もっと生きてる言葉を使わないとダメ、と教えるのだけど、「生きてる言葉」がどういうものか、どうもピンと来ないようで。

それで、ちょっと考えた。
僕は50年来の漫画マニアだけど、台詞の一言一言にメチャこだわる漫画家がいるわけですよ。
そういう人たちの漫画を読むと、言葉の選び方、使い方、こだわり方、外さない遊び方、が肌で感じ取れるのではないだろうかと。
たとえば沙村広明。
「無限の住人」の原作者ね。
「無限の住人」は、始まった頃は異形の剣士たちが戦うグロっぽい内容でした。
殺した女たちの頭を両肩に縫い付けてる剣士とか…。
でも、途中からそういうのはいなくなって、それぞれ信念を持つ剣士たちが戦う内容になっていったのだけど、読者をぐいぐい引っ張っていったのは綿密なこだわりの台詞回しだと思っています。
で、この人が現代設定の漫画を描いた。
「波よ聞いてくれ」。
カレー屋のウエイトレスがひょんなことで地元AM局のDJをやらされるという内容で、凄いストーリーがあるわけでもない。
でも、台詞がとにかく練られてる。
生きてるんですよ。
読むとなんだか「恐れ入りました」ってかんじになるんですよね。
自分が持っている言葉の「幅」のようなものがいかに狭いかを思い知らされるというか。
コピーライター志望の若手は1巻だけでも読んでみることを勧めます。

後は平野耕太とか。
「ドリフターズ」はファンタジーモノなので、現代に生きてる言葉が使われてるってわけじゃない。
でも、台詞へのこだわりはハンパないものを感じます。
最新の第6巻が11月30日に出ますが、前巻から2年ぐらい空いてるんじゃないかな。
僕は最近やや厭世気味で、今はこれを楽しみに生きているようなものです。
もうちょっと筆を速めてくれよと思うものの、平野耕太の遅筆のおかげで延命しているのかもしれない。
話は逸れてしまったけど、言葉を稼業にするのであれば、こういったものも読むといいですよ。
職種は違えど、良い意味でなんだか負けた気分になるはずです。

2018年11月9日
by kossii
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AIクリエイティブなら20年前にやった

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最近、AIを広告クリエイティブに活用しようという流れが起きていて、それについて語られる記事もよく見かけるようになりました。
正直を言わせていただくと、時々イラッと来ることがあります。
その理由は、AIクリエイティブを語る人のほとんどがクリエイティブ職の人ではないからです。

デジタル系の人はどうもデジタル万能神に仕える信者みたいなところがあって、他職種を舐めてるフシがある気がします。
「これ、クリエイティブの業務に使えるんじゃないですかね」と言われれば僕も素直に「ほほう、それは面白いかもしれませんね」と素直に受け取れるのですが。
クリエイティブをやったこともない人に、わかったように(なぜだか皆申し合わせたかのように腕組みをしながら)「これからはAIがクリエイティブをやる時代」なんて言われるとあんたがクリエイティブの何を知ってるんだよ、という反発心が生まれてしまうわけです。
そのあたり、まだまだ自分も小っちぇえところがあるのですが…。

逆説的な言い方に聞こえるかもしれませんが、AIがやっていることはクリエイティブそのものです。
クリエイティブとは、これまでになかった組合せを見つけることなので。
「0から1を生み出すのがクリエイティブ」などと言われることありますが、これは全くの見当違いです。
この世の森羅万象で、人類が無から有を生み出したことなどあったでしょうか。
新しい、と言われるものの全ては、すでに存在していたものの、誰も思いつかなかった組合せです。
AIが囲碁で人には気がつかなかった新しい手を生み出すのも、人には気がつかなかった新しいレシピを生み出すのも、組合せのトライ&エラーを高速でやった結果です。

僕は20年前にそのことに気づき、Delphiというプログラム言語で簡単なPCアプリケーションを作りました。
それは、キャッチコピー作成の支援アプリで、コピーを前の句と後の句に分けて、クリックするたびにランダムな組合せを次々に生み出すというものでした。
ほとんどのコピーライターは、たとえば飲料のコピーを書くなら過去の飲料コピーを参考に、不動産のコピーを書くなら過去の不動産コピーを参考に書くと思います。
間違いではないですが、それだけでは足りません。
そこには新しいインプットがないからです。
全く関係ないところから思いがけない言葉を持ってくるとき、化学反応が起きるのです。
こういった、クリエイティブやって来た人間としてわかりきったことを20年も経ってから他業種の人に腕組みで語られるとイラッと来るという次第です。

そもそも、皆が使っている「AI」という言い方じたい正しくありません。
「AI技術」とでも呼ぶべきでしょう。
なぜなら、いま使われているものは人工知能を研究する過程で出て来た技術を流用しているのであって、AIそのものではないからです。
「放射性物質」と呼ぶべきところを「放射能」と呼んでいるのに近いものを感じます。
本当の専門家は放射性物質を放射能などとは表現しません。
もっと正確に言えば、少なくとも現状では、皆が「AI」と呼んでいるものは「RPA(ロボット支援)」ではないでしょうか。

広告業界は何でもふわっとした気分で済ませてしまいがちです。
たとえば「ブランディング」について語れる人はほとんどいませんよね。
ブランドCMとイメージCMの差もわかっていない。
自分の頭で考えないで浅い受け売りをクライアントに伝えて「ちょっと何言ってるかわからない」サンドイッチマン状態にして、今度は自分がクライアントから「ちょっと何言ってるかわからない」オーダーをされるブーメラン現象に陥ったりして。
「デジタル広告」なんて平気で言いますが、「デジタル=Web」ではないですからね?
全く次元の異なる言葉です。
それでヤヤコシイことが起きていたりもしますので、もっと用語の定義をハッキリさせてから使おうよ、と思います。
AIクリエイティブも、ターゲットに観られやすいものを自動生成するとか言いますが、それはどちらかといえば効果測定の話じゃないですか。
運用の自動化にコンテンツも自動で乗せるということであって、それをひっくるめてクリエイティブと呼ぶとわけがわからなくなりますよね。
それでまた「ちょっと何言ってるかわからない」ブーメラン現象に振り回される様子が想像できます。

20年前にせっかく作ったそのアプリですが、すぐ使わなくなりました。
経験を積むうちに、それに頼るよりも自分の直感の方が速くて優秀なものを作れるようになり、つまりは効率が悪くなったからです。
思うに、クリエイティブを自動生成しても、スコアが最大化されるように出し分ける、といったことに使っていては全てが同じ解を目指すことになります。
つまりAIの使い方として自己矛盾を孕んでいますので、いま考えられている使い方では早晩行き詰まることになる気がします。
これはクリエイティブの仕事をやっていた自分ならではの肌感覚です。

広告業界は、常に「OR」思考です。
「TV OR Web」のように。
新しい何かが出て来ると、「取り込もう」ではなくて、自分の茶碗を取り上げるものとしてまずは敵視するんです。
僕は広告クリエイターとして新種と言えるかもしれませんが、そうなると「取り込もう」ではなく意味なく警戒したり敵視したりする人が増えてくるので、ある意味では以前より仕事がしにくくなりました。
彼らからすると古臭いやり方に閉じこもってクリエイティブしている人たちの方が安心できるのでしょう。
でもクリエイティブの人間が「自分たち OR AI」発想でAIを敵視していると他業種の人たちに変なことにされてしまいますよ。
AIをクリエイティブに取り込むならそれはクリエイティブ職によるものであるべきだし、クリエイティブの領域のものはデジタルだって何だってもっとクリエイティブ従事者が語らなければいけないと思います。
自分たちがやることだし、他業種の人はどんなツールを持ったってクリエイティブできるわけがないですから。

2018年8月22日
by kossii
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デジタルは「プレイヤー」に語らせてほしい

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さっき、あるセミナーの録画を観て腰が抜けるほど驚いた、というか呆れました。
「デジタル時代のブランディング」というテーマのもので、それは現在の自分の仕事の中核でもありますから、大いに興味を持って観たのですが、デジタルの「デ」の字も語られず。
TVCMに頼らなくてもヒットした商品はある、とか、そもそもブランディングってこういうことじゃないか、といった話はされていたのだけど、聴衆が興味を持っているのはデジタルメディアを使って具体的にどうブランディングするのかというところのはず。
そこが60分の間、一言もないのですよ。

なんでそんなことになるかというと、講師がわからないから、やったことがないからでしょう。
じゃあなんでそんな人を講師に招聘するかというと、大学教授とか経営者とかを呼ぶと箔が付くだろうという主催者の思惑があるからでしょう。
高いお金を払って聴講する人たちからすると、お金も無駄、時間も無駄(僕は60分を無駄にしました)で、大迷惑です。
そのセミナーは拍手もまばらで、もし僕がその場にいたら「くそっ、生卵を持ってくるべきだったッ!」と歯がみしたかもしれない。

そういうこと以上に、こういうセミナー、つまりデジタル広告をやったことのない人たちのセミナーや講演には大きな弊害を感じます。
デジタルシフトをどんどん机上の空論、画餅にしてしまっているということです。
エージェンシーではいまだにクリエイティブ職がいちばんエラいというムードがあります。
自分の創りたいものを創る、後は知らん、という人に対して周囲は何も言えない、という現状があります。
そういうクリエイターがTVCMを1日かけて1本創る、Webのことなんかどうでもいい、という仕事をしたときにWebはどうなるかというと、プロダクションなどに「Webコンテンツ作ってほしい。でももう予算ないから100万で何とか」といった発注が行くわけですよ。
極端に言えば1千万円必要なものを100万円でなんとか、みたいなやり方が蔓延しているのが今の実態なんです。
つまり、広告コミュニケーションの効率化のためにデジタルシフトを進めましょう、という大義名分の元、誰かが泣いている、無理しているのを「効率化」にすり替えているのが広告業界の一つの真実でもあるのです。
そのデジタルシフトのウソをどのようにホントにするのか、それが業界の喫緊の課題であると僕は認識しています。

僕の場合、たとえば運用コンサルと打ち合わせして、最適化のためにコンテンツは6バリエーションほしいという話になったとして。
実際それを作るとなると撮影に2日かかる。
それは予算に見合わない。
3バリエーションなら1日でできそう。
じゃあこういう3バリエーションならどうか、みたいなやり取りを繰り返して、クライアントに逆提案するといったやり方をしていますが、そんなこと、現場経験のない人には想像もつかないでしょう?
僕は僕のやり方で、広告デジタル化による効率化が非効率化のパラドックスに陥らないよう試行錯誤しています。
そして、他に「自分はこういうやり方をしている」というお話があったらぜひぜひ傾聴したいです。

デジタル化の大号令で、今、現場はホント大変ですよ。
僕も、スタッフに無理させてるなーといつも思います。
自分自身もしんどい。
TV用とWeb用コンテンツをいっぺんに作る、のが僕の基本的なやり方なので、撮影も編集も濃密になり長くなります。
正直、もう現場なんてやめちゃって、大学で教えるとか、本書いてセミナーばかりするとか、ラクな道もあるんじゃないかと毎日思います。
でもそれはジレンマなんですよね。
「プレイヤー」じゃないと、デジタル広告の効率化については語れないと思うから。

デジタルは理論理屈のお勉強が大事、というイメージを持つ人はとても多いように思います。
でも、デジタルほど現場が大事なものもないです。
プレゼンなどクライアントのエラい人がいるときだけ顔を出して、撮影や編集現場は下の人に丸投げ、というCDは多いと聞きます。
マス広告の時代はそれでもCDとしてうまく立ち回れたかもしれませんが、デジタル時代はそうはいきません。
僕もこの歳になって、どこまで体力が持つんかいなと、己との闘いになって来ております。

2018年8月7日
by kossii
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広告クリエイティブディレクターとは何か

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とにかく講演、セミナー、トークセッション、の依頼が多いです。
今年に入ってからは月に2回ぐらいのペース。
その中で、なんとなく感じ始めたことがあります。
冒頭で必ず「自己紹介をお願いします」と促されるのだけど、以前に比べて、自分をどう説明すればいいのかが難しくなってきたような。
「基本的には広告のクリエイティブディレクターです」。
と言いながら、クリエイティブディレクターという肩書に違和感を覚えたりしています。

自分が今、クリエイティブディレクターとしてやっていることを一言で説明すると、どういうことになるだろう?
うーん。

結論。
広告クリエイティブディレクターとは、
「最適解をはじき出す」
職種です。

発注主は、いろんな事情を抱えていて、社会はどんどん複雑で厄介になっていて、表現の制約は狭まる一方で、それでいてメディアやツールの幅は拡がり続けている。
その中から「最適解」をはじき出すのがCDの役割であって、それができるのはCDしかいないということです。
そしてその認識を、業界全体に浸透させたいと思います。

これまでCDとはクリエイティブチームの偉い人(あるいはなれの果て)というポジションでした。
現在のエージェンシーでは年功序列で、ある歳になるとクリエイターには誰でもCDという肩書が付きます。
でもこれからは、クリエイティブの経験を積んでいるだけではCDを名乗れなくなると思います。
企画制作に長けているのとはまた異なる能力が求められるはずだからです。

講演でよく言うことですが、デジタルシフトの課題はLogicからExecutionに移っています。
デジタルのLogic通りにやることで、必要な人のリソースが増えたり予算が増えたりして、かえって効率が悪くなる、アウトプットがいい加減になる、といったパラドックスが起きています。
制作現場が最適解をはじき出せない限り、結局デジタルシフトは画餅ということで、残念ながら今の実態としてはそのような状況がほとんどであるように思われます。
これはCDというものの役割認識に大きな問題があるのではということです。

非常によく聞く話として、僕に新規のご依頼を検討する際に、「こんな予算では失礼だ」というものがあります。
これは大いなる勘違いです。
予算もCDがクリアすべき事情のひとつに過ぎないわけで、その制約の中での最適解は何かを考えるのも自分の役割なのですから。
また、「小霜さんの仕事の領域はどこですか?」と聴かれることもあります。
「ストラテジーからコンテンツのアウトプットまで全部ですが?」と答えると、怪訝な顔をされます。
この人なに言ってんの?的な。
広告業界にはまだまだ縦割り的思考が根付いていて、誰もがあるジャンルのスペシャリストなのだ、と考える人が多いです。
僕はクリエイティブについてはスペシャリストですが、ストラテジーについても、メディアプラニングについても、全体のゼネラリストでなければいけないと思っています。
そうじゃないと最適解が出せないからです。

これまで広告クリエイターとして評価されてきた方々は、「作品」で評価されてきました。
そして、優れた「作品」を生み出すスペシャリストであるためにはある程度の我が儘が必要なのも事実だと思います。
僕もマス時代にはある程度我が儘に表現にこだわってきました。
なのでCDとは我が儘なクリエイターの親玉というイメージが付いてしまっているのですが、今後はそれを改めなければいけません。
CDとして優れた人=我が儘に効率を無視する人、という図式が浸透したままでは、デジタルシフトのパラドックスから抜け出す役割の人がいなくなってしまいます。
様々な要素を全ていったん腹に収めて、どれだけ優れた最適解をはじき出せるか、それがデジタル時代のCDの評価であるべきです。
そういう意味を込めて、僕は自分を説明するとき、「広告クリエイティブディレクター」と言おうと思います。