2018年11月10日
by kossii
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「生きた言葉」を書けない人に

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無料広告学校をやっていると、広告クリエイターを目指す人の中にも、どうも、「遊ぶ」表現と「外す」表現の違いがわからない人が増えて来ているように感じます。

「外す」というのは、間違えているということです。
クライアントの課題感を間違えて掴んでいたり、ターゲットインサイトを間違えて捉えていたり、商品優位性の伝え方が曖昧だったり、そういうことを指します。
「遊ぶ」のは、大いに結構なこと。
これは、ターゲットのノリのようなものと波長を合わせ、彼らの関心をグッとこちらに引き寄せることなので、忌避すべきではなくやるべきことなんです。
「遊ぶ」と「外す」をごっちゃにして、表現は硬くて全く気持ちをアゲてくれないのに伝えるべき内容は間違えている、みたいなケースが多いんですよね。

特にキャッチコピーがそうで、教科書みたいな言葉使いをしているわりには言ってることが意味不明だったり。
たとえば昔、僕は毎年PlayStationのブランドスローガンを書いていたのだけど、
「今年は待望のソフトばかり。PlayStation」
なんて言葉よりも、
「キタ、キタ、キタ!PlayStation」
の方がゲーマーの気持ちをグッとつかめる、ということはわかりますよね。
もっと生きてる言葉を使わないとダメ、と教えるのだけど、「生きてる言葉」がどういうものか、どうもピンと来ないようで。

それで、ちょっと考えた。
僕は50年来の漫画マニアだけど、台詞の一言一言にメチャこだわる漫画家がいるわけですよ。
そういう人たちの漫画を読むと、言葉の選び方、使い方、こだわり方、外さない遊び方、が肌で感じ取れるのではないだろうかと。
たとえば沙村広明。
「無限の住人」の原作者ね。
「無限の住人」は、始まった頃は異形の剣士たちが戦うグロっぽい内容でした。
殺した女たちの頭を両肩に縫い付けてる剣士とか…。
でも、途中からそういうのはいなくなって、それぞれ信念を持つ剣士たちが戦う内容になっていったのだけど、読者をぐいぐい引っ張っていったのは綿密なこだわりの台詞回しだと思っています。
で、この人が現代設定の漫画を描いた。
「波よ聞いてくれ」。
カレー屋のウエイトレスがひょんなことで地元AM局のDJをやらされるという内容で、凄いストーリーがあるわけでもない。
でも、台詞がとにかく練られてる。
生きてるんですよ。
読むとなんだか「恐れ入りました」ってかんじになるんですよね。
自分が持っている言葉の「幅」のようなものがいかに狭いかを思い知らされるというか。
コピーライター志望の若手は1巻だけでも読んでみることを勧めます。

後は平野耕太とか。
「ドリフターズ」はファンタジーモノなので、現代に生きてる言葉が使われてるってわけじゃない。
でも、台詞へのこだわりはハンパないものを感じます。
最新の第6巻が11月30日に出ますが、前巻から2年ぐらい空いてるんじゃないかな。
僕は最近やや厭世気味で、今はこれを楽しみに生きているようなものです。
もうちょっと筆を速めてくれよと思うものの、平野耕太の遅筆のおかげで延命しているのかもしれない。
話は逸れてしまったけど、言葉を稼業にするのであれば、こういったものも読むといいですよ。
職種は違えど、良い意味でなんだか負けた気分になるはずです。

2018年11月9日
by kossii
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AIクリエイティブなら20年前にやった

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最近、AIを広告クリエイティブに活用しようという流れが起きていて、それについて語られる記事もよく見かけるようになりました。
正直を言わせていただくと、時々イラッと来ることがあります。
その理由は、AIクリエイティブを語る人のほとんどがクリエイティブ職の人ではないからです。

デジタル系の人はどうもデジタル万能神に仕える信者みたいなところがあって、他職種を舐めてるフシがある気がします。
「これ、クリエイティブの業務に使えるんじゃないですかね」と言われれば僕も素直に「ほほう、それは面白いかもしれませんね」と素直に受け取れるのですが。
クリエイティブをやったこともない人に、わかったように(なぜだか皆申し合わせたかのように腕組みをしながら)「これからはAIがクリエイティブをやる時代」なんて言われるとあんたがクリエイティブの何を知ってるんだよ、という反発心が生まれてしまうわけです。
そのあたり、まだまだ自分も小っちぇえところがあるのですが…。

逆説的な言い方に聞こえるかもしれませんが、AIがやっていることはクリエイティブそのものです。
クリエイティブとは、これまでになかった組合せを見つけることなので。
「0から1を生み出すのがクリエイティブ」などと言われることありますが、これは全くの見当違いです。
この世の森羅万象で、人類が無から有を生み出したことなどあったでしょうか。
新しい、と言われるものの全ては、すでに存在していたものの、誰も思いつかなかった組合せです。
AIが囲碁で人には気がつかなかった新しい手を生み出すのも、人には気がつかなかった新しいレシピを生み出すのも、組合せのトライ&エラーを高速でやった結果です。

僕は20年前にそのことに気づき、Delphiというプログラム言語で簡単なPCアプリケーションを作りました。
それは、キャッチコピー作成の支援アプリで、コピーを前の句と後の句に分けて、クリックするたびにランダムな組合せを次々に生み出すというものでした。
ほとんどのコピーライターは、たとえば飲料のコピーを書くなら過去の飲料コピーを参考に、不動産のコピーを書くなら過去の不動産コピーを参考に書くと思います。
間違いではないですが、それだけでは足りません。
そこには新しいインプットがないからです。
全く関係ないところから思いがけない言葉を持ってくるとき、化学反応が起きるのです。
こういった、クリエイティブやって来た人間としてわかりきったことを20年も経ってから他業種の人に腕組みで語られるとイラッと来るという次第です。

そもそも、皆が使っている「AI」という言い方じたい正しくありません。
「AI技術」とでも呼ぶべきでしょう。
なぜなら、いま使われているものは人工知能を研究する過程で出て来た技術を流用しているのであって、AIそのものではないからです。
「放射性物質」と呼ぶべきところを「放射能」と呼んでいるのに近いものを感じます。
本当の専門家は放射性物質を放射能などとは表現しません。
もっと正確に言えば、少なくとも現状では、皆が「AI」と呼んでいるものは「RPA(ロボット支援)」ではないでしょうか。

広告業界は何でもふわっとした気分で済ませてしまいがちです。
たとえば「ブランディング」について語れる人はほとんどいませんよね。
ブランドCMとイメージCMの差もわかっていない。
自分の頭で考えないで浅い受け売りをクライアントに伝えて「ちょっと何言ってるかわからない」サンドイッチマン状態にして、今度は自分がクライアントから「ちょっと何言ってるかわからない」オーダーをされるブーメラン現象に陥ったりして。
「デジタル広告」なんて平気で言いますが、「デジタル=Web」ではないですからね?
全く次元の異なる言葉です。
それでヤヤコシイことが起きていたりもしますので、もっと用語の定義をハッキリさせてから使おうよ、と思います。
AIクリエイティブも、ターゲットに観られやすいものを自動生成するとか言いますが、それはどちらかといえば効果測定の話じゃないですか。
運用の自動化にコンテンツも自動で乗せるということであって、それをひっくるめてクリエイティブと呼ぶとわけがわからなくなりますよね。
それでまた「ちょっと何言ってるかわからない」ブーメラン現象に振り回される様子が想像できます。

20年前にせっかく作ったそのアプリですが、すぐ使わなくなりました。
経験を積むうちに、それに頼るよりも自分の直感の方が速くて優秀なものを作れるようになり、つまりは効率が悪くなったからです。
思うに、クリエイティブを自動生成しても、スコアが最大化されるように出し分ける、といったことに使っていては全てが同じ解を目指すことになります。
つまりAIの使い方として自己矛盾を孕んでいますので、いま考えられている使い方では早晩行き詰まることになる気がします。
これはクリエイティブの仕事をやっていた自分ならではの肌感覚です。

広告業界は、常に「OR」思考です。
「TV OR Web」のように。
新しい何かが出て来ると、「取り込もう」ではなくて、自分の茶碗を取り上げるものとしてまずは敵視するんです。
僕は広告クリエイターとして新種と言えるかもしれませんが、そうなると「取り込もう」ではなく意味なく警戒したり敵視したりする人が増えてくるので、ある意味では以前より仕事がしにくくなりました。
彼らからすると古臭いやり方に閉じこもってクリエイティブしている人たちの方が安心できるのでしょう。
でもクリエイティブの人間が「自分たち OR AI」発想でAIを敵視していると他業種の人たちに変なことにされてしまいますよ。
AIをクリエイティブに取り込むならそれはクリエイティブ職によるものであるべきだし、クリエイティブの領域のものはデジタルだって何だってもっとクリエイティブ従事者が語らなければいけないと思います。
自分たちがやることだし、他業種の人はどんなツールを持ったってクリエイティブできるわけがないですから。

2018年8月22日
by kossii
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デジタルは「プレイヤー」に語らせてほしい

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さっき、あるセミナーの録画を観て腰が抜けるほど驚いた、というか呆れました。
「デジタル時代のブランディング」というテーマのもので、それは現在の自分の仕事の中核でもありますから、大いに興味を持って観たのですが、デジタルの「デ」の字も語られず。
TVCMに頼らなくてもヒットした商品はある、とか、そもそもブランディングってこういうことじゃないか、といった話はされていたのだけど、聴衆が興味を持っているのはデジタルメディアを使って具体的にどうブランディングするのかというところのはず。
そこが60分の間、一言もないのですよ。

なんでそんなことになるかというと、講師がわからないから、やったことがないからでしょう。
じゃあなんでそんな人を講師に招聘するかというと、大学教授とか経営者とかを呼ぶと箔が付くだろうという主催者の思惑があるからでしょう。
高いお金を払って聴講する人たちからすると、お金も無駄、時間も無駄(僕は60分を無駄にしました)で、大迷惑です。
そのセミナーは拍手もまばらで、もし僕がその場にいたら「くそっ、生卵を持ってくるべきだったッ!」と歯がみしたかもしれない。

そういうこと以上に、こういうセミナー、つまりデジタル広告をやったことのない人たちのセミナーや講演には大きな弊害を感じます。
デジタルシフトをどんどん机上の空論、画餅にしてしまっているということです。
エージェンシーではいまだにクリエイティブ職がいちばんエラいというムードがあります。
自分の創りたいものを創る、後は知らん、という人に対して周囲は何も言えない、という現状があります。
そういうクリエイターがTVCMを1日かけて1本創る、Webのことなんかどうでもいい、という仕事をしたときにWebはどうなるかというと、プロダクションなどに「Webコンテンツ作ってほしい。でももう予算ないから100万で何とか」といった発注が行くわけですよ。
極端に言えば1千万円必要なものを100万円でなんとか、みたいなやり方が蔓延しているのが今の実態なんです。
つまり、広告コミュニケーションの効率化のためにデジタルシフトを進めましょう、という大義名分の元、誰かが泣いている、無理しているのを「効率化」にすり替えているのが広告業界の一つの真実でもあるのです。
そのデジタルシフトのウソをどのようにホントにするのか、それが業界の喫緊の課題であると僕は認識しています。

僕の場合、たとえば運用コンサルと打ち合わせして、最適化のためにコンテンツは6バリエーションほしいという話になったとして。
実際それを作るとなると撮影に2日かかる。
それは予算に見合わない。
3バリエーションなら1日でできそう。
じゃあこういう3バリエーションならどうか、みたいなやり取りを繰り返して、クライアントに逆提案するといったやり方をしていますが、そんなこと、現場経験のない人には想像もつかないでしょう?
僕は僕のやり方で、広告デジタル化による効率化が非効率化のパラドックスに陥らないよう試行錯誤しています。
そして、他に「自分はこういうやり方をしている」というお話があったらぜひぜひ傾聴したいです。

デジタル化の大号令で、今、現場はホント大変ですよ。
僕も、スタッフに無理させてるなーといつも思います。
自分自身もしんどい。
TV用とWeb用コンテンツをいっぺんに作る、のが僕の基本的なやり方なので、撮影も編集も濃密になり長くなります。
正直、もう現場なんてやめちゃって、大学で教えるとか、本書いてセミナーばかりするとか、ラクな道もあるんじゃないかと毎日思います。
でもそれはジレンマなんですよね。
「プレイヤー」じゃないと、デジタル広告の効率化については語れないと思うから。

デジタルは理論理屈のお勉強が大事、というイメージを持つ人はとても多いように思います。
でも、デジタルほど現場が大事なものもないです。
プレゼンなどクライアントのエラい人がいるときだけ顔を出して、撮影や編集現場は下の人に丸投げ、というCDは多いと聞きます。
マス広告の時代はそれでもCDとしてうまく立ち回れたかもしれませんが、デジタル時代はそうはいきません。
僕もこの歳になって、どこまで体力が持つんかいなと、己との闘いになって来ております。

2018年8月7日
by kossii
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広告クリエイティブディレクターとは何か

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とにかく講演、セミナー、トークセッション、の依頼が多いです。
今年に入ってからは月に2回ぐらいのペース。
その中で、なんとなく感じ始めたことがあります。
冒頭で必ず「自己紹介をお願いします」と促されるのだけど、以前に比べて、自分をどう説明すればいいのかが難しくなってきたような。
「基本的には広告のクリエイティブディレクターです」。
と言いながら、クリエイティブディレクターという肩書に違和感を覚えたりしています。

自分が今、クリエイティブディレクターとしてやっていることを一言で説明すると、どういうことになるだろう?
うーん。

結論。
広告クリエイティブディレクターとは、
「最適解をはじき出す」
職種です。

発注主は、いろんな事情を抱えていて、社会はどんどん複雑で厄介になっていて、表現の制約は狭まる一方で、それでいてメディアやツールの幅は拡がり続けている。
その中から「最適解」をはじき出すのがCDの役割であって、それができるのはCDしかいないということです。
そしてその認識を、業界全体に浸透させたいと思います。

これまでCDとはクリエイティブチームの偉い人(あるいはなれの果て)というポジションでした。
現在のエージェンシーでは年功序列で、ある歳になるとクリエイターには誰でもCDという肩書が付きます。
でもこれからは、クリエイティブの経験を積んでいるだけではCDを名乗れなくなると思います。
企画制作に長けているのとはまた異なる能力が求められるはずだからです。

講演でよく言うことですが、デジタルシフトの課題はLogicからExecutionに移っています。
デジタルのLogic通りにやることで、必要な人のリソースが増えたり予算が増えたりして、かえって効率が悪くなる、アウトプットがいい加減になる、といったパラドックスが起きています。
制作現場が最適解をはじき出せない限り、結局デジタルシフトは画餅ということで、残念ながら今の実態としてはそのような状況がほとんどであるように思われます。
これはCDというものの役割認識に大きな問題があるのではということです。

非常によく聞く話として、僕に新規のご依頼を検討する際に、「こんな予算では失礼だ」というものがあります。
これは大いなる勘違いです。
予算もCDがクリアすべき事情のひとつに過ぎないわけで、その制約の中での最適解は何かを考えるのも自分の役割なのですから。
また、「小霜さんの仕事の領域はどこですか?」と聴かれることもあります。
「ストラテジーからコンテンツのアウトプットまで全部ですが?」と答えると、怪訝な顔をされます。
この人なに言ってんの?的な。
広告業界にはまだまだ縦割り的思考が根付いていて、誰もがあるジャンルのスペシャリストなのだ、と考える人が多いです。
僕はクリエイティブについてはスペシャリストですが、ストラテジーについても、メディアプラニングについても、全体のゼネラリストでなければいけないと思っています。
そうじゃないと最適解が出せないからです。

これまで広告クリエイターとして評価されてきた方々は、「作品」で評価されてきました。
そして、優れた「作品」を生み出すスペシャリストであるためにはある程度の我が儘が必要なのも事実だと思います。
僕もマス時代にはある程度我が儘に表現にこだわってきました。
なのでCDとは我が儘なクリエイターの親玉というイメージが付いてしまっているのですが、今後はそれを改めなければいけません。
CDとして優れた人=我が儘に効率を無視する人、という図式が浸透したままでは、デジタルシフトのパラドックスから抜け出す役割の人がいなくなってしまいます。
様々な要素を全ていったん腹に収めて、どれだけ優れた最適解をはじき出せるか、それがデジタル時代のCDの評価であるべきです。
そういう意味を込めて、僕は自分を説明するとき、「広告クリエイティブディレクター」と言おうと思います。

2018年5月7日
by kossii
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山口達也事件に思うことぜんぶ

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もう十年以上前になりますが、TOKIOの楽曲のCMを作ったことがあります。
彼らはホント無邪気なヤツらで、良い意味で子どもでした。
松岡君がガキ大将、それをクールに眺めている長瀬君、というかんじ。
撮影で「ヨーイ、スタート!」て監督が言うと、演技した後で松岡君がやって来て、
「なんかスタートって飽きちゃって、どうもやる気がでないんですよ。違う言い方してくれませんか」
「違う言い方ってたとえばどういう?」
「うーん…牛丼とか?」(メンバー爆笑 長瀬除く)
「うーん…わかりました。ヨーイ、牛丼!」(爆笑して演技にならない)
みたいなノリ。
それとは別にメンバーの何人かとプライベートで飲んだこともありましたが、普通に愉快に飲んでました。
単に気のいいヤツらなんです。
確か山口君もいたんじゃないかな。
あれからずいぶん経つけど、いつどこでこうなっちゃったかなあと。
あの頃からそうだったんだろうか。
TOKIO4人の会見を見て、いろいろといたたまれない気分になりました。

TOKIOが通常のバンドなら、ベースを新しい人に替えればまあ、活動は継続できます(リッチー・ブラックモアは首切り魔王と呼ばれるぐらいレインボーのボーカルを次々と替えましたよね)。
ジャニーズでメンバーが「抜ける」はあっても「替える」は聞いたことがない。
やはりそこはアイドルだから、仲間の連帯や友情という夢を壊すことになるからでしょうか。
彼らもバンドではあるがアイドルです。
その進退窮まった辛さがわかります。

「Rの法則」は、毎回録画して、たとえば「ラノベでキュンと来る台詞ランキング」とか面白そうなものはチェックしてました。
へー、そんなのがウケるのか、と。
山口君は僕のようなオッサンの代弁者としてMCをやってくれていたと思います。
良い意味で枯れた、相談役として頼れる兄貴分、という存在でしたね。
それを裏切った罪、これが最も重いように感じます。
やっぱり大人は…と不信感を増した子どもたちは多かったかもしれないからです。
政府広報は毎年、未成年を対象とした性被害に遭わないためのコミュニケーションを行っています。
たとえばSNSリテラシーの向上啓発とか。
ここでいうリテラシーとは、SNSで騙されない知識、という意味です。
SNSの匿名性を利用して、女子中学生や女子高生のふりをして仲良くなり、言葉巧みに下着姿とかヌードの自撮り写真を送らせるオッサンたちがいるんですよね。
仲間のように見えても、実はそうじゃない場合があるよ、気をつけなさいよ、と。
なんだかそれに近いものを感じてしまいました。
番組の継続は難しいんじゃないでしょうか。
NHKの怒りはわかります。

最近、タレント費が高騰気味です。
タレント事務所と契約を結ぶ際、キャスティング事務所が中に入るのが通常ですが、彼らのフィーは契約金の1~2割が相場と言われています。
ただここはブラックボックスで、実際にどのくらい取っているのかはわかりません。
それがどうも、4~5割も抜くケースがあるようなのです。
その理由は「不祥事が多すぎるから」。
タレントが不祥事を起こすと、制作中の映画やドラマは良くて再編集、最悪はお蔵入り。
TVCMは契約打ち切りで新タレントの新CMをすぐに作ることになります。
いろんな企業や関係者が莫大な損失を被ります。
契約上は、その損失を補填すべきはタレント事務所です。
が、そうすんなりとはいきません。
現実は、うちはこれだけ泣くからそっちはこれだけ泣いてくれないか、みたいなことになります。
金銭だけで解決する問題とも言えません。
タレントと契約するということは、そのタレントがブランドや企業の「顔」になるということです。
だからタレントのイメージ毀損はブランドや企業のイメージ毀損につながります。
僕の場合は幸いなことに、これまで契約中のタレントさんが問題を起こすということはありませんでした。
運に恵まれていただけです。
だってその人がどんな人か知りようがないですから。
でももし何らかの不祥事があれば、理不尽ではありますが、クライアントは「このタレントを提案したヤツが悪い」と怒りの矛先をこっちに向けたことでしょう。

タレントは「みなし公人」であるとされます。
世の中に対して影響力が大きい人、という意味です。
タレントの皆さんはそこを再認識していただきたい。
タレントはやはりどこまで行っても偶像であると思います。
それをやり切る覚悟が必要です。
昔のタレントは生活者の求める偶像をきっちり演じ切っていました。
アイドルは恋愛もしなければ、ましてやウンコなどしないのだ!と。
そんなことを皆で共有してたのです。
昨今は等身大でがんばるタレントに親近感を抱く人が増え、映像上のイメージと実際の人物の差がどんどん縮まっていってる気がします。
とは言え、それはそれで偶像なのです。
そこをとことん、死ぬまで演じ切っていただきたいと切に願います。

2018年3月5日
by kossii
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「水道救急センター」の宣伝をしたいと思った

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大阪出張からトンボ返りで品川に着き、そこからタクシーでプロダクションに向かっていたら、妻から慌てた様子の電話が。

キッチンの蛇口が壊れて水漏れがし始めた。
メーカーのクリナップに電話したが何時間も繋がらなかった(電話サポートは「2回に1回つながる」頻度がベストと言われてます。このサポート体制は問題ありますね)。
それでネットで調べた水道修理業者に来てもらった。
その業者さんが言うには、蛇口ごと交換の必要があり、今くっついているのはINAX製だが、INAXの部品は持っていないのでTOTOに取り替えたいと。
じゃあやってくれということになったが、なぜか蛇口が全く外れない。
もう何時間もウンウンとあれこれ試しているがダメ。
かたや、ようやくクリナップのサポートに繋がった。
INAXから連絡させると言われ、INAXから電話が来たが、明日修理の下請け会社から改めて電話させると言われた。
業者は、工事部を呼んでバーナーで切らせるのでもうちょっと待ってくれと言っている(夜の8時)。
さて、どうしたらいいだろうか?と。

つまり、INAXだと修理が明日以降になる。
それまで料理ができないから家族の食事が店屋物になってしまうと(ちなみにその日、僕は昼も夕も駅弁でした)。
しかしその業者にこのまま任せるのも不安だと。
バーナーで切らせて「やっちまったー!」にならないか?
でもここまでがんばらせといて帰らせるというのも…。
僕の意見は、そりゃINAXを待つべきだと思う、もし業者に無理をされて取り返しのつかないことになったら大変だろう、と。
自分は状況を見てないしよくわからないから判断はまかせるけどもと。
わかった、じゃあそうするわということになりました。
LINEで
「明日の昼何か買ってくることになるけど何がいい?」
「カップヌードルBIG」
「それでいいの?」
「大好物」
妻は気遣いでそう言っていると受け取ったようですが、実際に大好物なのでした。
その時点で僕が気になったのは、その業者は半日も作業していたわけだから、もしかするととんでもない代金を請求されるかもしれず、無駄金だなあ、というものでした。
まあ仕方ない。
ところが、妻がINAXに任せることにすると業者に伝えると、申し訳なかったですとそのまま立ち去ろうとしたらしいんですね。
出張料金は?と聞くと、そんなの受け取るわけにいきません、と言って帰ったそうです。

で、次の日。
INAXの修理係が来て、蛇口を外してくれました。
どうもINAXは専用工具が必要で、一般の業者だとそれを持っていないからバーナーで切る以外やりようがないらしい。
しかし、交換すべき部品は「持ってない」と言うのです。
INAXの部品は取り寄せになるので4日ぐらいかかると。
さらには正規料金になるので、昨日の業者から提案を受けたTOTO製の3割引きと比べると高い。
4日も待てないしTOTOの方が安いのなら、と言うと、INAXの人も「それがいいかもしれません」と快く応じてくれ、出張料金だけ払って再びその業者を呼ぶことに。
電話するとすぐ飛んできて、取り外されたところにTOTO製の蛇口が収まって一件落着。

妻が驚いたのは、その後です。
その業者さん、INAXの領収書を見せてほしいと言ったそうです。
出張修理費、5千円。
そしたら、この5千円はこちらで負担しますと。
本来ならば、昨日の内にすぐ修理してキッチンを使えるようにしないといけなかったのに、それができなかった。
料理させてあげられなかった。
なので、これは自分たちが負担すべきお金ですと。
その話を聞いて、時間と手間がかかったことにかこつけてえらい代金を請求されるんじゃないかと疑っていた自分がなんだか恥ずかしく思えたのでした。
そもそもの料金も格安。
その業者さんは
「水道救急センター」
です。
あまりの誠実さに、少しでも宣伝してあげようと思った次第。

その業者さんもそうだけど、クリナップにせよINAXにせよ、うちに修理に来る人たちは皆さん善良なんですよね。
クリナップで浴槽を修理した時も、
「これは自分で簡単に交換できますから、僕がやると代金かかっちゃいますから、部品だけ送りますよ」とか。
正直。
なぜだろう。
世の中、それが普通なのかな。
広告業界だけが汚れきっているってこと?
わからなくなりました。
喩えて言えば、最新の蛇口が大手業者にも取り付けられなくて困った奥さんが僕に電話してきた。
僕が行って、何とかかんとかうまく取り付けて感謝された。
奥さんが、これからは何かあったら小霜さん呼ぶわと言い始めた。
そしたら大手業者、反省するどころか10人で来たということでボーッと見てるだけの人間も含め10人分の出張費を請求した上、旦那さんに、自分たちでできたのに奥さんが小霜さん呼んじゃったから混乱してしまったと嘘八百を並べ、その家にはもう呼ばれないようにする。
そんな毎日を送っている僕からすると、彼らは別世界の住人のように見えるのです。

2018年2月7日
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交通課の警察官に読んでほしい

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僕は下肢障害者です。
5年前に肉腫の大きな手術をしました。
その内容は、腹部から右脚にかけての筋肉切除、右そけい部の筋肉と皮膚の背中からの移植、右脚大動脈の人工血管化、右脚関節の人工骨頭置換、etc.というもので、右脚の動きはやや不自由になり、退院してから身体障害者手帳をいただきました。
幸いなことに車椅子を必要とするほどではなく、健常者ほどの速さではないものの杖一本で何とか歩けますし、自動車も運転できます。
ただ人工血管が詰まってしまったために、少し歩くと血流不足で右脚が痛んで来ます。
現実的に公共交通機関はほぼ利用できず、ほとんど自動車移動です。
そこでとても役に立っているのが制約がありつつも公道にクルマを停めることのできる歩行困難者用標章です。
僕は1日中あっちこっちへ打合せや編集で移動するので、これの恩恵で仕事ができているといっても過言ではありません。
近場に駐車場があればそこに停めますが、東京では目的地から離れないと駐車スペースが見つからないことが多いですから。

クルマを公道に停めるときは、非常に気を遣います。
道交法上の制約を守ることはもちろんとして、往来の迷惑にならないかどうか。
目的地になるべく近いところで、他のドライバーや歩行者の邪魔にならないポイントを探します。
問題はここからです。
時々、打合せ中に警官のケータイから電話がかかって呼び出されることがあります。
「苦情が来た」と。
クルマのところに行くと、幅広の道路でクルマの行き来もなく、どう見たって誰の迷惑にもなってなかったりするんです。
そこで必ず言われるのが、
「クルマを動かしてください」。
ここに停めると道交法違反になるんですか、と聞くと、ならないと。
「〇〇通りに停めたらどうですか」などと言われることもありますが、明らかにその場所よりも危険で、他のクルマの迷惑で、遠い場所だったりします。
なんでわざわざそんなところに移動させなきゃいけないのか、と問うと、
「苦情が来てますので」。
じゃあなぜ苦情の通報が行くのか、ですが、実のところは通報者が何らかの迷惑を被っているのではなくて、警察が放置車両の取り締まりをサボっていてけしからん、とか、客でもないのに店の前に停めやがって、とか、タクシー運転手がその場所に停められなくて腹が立った、とか、そういうものだろうということです。
そしてそういうクレーマーは執拗に110番するんですが、それでもそのたびに出動しないといけない決まりになっていて、警察官にとっては煩わしいというわけです。
実際、そのように説明されました。
あれは歩行困難者のクルマで道交法違反を冒しておらず取り締まりの対象になりませんって言えばいいじゃないか、とも思うんですが、そういう通報のほとんどは言いっぱなしで自分の連絡先は知らせないそうなのです。

確かに、そんな通報でいちいちチェックしに来ないといけない警察官も大変だなあと同情しますし、そんなことに関わっている間にもっと他の事件解決に時間を割くべきだよなあ、とも思います。
でも、制度の主旨から言えば本末転倒な指示であることは間違いないとも思うんです。
それで築地署に問い合わせました。
自分はどう考えるべきなのかと。
そしたら、
「それは警察官が間違っています。その指示に従って移動する必要はありません」
とキッパリ。
「通報のたびに出動するのは自分たちの義務なので、そのことを気にされる必要もありません」
と。
築地署ちょっと惚れそうになりました。

しかし僕にとっては呼び出されて打合せや作業が中断することがもうダメージなので、苦情の来ない場所、つまりはクレーマーのいない場所を探して停めるようになります。
しかししかしそこまで気を遣っても、やはり呼び出されることあるんですよね…。
つい先日も、クライアントの会社の前に停めていたら、会議中に呼び出されて。
その時はもはや犯罪者扱いです。
本当にこの会社で打ち合わせしていたのか、免許証見せろ、所属会社は、と職務質問のようなことをされたあげく、
「苦情が来たのでクルマ移動してください」。
道交法を守っているし何の迷惑にもなっていない以上、移動する義務はないはずだと抗弁したんですが、全く譲ってくれず。
ありがたいことにその会社の方が、次からはうちの役員駐車場を使えるようにしますからと申し出てくれたんですが、それでも頷かず。
そうこうしている時間がもったいないので、会議を10分で終えて移動するから、ということでようやく納得してくれました。
その会議はそれで台無しです。
所轄の中央署に後で電話して問い合わせたら、やはり、
「移動する義務はないです。そのことを交通課の署員に周知しておきます。申し訳ない」
という答でした。

で、僕が交通課の警察官に言いたいこと。
僕が「歩行困難者」の標章を持っている理由がおわかりでしょうか。
それは、「歩行困難」だからなんですよ!
いちいちクルマを停めた場所まで呼び出されていくのも、それはそれでキツいんです。
法を盾に取るつもりはないですよ。
どなたかの邪魔になっているのであれば「スミマセン!」と言ってすぐ移動します。
そうでもないのに他の遠い場所に停めろというのは、法の番人がこの制度の主旨と真逆のことをやってませんか。
障害者いじめではないですか。
仕事ならまだしも、クリニックで点滴を打っていたりすることもあるわけです。
そんな場合はどうするんでしょうか。
治療を止めて出て来いって言うんでしょうか。
通報が入るたびチェックしに来るのが煩わしい、という現場警察官の気持ちもわかります。
でも、あなた方は健常者で、パトカーやチャリで来るわけでしょう。
わざわざ遠い場所に停め直して、「歩行困難者」が遠い場所を歩き直すのと、どっちが煩わしくてしんどいことかよく考えてほしい。
これは警察官の立場からというよりも、自分のしていることが人としてどうなのか考えてほしい。

それと、意識を変えていただきたい。
僕は障害者が社会で活躍できるための活動をいくつかサポートしています。
自分自身も事例の一つですが、医療の進歩によって障害者として命を取り留める人が増えており、そういう人たちが働くことは日本にとってもその人の生きがいという意味でも良いことと考えるからです。
しかし、障害者の雇用はうまく進んでいるとは言えません。
障害者雇用促進法も改正され法定雇用率が引き上げられましたが、現在、多くの大企業でその雇用率を満たすことができず、身体障害者の取り合いになっています。
なぜか。
雇う側は、「この職場で何ができるか」と考えます。
でも障害者が働く上での最大のハードルは「通勤」なんです。
働く意欲があっても職場に通うことができない、という人がたくさんいらっしゃるんですよ。
顕著な例が視覚障害者。
僕と逆に、彼らはクルマの運転ができないので公共交通機関を利用します。
都心ならまだ整備されているのですが、地方だともうお手上げです。
そして障害者の移動には、物理的なハードルもありますが、心的なハードルもあります。
視覚障害者が移動中の心ないトラブルで引きこもることは少なくないです。
そうなるとその人はもはや社会に貢献できなくなります。
僕だって、何の違反も冒してないのに職務質問のようなことをされたり、クルマを移動するしないでもめたりすると、なんだか、
「おまえが街に出て来ると厄介だから家にいてくれ」
って言われてるような気分になるんですよ。
気持ちが落ちます。
一般の人たちは、たいてい優しいです。
気遣いを感じること多いです。
なのに、行政に携わる警察官が障害者をそんな心情に追い込むことが、どうなのかと。

いや、僕が街に出ることが迷惑なら、この場で引退したって構いません。
毎日コミック読んだりゲームしたりして過ごします。
ただね、僕は自分が経営している法人と個人併せてかなりの納税をしてます。
それを納めるのはできなくなるので、皆さんで僕を養ってもらうことになりますが、いいでしょうか。
意識を変えてほしいというのは、そういうことです。

2018年1月30日
by kossii
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JAA「TVとデジタル商談用共通指標」への提言

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1月29日に催された、JAA(日本広告主協会)のセミナーを聴きに行きました。
全体のテーマとしては広告主としてマスとデジタルの融合をどう進めるか、というものでしたが、セミナーの最後にJAAから各広告主に提唱される「TVとデジタル商談用共通指標」の内容に興味があったからです。
(ちょっと横道に逸れますが、「TVとデジタル」という言い方は厳密には正しくないと僕は思っています。TVからもデータが取れるようになり、CM配信も運用型になっていくかも、という中においてはTVもデジタルメディアと捉えるべきだからです。「TVとWeb」が正しい表現かと。まあ、そこは置いときまして…)
その指標は、流通バイヤーとの商談の場で使う想定で作られたものです。

今まで流通の棚を確保するための取引通貨はTVCMの出稿量、GRPでした。
TVに何GRP出稿するか?以外のコミュニケーション活動は一切無視されてきたのが実状です。
広告コミュニケーションがデジタルシフトしていく中で、Webのコミュニケーション活動が勘案されないのはおかしい、TVCMとWeb動画とひっくるめて評価するように持って行きたい、というのが今回の提唱の眼目です。
僕はこの大方針には喝采を送りたいと思います。
生活者と向き合わず、流通対策のため無駄にTVに出稿するなどといった、合理性を欠くことが今までこの慣習によって生じて来たからです。
また、対流通だけでなく、ここにはいろんな可能性が込められています。
タレントの出演条件もGRPが基本ですし、あちこちにまだはびこっているGRP至上主義がここから改まっていくかもしれません。
何より、これからは「マス・Web統合」で評価するのだ、と広告業界周辺の人たちに意識を変えてもらうことは非常に重要です。
そのような方向で、コミュニケーション活動全体を評価する基準作りの第一歩を踏み出したのは大きな意義のあることと感じた次第です。
それに、今後TVCMの予算がWebに移っていくのは避けられないでしょう。
日本民間放送連盟の規定により、TVCMのオンエア回数には制限があるからです。
TV局がひっちゃきになって視聴率UPを図ろうとするのは、視聴率が上がらなければCM1本あたりの収入が減るからです。
しかしその努力にも関わらず、これから動画コンテンツは地上波以外で楽しむスタイルが増えるはずですから、TVだけでコミュニケーション全体予算を消化しきれないことになり、その分Webでアプローチするのが自然な流れと思います。
今回の共通指標化はその流れに沿ったものと認識しています。

ただ惜しむらくは、内容がちょっと荒っぽすぎる印象が…。
具体的な指標ですが、「率から回へ」の思想で、メディアを問わず、また短尺長尺を問わず動画広告を「何回表示するか」という超シンプルなもので行こう、ということでした。
実はこの手前の「当初案」があり、それは「何人に何回表示するか」というものだったそうなのですが、僕はそっちが正しいのではと感じました。
現状の結論に辿り着くまでには、いろんな要素を検討されたそうです。
ターゲティングの精度の差を盛り込むべきか、とか、ビューアビリティの概念を含めるべきか、などなど。
そういったいろんな要素を含めていくと複雑になりすぎるし、中でも厄介なのが、TVのGRPはターゲットの中で何人に届いたのか把握しやすいが、Webはデバイスやプラットフォームが重なり合っているのでユニークユーザー数を捉えにくい、ということがあり、それでシンプルな総表示回数にしたという説明でした。
しかし、まさにそのデバイスやプラットフォームの重なりを勘案しながらシミュレーションすることこそがリーチとフリクエンシーの最適化、運用というものであり、Webのメディアプランニングとはそれを指すと思っています。
そういったシミュレーションがまだできないエージェンシーも確かに多いですが、デジタルの先端を走っているところはそれをやるのが仕事です。
せっかくTVとWebの共通指標を作ろうというチャレンジなのに、Webの神髄であるリーチとフリクエンシーが排除されているところに、どうも違和感を否めませんでした。
また、TVとWebの大きな差はターゲティングの精度もありますが、リーチ力にもまだまだ大きな開きがあります。
ターゲット1人に何回表示したか?だけではなく、何人に表示したか?を欠いてはTVとWebの正しい評価につながらないように思うのです。

この共通指標をJAAの会員広告主が流通バイヤーとの商談で使う大きな意義として、流通サイドに「デジタル広告量」にも意識を振り向けたいのだ、という説明もありました。
それも大方針として僕に何ら異論はありません。
ただ、逆の危惧も感じました。
この共通指標は、暗にWebの表示1回もTVの表示1回も同じ効果なのだ、と伝えていることになります。
そうすると、同じ表示回数ならコスパのいいやり方を選べばいいじゃん、という短絡的な話につながっていかないかなと。
つまりマスとWebの「or」意識をまたしても再燃させることにならないかな、というのが心配なのです。

マスとWebは「and」意識で統合するのが一番だと僕は思っています。
たとえば、TVCMには「フォロー」という考え方があります。
CMは3回観られると心理変容が起きる、といった定説がありまして、立ち上がり期に続いて、少し時期を置いてからまたオンエアすると効果が高いとされていて、この露出の仕方を「フォロー」と呼びます。
僕は、フォローをバンパー広告でできないかなと考えています。
TVCMを1回観た人に対して(スマートTV利用者からのデータを、推測アルゴリズムによってスマホ全体にひも付けられるようになって来ています)は、全く同じTVCMを見せる必要はなく、要点だけをWebの6秒(余談ながらバンパーは6秒きっかりだと6秒オーバーと認識されることがあるようなので5.8秒で作るのが安全です)で伝えるだけでもリマインド効果は出るのではという仮説です。
もしそういうやり方が一般化すると全体のコミュニケーションコストは激減するはずですし、TVとWebのウィンウィン関係のわかりやすい一例になり得ると思うわけです。

思うに、商談上の共通指標としてはこれまでのGRPのままでよいのではと。
ただし、Webの「係数」を掛け合わせることによって、単にTVCMだけ露出するよりも〇倍になる、という説明をすればいいのではということです。
実際、流通バイヤーに棚取りの商談をする際には、当該商品のコンセプトや広告の概要を記入するフォームが用意されているそうですが、そのフォームはもう「GRP」という単位になっちゃっていて、これをメーカー側が書き換えるわけにはなかなかいかないという実状もあるようです。
これであれば、GRP主義の流儀を大きく崩すハードルなく理解されやすいのではないか、これからはTVだけじゃなくWebとの統合がモノを言うのだという意識付けに寄与するのではないかと思うわけです。
じゃあその係数はどうやって算出するのか。
TVCMに何GRP出稿して、Webメディアのこれに何回、これに何回表示するとこれぐらいの出稿量UPと同等の効果が出る、という計算式を作って、エクセルか何かでJAAの会員広告主に配布すればいいと思うんです。
セミナーには電通の執行役員もいらしてましたが、電通デジタルぐらいの知見があればできるでしょう。
完全な精度は求めにくいと思います。
が、新しい共通指標は「取引指標」ではなく「説明指標」として使ってほしい、というお話もありました。
ならば、大枠の出稿価値を掴む、という目的は達せられると考えます。
では、Webにしか出稿しない場合はどうするのか、ですが、オールターゲットに近い消費財で、TV抜きのアプローチは考えられない、というものはまだまだ多いでしょう。
現状、流通バイヤーとの商談ではTVCMありきがマジョリティであると考えられます。
Webオンリーのコミュニケーションがフィットするのはターゲットが限られる商品です。
それはそのような説明をした上で、あえてTV的なGRPに換算するならばこのぐらい、という見せ方をすればよいのではないでしょうか。
逆に言えばその話に耳を傾けてもらうために、まずはTVCM効果にWebが寄与するのだ、という指標から始めることでスムーズな道筋を作れるのではと思うのです。

僕は、マス・Web統合時代における出稿量の共通指標化にJAAが動いた、というところに大きな意義を感じています。
広告主にダイレクトに呼びかけられるのはJAAしかなく、広告主自身が動かなければ何も変わっていかないからです。
であればこそ、広告主が動きやすい指標であってほしいと思います。
おそらく提唱された指標では、広告主は動きづらいように感じます。
「GRP」の考え方がもう古い、というのは確かにそうで、今後、マス・Web統合コミュニケーションにふさわしい新しい指標が必要とされることは間違いないと思います。
ただ不完全でも「橋渡し」があってこそ次へ進める、というものもあります。
電気自動車の前にハイブリッドが必要だったように、有機ELの前に液晶が必要だったように。
せっかくの一歩を踏み出したのですから、ここで火を絶やすことなく、この指標なら動けると会員広告主の多くが賛同してくれるまで、二の矢三の矢を放っていただきたいなと切に期待します。

2018年1月24日
by kossii
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小霜とのお仕事を検討されている方へ

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おかげさまで、僕もけっこう業界内で名前が売れてきているようで、おそらくこれを書いている今もあちこちで仕事のパートナー候補として名前が挙がっていることと思います。
以前から長いお付き合いの方々は僕の人となりや仕事の進め方をよくご存じなので、単純にその案件にハマるハマらないで判断してくれます。
でも初めての方々は、僕という人間がよくわからないために躊躇されるケースが多いんじゃないでしょうか。
そのお気持ちはよくわかります。
僕も、仕事のパートナーとして、CM監督、アートディレクター、運用コンサル、といった人に声をかけるとき、初めての方だと直接の連絡はなかなか怖くてできません。
ちゃんと労力を割いてやってくれるだろうか、いろんな事情に耳を傾けてくれるだろうか、案件にフィットするだろうか、などなどの不安がよぎります。
結局、いつもの安心な人で…となることが多いのが実状です。

ただ、「マス✕Web」クリエイティブを全体で捉えるクリエイティブディレクターは現状ほとんどいらっしゃらないようで、そこで困った方々が意を決して連絡をくださる、ということが増えています。
「いつもの安心な人」が存在しないわけです。
そこで、僕がどのように仕事と向き合って、どのような考え方で取り組んでいるかを、そのような方々のご参考になるよう書いてみようと思いました。

まず、僕はクライアント・ファーストのスタイルを貫いています(至らないところもあるにせよそのつもりでいます)。
発注主の要求や事情にできる限り答えるために、こちらから合わせる、ということです。
「オレのやり方はこうなんで」と、押しつける自分ファーストは絶対にしません。
そして今後、クライアント・ファーストのためにはWebも知らなくてはいけません。
だから自分の仕事領域にWebを取り込みました。
デジタルクリエイティブの先駆者のような紹介をされることがありますが、マスからデジタルに舵を切った、ということでは全然ないのです。
Webだけで十分な案件ならWebだけ、マスだけで十分な案件ならマスだけ、両方を掛け合わせた方が効率的ならそういう提案をします。
ご依頼内容もものすごく幅広いです。
デジタルクリエイティブはもちろん、普通にTVCM企画、コピー、CI、コンサルティング、商品開発、人材開発、etc.
基本的には何でも屋です。

次に、「コントローラブル」であると思います。
僕からしても、あまりに監督などが「アンコントローラブル」だとやりにくい。
広告の業務っていろんな事情が絡まりながらカタチを作っていくものなので、たくさんの事情や要素をいったん腹に収めて、ガラガラポンでその制約の中でのベストを提示するのがCDの役割でもあります。
その進行の中で、事情を受け容れてくれない人がいるとそこでスタックしちゃうんですよね。
もし僕がそういう人なら、広告主やエージェンシーを困らせることになります。
僕は「作品」づくりということへの執着が全くありません。
成果主義なんです。
どれだけ表現物が褒められようと商品が売れなければ凹みます。
もしそれで賞を獲っても辞退するでしょう。
そして、「成果」の中にはいろんな事情や制約を乗り越えて、という部分も含まれると思っています。
発注主はそこがわかっていますから、よくぞこの複雑な事情を乗り越えてここまで持って行ってくれた、と喜んでくれます。
そういうふうに喜んでもらえたとき、僕は非常に達成感を覚えます。

次に、基本的に仕事は選びません。
大きな仕事はありがたいです。
特にTVCMのシリーズなどは売上げが安定しますから。
でも、仕事の喜びを与えてくれるのはやはり「人」なんですよね。
どこにどんな出会いが潜んでるかわからない。
なので、新規のご依頼は規模の大小に関わらず大歓迎です。
むしろ規模が小さい方が新しいことがしやすい、という個人的喜びはあります。
新しいこととは表現として新しいというだけではありません。
一例で言えば、こないだTV局の方から、Webで番宣をやりたいがどうしていいかわからない、というご相談を受けました。
まず僕は運用会社をご紹介し、どういう運用の仕方がいいかそこと打ち合わせしました。
その番組は旅ものバラエティで5人のタレントが中心になっていたので、ターゲティングとしては、各タレントのファン、旅もの番組好き、すでにその番組のファン、といったセグメントができるのではないかということになり、それぞれのターゲットに合わせて、番組の素材をWebCM用に編集し分けることにしました。
7ターゲット向けに短尺長尺2タイプで計14タイプ。
TV局の編集室に番組ディレクターと1日籠もって編集しました。
運用会社は運用しやすいと喜んでました。
おそらくこれを読んでいる皆さんはこういった仕事のやり方って聞いたことがないし、こういう仕事のやり方をするCDも知らないでしょう?
僕からするとこういうことが「新しい」と感じるんです。
撮影もしないような仕事はしたくないよ、などというのは古い考え方に感じます。
僕はWebCMにちゃんと予算かけましょうよと提唱してますが、それは、同じ撮影もの動画なのにTVCMには3千万、WebCMには3百万、というのはおかしいでしょうと言っているのであって、お金をかけずにすむのであればかけないに越したことはないのです。
TVCMほどの制作費をWebCMにかけよう、というカルチャーはまだ広告業界には育ってないです。
それも「事情」の一つですが、ならば、アリ素材を使ってうまくできないか、アフターエフェクトの簡易アニメと組み合わせるだけでも違うんじゃないか、といった試みをいろいろやっているところです。
そういったものがロールモデルになって、低予算WebCMの業界標準になれば、僕にとっては痛快なことです。
何となく僕の目指しているものがわかってもらえたでしょうか。

次に、座組みについては何でもアリです。
まず、多くの広告主が誤解されてるんですが、エージェンシーさんと僕は競合関係だから一緒にチームを組むのは難しいのではと。
そんなことはありません。
エージェンシーさんと僕は基本的には協業関係です。
エージェンシーからご依頼をいただくとき、最も多いケースは、すでにエージェンシー内にCD以下のクリエイティブスタッフがいて、彼らと一緒にやってほしいというものです。
スタッフの刺激や学びにもなるので、と。
CDが2人立つことになりますが、僕が実質上のECD(CDのさらに一つ上)的な立場でやらせてもらうことになります。
もちろん僕と並び立っての作業を嫌がる人もいるでしょうが、それは個人の問題です。
そういう協業をすることで人間関係でトラブルが生じて業務に支障をきたす、といった例は少なくともこの数年は一つもありません。
最近は広告主サイドのECDとして、エージェンシーさんを下に付けてもらう、といった座組みも増えて来ました。
これにはマス担当とWeb担当がバラバラで、エージェンシーが異なったり、エージェンシー内の意思疎通がちゃんとできていないという背景が大きいです。
広告主側にいる方が、一つにまとめやすいわけです。
また、プロダクションさんから声がかかることも増えました。
WebCMは、エージェンシーを介さずに広告主がプロダクションに直発注するケースが多いです。
しかし、プロダクションもただ下請的に作業するのでは広告主の要求に応えられなくなってきていて、CDとして見てくれないか、というご依頼です。
とにかく外部で自由にスタッフィングしてくれ、というケースもあります。
その場合は案件に応じて、適した人や組織に声をかけてベストと思えるスタッフィングをします。
座組みの考え方もクライアント・ファーストで、発注主の事情によってこちらの体勢を整えるということです。

次に、僕は権威で仕事しません。
権威という意味が、あるカテゴリーに精通したエキスパートということならいいのですが、ただ著名であるとか、ナントカの会員だとか、そういった曖昧な「偉さ」のようなものを後ろ盾に仕事するのは間違っていると思うのです。
打合せにおいては、正しい意見、あるいは面白いアイデアを出す者の勝ち。
それが誰であっても関係ないはずです。
同意できないけどあの人には逆らえないな、といった進行の仕方は間違っているということです。
僕は業界内での自分のポジションがよくわかっていません。
たぶん気にしていないからわからないのだと思います。
広告主のエライさんにも平気で反論しますが、それは今のポジションだからできるのではなくて、20代の頃も同じようにしてました。
正しい意見を言うべき、正しい提案をすべき、という、それだけなんです。
最近はどうも自分の意に反して大御所とか雲上人とか呼ばれることもあり、こんな仕事の相談したら怒られるんじゃないかと思ってました、とか、こんなことで時間取らせたら怒られるんじゃないかと思ってました、とか言われることあるんですが、怒るわけないし。
基本的に僕の内面は30代半ばでCDの仕事をし始めてからそんなに変わった気がしてません(その頃から僕を知っている人はいろいろ異論あるかもしれないけどそれは飲みながら伺うこととします)。

次に…何か聞きたいことありますか?
こないだ酒の席で聞かれたんですが、今後何をモチベーションにして働こうとしてるんですか、と。
「恩返し」みたいなことかもしれないなあ、と答えました。
広告業界のおかげで僕はずいぶんいい思いをさせてもらって来たと感じてます。
それなりに努力もしたし、運もあったでしょうが、やはり先達がきっちりクリエイティブのビジネスモデルを作ってくれていて、そこにうまく乗っかれたことが最も大きいと思っているんです。
そのモデルが崩れてきていて、業界人皆が苦労し始めている。
デジタルシフトって現状はすごく非効率ですからね。
ただ労力が倍になっただけで。
だから、こういうやり方をすればうまくいくんじゃない、とか、こういうふうに頭を切り替えれば楽になるんじゃない、とか、そういう提示をしていきたいなと。
広告クリエイターは、「あの仕事をやった人」として評価されるものです。
僕は、「業界のここを変えた人」として評価されたいと思うようになってきてます。
ちょっと格好付けすぎですかね。

僕の評判を聞くと、きっと二分されると思います。
「素晴らしい人だよ」
「イヤなヤツだよ」
と。
同じ絵画や風景でも観る人によって感じ方が異なるように、要は相性というものだと思います。
取って食いはしませんので、まずはこのサイトに載っているメアドから連絡いただければ幸いです。

2018年1月10日
by kossii
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新年の抱負など

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明けましておめでとうございます。

年が明けると同時にインフルエンザが発症しまして、元旦から寝込んでました…。
年始の予定は全てキャンセルになっちゃったのですが、旧年に溜まった疲れとか澱のようなものを吐き出すデトックスになった気がしています。

昨年上梓した「急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。」が自分の予想を遙かに超えて業界内で話題になり、いろんなご相談が寄せられるようになりました。
マス系クリエイターの視点からデジタルを語った本は初めてということ、また、Webを「第6のマスと考える」「Web動画からWebCMへ」などの提唱が好評を持って受け容れられたようです。

僕はずっと「クライアント・ファースト」の理念を守って仕事してきており、発注主のご要望に360°答えるためにはWebも取り込んでいかないといけない、というだけのことでデジタルに手をつけ始めました。
が、従来のマス型広告クリエイティブにWebを取り込む、は言うは易しだったようで、けっこう皆さん苦労されているようです。
テクニックではなく構造的なハードルがあるんですね。
それは組織体制の課題と制作コストの課題の2つに収斂されていくように思われます。

そこで、今年はデジタルクリエイティブ、つまり「マス✕Web」統合クリエイティブにもう一度ちゃんと注力しようと思いました。
「そういうやり方があったか」「それなら自分たちにもできそうだ」というロールモデルを作り続けるということです。

「マス+(足す)Web」ではありません。
現状、ほとんどの広告クリエイティブがこの考え方の下で企画制作されていると思われます。
しかしこれでは同じコストをマスとWebで分割するだけで、コストも増え、人的リソースも足りなくなり、業界の首を絞めることとなります。
効率化のためのデジタルシフトが進むほど苦しくなる矛盾に突き当たります。

デジタル系のセミナーを聴くと、「これからは〇〇すべし」といった論調が多いです。
が、デジタルの強みは柔軟性のはずです。
ケースバイケースで、この案件ならこのやり方がいいのでは、この案件ならこのやり方が、と縦横無碍に解決策としてのクリエイティブを提供できる、それが「マス✕Web」統合の本懐と考えます。

ここをうまく抜けることができれば、広告業界はまた一段ステップをあがることができると自分は信じています。
そのために小ぶりな案件であっても今年はチャレンジャブルなものを数多く手がけたいと思います。
もし何か「マス✕Web」統合クリエイティブでお困りの際はお気軽にお声がけください。

皆さまのビジネスが急上昇しますように。
本年もよろしくお願いいたします。

小霜和也